初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

日本海の水仙

2009-12-28 | 未分類

年末最後の日曜日、やるべきことは多々あるけれど数年前から気になっていた日本水仙を見に行く事にした。


場所は山陰益田市の海岸。


とあるブログで場所を教えて頂いたら何と新入社員時代に約一年を過ごした時に入りびたりだった海の家があった場所のようだ。


水仙公園は約20年前に地元の人たちが整備したとの事。


近づくに連れてドキドキ胸が高鳴った。


ナビがとある浜に右折をし、上から覗くとやはり見覚えのある旅館が見えた。


長い案内の道の両側に水仙が植えてありそれだけでも楽しい気分に。


白い波頭の立つがけの上で行き止まった。


うえから見下ろすと海に向かって100万株の水仙がびっしりと植えてある。


勢い込んで手すりのある道を下ると思ったより急で途中から夫の手をかりる。


少し平坦な場所を歩くとすぐに海岸端に出た。


椅子があり、少し休むと一面の水仙が咲き乱れているのが見える。


と、歩き出すと今度は急な上り坂。


ハァハァゼイゼイ言いながら見晴らしのいい場所に出た。


誰もいない。


少し小高い場所に上り、転がっていた丸太にこし掛けシャッターを切った。


目の先に小さい小島が見える。


高島だ。


柿本人麻呂終焉の地だと言う言い伝えもある島。


益田市には柿本人麻呂神社もある。


ちなみにこの神社の息子さんは尊敬していた先輩が息子さん、妹さんとは益田時代に同じ職場で働いた。


先輩は亡くなる直前までこの言い伝えの歴史の研究をされていたが思いは遂げられなかった。


コンデジの画面を見ながらもう一つの思いが脳裏を掠めた。


この風景の水仙の群落をどこかで見かけたと思ったら随分若い時に偶然テレビを通じてみた写真家織作峰子さんのすばらしい風景写真だった。


石川県出身の元ミスユニバース日本代表から写真家への転進の報道番組でデビュー作とも言える風景写真の水仙の群生写真は日本でも有数の自生地のものだった。


その眺めは急斜面に日本海の風を受けて凛と咲く水仙と海の青さのコントラストのバランスが絶妙で40年近く経った今でも一度訪れてみたい風景であった。


場所は能登か新潟あたりだったように思う。


甘くじょうひんな香りに包まれて日常を離れ至福の時間を過ごす事が出来た。


帰りは更に足がへろへろになり今日は筋肉痛になってしまったがしんせんな海鮮丼とともに忘れられない思い出となった。


更にこの隣の浜の会社の海の家はひと夏殆んど入り浸り状態で、早朝帰ってくるイカ釣り漁船から仕入れる生きたミズイカの刺身を朝昼晩出してくれる贅沢な食事だった。


寮生の殆んどが自宅に帰らず仕事が終わったらヒッチハイクで戻ってきて、出社もヒッチハイクで出社と言う今では考えられない治安の良さ。


泳いで寝て、泳いで食べて、泳いで砂浜で星を数える・・・・。


薄給で食べていくのがやっとの時代、この思いでは一生ものです。


こんな日本・・・にはもう戻らないでしょうね。


スライドショーにしてみました




嬉しいクリスマスプレゼント

2009-12-25 | 未分類

今日は前々から孫達と約束していた焼きサンドを作る日。


娘の近所にあるスーパーにはサンド用のパンが無いと言うことなので我が家の近所のスーパーに買出しに行った。


数年前には見かけたような気がして行ったがあるのはパンの耳を切ったもの。


サンド器だとはみ出すので耳のあるパンが欲しい。


この地域は何故かケーキやさんが多い。


小さなお店にはパンを置いている所もある。


ふと、散歩コースのケーキ屋さんを思い出し二代目の息子さん夫婦がお店を継いでパンも置いているお店に行って見ることにした。


しかし、入店して見渡すとショーウインドウにも棚にもクリスマス商品ばかり。


「え~、そう言えば今日はクリスマス。食パンは無いのねえ」と言うと


「ごめんなさい、こちらの都合でクリスマス商品ばかりにしたんです。お客様の事考えずにね・・・」と、可愛いお嫁さんがほほえんだ。


諦めて帰ろうとしたら奥から声が・・・。


「僕の気持ちが許さんからちょっと待ってください。」と言うとガサガサと袋を持ってこられた。


「これはレストラン用のバニーニ。それにこれは少ないけどイギリス食パンが少しあったのでサンド用にきってあります。バニーニは冷凍してるので少し時間を置いて焼いてください。」


驚いた私は「まあ有難うございます。料金はお支払いします」と言うと二人がニコニコして「料金は結構ですよ。このお店を思い出してくれた事が嬉しいのとこちらが勝手に変更して食パンを焼かなかったからせめてものおわびに。お子さん、きっと好きですよ」と私に手渡された。


「とっても嬉しいクリスマスプレゼントだわ。孫達といただきますね」と店を後にした。


嬉しくて足も弾むようで一駅先のパン屋さんまで行く事にした。


一番大きなリュック中はパンでいっぱい。


先日買ったプレゼントの紙袋を持って行った。


お姉ちゃんは持病のアレルギー症状が酷く部活を休んで寝ていた。


一番下の子も咳が酷いが何とか二人とも元気はあるようだ。


4人で一緒に下ごしらえをする。


まず、茹でてきた卵をマヨネーズであえる。シーチキンも。


レタスを洗って生ハムを丁寧に広げる。


チーズは冷凍してあるのでこれも袋から出して焼きサンド器にパンを置いてそれぞれ好きな具をトッピング。


服を着替えてきたお姉ちゃんにきっちりと蓋をして貰い美味しそうな臭いが立ち込めると大はしゃぎ。


私はどうも最近こんなものは苦手になりごはんにする。


3人が交互に焼いて食べているのを見て私も一枚手巻きにして食べたら美味しい。


子供達も1斤はあっと言う間に平らげ2斤目に突入。


美味しいおいしいと言いながら大満足のお昼でした。


バニーニは冷凍が解けるとふっくらふんわり、全員が揃う日曜日に食べるそうです。


ケーキ屋さんの粋な計らいのおかげで今日も何だか幸せな一日になりました。


このケーキ屋さん、息子さんが帰るまであまり愛想の無いご両親が古いタイプのケーキを作っていたのですが若い息子さんご夫婦は愛想も良く、研究熱心でいつも何か試食させて貰って感想を聞かれます。


パンも美味しくて時折散歩の途中で買って帰るけど自宅で焼き始めて少し遠のいていました。


折りしもクリスマス、本当にサンタさんっているのですねえ。




クリスマス・・・忘れてた

2009-12-24 | 未分類

今夜はクリススマスイブだった。


すっかり忘れていて食事の時に夫が何処かに隠していたワインを出してきたのを見て思い出した。


ワイン・・・だと思ったらスパークリングワイン、乾杯の雰囲気は良く出ていたけどおかずが・・・。


超シンプルな鍋物と昨日買った麹漬けのおつけもの。


全くと言っていいほど合いません。


今日は朝から最後の「公民館のHP更新」ボランティア。


お昼はお好み焼きを取って食べました。


だから夕食はあまり食欲が無く、鳥の水炊きであっさりとと思ったのです。


今日に限ってハム類もチーズも無く、ましてケーキも無くちょっと寂しいイブです。


でも、いい事がありました。


ブログ友の金ちゃんがクリスマスバージョンの新聞を発表してくださいました。


11人のブログ仲間が金ちゃんの元に決められたテーマを持ち寄り3ページの心温まる新聞が完成したのです。


私に与えられたテーマは絵手紙です。


締め切りぎりぎりにさっと描いたらありゃまステッキの下部が描いていない。


でも、本当にぎりぎりだったのでこれで許してもらいました。


皆さんの作品を読んでふわっと温かい気持ちになり、素敵なイブを過ごせそうです。


ここ数週間、猫の手も借りたいほどの多忙でしたが夫や孫のインフルも完治し、脳梗塞で倒れた私の兄も快方に向かっています。


あとは冬休み中の孫の為に数日間昼食を一緒に作ったりお留守番に行くのみです。


私は勿論元気印です。


皆さまもどうぞ素敵なクリスマスを楽しんで下さいね。


金ちゃんのブログはこちらです




「引きこもり」状態

2009-12-13 | 未分類

一週間があっという間に過ぎやっと土曜日が来た。


今週の土曜日は田舎にお歳暮を届けに、注文していたハムを友人の分も受け取りに。


友人に頼んでいたちりめんじゃこも受け取りに、そして、クンちゃん卵と地鶏も取りに行かねば・・・とてぐすね引いて待っていました。


夫は前日3度目の忘年会が終わり、ついでに広島駅近くのジャズクラブにご贔屓の中西さんのライブに行って遅く帰りました。


ライブは日曜日にある「スカパラダイス」のコンサートで広島に来ているメンバーの人と二人でのライブだったそうです。


夜遊びのつけか夜中に酷い咳をしています。


でも、土曜日の朝は9時までに行かなくてはいけません。


朝食の時も酷い咳で「今日は田舎に行くの辞めよう」と言うことにしてまず、ハムを取りに行き、その足で高速を走ってちりめん雑魚を貰いに。


「来たらコーヒーを飲もうと待ってたのに・・」と言う声にも耳をかさず急ぎ引き帰す。


途中、車内では凄い咳が続き「悪いけど一時帰宅して夕方卵にしよう」と言うので帰ると丁度お昼。


食事中も咳が止まらず途中で買った風邪薬を飲んでベッドに行った。


夕方になり、友人の所に卵を取りに行き、帰宅。


夕食はあまり食欲が無いみたいだ。


私は一週間手付かずの部屋を片付けたり、録画番組を見たりしていると10時前にふら~と夫が起きて来て「どうも発熱しているらしい。頭がボーとしている」と言う。


その時に「え~、じゃインフルなの?」と二人で慌ててマスクをする。


同時に「熱が8度9分」あるよ。インフルじゃ」と言うではないか。


季節性の予防接種は随分前にしたので新型に間違い無い。


即座に娘に連絡すると美容院だと言う。


インフルの対応は日々変わってきている。


ネットで検索して電話し症状を言うと「早く受診するように」と言われた。


夜間救急は千田町に「夜間救急センター」が10時半まで、それを過ぎると市民病院しかない。


市民病院は混むに違いないので千田町に行く事にして急ぎタクシーの手配をした。


10時を回ると車がどっと減りかなり飛ばせる。


10時半ジャストに到着、行くとまもなくシャッターを下ろされた。


5分もすると呼ばれ、検査、すぐに「新型インフル」と診断された。


早めに電話していたので暫くすると婿が迎えに来てくれた。貰った薬をすぐに飲んだので帰りにはちょっと楽になったみたいだ。


が、夜中も咳き込み、しょうがのホットジュースをポットに入れてそれを飲みながらしのいでいた模様。


部屋も別々にしたが時既に遅しの感もある。


思い起こすと車の中で長時間一緒にいたにも関わらずマスクはしていなかった。


密室の中での咳攻勢に逃げ場は無く咳を浴び放題の私。


トイレが近くなった以外は今の所症状は出ていませんが・・・時間の問題かも。


とは言え急に自宅に篭りきりの1日、朝からベランダの花たちの手入れ、大洗濯。


午後も掃除や片付けなどこなし、夕食が終わり金ちゃんとの約束の絵手紙を描く事に。


明日のゴミも用意していたのでガサゴソ出しに行くと「明日は大丈夫だから行くよ」と声がする。


でも、起きると熱がぶり返すのでひたすら寝てもらう事にしています。


お昼は「にゅうめん」夜は鶏ミンチや野菜がたっぷりの雑炊といわしのつみれ汁の残り。


私も風邪メニューで合わせています。


笑っちゃうのは部屋から出て来ない分散らからず、こちらも用事がはかどると言う事。


私が発病したらさぞかし家中大変な事になることでしょう。


明日の音訳ボランティアも断わり仲間にすべてお任せしました。


冷蔵庫にはまだたっぷりの食材があり当分篭れます。


娘宅のお留守番、孫達が頑張るそうです。


発病しなければブログもゆっくり更新でき、「引きこもり」を楽しむ事にします。


さあて、明日もお天気らしいので家の片付けできるといいんですが・・・。




リュック

2009-12-08 | 未分類

私は病気をして以来リュックを愛用するようになった。


その前にもハンドバッグは集めるのが好きで、しかも大きな身体の割りに小さなバッグしか似合わない。


誰からも「大きな・・・」と言われていたけどその癖二つの荷物を持つのも嫌い。


他人から見ると変人そのものの私だがリュックも少しづつ改善、今回集大成とも言うべき働き者のリュックを買った。


カナナプロジェクトと言うプロジェクトで作られたもので随分前から目をつけていた。


下の写真のように私は毎日用途によって違うリュックを使い分けている。



最近重宝しているのがティンバーランドのPCリュック。


ニュージーランド旅行の準備で夫がアルパークのティンバーランドに服を買いに行ったときの事。


待っている間に見つけ、私用のリュックとして買った。


2台目のモバイルPCがピッタリ入り、ボランティアに行く時もお弁当、書類などゆったりと入る。


しかし、デパートなどをウロウロする時には似合わない。


そこで、このリュックに目をつけていたのだ。


大きさは色々あり、小さいのが気に入ったがこのリュックには食料の買出しや絵手紙の道具を入れて歩く時に重宝しそう。


今日早速三人忘年会に持って行き、パセーラで食事をして帰りにそごうで買い物をしたら何と凄い量が入ってしまった。


それに、軽いので持ち歩くのも随分楽だ。



まだこれら以外にも使わなくなったリュックがあり、これ以上は持つ必要が無いのでコレでリュックは買い納めとします。


先日、買ったとき夫に言われました。


「背中は一つなのに何個揃えれば気が済むの?」


本当にホントだ!




今年の予定

2009-12-06 | 未分類

今年の予定が少しづつ減って行く。


昨日は寒くなると行けなくなる湯来町のジャズ喫茶「カズェラ」へ食事に行った。


特別美味しいわけでは無く、特別風景が綺麗なわけでも無い。


ジャズとは言えCDだけど静かに音楽を聞きながらゆったりと出来る。


そんな雰囲気が好きでもう何年も通っている。


おしゃべりで時折広島限定雑誌にもJAZZ談義を書いておられるほどのJAZZ通のご主人と無口だけど美味しい食事をささっと作ってくださる奥様、時に猫ちゃんやワンコにも癒される。


年数回はビッグなミュージシャンや地元出身の海外で活躍しているミュージシャンもライブをされる。


そうそう、来週は無料のライブがあるそうですよ。


以前は流川でお店を出されていたと噂を聞いたが私達にとってはどうでもいい事で詮索はしたくない。


とある本でこの店の人気メニューとして「おぼろ豆腐丼」の紹介がしてあったが私達は食べた事が無い。


いつもアジアンカレーとアボカドとマグロのサラダが多い。


昨日は「まだアボカドが熟してないからランチにしたら?」と勧められ私は「おぼろ豆腐丼」夫は「カルボナーラ」にしてデザートなし。


最初に出てきた「おぼろ豆腐丼」は熱々で一口でやけどしてしまった。


おぼろ豆腐ときのこが味付けされてご飯にたっぷりと載っている。


上には紫蘇の千切りがたっぷり。


食べ終わるまで熱々だったのでもしかしたら耐熱容器で炊いていたのかもしれない。


素朴な味に思わず独り言のように夫に言ってしまった。


「この豆腐丼、我が家の親子丼に似てるのよ」


突然言い始めたので夫もビックリ。


実は私の父はアレルギーが酷く、卵は食べられなかったのです。


そこで、母の考案した親子丼は卵の代わりに豆腐を使う事。


家族もなかなか気に入っていて大好きでした。


私も家族に何度か作って食べた事がありますがいつも父の事を思い出しては思い出に耽っていました。


それに、卵が食べられない父の為に食べさせようと懸命に考えた母のことも一緒に思い出します。


11月末に年賀欠礼の葉書を一斉に出すと友人から電話や葉書がきました。


萩の友人が「初ちゃんのお母様に巻き寿司を習った事思い出しました」と、言うのがあり、長男が出産した時に手伝いに来てくれた母がお見舞いに来た友人3~4人と私を前に巻き寿司の講習会をしてみんなで一本づつ巻いたのです。


私はお寿司が好きじゃなく気が乗らなかったのですが結婚して最初の嫁の仕事が法事で巻き寿司を50本巻く事でした。


スイスイと巻く私に親戚の人達はちょっと驚いたようです。


本当に母に感謝です。


話がそれましたが思いがけず美味しかった「おぼろ豆腐丼」は今度は我が家で作る事にしました。


カズエラは多分今年最後です。


先日小さな我が家の庭をリニューアル(ただ木を切っただけで汚いが)し、生協で買って置いた山野草を庭のあちこちに植えた。


その山野草たちに今日は肥料を施してきた。


キレンゲショウマ、レンゲショウマ、セツブンソウ、エヒメアヤメ、ユキザサ、ニリンソウ、シラネアオイなど。


畑は相変わらず草ボウボウだけどフェンネルが新芽を出し、こぼれダネで二株草の陰で育っていました。


夫は相変わらず土いじりは全く興味なく道中もJAZZのはなしばかりです。あ~あ。


来週はお歳暮を持って親戚回り。


お野菜ありがとう、お米作りありがとう、草を刈ってもらってありがとう、義母や義父がおせわになりました、など一年に一度くらいは顔を見て渡す事にしています。


私の友人達は結婚する時「親戚にいびられないように」と心配していましたがみんな良い人ばかりでまるで実家のように足しげく通う家もあります。


帰ってからは下着やパジャマ、靴下などの身の回りの買い物。


ついでに又しなくてもいい買い物しました。


それは次回に。




ジャーナリスト魂

2009-12-04 | 未分類

一昨日の新聞に「因縁の二人37年目の握手」と言う大見出しで沖縄密約訴訟の記事が出ていた。


「おぉついに37年目を迎えたんだ」と少し感慨深い。


1972年、丁度私が結婚を目前に控えた時期、労働運動も70年安保の続きで高揚した。


もう、少し記憶が飛びかけているが熊本の基地まで行き沖縄返還集会に参加した記憶がある。


そんな事を思い起こさせてくれたのは数ヶ月前に読んだ山崎豊子の最新作「運命の人」全4巻です。


この本は因縁の二人の一人、毎日新聞の記者だった西山太吉さんの半生を中心に追取材した内容ですがなかでも沖縄返還交渉時の「密約」のスクープと、その後明らかになった取材方法の事を巡る裁判の事が詳しく書かれていました。


西山記者はジャーナリストとして日米間の密約、国民に秘密裏に大金をアメリカに払う事を知らせるべきだと文書を手にするがその方法が女性事務官蓮見喜久子さんとの不倫を通じて手にしたと検察側から反論され二人とも逮捕有罪になったのです。


西山記者は毎日新聞の記者としてかなり深く政治家、官僚の中へ入り込んでおり、記者会見だけでなく具体的な情報を夜討ち朝駆けで引き出しスクープをしていたトップ記者だったにも関わらずちょっとした事で情報源が漏れてしまうことになったのです。


西山記者はこの大事な情報を当時の社会党国会議員横路隆弘氏を通じて国会で追及してもらおうと手渡すのですが横路氏がうっかり決済印も見せてしまうのです。


そこで情報源が判り、蓮見喜久子さんは発覚前に上司に相談、暴露してしまうのです。


所が病身の夫を持つ身の彼女は上手く検察に取りこめられて「情を通じて文書のコピーを渡した」と言い、週刊誌に(たしか新潮)手記まで書いてしまい夫とは離婚、西山氏も家族と上手く行かなくなり実家である下関に帰り一家離散状態になります。


しかし、実家での生活も行き詰まり死出の旅に沖縄に旅立ちます。


そこで、沖縄の人に助けられ、気力を取り戻し再び筆を持つようになるのですがジャーナリストとして沖縄密約事件を再び調査し始め訴訟にまでこぎつけます。


それまでの道のりが37年、当時の局長が「密約があった」と明言し、西山さんと握手を交わした。


真実を追究し、そのまま国民に知らせる事が新聞記者として当たり前のことなのに刑事裁判で有罪にされ40年近くも家族が翻弄され、最後に奥様と和解する場面では涙が止まらなかった。


ジャーナリスト魂を貫かれた西山さんは凄い人だと思ったが一つ疑問なのは彼ほどの優秀な人材があまり交友の無い野党議員に重要書類を渡してしまったのかが府に落ちない。


歴史に翻弄されたもう一人の相手蓮見喜久子さんの事は澤地久枝さんが「密約」と言う本を出版されているのでこの機に買って読んでみようと思う。


民主党政権の良し悪しは別として政権はこういうことをオープンにしていくと言っているので今回のような結末になったのかもしれない。


ネットで調べては登場人物を特定して読みましたが他の出演者外務大臣は福田赳夫、通産大臣は田中角栄、官房長官は竹下登、その時の検察官が佐藤道夫(現民主党議員)と言うから凄い役者が揃っていたんですね。


漏洩事件がいつの間にか「不倫スキャンダル」になり、有罪判決になったのは世論の力も大きかったそうです。


正しい報道を勇気を持ってして貰い国民を扇動するような今のマスコミにも猛省して貰い私達も真実を見る目を養い躍らせられないようにしたいものです。