年末最後の日曜日、やるべきことは多々あるけれど数年前から気になっていた日本水仙を見に行く事にした。
場所は山陰益田市の海岸。
とあるブログで場所を教えて頂いたら何と新入社員時代に約一年を過ごした時に入りびたりだった海の家があった場所のようだ。
水仙公園は約20年前に地元の人たちが整備したとの事。
近づくに連れてドキドキ胸が高鳴った。
ナビがとある浜に右折をし、上から覗くとやはり見覚えのある旅館が見えた。
長い案内の道の両側に水仙が植えてありそれだけでも楽しい気分に。
白い波頭の立つがけの上で行き止まった。
うえから見下ろすと海に向かって100万株の水仙がびっしりと植えてある。
勢い込んで手すりのある道を下ると思ったより急で途中から夫の手をかりる。
少し平坦な場所を歩くとすぐに海岸端に出た。
椅子があり、少し休むと一面の水仙が咲き乱れているのが見える。
と、歩き出すと今度は急な上り坂。
ハァハァゼイゼイ言いながら見晴らしのいい場所に出た。
誰もいない。
少し小高い場所に上り、転がっていた丸太にこし掛けシャッターを切った。
目の先に小さい小島が見える。
高島だ。
柿本人麻呂終焉の地だと言う言い伝えもある島。
益田市には柿本人麻呂神社もある。
ちなみにこの神社の息子さんは尊敬していた先輩が息子さん、妹さんとは益田時代に同じ職場で働いた。
先輩は亡くなる直前までこの言い伝えの歴史の研究をされていたが思いは遂げられなかった。
コンデジの画面を見ながらもう一つの思いが脳裏を掠めた。
この風景の水仙の群落をどこかで見かけたと思ったら随分若い時に偶然テレビを通じてみた写真家織作峰子さんのすばらしい風景写真だった。
石川県出身の元ミスユニバース日本代表から写真家への転進の報道番組でデビュー作とも言える風景写真の水仙の群生写真は日本でも有数の自生地のものだった。
その眺めは急斜面に日本海の風を受けて凛と咲く水仙と海の青さのコントラストのバランスが絶妙で40年近く経った今でも一度訪れてみたい風景であった。
場所は能登か新潟あたりだったように思う。
甘くじょうひんな香りに包まれて日常を離れ至福の時間を過ごす事が出来た。
帰りは更に足がへろへろになり今日は筋肉痛になってしまったがしんせんな海鮮丼とともに忘れられない思い出となった。
更にこの隣の浜の会社の海の家はひと夏殆んど入り浸り状態で、早朝帰ってくるイカ釣り漁船から仕入れる生きたミズイカの刺身を朝昼晩出してくれる贅沢な食事だった。
寮生の殆んどが自宅に帰らず仕事が終わったらヒッチハイクで戻ってきて、出社もヒッチハイクで出社と言う今では考えられない治安の良さ。
泳いで寝て、泳いで食べて、泳いで砂浜で星を数える・・・・。
薄給で食べていくのがやっとの時代、この思いでは一生ものです。
こんな日本・・・にはもう戻らないでしょうね。