私は傘を持っていない。
今は、杖を持っているので傘を持つのは少し危なかしいので「持てないから」持っていないのであるが、若い頃から傘を持つのが嫌い。
とは言え一年のうちで何度かは持たないといけない。
が、あまり傘をさして出歩いた覚えが無い。
職場でも傘をささない事で少々変わり者扱いされていたが夫の実家に帰る事になった時同僚がお金を出し合って素敵な傘を買ってプレゼントしてくれた。
「さすがに雪の多い田舎から通うのだから傘は必需品だよ」と。
県境の町から広島市内に通勤していた時、バスから降りると雨の日は猛ダッシュで旧市民球場に駆け込む。
そこから会社の裏門へ走りこめば多少の雨は大丈夫。
我が家へ帰るときはほぼ終点に近くバス停も近くにあるが大抵は一人二人なのでいつも我が家の玄関口へ横付けしてくれる。
いつの間にかバスの運転手さんの間でも知れ渡り顔馴染みになった。
転勤するまでの間バス通勤には面白い事が沢山あった。
大抵は運転手さんが年増、車掌さんは若い男性だった。
ある時、お客さんがいなくなるのを見計らって運転手さんが「前に来て」と言う。
すると「うちの車掌が若くてまだ女性と話をすることが出来ん。あんた、ちょっと話相手をしてもらえんか」と言う。
なるほど、20歳位だろうか初々しい。
まず「あの~、いつも同じ色のブレザーを着ておられますよね。制服ですか?」との質問。
その頃、育児真っ最中の私、仕事も半分、給料も半分で自分の服を買う余裕が無かった。
「アハハハー、実は貧乏で買えないのよ。今度ボーナスで買うからね」と言うと運転手さんが「バカタレ!女性にそんな失礼な事を聞くな。じゃけぇお前は彼女ができんのじゃ」
「そうそう、それはタブーよ。私は大丈夫だけど若い女性は凹むよ」
しかし、その年、夫と義父が勝手に多額の保険に入り年末の私のボーナスは全額そちらに取られその紺色のブレザーは買い換える事無く寒い冬を過ごしたのです。
その後義父と夫には「私に無断でこう言う事をしないように」と申入れ、以後我が家は大人4人で何事も話し合うという決まりになり、隠し事は無くなりました。
又ある時は「初ちゃん」と話しかけられ、つい「はい」と返事をしたら「やっぱり当たった!」と嬉しそうな車掌さんの声。
不思議そうに顔を見ると「いつか手帖を出している時に名前を見たんです。仕事は勿論市民病院の看護婦さんですよね」
この時も私は大笑いして「初ちゃんはアタリだけど看護婦さんは違うよ」と言うと「あれ~、みんなそう言ってますよ」と不思議な顔をされた。
バス停が同じなのでそう思われたのだろう。
その内に転勤、免許の取得でバスには乗らなくなったが車に乗り始めると又しても傘は必要ない。
たった一本の大事な傘は我が家に来た誰かが「もう、傘はさせないから持って帰るよ」と持って帰ってしまった。
傘と雨靴、我が家に無いものです。