初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

私が持っていないもの

2010-02-23 | 未分類

私は傘を持っていない。


今は、杖を持っているので傘を持つのは少し危なかしいので「持てないから」持っていないのであるが、若い頃から傘を持つのが嫌い。


とは言え一年のうちで何度かは持たないといけない。


が、あまり傘をさして出歩いた覚えが無い。


職場でも傘をささない事で少々変わり者扱いされていたが夫の実家に帰る事になった時同僚がお金を出し合って素敵な傘を買ってプレゼントしてくれた。


「さすがに雪の多い田舎から通うのだから傘は必需品だよ」と。


県境の町から広島市内に通勤していた時、バスから降りると雨の日は猛ダッシュで旧市民球場に駆け込む。


そこから会社の裏門へ走りこめば多少の雨は大丈夫。


我が家へ帰るときはほぼ終点に近くバス停も近くにあるが大抵は一人二人なのでいつも我が家の玄関口へ横付けしてくれる。


いつの間にかバスの運転手さんの間でも知れ渡り顔馴染みになった。


転勤するまでの間バス通勤には面白い事が沢山あった。


大抵は運転手さんが年増、車掌さんは若い男性だった。


ある時、お客さんがいなくなるのを見計らって運転手さんが「前に来て」と言う。


すると「うちの車掌が若くてまだ女性と話をすることが出来ん。あんた、ちょっと話相手をしてもらえんか」と言う。


なるほど、20歳位だろうか初々しい。


まず「あの~、いつも同じ色のブレザーを着ておられますよね。制服ですか?」との質問。


その頃、育児真っ最中の私、仕事も半分、給料も半分で自分の服を買う余裕が無かった。


「アハハハー、実は貧乏で買えないのよ。今度ボーナスで買うからね」と言うと運転手さんが「バカタレ!女性にそんな失礼な事を聞くな。じゃけぇお前は彼女ができんのじゃ」


「そうそう、それはタブーよ。私は大丈夫だけど若い女性は凹むよ」


しかし、その年、夫と義父が勝手に多額の保険に入り年末の私のボーナスは全額そちらに取られその紺色のブレザーは買い換える事無く寒い冬を過ごしたのです。


その後義父と夫には「私に無断でこう言う事をしないように」と申入れ、以後我が家は大人4人で何事も話し合うという決まりになり、隠し事は無くなりました。


又ある時は「初ちゃん」と話しかけられ、つい「はい」と返事をしたら「やっぱり当たった!」と嬉しそうな車掌さんの声。


不思議そうに顔を見ると「いつか手帖を出している時に名前を見たんです。仕事は勿論市民病院の看護婦さんですよね」


この時も私は大笑いして「初ちゃんはアタリだけど看護婦さんは違うよ」と言うと「あれ~、みんなそう言ってますよ」と不思議な顔をされた。


バス停が同じなのでそう思われたのだろう。


その内に転勤、免許の取得でバスには乗らなくなったが車に乗り始めると又しても傘は必要ない。


たった一本の大事な傘は我が家に来た誰かが「もう、傘はさせないから持って帰るよ」と持って帰ってしまった。


傘と雨靴、我が家に無いものです。




事、遊びに関しては

2010-02-20 | 未分類


私は我ながら「遊びの天才」だと思います。


PCボランティアの帰りふと公民館の玄関先で「キッチンリースの講習会」と言うお知らせをみつけ即座に私の友人兼 同僚兼 野菜畑兼 私の片手兼・・・・と言う肩書きの迫ちゃんに電話。


「ふんふん、いいよ」との返事にすぐに申し込みました。


公民館の人が「良かった、今日も問い合わせがあったから人数に達する所だった」と早速受け付けてくれた。


と、傍でその様子を見ていたもう一人のアシスタントが「私もする」とさっさと申し込んだ。


私は以前、フラワーアレンジメントに通っていた頃グルーガンも買っていたので少々自信あり。


雪の舞う中駆けつけると迫ちゃんが準備を整えていてくれた。


早速乾燥あやめの葉を三つ編みにする。


そのアタリにいた人に「お願いしま~す」と差し出すと「どちらが編む?」と聞かれたので「貴女におねがいします。私、手が不自由だから難しいもの」と最近はとても図々しい私。



編み終わったら硬過ぎて具合が良くない。


先生が編まれたのがありそれと代えて貰った。


最初はデジカメで作り方をバシャバシャ撮っていたが段々自分の世界に入り、三人で黙々と作業。


こういう時には不思議と左手も良く動くから不思議です。



やけどをしまくる迫ちゃんを横目に、気がついたら1時間で仕上げていた。


もう一人の彼女はドライフラワー初心者で二人でああだこうだと教えつつ彼女も無事作り終えた。



結構大きくて持ち歩くのは大変だったが帰りに新しく出来たお好み焼きやさんで食事をしながら合評会。


少し早いがそのままアストラムに乗って娘宅へ直行。


三人の完成写真をきちんと撮るのを忘れたので先生のモデルのみ。



疲れたけど気持ちはゆったりしている。


最近は毎日余裕の無い時間を過ごしているので十分リフレッシュできた。


他の二人も「午後は忙しい~~」と飛んで帰った。




「暮らしの手帖から」

2010-02-18 | 未分類

音訳ボランティアの「暮らしの手帖」の担当が終わり、去りがたい気持ちで過去の本を借りて帰って読んでいる。


暮らしの手帖は前身を「スタイルブック」と言い私が生まれる前の昭和21年刊行とある。


いわゆるインテリ層や家庭の主婦向けに料理や健康の情報、ファッションや商品の紹介もきちんと編集部で商品テストをしたものを掲載している。


今の雑誌と基本的に違うのがまず広告が無い事、商業ペースでない事、家庭、生活における考え方も一つの考え方に基づいてすべて構成されており文章は美しい日本語で綴られているものが多い。


私は読みながらいつも非常に心地よい日本語に魅せられてしまう。


今までは何気なく雑誌に目を通していたが今は普通の雑誌が写真で埋め尽くされて毒々しいとさえ感じてしまう。


挿絵も最小限、殆んどが文章で埋め尽くされている。


それなのに「字ばかりで嫌だなあ」と言う印象を持たないのは一つ一つの文が読みやすく短いエッセーが多いせいだと思う。


一冊の本の何処から読み始めても何処で終わってもその日の体調で長い文章にしたり短く「暮らしのヒント集」を拾い読みしてもいいなあと思う。


一冊の本を読むのに数週間借りている時もあるが特に料理などは本格的な作り方を親切丁寧に解説してあるものだから何度も読み返す。


と褒めちぎってしまったが全体に落ち着いた生活者の臭いのするこの本は全て一本の筋が通っている所が一番すきなのだ。


反戦・平和、消費者の立場、生活者としての智慧・・・・。


雑誌にしては少し高くいつも買っていた訳ではないが図書館に行った時には必ず読んでしまう。


私が読んでいたのはホンの一部だけど、これからバックナンバーを少しづつ読み解いていきたい。


そうだ、今回は一つ驚きがあった。


読者の広場と言う投稿欄を読んでいたらいつも地元の新聞の投稿欄に名前を連ねている男性の投稿があった。


男性にも読まれているのですね。


新聞紙上でも常連の名前に「はぁ~、彼はこの本を読んで文章修行されているんだな」と思った。


私も美しい日本語を書きたいと思いつつブログも書きっぱなし。


彼を見習って文章修業に励まなくては。


 




「林の中のナポリ」

2010-02-16 | 未分類

過日、市民劇場で劇団民芸の「林の中のナポリ」を見に行った。


山田太一さんの原作はさすが奥深く今回も私の「ココロの栄養」になった。


中年夫婦と出戻り娘三人で営む「林の中のナポリ」という民宿が舞台。


めっきり客足が途絶えた所へ樫山文枝さん演じる老婦人が娘の案内で泊まりに来た。


暗く陰気なシェフの夫は泊り客に「暗い」とネットに書かれ活発な妻はお客様の所へ出てこないようにと命じる。


ところが老婦人と夫はふとした事でバッタリと出会う。


そこで二人の関係が次々に明らかになる。


老婦人の息子と宿の主人とは大学時代の友人で学生時代に訪れたヨーロッパで主人運転の車の事故で友人達を死なせてしまう。


お互いにその事を抱えながら生きて来た事を話し合う。


老婦人は家や土地を売り払い、その足で老人ホームに向かうはずだったがここへ来てしまったと打ち明ける。


何泊も連泊する内に主人はこの老婦人を最後までみようと言う気になるが老婦人はそれをきっぱり断わって旅立っていく。


出戻りの娘は元の夫の元に戻り、主人は老婦人に指南されたとおり明るい接待を心がけるようになる。


山田太一さん風な内容ではあるが私達団塊世代向けへの警鐘でもあると考えた。


私の世代になると一つ二つは人に言えないことやしがらみがあり自分をなかなか変える事は難しい。


老人ホーム入居寸前でも思うことがあればもう一度チャレンジしてみる甲斐はあるかもしれない。


社会や周りに影響を受けるのでなく自分の考えで最後まで生きていく。


大事な事ではないだろうか。


「感想文を書いて送れ」と友人から電話がありもう少し忘れかけていたこの物語を思い出しつれづれに綴ってみました。




家でできるボランティア

2010-02-10 | 未分類

月初めは音訳の録音日。


来月から各グループの担当が替わり今月で「くらしの手帖」担当は終わる。


好きな本でもあり、役立つ情報が満載で読む事の苦しさを忘れてしまうほど。


読む事が苦しいとは・・・半身麻痺というのは身体の半分がすべてにおいて麻痺しているので当然声帯も麻痺し、耳も少し聞こえが悪いのです。


自分の声が自分の耳に聞こえにくくてどの程度の声をだせばいいのかがムツカシイのです。


それで大きな声を出したいのに大きい声を出そうとすると喉が締め付けられて大きい声が出ない。


病院の先生はカラオケがいいリハビリだと言われるがいくら訓練しても音階の上がり下がり時に音が出ない。


試しに家族でカラオケに行った時8曲ぐらい歌ったときの事、少しづつ発声が楽になったことがある。


訓練すると声も出るようになるんだと思いつつカラオケはあまり行く気がしない。


他の患者さんはカラオケでも上手に歌われるので私だけかもしれないなあ。


それでも今では30分くらいの朗読が出来るようになった。


もともと読む事が好きだったのでこの調子で続けたい。


ところで、3人掛りで録音したPCカードをまずは社協のPCに取り込みそれを外付けのハードディスクに取り込んで自宅で編集作業をしている。



少々孤独な作業だけど「ふぅ~」とか「口中音」と言うペチャッという音も目で見たり、音声で確認して削除する。


音声の切り貼りもする。


発声の始めの音は視覚障害者の方が無音だと聞き逃すのでフレーズ始めの音は短く切り落とす。


その後は文章のつながりを見つつフレーズを足したり引いたり・・・。


今週来週は時間を見つけては少しづつこの作業をする。


私は今月は「すてきなあなたに」と言う10篇のエッセー集を読みました。


読みながら「へぇ~」「ふぅ~ん」「そうなんだぁ」と仲間と頷きあいながら読む余裕も少しありました。


来週も残りの人たちが読み今度はテープ作りをします。


CDは途中で裏返したりしないのでパパッと出来るのですがテープは文のいいところで切り、裏返して続きを録音します。


この切るタイミングと繋ぎがまだ少し自信がありません。


さて来週又月一度のチャレンジがきます。


上手くいくといいなあ。




竹原・お雛様と美術館

2010-02-09 | 未分類

 


時間を見つけて久しぶりに竹原まで足を伸ばした。


ここ1年以上混んでいて行けなかった「ホクストン」にお茶を飲みに行ったがやはり満員で、お天気がいいからかベランダに大勢出ていたのでサーと通り過ぎUターンして戻った。


お昼時を避けたつもりだけどやはり混んでいる。


お料理もお茶も特別美味しいというわけじゃないが何せロケーションがいい。


瀬戸内の海と島々を見晴らす丘に建っているのでのんびりと海を眺めながらお茶を飲む、そんな贅沢に浸りたい人が多いんだなあと思う。


仕方なく町並み保存地区に戻りお雛様めぐりと竹原美術館で開催中の「林静一」展に行く事に。


お雛様めぐりは昨年も行ったので様子が判っているので松坂邸を見学したりくろもじの大木を見たり気になっていた喫茶でお茶を飲んだりしてそどろ歩きを楽しんだ。


喫茶店は外装内装とも素敵だがコーヒーが我々好みでなくちょっと残念。


竹原美術館の林静一は画家と言うより漫画家、イラストレーターと言う方がいいかもしれない。


竹久夢二を思わせる画風が好きで時折本を出しては眺めている。


ロッテの小梅ちゃんのコマーシャルで有名になったが原画は以外に小さくイラストペン、インクで仕上げた繊細な線に驚いてしまった。


そう言えば数年前にPC画で模写をしたなあと外部メディアを探したが私の事、すでに削除して原画だけがワードに残っていたので加工したら雑になりポインタが残っていてすみません。




私は元々絵を描くのが好きで美術部にも入っていたが親がどうしても油絵の具を買ってくれないので面白くなくて放送部に移った。


あの頃もっと工夫してペンで描くことをしていたら少しはまともに絵を描く事ができたかも知れないのにと思う。


だが、画は元になる素質があってその上で訓練する事によって絵になるわけだから元々の素養が無い私にはどちらへ転んでも無理かぁ・・・・と。


それにしても可愛らしくあどけない着物姿の女の子には魅せられてしまう。


PC画は原画があれば色付けや動きも少しづついくらでも変えられる。


原画の線も動いていて少しおかしくなっているのでこの際に修正しなくては。


雛めぐりも美術館も始まったばかり。


海沿いの鄙びた町の散策楽しい時間でした。


 





アルパーク

2010-02-07 | 未分類


長く行っていないアルパークにやっと先週行く事ができ、ついでにパンツを買ったので昨日取りに行った。


以前アルパークの近くに住んでいたので私の中では基町近辺についでなじみがある。


医師から運動不足解消の為に「毎日アルパークに歩いて買い物に行きなさい」と言われ毎日のように歩いて行っていた。


その頃、私は早朝から夫を送っていき、そのまま友人が働いていた職場に向かい夕方まで手伝ったりおしゃべりしたりする事が多く社宅の人が「朝から車が無くいつもでかけていたよね~」と今でも言われる。


病気をして長く入院し、帰ったとき友人が毎日のように来てくれて目標をアルパークにして毎日のように歩いていた。


3ヶ月の入院のあと夫とエスカレーターに乗る訓練をするといってアルパークに行った時エスカレーターの近くの売り場の店員さんが「あら、随分見なかったけど交通事故?」と話しかけてきた。


「ううん、脳出血で半身が麻痺したからエスカレーターに乗る訓練してるの。リハビリさせてね」と言うと店員さんが「どうぞどうぞ、頑張ってね。応援してるから」といつも励ましてもらっていた。


アルパークは出来た当時は広くて駅と繋がった広域の商業施設でとても人気がある割りに迷う人が多かった。私の母が遊びに来るというので私は訓練の為に迎えに出ずに一人で来て貰っていた。案の定西棟と東棟を間違えてしまったらしく時間になっても来ない。


私は母に無理をさせたなあと思いつつ随分長い事待った。夕方になって「迷ったけど何とか間違いに気付いて来る事が出来た」とやって来た。その後も私は鬼のように「一人で電車でいらっしゃい」と迷っても迷っても一人で来てもらった。


88歳まで認知症を発症しなかったのは私と母のこんな工夫があったからだと今でも思っている。


今日洋服を受け取りに行って洋服売り場を歩いていると随分お店が移動したり変わったりしている。夫が「おい、お店の場所がわからんのか?」と後で言っていたが私の好みのお店があり洋服を見ていたら何と以前から好きだったブランド「センソユニコ」だった。


ちょっとデザインが変わっているけど可愛い大人の服で駅前福屋に出店していた時に気に入って随分通った。


その後、そごうにも出店していてその時も「この店いいねえ」と友人と見ていたら「センソユニコ」だった。


その時は駅前福屋に居た店員さんが先に見つけ「あら!太ったのね。ダメよ太ったら」と言われてしまった。


そうなんです。センソユニコはスマートで無いと入らないんです。


ま、今の私には高いので逃げる口実にはいいんですがね。


もう一つ好きなブランド「詩仙堂」場所が移動していたのでちょっと覗いたら新作が沢山出ている。


ちりめんで作ってあり殆んどフリーサイズで少々太ろうが痩せようが合うのがいい。


友人が岩国に転勤で行ってた頃帰りに本店に寄るのが楽しみだった。


と言って何枚も買うほど安くなく私はほんの数枚しか持ってない。


母に何枚か買ってあげたことがあり亡くなった時形見分けしてもらおうかなと思っていたら義姉が「私が貰ってもいい?」と先に名乗り出られて、でもその方が嬉しかった。


年とともに好きなブランドは変わっていったが退職するまで二人で好きだったのはパパス&マドモアゼルノンノン。


スポーティで着易く大好きだったがリタイアしたら途端に敷居が高くなり横目で見つつ腕を引っ張って通った。


今では郊外型のアミューズメント施設があちこちに建ち少し古びた印象のアルパークだけど旅から帰ったとき電車の窓から見える派手なイルミネーションが「お帰り」と迎えてくれるようでほっとしたものだ。


私だけかと思ったら夫もそう言っていたので同じ思いのようだ。


とは言え買い物施設だから見るだけじゃ面白くないので自然に足が遠のいてしまったのだろう。


私が長く通っていた東棟のお店も店じまいされて懇意にするお店も無くなった。


ちょっと寂しい気もするがやっぱり目が離せないアルパークである。