初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

山へ

2007-04-30 | 未分類

昨夜は夜更かししたのに今朝は早く目覚めた。


夫が明日から仕事なので用事を早く済ませなくちゃと洗濯、後片付けをシテスタンバイしてると義姉から電話。


昨夜は部屋を替わったので母は大暴れして管を全部抜いてしまったそうだ。


病院からの呼び出しで急遽お泊りをしたそうだ。


認知症は変化に弱い。ちょっとした事でも随分不安定になる。


今日はゆっくり休んでもらって今晩の呼び出しが無いように祈る。


ちょっと暗い気分で田舎に向けて出発。


途中、豊平で蕎麦を食べ買い物しようと思ったら車を止める場所が無い。


神楽の音が聞こえるので神楽大会でもあるのだろう。


仕方なく実家に向かうことにした。


山の中は気持ちのいい風が吹き渡り、太陽もガンガン照りつける。


ふと車を止めて覗き込んでいる。


あちらにもこちらにも「コシアブラ」がある。


やぶこぎしてガサガサしてると思ったら木に登ってる!


「大丈夫~、落ちても助けられんよ~」と、叫ぶが止めそうにない。


同世代の夫婦が車を止めて「ワラビですか」と、聞いた。


「コシアブラ、ばかの芽ですよ」と、教えてあげた。実物も渡して木も教えてあげたが車をぶっ飛ばしていかれたのであれじゃあ見つけられないなあ。


袋にいっぱい採って満足。実家で冷蔵庫に保存中の味噌を取り親戚にお米を貰いに行き上がりこんでお茶を飲んだ。


まだ買い物がしていないので早く帰りたい。


なのに夫は何やら道具を買い込んで再び「コシアブラ」の山の中へ。


今度はカウボーイよろしくロープで枝を引っ張り採る作戦。


私は呆れながらも可愛い「イカリソウ」の花を見つけ撮影した。



顔はヒリヒリ、足も疲れた。


お酒の肴にピッタリ。でも、こんなに食べられないなあ~。




母の見舞い

2007-04-28 | 未分類

久々にお見舞いに行った。


お昼ご飯を目指して行ったら静かに目を瞑っていた。


入院直後より腫れが引いて随分楽そうではあったが苦しそうな咳は続いていた。


ゆっくり話すとかなり正気に近い言葉が返って来るが時々「何処も悪くないから今日は帰れる?」と、聞いてくるのがせつない。


救急救命センターなのに看護師さんや医師の姿が少ない。


大丈夫なのかな~と思っていると昼ごはんになった。


看護師さんが「起こすのを手伝ってください」と言うので夫が抱えるようにして起こした。


看護師さんはあちこちの管も持たないといけないので確かに一人では難しそう。


食事はゆっくりと食べ、時々大きな息をするが大丈夫そうだ。


三日月オレンジが3個もあり難しそうだが私にはむいてあげるのが難しく夫に頼んだ。


初めてなので何処で手を洗うのか判らず右往左往している内に母は食べてしまった。


「なぁ~んだ、私より手がかからんじゃん」と、思っているとご馳走様をして薬をくれと言う。


食後は座っていないといけないので携帯の孫の写真を見せたりして気分をそらしたがおしゃべりを始める。


しゃべると咳が出るので背中をさするのだが咳が止むと「私何処も悪くないから帰りたい」と言う。


そうこうしていると「便が出る。もれそう」と言う。


「ちょっと待って」と言って周りを見渡しても誰もいない。


どうしよう~と、パニクッてしまった。


看護師さんを呼ぶと手伝ってくれと言われ必死で抱える。何とか座らせたら又誰もいない。


終わると看護師さんを呼んで処理してもらう。今度は「お水が飲みたい」そうだ。


看護師さんに「お水を汲んできて」と言われ、それが済むと「部屋変わるので荷物をまとめて」と言われ荷物を3個作った。


2時の予定がトイレの為に管を全部はずしたので急遽移動することになったらしい。


私、3個の荷物は持てない!と、廊下に向かいかけたら兄夫婦が見えた。


病院は何処も医師、看護師不足なのだ。


とても一人で出来ないことをしているので付き添い頼みなのだと思った。


私の冷や汗介護は疲れまくって終わった。


病院の事情が良くわかったのでこれからは頼みの夫が私から離れないようにお願いをした。


それにしても毎日食事時に通う兄夫婦も大変だなあとおもった。


 


 




友人

2007-04-27 | 未分類

夕方、友人がドアストッパーを持ってやってきた。


可愛いアヒルのぬいぐるみの中には綿と石が入っている。


我が家は玄関を開けると吹き抜けになり、廊下のドアや部屋のドアがあっという間にバタンと閉まる。


それも部品がぶっ飛ぶほどの勢いで閉まるのでご近所にも迷惑だ。


市販のドアストッパーではぶっ飛んでしまうので悩んでいた。



友人が自分用に作り、更に私にも作ってくれて持ってきてくれた。


教えてくれた友人のブログはこちら


色んな友人同士のつながりで私は恩恵を受けている。


映画を見るときは殆んど一人だが誘うならHさん。


お花見や食事にはNさん。


美術館はSさん。


趣味はKさんと言うように今までのお付き合いの中で自然にジャンル分けしている。


時々はジャンルを越えて面白いメンバーで集まったり遊んだり私の出来そうな時は声が掛かる。


私が病気をした事で一時色んな人が我が家に集い、ジャンルを超えてみんながお付き合いすることで私は数段楽になった。


中にはどうしてもなじまず去っていった友人もいるが殆んどの人はお互いに気持ちよくお付き合いしている。


こんな友人達に囲まれていつも「幸せ~」と、思っているが娘からは「友人ばかりに目が向いて老後の為にもっと夫婦で向き合いなさいよ。友人に頼りすぎだよ!」と、厳しい突込みをされる。


おおおお~怖い!と、思うがもう少し友人達との交流を楽しみたいたいと思います。


ネットのお友達もよろしくね~。




パソコンボランティア

2007-04-26 | 未分類



今日は
パソコンボランティア。

私の好きなオートシェイプだった。

絵手紙のように筆を持ってはがきに描くのも楽しいが時には機械の力を借りて子供のようにブロックを組み合わせるようにして絵を描くのも楽しい。

今は自分の顔を描いているがなかなかお見せできるような出来上がりにならない。

ネットでは色んなサークルがあるみたいでお年の方も沢山参加されている。

花を描いたり風景を描いたり発想次第で大画伯のような出来栄えになる。

私の次の趣味候補になりそうな予感。

今日は気分が良くて墨の匂いが懐かしくなり、帰りに駅で花と野菜を購入、食後に絵手紙を描いた。

私は花に疎いので名前は判らない。可愛いネコヤナギに色がついたような花だ。

昔、フラワーアレンジメントをしていた時にいけたことがある。
黄色の水仙、矢車草もあった。

暖かくて上着無しで外出しても帰宅したら汗ばんでいた。

この調子だと連休は例年どうり暑くなるだろう。

母の具合によっては連休の外出は無理かもしれないが「萩焼まつり」だけには行きたいなあ。

皆さんはどういう計画でしょう?





やっと回復

2007-04-25 | 未分類


今日は一ヶ月ぶりのHPボランティアだった。

先日来の母の入院で思わぬ「落ち込み」に戸惑っていたが、パソコンに向き合い一心にHP作成をしていると緊張感も出てきて次第に気分が良くなってきた。

兄夫婦の報告だとかなり元気になってきて食事も進んでいるとの事、何でいい方向に向かってるのに落ち込むのかと考えてみた。

「そうか!」と、思いつくことがあった。

それは、自分の介護体験を思い出した事だ。

つらくは無いが眠れぬ日々、疲れの取れぬ重いからだなどが瞬時に脳裏に浮かぶからだ。

ヘルパーの免許を取る時に認知症について勉強していたので私と夫はかなり旨く付き合えたと思う。

しかし、私に知識があった分夜中に看護師を呼んでも来ないことが続きシーツ交換、おむつ交換、嘔吐していないかなど眠れない日々だった。

血圧計も持参して計っていたが上は180位の数値が続き下も90はオーバーしていた。

医師から「今日か明日かですね」と、告げられた日、夫に「倒れそうだから変わって」と電話してやってきた夫と交替した瞬間、夫の腕の中にくず折れた。

言葉を言おうとしても「もごもご」としか言えず飛んできた医師が「51歳?若いからリハビリで回復するから大丈夫」と、励まされ脳外科に搬送された。

当時は殆んど思い出せなかったのに年を追うごとに鮮明に思い出す。

救急処置を受けて入ったICUには次々に患者が運び込まれ中には呼びかけても返事の無い人、運び出される人、一晩中一つの部屋の中で生死が分かれていった。

ICUに何日いたのかは覚えていないが数日いたようだ。

個室に変わってテレビを見たがニュースの内容、話している内容がまるで判らず先生を問い詰めた。

本を読んでも新聞を見ても殆んど理解できなかった。
脳の思考回路がおかしくなっていたのだろう。

それは、1ヶ月続き少しづつ回復していった。

こんな事を思い、段々沈み込んでいったのだろう。

今日は外出し、人と話すことでこの落ち込みからは解放された。

私は決してナイーブな方では無いが、私の体験は心の奥に深く刻み込まれまだ癒されていないのだと思った。

私が尊敬する理学療法士さんによると同じような状況でも、もっと高い血圧でも倒れない人もいるし元気な人もいるとの事だ。

いくつかの条件が重なり(私は寝不足、長期の運動不足、減塩生活が出来ない、トイレをがまん)発症するのでけして全員に当てはまらない。いわば、運が悪いのだそうだ。

だから、今から病気のリスクを一つでも無くせば大丈夫。

今日はネガティブな話題で暗い気持ちにさせてしまって申し訳ないけど聞いてくださってありがとう。

そして、励ましもありがとう。




母の入院

2007-04-21 | 未分類


今朝は何だかドンよりだったけど、肺炎で入院した母の見舞いに行った。

お昼前を狙っていったらちょうど12時前で暫くすると食事が来た。

母は、料理上手だからか、食事に関してはいつも不平不満を言う人だが今日は酷かった。

黙ってみていると「食べたくもない」と言いながらも箸を取って食べ始める。

機嫌をとりながら「おいしそうね」と言うと即座に「おいしくない」
と言うので夫は大笑いして「かわっとらんね」と言う。

御飯を取って「これは多いから食べられん」と、これもいつもの台詞。

最後のデザートもぺろりと食べて「欲しくは無いけどもったいないから」と言いつつ箸を置いた。

「美味しかった?」と聞くと、「美味しくない」と、答えが返ってきた。


アルツハイマーになって人が変わった。

話している間も「カー」となって兄夫婦に攻撃的な会話をしたり、人が服を取ったと繰り返す。

とても温厚な母だったが食事のマナーと、食べ物に関する愚痴は以前のまま。

義姉は不愉快な思いをしただろうといつも思う。

元気な頃、我が家に来たら「うちは毎朝卵料理が出る」とか「毎日ほうれん草が出る」などと言うのでさすがの私もいつもほうれん草と卵は欠かさない。

静かでいつも黙って家事を手伝ってくれていた優しい母なのに反面こんなわがままも言う。

今、国を挙げて認知症対策の取り組みがされている。

自分自身を認知することが出来ない病気、家族は大変だが色んな人の力を借りないと介護する人の人生までも狂ってしまう。

夕方兄夫婦が行った時はすでに私達のことも忘れ攻撃の刃が兄夫婦に向いたようだ。

「行かなくていいのよ。病院で十分に優しく治療してもらってて本人も満足だと言ってたから、安心して任せたらいい」

私はそうアドバイスするしか無かったが兄夫婦の心労が伝わってきた。

私のようになって欲しくない、そういう思いがいっぱいで心苦しい。

老老介護、刃は一番面倒を見てくれる人に向くと言う。

解決策はなかなか無いけど認知症のメカニズムを知って介護者がストレスを囲い込まないこと、周りのものが配慮することが今は大事だと思う。

私に出来るのは介護する家族の気持ちを少しでも安らかにしてあげる事しかない。





今日も一日日が暮れた

2007-04-20 | 未分類


朝から気持ちのいい陽射しだ

先日植えたハーブが太陽に向かって少し伸びたようだ。

あ~早く植え替えてあげれば良かった。

朝起きるとベランダを覗くようになった。

こんな小さな事でも人間心を動かされるものだ。

テレビでは町田市の発砲事件を一日中放映している。

こういう事が続くとその内慣れてきて恐怖心や嫌悪感もなくなってしまうのだろうか。

今晩気になっていた孫達の新学期の様子を聞くためにテレビ電話をかけた。

早速出てきた真ん中ちゃん、「学校は楽しいよ」と、言う割りに楽しくない顔をしている。

「楽しいって顔に見えないんだけど」と聞くと

「骨折しちゃったのよう」と、ママの声

成るほど手に包帯を巻いている。

小指を骨折。これで指の骨折3度目。

「お目目は~」と言うと、又ママの声

「又まつげを抜いています」

問題大有りの真ん中ちゃん。

何か元気が無い3人組、大丈夫かな~。聞いてもどうにもならない事だけどやっぱり聞いてみる。

お姉ちゃんは落ち着いた顔をしているのでこれは大丈夫だと電話を切った。

祖父母になっても悩みは尽きない。






これでいいの?

2007-04-19 | 未分類


絵手紙教室の帰り、新交通に乗って周りを見渡すと半分の人が片手に携帯を持って画面を見ている。

乗り込んでくる若い人はすでに手に持って目は携帯電話に釘付けだ。

そう言う私も腰掛けたらすぐにメールチェックをした。

余裕があればブログを覗いたりニュースを見たりと若者に混じってするのだが先日「パケット使いすぎ!」と怒られたのでちょっと反省。

私は夫の会社のためだと思っているのだが家計には響く。

それにしても、横を向くと右も左も片手を上げる位置まで同じで携帯画面を見つめている光景、これでいいの?と、思ってしまった。

いつかも書いたが、乗り物に乗っても席が譲ってもらえない。

そりゃそうだ、見ているのは人間じゃなくて携帯画面だもの。

譲ってもらえないんじゃなく、目が行かないので気づかないだけだ。

今は子供も携帯を持つ時代。

人間と人間の関係がますます希薄になりお互いを思いやる気持ちもなくなるのではないかと思う私は考えすぎだろうか。

時代の流れ・・・なんて言わず今一度振り返って見ようじゃありませんか。



民主主義

2007-04-18 | 未分類


昨夜、伊藤長崎市長が銃撃され亡くなられた。

10数年前も本島等市長が銃撃された。すぐにその事を思い出した。

本島さんは市議会で「天皇にも戦争責任がある」と発言し、右翼に狙われると言う不幸だが「原因」があった。

その本島さんを破って市長になった伊藤市長なのにどうしてか?と思った。

まして、過激な発言もされていないし犯人の言う「市長に対する恨み」も殺すほどの理由だろうかと思う。

ただ、私の見る限り伊藤市長はニューヨークのデモに参加したり国内でも平和活動を活発にされているなあと言う印象がある。

やはり、被爆都市ならではの市長のあり様なのかと思っていた。

広島においても市長は平和問題に深くかかわってきた。

今回の秋葉市長も過去「アキバプロジェクト」というアメリカのマスコミを広島に連れてきて取材してもらうという活動を長くされていた。

昨夜のニュースを見た瞬間「秋葉さんは大丈夫だろうか」と、話した。

今の所、政治的な理由は話してないが果たして政治的な考えは無かったのだろうか。

政治的意図は無いにしても有無を言わせず銃で撃つという暴力がまかり通る時代に背筋が寒くなる。

自分の思いが通らなければ殺す。こんな短絡的な行為がまかり通ることの怖さ、これで言論封じが起きなければいいがと懸念する。

折りしもアメリカでも悲惨な事件が起きた。

どんな事があっても暴力は許してはならない。

私にはそれを食い止めるだけの力は無いがせめて、ブログで発信させてもらった。

伊藤市長の冥福をお祈りします。






やっとガーデニング

2007-04-18 | 未分類

今日はやっと思い腰を上げてハーブの植え替えをした。
早くすればもっと元気で大きくなっていただろうに、ちょっとの風が吹いても手が痛くなるので敬遠していた。

決して面倒だからじゃない。

私はそもそも土いじりが苦手だ。

病気をするまで土いじりをした事が無い。

花を育てるのは苦手だが草抜きは好きで、田舎にいる時はいつも家の周りの草を抜いていた。
花好きの姑さん、こぼれ種の花でも大事に育て、すぐに抜いてしまう私は良く叱られていた。

義父が「おかあちゃん、何もせんでくれ」と、言ってたので義母はこぼしていたのだろう。

私の友人はみんな花好きで育てるのも上手。

私は節分草もカタクリも友人を乗せていってはあげるけど、大抵は車の中で待機。

内心「何であんな花がいいのかな」と思っていた。

病気して少し回復した時、友人が花の鉢を持ってきた。

初めて土に触れたとき心が和らいだ。


かすかな香りに心が解き放たれ癒された。

今は、虫のつかないハーブを中心に毎年苗を買って植える。

ローズマリーと、フェンネル、ミントは年を越すことが出来た。

数年間、ハーブビネガー作りにはまり、タラゴンを育てたが夏の蒸れに消えてしまう。

今年は苗が無くて植えていない。ネットで探さなければ。

さて、これで好きなハーブが食べられる。

ルッコラなどはもはや坊主になってしまった。