初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

子育て

2008-04-30 | 未分類

昨日娘達と母の見舞いに行った。


帰りに我が家の残り物を中心に食事をして帰った。


その時に聞いた話、今朝も思い出して夫と話した。


PTAの代休で月曜日は子ども達が休んでいたが娘は発熱して寝込んだそうだ。


しんどくて何も出来ず、寝たままで子ども達に指示して家事をして貰ったら、以外に何でも出来るようになっていた子どもに驚いたそうだ。


一番上の子はおかゆを炊いてくれたそうで「助かった」と、言っていた。


どうやらおかゆは下の二人の子が殆んど食べたらしいが病気になったらお粥が作れると本当に助かる。


その話を聞いて今朝夫に「娘が小学生の時私が病気になったらいつの間にかお粥を炊いて食べさせてくれたよ」と言った。


夫は働いていたので知らなかったらしいが子どもって自分のされたことは覚えていて真正面から「教え」なくとも生きていく上での生活の知恵は覚えていくものらしい。


私の母は誰かが寝込むと必ず「ニラ雑炊」を作ってくれた。


ニラの臭いはちょっと嫌だけど、ふんわりと卵で閉じると栄養たっぷりのお粥が出来上がり食欲がわく。


私もそれを覚えていて家族が寝込むと「ニラ雑炊」を作っていた。


元気者の義父母は嫌がって寝込んでもちゃんと普通のご飯で回復していたので、虚弱な実家の家族だけのものらしい。


3人の子育ては大変だけど大きくなるにつれ親も助けられる。


私は息子にはそんな風に教えなかったのでおそらく出来ないと思うので一番下の孫(男子)には家事もみっちり教えてあげようと思う。


夫は未だにきちんと食事が作れない。家事が苦手だ。


女の子のDNAは教えなくても出来るが男の子には教えないと出来ない人もいるらしい。


共働き、核家族、老年期、家事は女性だけのものでは無い。


男女を問わず「家事が出来る人間」は小さな時からの育て方により、自分を含め楽に生きられる。


我が家の場合は年取って時すでに遅しだけど、これからは学歴より健康と生活力。


これが今だから言えるアドバイスかな~。


団塊世代で家事がちゃんとできるShiozyさんやYosijiiさんには本当に頭が下がります。




3人目の孫

2008-04-28 | 未分類

娘の一番下の子。男の子なんです。


彼は神戸生まれ、生まれてすぐに肺気腫が見つかりその日のうちに「子ども病院」に搬送された。


3人目だと言う事で親はすぐに退院。


毎日、お乳を搾っては届けるのが仕事になった。


幸い私達夫婦二人で産後の手伝いに行く事にしていたので早く動く事が出来た。


折りしも我が家に迫ちゃんが遊びに来ていて「産まれた」の電話の後に又電話がかかり、怪訝な顔をしている私に「きっと子どもに何かあったのよ。早く出なさい」と言ってくれたので電話に出ると「赤ちゃんの肺に穴が空いてて、おおきすぎるので子ども病院に入院。私は退院になる」との内容だった。


驚く私に迫ちゃんが「あなたは今からすぐに出発。私が後の事は引き受ける」と、言ってくれたのでダンボールに詰めていた荷物をすぐに送り、夫が帰るまでに出かける支度をして冷蔵庫のものを全部持ち帰って貰った。


孫達の幼稚園は数回行って覚えたので子守や家事は引き受けられたが母親としての不安は引き受けられない。


毎日の子ども病院への通院や子どもの面倒も二人なら何とかこなせた。


一度、私達も外部の廊下から様子を見せてもらったけど管が身体中に繋いであって惨くて見ていられず、親としてはどんなに辛いだろうと思うばかりであった。


運よく数週間で退院でき、家に戻ってきた時は息が止まるんじゃ無いかと触れないほどか弱い泣き声、呼吸だったが日増しに元気になってきた。


子ども病院は退院後のケアも充実していて数年後まで精神面、身体面のチェックをされる。


だから、この子はどうしても「か弱い」と言うイメージが付きまとう。


所が最近、「ん?」と言うような行動が目立つ。


昨夜、田舎から一足先に帰り、すき焼きをして待っていたら、来るなり「お腹が空いた!」と、さっさと手を洗って「いっただきまーす」と、一番にすき焼きに手を出した。


それが、お皿一杯にお肉を入れ、更に取ろうとする。


勿論、私の箸でバチ!と、箸を叩きやめさせた。


呆然としている姉二人を尻目に悪びれる風も無く戻してもうがっついている。


小柄だけど異常に食欲旺盛。


先だってもお菓子を出したら両手に持って、口は物も言えないくらいほうばっている。


この時も手をぴしゃり、おじいさんからも注意されていた。


娘に「この子だけどうしてこうなのかしらね」と、言うと「一番下はセコイからねえ」と言って笑っていたけど超厳しい娘のしつけもてこずるほど元気になった孫、喜ぶべきだと思うけど、笑ってばかりもいられないなあと思った。




また桜

2008-04-26 | 未分類


今日はとても寒く、天気も悪い1日だったが田舎に帰ったついでにやっぱり芸北の桜を見に行った。これは長沢の枝垂桜。


もっと大きな幹だったが雪の重さで木が折れて、今年は折れた所を切って一回り小さくなったが見事な花をつけていた。


丘の上にあり、周囲を囲むようにしてカメラマンが囲んでいた。


木の上の道に回り一瞬陽が射した時に一枚撮れたのが下の写真。


桜は青空で無いと花が映えない。



これは毎年見に行く「地久院の枝垂桜」


最初に見たときは夕暮れ時のライトアップされた時だった。


暮れなずむ空にピンクの花が映え、とても妖艶な美しさだった。


しかし、夜はとても冷え込む地域、花の咲き具合は今日が丁度いい。


私のカメラじゃ夜桜を写す自信が無いので昼の写真で我慢しよう。







下の写真はおまけ。


桜の木の下に生えていた花。初めて見るが花の名前がわからない。


どなたか知っている方、教えてください。


明日は天気が良いので桜が青空に映える事でしょう。


帰りにはオークガーデンでジェラートを食べた。あちら方面に行くと寒くても食べたくなる美味しさ。あ~満足。





意外な所で意外な話し

2008-04-25 | 未分類


午後郵便局に払い込みに行った帰り、喫茶店の前にビラが貼ってあるので立ち止まった。


店のマスターが「こんにちわ」と、声をかけてきた。


実はここのハンバーグが美味しいと聞いていたのでちょっと気になるお店。


ビラを読むと安佐町の「休日の家」でライブがあると書いてあり、先日通りかかった時遠くから電気の光が見えたので「ママは元気でいるかしらねえ」と、夫と話したばかり。


演目はギター演奏と唄でジャズや60年代フォークと書いてあり、私の好み。


狭くて小さなスペースだけど昔は盲目の歌手「長谷川きよし」も来た事があるライブハウスになるそうだ。


マスターは変人で仕事上でも話しに行った事がある。


大田川沿いの人家の無い場所で私が知る限りでも30年、いや40年だろうか。


殆んどママが一人で切り盛りしていて、これまで何度行った事だろう。


何の変哲も無い川の流れや風景。


これを頑固に守り、他には誰も店を出す事が出来なかった。


ママはジャズのレコードを出して好きなだけ聞けと言う。心が傷ついたり疲れた時、私達夫婦はこの風景を眺め癒された。


私にも夫にも危機があり、ここで何時間も音楽を聞いたり、お客さん同士で喋ったり、ママと会話をしたり・・・そんな中でじわっと解決方法が見つかる。


メニューらしきものは無く、お腹が空いたら何か簡単なものを作ってくれる。


私の友人のご主人が亡くなった時もみんなで彼女を連れて行った。けれど、どうしたらいいかわからず黙っていると、ママが優しく語り掛けて話を聞いてくれている。


そんなこともあったなあと、「ママは元気にしてるのかしら?」と喫茶のマスターに聞いた。


「え!」と言って喫茶のマスターがずっこけそうになった。


私も「え!」と言って後ずさりした。


「あれは・・・」と、話し始めたのを聞くと数ヶ月前にその喫茶に来て3日後に亡くなったそうだ。


お店が勿体無いからと息子さんの友人が続けているみたいだが詳しいことはわからない。


日曜日、お店でライブをしようということになったのだそうだ。


いつか聞いたおじさんの話「インドで死んでくる」と出かけたが死ねずに帰って次にインカに行って死ぬと出かけたがこれも死ねずに帰って・・・と、おじさんの風来癖をあそこにでんと構えて見送った話し、面白かったなあ。


ちょっぴり寂しくて「癒される場所」を失ってちょっぴり不安。


ママ、お疲れ様でした。




忙しかった3日間

2008-04-23 | 未分類

 


月曜日、迫ちゃんの畑でルバーブが大きくなってると言うのでPC教室が終わってすぐに飛んで行った。


なるほど、彼女よりも大きくなって茎も太い。


写真を撮って葉っぱを捨ててリュックの中に入れて帰路に向う。


いつもアストラムラインから見るガラス張りの居酒屋風のお店の傍を通る時店の中を見たり、料理を見たりしていたら「食べて帰るか」と言う事になり一番乗りで入店。


メニューを見るとコリアン料理。こりゃあだい好きだと、色々頼んで最初は烏龍茶で我慢しようと思ったが私もサワー系のお酒を飲むことにした。


彼女の夫は今日は飲みなので平気だけど初ちゃんのp様はどうする?と聞かれ「帰りに途中下車して三人で飲もう」と電話をした。


暫くしてやって来て三人で食べたり飲んだりしてアストラムラインで帰った。


火曜日も友人と食事の予定があり、セーブして食べたつもり。


 


火曜日はKさんが駅前福屋の「梅の花」の豆腐料理を予約していたのでJRで行った。


   


   


   


量的には無いのだがゆっくりと1品づつ出てくるのでお腹がいっぱい。


コーヒーも飲めずにもう一人の彼女と別れた。


Kさんと二人で気になっていたMさんの入居した老人ホームに行った。


新幹線口にある老人ホームは思ったより広くて市内を一望する部屋だ。


人づてに聞いた通り見る影も無く歩く事が不自由になっていたが気力はあるみたいだ。


彼女は甥御さんしか身寄りが無く、独り身だ。


身体の治療の事、これからの事など聞いたけど再び元のマンションに帰れるのだろうか。


私ももう少し行動が自由に出来れば本気で考えるが今はどうしてあげる事も出来ない。


それでも、玄関まで出て手を振ってくれる元気があり、涙が溢れた。


次に行くまでにもっと歩けるようになっていて欲しい。


 


そして、今日はコラボの日なのでUPだけして公民館のボランティアに一日中出かけていた。


今日は2か月分の更新、いつものメンバーで阿吽の呼吸でそれぞれ自分の担当を黙々とこなす。


私の作成方法とは違うがいつも新しい技を習い「やったー」と言う気持ちになる。


明日もPC教室。


今週はスケジュールみっちりの忙しい週。


明日も楽しんできます。




ブログコラボ「出産」

2008-04-22 | 未分類

出産と言えばもう古い話し。


いわゆる「出来ちゃった婚」の走りの頃。



妊娠しているなんて露知らず、鳥取県の最高峰「大山」にキャンプに行った。



労働組合の青年婦人組織で中国地方全体から集まってキャンプをして交流すると言うイベントが毎年あり、私は婦人の引率で行っていた。



身体の不調は少しあったものの、結婚を前に役員でお祝いをするというので一つのテントに集まり、夜盛大に飲み会を催して貰った。


私も夫もみんなに祝福されて飲みすぎてしまい、次の日は縦走は出来そうになく沢めぐりをして休んだ。


3日間のイベントが終わり広島に帰って来ると出血し始めた。
私は同僚と共に産婦人科を受診、妊娠していると知らされ真っ青になった。


と言うのもとても大事な妊娠初期に大酒を飲んで山に行きキャンプをして長い時間バスに揺られていた。


産婦人科医から「即安静」を言い渡されすぐに母に来てもらった。


経験者の母は直後に始まった「つわり」で食べられなくて体力が落ちる私に果物や喉越しのいいおかゆなどを作ってくれ、少しずつ体力を取り戻してきた。


「吐くと食べる」そうすると少しでも胃に残るので「食べなさい」の一点張りだった。


最後には喉の血管が切れて血を吐くようになった。


が、「母は強し」吐けば吐くほど食べるようになった。


それは果てしなく続き、出産間まじかまで続いた。


そして、予定日より早く陣痛が来て入院したが段々陣痛が弱くなる「微弱陣痛」


分娩台の上で2日間微弱な陣痛と付き合った。


3日目の昼、看護婦さんに頼んでお結びを作って貰って分娩台の上でほうばっていたら主治医が来て「ほぉ~、戦の前の腹ごしらえか。よし!今夜産もうね」と言って去り、暫くして促進剤を注射した。


不思議な事にすぐに強い陣痛が来てあっという間に生まれてしまった。


がやがやと入ってきた家族の中に青白くひげボウボウの夫がいる。
「どうしたの?」と、聞くと「仕事が終わったら病院に来て車に泊まっていた」と、言う。


みんなが去った後、母がポツリとこう言った。


「大酒を飲んだ言うたから頭がパーの子が生まれたらどうしようと思ったけど普通の子供だったから安心した」


実は私も生まれてくるまで不安だった。


夫は余程出産が怖かったのか二人目はもういいと言っていたが2年後に授かった。


この時もつわりは酷かったが陣痛が来ても病院へはすぐに行かずに一晩頑張った。


翌朝おもむろに車で病院に行くと看護婦さんが「こんなに我慢しちゃいけません。よく車の中で生まれなかったね」と言って慌てて分娩室に行けと言う。


友人がいたのでおしゃべりをしていたが「ヨッコラショ」と、分娩台に上がった途端強い陣痛が来た。


「う・うまれる~」と、言うと「先生がまだだから産んじゃダメ~」と言う。


本当にお笑いの現場のような雰囲気であっという間に生まれた。


夫は「どうせ、時間がかかるから・・・」と、階段を下りた頃だがそのまま帰ったみたいだ。


先ほどの友人が廊下で聞いていて「あれま!もう生まれたの?」と、入ってきて付き添ってくれた。


私は「朝ごはんまだなの。何かたべさせてよ」と、食べさせてもらった。


これが本当の「朝メシ前」


ま、出産ってこんなもんでしょうかね。




しだれ桜

2008-04-20 | 未分類





樹齢360年と言われる大朝町の円立寺(えんりゅうじ)のしだれ桜を見に行きました。


実は我が家はこのお寺の門徒であり、息子の同級生でもあるのです。


10年も住んでいたのにこんな見事なしだれ桜がある事を知らずに雑誌で見て昨年電話したら「満開の1週間前に電話してあげる」と言われたのにその時期に旅行していて後日行ったら散る桜でしたが見事でした。


今年は先週見たら咲き始め、丁度いいかな?と、行ったらもう盛りを過ぎていたけど見事でした。


今回もカメラのSDカードを忘れ携帯での写真になりました。


この後地久院の桜長沢の桜を見に行く予定でしたがカメラ無しじゃあ・・・と言う事で今年の桜はこれで終わり。




周南市まで

2008-04-19 | 未分類

船崎さんの個展を見に周南市まで行った。


商店街の中のデパートの画廊で行われていたが休日なのでぼちぼちと人出はあるみたいだが買うとなるとなかなかいないみたいだ。


船崎さんの几帳面な作風が感じられ、又、新たな挑戦作もあり楽しませてもらった。


 



このオブジェ、いや、花入れかな?茶色のむき出しの色に白い釉薬。


まあ、我が家には似合わないが、新しい作品でした。


下は会場風景。沢山の作品が展示されていました。


              


こんな現代的なデザインだとコーヒーのアイスでも十分いけそう。


上品にスープなんぞもいいなあと思う。



 



これは抹茶茶碗です。


釉薬の模様が面白いと思います。


少し小ぶりで女性用でしょうか。


今回は何も買わずに帰りましたが5月の連休で萩焼き祭りに出店されるそうなのでそのときにはどれか欲しいなと思っています。


周南市の商店街は小さな店が沢山あり、散策をして小さなカレー屋さんでカレーを食べました。これが以外に美味しく量も少ないのでそのぶん安くて私達向きです。


商店街を出て、折角ここまで来たら防府市の友人の喫茶でお茶にしようと2号線を下って行ったけど今日は残念ながら急用で臨時休業。


つぶれてなくて良かった!


引き返して、山口方面に少し行った所のいつも気になる喫茶に寄ると美味しいコーヒーが出てきて大満足。


夜は子供達がやって来て手巻き寿司パーテイ。


6合のご飯がペロリ。


いやはや食欲旺盛です。ま、子供はこれでなくっちゃね。


会場はこちらです


 




悪法

2008-04-18 | 未分類

「後期高齢者医療制度」についての報道が昨今喧しい。


この法律、あの小泉内閣の時にあっという間に可決された法律である。


可決はされたものの国民にはあまり広報されなくて、実施の4月になって突然に発表されたかのごとき騒ぎになっている。


勿論、私だって詳しい事を知らずに、気になりつつ調べもせずにいたらもう4月になって当の「後期高齢者」を中心に大騒ぎになってしまった。


それにしても、70歳~74歳まで「前期高齢者」75歳~が「後期高齢者なんて誰が考えたのやら、随分馬鹿にしたネーミングだと思う。


昨日のテレビでは今までより負担額が減った人の例を取材していたが、75歳と言えば殆んど年金暮らし。


今の時代は老人二人か子供の扶養になっているお年。


それを医療費を沢山使うからと一くくりで「年金」から納めさせる。


年金からの天引きだと抵抗のしようが無いじゃありませんか。


厚生労働省は私達が汗水たらして納めた年金を業務怠慢でぐしゃぐしゃにしておいて今度は弱い立場の障害者も巻き込んでの制度で無理やり取り立てようとしている。


産婦人科医の河野美代子さんが連日ブログで訴えているが、一体私達は誰が守ってくれるのだろう、と不安に駆られる。


もう一つ、気がかりなのは介護現場から介護職がどんどんいなくなっていると言う現実。


これは、今までも何度もテレビ放映があった様に「介護職」の労働条件があまりに劣悪すぎて結婚や生活できない若者がいやおう無しに転職せざるを得ないという現実がある。


私も少しの間リハビリに通ったが、優秀な介護職の人ほど早く現場を離れていく。


彼らは決して「介護」が嫌になった訳じゃない。


「介護」の仕事に見合う賃金が保証されない。


経営者に仕事を認めてもらえないからだ。


今は、専門学校で福祉を目指す人が激減していると言う。


政治の場で論議されている事と私達が生活している事があまりにかけ離れすぎていないだろうか。


医療費の負担を国民に負われるような国を私達は目指していたのだろうか?


どなたかが 「お年寄りから苦情が相次いでいる。今になってそんな苦情を言ってる あなた 自民党か公明党に投票したのでは?」と、コメントされていたが、さもありなんと思った人は多いのではないかと思う。


今回は後期高齢者、次は前期高齢者、そして、結局働き盛りの若い人の肩にもずっしりとのしかかってくるのは時間の問題。


夫の口癖「外国へ給油してあげるお金があったら国内へ給油するのが先じゃないのかね」本当にその通り。


これから高齢者は増えるばかり。先日旅行したニュージーランド、医療費は無料です。


ワーホリで行っても税金を納めてる人は全て無料です。


年金は等しく月8万円。


決して裕福じゃないけど「安心」して老後は迎えられそう。


そのかわり、国民は国のお金の使い方、発言、とて も厳しくチェックされています。


今の日本、私達があまりにも声を上げなかったせいもおおいにあると思いませんか?




好きな花

2008-04-17 | 未分類

  


雨が降ると嫌だな。


今週は雨が続きお出かけが出来ない。


今日の雨も冷たくて嫌だったけど駅までタクシーで行き、あとは地下街を通って花を買って興銀ビルに行った。


今日のお題は「私の好きな花」


私が一等好きなのは「あざみ」繊細で美しく棘もある。


棘は、自分を守る為の精一杯の智慧。


中学・高校時代あざみの花ばかり絵に描いていた。


何に取り組んでも描くのはあざみしか思いつかなくて、高校生の時、文化祭があり、名前を描くのを忘れたがすぐにバレバレ・・・。


野の花は「踏まれても踏まれても」と言うけなげさがある。でもあざみの棘は以外に嫌われ者だ。


しかし、あのアサギマダラもあざみの蜜に群れる。


ちょっと強がってみたり、でも、昆虫に蜜を上げて仲良くしたり、野の花の変人さん。


私もちょっぴり憧れているのかな?


しかし、今日はあざみなんて無いから真っ赤なガーベラを買った。


ガーベラは母が好きだった花。仏壇用の花の中でひときわ美しさを誇る外国の花をたいそう大事に育てていた。


今はショートステイやデイサービスに行き会うことが少なくなったが花を描いて母を思い出した。


今日の思い出の花は、みんな母に関する花ばかりだった。


いくつになっても母を慕う気持ちは変わらないみたいだ。


もうすぐ母の日、大好きだったガーベラの花を持って訪ねてみようかな。