横田夫妻がめぐみさんの娘さんだという親子に会った。
私は拉致事件の報道があるたび思い出す人がいる。
私が小学校6年生の頃、同級生に松本君と言う北朝鮮籍の子がいた。
彼は細く痩せていて川の傍に住んでいた。
勉強はできないけれど身体能力は高く走るのが得意だった。
その頃の差別は大っぴらで私も彼の家に出入りすることを禁じられていた。
だが、何にでも興味津々の私がそんなこと守れるはずもなく何度となく彼の家に遊びに行った。
他の子供たちは親の言うことを聞き誰も出入りする子を見た覚えがない。
私は彼と遊ぶ訳でもなく、おじいちゃんやおばあちゃんの服装や食べ物、風習が珍しくて毎日通い続けた。
地面にカーペットを引き、その上で立膝をしてキムチを食べる姿が強烈に目に焼き付いている。
そして、通い続けるうちにその家に使われている素材にも興味を持ち、きっと欲しい顔をしていたのだろう。
おばあちゃんが「この布が欲しいのかい?じゃああげるからもう家に来ないほうがいいよ。親に叱られるからね。」と私に優しく言った。
私が頭を横に振るのでおばあさんは困ったらしい。
私は喜び勇んで家に帰り仏壇がある床の隣のスペースいっぱいにカーテンとしてつるした。
母は驚いて何か叫んだようだが父は知らんぷり。
その異国の布はキラキラと輝き私はキムチの臭いのするあの部屋に行くことができなくなる悲しみを癒した。
私は気が済むまで眺め、大人たちがこの美しいものを何故嫌がるのかを考えた。
残念ながら私はその時「差別」だと理解が出来なかった。
松本君はそれからしばらくして北朝鮮に帰って行った。
私は駅まで見送りに行って「地上の楽園の話、手紙に書いてね」と言った。
その時の幸せそうな松本君の顔はいくつになっても忘れられない。
大人になった時、母が私に言った。
「私は朝鮮の人たちを差別していたね。今なら訴えられるかもしれないね。悪いことをした」
私はやっと母を許した。
あの松本君の一家、北朝鮮に帰っても幸せな生活は保障されなかっただろう。
私は未だにこの夢を見る。
悲しい思い出だ。