初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

リハビリ

2017-03-31 | 病気

今日は朝からリハビリ病院の体験に行ってきました。

今朝は朝から雨で少しひんやりとしたお天気でしたが主に「パワーリハビリ」が中心であとは手が空いているスタッフさんが館内の中を一緒にお散歩したりしてサービス満点でした。

外出も着いて来て下さるとのことでそうすると嬉しいなあと思いましたが何しろ介護施設と言っても病院なので安心です。

同世代の人がいて色々と経験談を聞いたりしましたが私向きかもしれません。バイタルチェックもしっかりとされるのでその点も安心です。

お食事は病院と同じだと思いますが3時にはコーヒーとデザートも出てきました。

継続は力・・・なので少し頑張ってみますか。

送迎は夫がしてくれるそうなので上げ膳、下げ膳かもしれないですね。

脳外科なので殆どが私と同じような症状ですが一つ気になるのはあまり好きでないカラオケがある事。

これくらいは我慢しないといけないでしょうね。

この施設はパソコン教室は無いので少し寂しいですが本を読んだり歌を聞いたりゆっくり過ごせそうです。


今年のテーマ

2017-03-20 | 思うこと

今年のテーマと大上段にいう事でもないのですが暇なので何か一つ目的を持ってみようと思い興味のあることを振り返って見ました。

今思っているのは「キリシタン迫害」の歴史について色んな雑誌が特集してるので読み漁ってみました。

キリシタン迫害は全国に及んでいるので津和野だけでは無いのですが高校生時代から心に留めていたことなので出来るだけ資料を読んでみようと思いついたのですが明治政府になってから迫害は厳しかったという事が判り、日本人でも宗教弾圧で沢山の人を殺したり棄教させていることに腹が立ちます。今や世界中でISに対する憎しみはありますが日本民族の宗教観はどうだったのかと考えてみました。それよりも、明治維新は何ぞやという事も考えないといけないんだなと思います。決して新しい夜明けでは無いむしろ差別や迫害の始まりだったのではないのかと思います。私の故郷「津和野」という町は長崎からのキリシタンを受け入れて迫害しほとんどが棄教したり拷問で亡くなったりした歴史があります。

私は高校時代町はずれの谷間にある教会に友人たちと行くのが日課でそこにはドイツ人の司祭が教会を守っておられ私たちが行くと必ずどこからともなく現れて「コンニチワイイコ」と言って迫害の歴史を話して下さっていました。名前こそ奇麗な「乙女峠」と言う場所でしたが私たちはいつも教会の中でお祈りをして帰りました。今でもカタコトの「サヨナライイコ」と言う声が聞こえてきそうなくらい耳にしっかりとこびりついて忘れられない経験でした。冬は結構寒いので迫害を受けた信者には厳しいものだったと思います。

数年前夫を案内していった時大型のバスが2台止まっていて日本人も外国の人も一緒にミーティングしていて終わってから若い金髪の女性に聞きました。

彼らは世界中から集まったキリスト教の信者で毎年津和野や他の迫害地に巡礼の旅をするんだそうです。

特に津和野はその迫害が酷かったので有名なんだそうです。私はそのことを知っていたのでとてもショックでした。

先日夫と映画を見に行きました。「沈黙」は遠藤周作原作で私世代は読んでいる人が多いと思います。遠藤周作さんはクリスチャンなので宗教に関する本を沢山書いています。沈黙を読んで迫害の歴史に触れ少しイヤーな気分になったことはありますが私の宗教はどうかと言われると普通に「仏教」としか言えないので数十年前に日本人が迫害されながら生きてきた歴史は心が切なくなります。何であれのほほんと生きてきた私と比べると波乱万丈の人生を送った方と比較するのが変ですが宗教は何であれ幸せな人生を送るために必要ではないのかと思う私にはロドリゴやキチジローのような生き方には近寄らないかもしれないなと言うのが本心です。今世界中でISがユダヤ教を恐怖の宗教のように祭り上げていますが本来はとても穏やかな宗教だと聞いたことがあります。仏教も幼い頃から聞かされて育ちましたが今や葬式仏教だと陰口を言われるくらい心のよりどころでも何でもなくこれでいいのかな?なんて思っています。まだもう暫く色んな本を読み漁って勉強しようと思います。

 

 


ネット遺産どうすべき?

2017-03-19 | 病気

私が体調を崩してから娘が子供たちを連れて食事をしに来るようになりました。

今までは土日は大抵何か料理を仕込んでいたのですが最近は段々面倒になって何もしていないのですが、何か持ち寄っておかずを作ってくれます。

食事の後は2~3時間ストーブの前に陣取って取り留めのない話を我々老人を相手に喋って気が済んだらサーと引き上げます。

我々のボケ加減を見たり自立度を見ているようです。いつ手を出すか考えているのかもしれません。

娘との会話は楽しく、今までとは違い優しさが感じられます。

私はこのまま介護状態になっても娘の言う通りにしようと思います。

エンディングノートもボチボチ渡すべきかな?と考えています。

連休に息子達が帰省したらやはり渡そうかと思います。

ブログなどのネット遺産?もパスワードやIDがきちんと判るものは早めに閉じてもいいんじゃないかな、と考えている所です。

皆様のお考えを教えて下さい。悲観的過ぎでしょうか(アハハ・・・)


賑やかな夕食

2017-03-17 | 家族

昨夜は四国の孫も顔を出して賑やかな夕食でした。お料理は娘と孫たちが考えて鉄板焼きの料理を頼んでくれました。減塩食では無かったのですが美味しくて食欲が出ました。今夜からは生協のお弁当のおかずです。

1品だけ頑張って作ります。今日は母のお里の郷土料理「けんちょう」です。沢山作っても冷たくなっても美味しい野菜料理です。

今日のお昼はAシティにコーヒーを飲みに連れて行ってくれました。尾道珈琲、久しぶりで美味しかったです。


血圧って・・・

2017-03-13 | 病気

この1週間

血圧との戦いでした。

いったん発症すると血圧はなかなか下がりません。

又血管が切れるんじゃないかと言う不安が自律神経を緊張させて血圧がアップするそうで一旦は帰宅したものの病院に戻るべきか先生に相談に行くと私の不安をやんわりと和らげて下さって助かりました。朝から高い血圧に夫も心配するのですがトイレに行くだけでもすぐに上がり今日は一日ベッドで横になって過ごしました。

起きたら本の続きを読み、お茶を飲んで眠っての繰り返しです。

最初に倒れた時が170~180だと聞きましたがほぼ同じくらいの数値を行ったり来たり。

昨年は脳梗塞の治療は降圧薬を中止して点滴をする治療で上限が200をゆうに超え計器に絞られ何度も涙が出ました。

看護師さんはその痛みを判ってくださり一緒に泣いてくれた若い看護師さんもいました。若い男性の看護師さんは締め付けが弱い血圧計をどこかで手に入れにんまりとして計ってくれました。点滴の針も男性は思わぬところから血管を探してくるので何度も助けて貰いました。

昨夜、娘が大量に減塩食を持って来てくれました。

減塩食は得意ですが若くても美味しく作っていました。

ホーレンソウは柚子が入っていておいしくあとは豆腐のアレンジが多かったです。春雨も薄味で美味しく頂けました。

今夜は生協の減塩おかずの宅配を食べました。私はお味噌汁を作りましたが「テンペ味噌が意外に薄味でも美味しいので工夫すれば大丈夫です。

若い頃から薄味が好きだったけどいつの間にか濃い味付けになっていたようです。


退院

2017-03-10 | 思うこと

2月の後半から入院していましたがやっと退院できました。

症状はあまり変化は無かったのですが定期診察で以前出血した場所に出血していたので即入院になりました。

右脳の視床下部、新しい出血だと聞きました。

ずっと点滴と薬の処方で先生からは2~3週間、から1か月かかると聞いて昨年も同じ時期に脳梗塞をしたのが思いだされこの時期はどうしても血管に負担がかかる時期なので仕方ないと思いましたが点滴の針が入らず毎日が鍼との戦いでした。両腕は紫の注射痕だらけで毎回痛々しい限りです。今回は近くの病院に転院していましたので自宅から近く夫も娘も楽だと言っていましたが毎日頑張って来てくれました。親しい友人にはメールをしたのですぐに飛んで来てくれました。コーヒーが飲みたくて飢えていたら迫ちゃんが来てくれて「コーヒー飲みたいよぅ」と言うと甘いのとブラックを買って混ぜて飲みました。次の日は娘と飲み夫とも同じようにして飲みました。左半身はしびれがきつく痛いのですが院内は暖かく足を出して眠るくらいでした。今の時期看護師さんのインターンが大勢いて孫と同世代の男女が毎晩沢山宿直でいてトイレもお茶が欲しい時も直ぐに飛んで来て面倒を見て貰いました。男の子は起き上がる時もしっかり支えてくれるので頼もしく10年前と比べると環境がまるで変っています。今回は右半身が痛く腰が痛くて起き上がり、トイレなどの動作が痛くてアイタタアイタタと言ってばかりです。自宅に戻ったら夜中のトイレが大変で起き上がるのが寒くて足がこわばり暫くはアイタタばかりでしょう。でも気力は少し上向いてブログやフェイスブックもしようと言う気になりました。

今週末は四国の孫が帰省してきます。一緒にお食事に行こうと娘と約束していますので楽しみです。

デイケアはもう少し身体が動くようになってからにしようと思います。

その後に写真を写しにいkwルようになればいいなと思っています。