以下は先日NHK BSで放映された「キャノン・ハーシー ヒロシマへの旅」と言う番組を見ての感想です。長文になり言葉がおかしい所があるのですがお許しください。
1946年、原爆投下1年後に広島を取材に来たジョン・ハーシー記者
帰国後、その取材を基に「ヒロシマ」と言うルポルタージュを書きアメリカで出版。
原爆の「非人道性」についてありのままの広島の姿を「ニューヨーカー」に寄稿しアメリカ社会を始め世界中に知らしめた。
その、生々しい広島の惨状は原爆投下の是非についてアメリカが主張する「戦争を早く終わらせるため」だと信じていた国民に「人体実験ではないのか」とか「非人道的」とかアメリカ国民のみならず世界中から注目された。
10カ国語に翻訳され世界中の人に読み継がれ今でも増刷されていると言う。
彼の孫であるキャノン・ハーシーがこの春、広島長崎を訪問し、祖父の軌跡をたどった。そのルポルタージュ番組である。
最初はTV放映を知らず、後篇のみ見て、昨夜やっと前篇の再放送を見た。
「ヒロシマ」は6人の被爆者の体験記が中心でジョン・ハーシー記者が見たありのままの広島の姿、惨状を極秘裏に寄稿し、アメリカの人たちに「核の怖さ」を伝えた。取材した6人の被爆者は
・佐々木とし子(東洋製缶工場の社員。爆心から1.5キロ。)
・藤井正和(医師。京橋川の近くにある自宅(藤井病院)にて被爆(爆心地から1.4キロ)。
・中村初代(幟町在の仕立屋の未亡人。爆心より1.2キロ。)
・ウィルヘルム・クラインゾルゲ(イエズ会ドイツ人司祭。通訳、案内人。幟町の教会で被爆(爆心地より1.3キロ離れたところ。)
・佐々木輝文(外科医。日赤広島病院にて被爆(爆心地より1.5キロ。)
・谷本清(牧師。流川に教会。市街の知人の家で被爆(爆心地より3.2キロくらい)
ピュリツァー賞受賞作家でもあるジョン・ハーシー記者は「ヒロシマ」を自身が所属する「タイム誌」に載せず対抗誌である「ニューヨーカー」に掲載、発売と同時に長く身を隠し家族にも存在を知らせなかったらしい。
原爆投下後の広島に入れたのは彼の妻の実家が大富豪であり、軍部にも多くの知り合いがありそのつてで入国できたからだそうだ。
だが、その妻にも消息を隠し続けたらしい。
今回の取材でジョンの息子にもキャノンは聞きに行っているが画家である彼は殆ど興味も無く知らされてもいなくて「???」と言う感じ。
ジョンは家族にも口をつぐんできたようだ。
キャノン・ハーシーは芸術家だが、今回来日するにあたり、祖父の軌跡を訪ねジョンにゆかりのあった人々や場所などを訪ね、本を出版してから沈黙をした祖父の想いを知るために多くの調査をしていた。
私は「ヒロシマ」の本も読んでいなくてそんな方がいたのかとその勇気と事実に感動した。
原爆を発明したアインシュタインもこのルポルタージュを読んで1000部買ったそうです。
ジョン・ハーシーは「ヒロシマ」発表以後、口を閉ざしました。
今回、キャノンの目的であった一つに「なぜ、本を出版後祖父は長く口を閉ざしたのか」の疑問に孫であるキャノンは「被爆者と同化してしまったから」という結論に至りました。
被爆者は被害者ですが、さらに日本国民からも差別を受けます。
放映の中で、ある女性が「異常な子どもが生まれるから」と結婚できません。
ですから、みな口をつぐんでしまいます。と言う場面があった。
キャノンは祖父がこれと同じ行動を取ったのだと理解しました。
この再訪に当たっては元広島市長である秋葉忠利さんが「アキバプロジェクト」の運動をされていたので橋渡しをされ実現したそうです。
その再訪時にも最初に取材した被爆者の方を取材され「ヒロシマその後」と言う本を出版されています。
ジョン・ハーシーは長い沈黙の後65年からエール大学の教壇に立ち、85年に広島を再訪、取材した被爆者の足取りを追って、「ヒロシマ その後」を出版し重い口を開いています。その時に発した言葉は「被爆者の受けた苦しみ出来事を語り継いで欲しい」という事でした。そして、93年に78歳で亡くなっています。
今回のルポルタージュは谷本清牧師の長女である「近藤紘子さん」との出会いから始まった。近藤紘(こう)子さんのお話は一度聞いた気がするのですが今回学生たちに話している内容から「被爆したことを隠すため高校は東京、大学はアメリカに行った」と言われている。
谷本清牧師もアメリカの大学で牧師の資格を取っている。
ジョン・ハーシーさんからすれば宗教的にも谷本清牧師は取材対象としては良かったと言うべきだろう。
そして、原爆乙女を渡米するにあたってもノーマン・カズンズさんたちの支援を受けて実現し、牧師、医師と言う人選はルポジュタージュに適していたと言えよう。
近藤紘子さんは今は被爆者として語り部をされているが被爆の事はずっと隠して生きてこられたと言っておられる。
今回とても心に残ったのは被爆しても救助活動され、最後は原爆症で亡くなったウィルヘルム・クラインゾルゲ牧師のことだ。
ドイツ出身で最後は向原教会で過ごされたと近くの信者さんが話されていた。
異国の地で辛い試練をされ亡くなった神父さんに心が痛んだ。
今回はTVを見ての感想なのでまだ書きたりない思いがするがここで一応終わり。BSでオンデマンド放送を見ることが出来ると思うので興味のある方は見て欲しいです。長文読んでいただきありがとうございます。本当にいいルポでした。
ぜひ、「ヒロシマ」も読んでみたいと思います。