初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

新聞投稿

2014-02-20 | 思うこと

今年になって久しぶりに新聞に投稿した。

今年、誕生日が来ると67歳。

父は67歳で生涯を閉じた。

私はまだ30代か20代の終わり、下の子を出産した年だ。

母がつききりで介護をしたがローソクの灯が消えるように亡くなった。

脳卒中で2度目の発作が酷く最後は何も口にすることもなく何か月も生きる日々だったが私のことは判らなくても夫のことはよく判って車の音がするたびに夫の名前を言ったそうだ。

そして、決まって懐からお金を出す動作をして「これで美味しいものを食べさせてやれ」と言ったそうだ。

私が同じ病気で倒れた時「父が逝った年まで生きなくては」と心に決めていた。

兄はとうに越してしまったがやはり父と同じ心臓病を患っている。

兄は自分のことより義姉のことを気づかい入院しても生きる気満々でいた。

私と同じようなことを考えていたのだろう。

義姉は兄といることが一番の幸せなので兄がいないと心が不安定になる。

私もそんな「生きる義務」のような気がして日々の健康に留意をしている。

医師(内科の)はそんな私の性格を責めるけれど私が生きて家族のお世話をするのは自分の幸せでもあるのだから気持ちを汲んで欲しいなと思うときがある。

確かに息子家族や娘家族に美味しいものを送り続けるのは大変ではある。

が、それが私の楽しみ、生きる力になっているのだから大目に見てほしい。

冬になると「広島の牡蠣」料理を食べさせてあげたい。秋には栗を頑張って剥き、夏は頂いたアユを焼いて鮎飯を作る。

いつの間にかその時期になると季節のものを頂く事が多くなり中身よりも送料が高くなることも。

孫たちも季節になると「蕗ご飯が食べたい」とか「ちしゃもみはまだ?」などと言ってくるので野菜市をうろうろと探したりするのも楽しみだ。

他人さまにも一生懸命に尽くした私の母のようには出来ないけれど少しだけ真似ている。

母はとことん尽くす人なので私は時折「うっとうしく」思っていたが今の私も子供や孫たちにとってうっとうしい存在かもしれないなあ。

それにしても、ここまで来れたのは家族や友人のおかげ。

ありがたくて感謝しかない。

背中を押したり手をひっぱったり。ありがとう。

最後に投稿文を担当者の方がつけ加えられて内容が残念な結果になってしまった。

「父の介護」ではなく「義母」なのだが押しつけがましく聞こえそうでわざと書かなかったので付け加えられたのだろう。

いつも乍ら推敲せずにポンとメール送信したので赤面ものの文章。

投稿なのにいつもブログ気分で書き散らかす癖は治らない。

恥ずかしい限り。でも、嬉しいな。


セリバオウレン

2014-02-17 | 写真

近年、寒さに負けて見に行っていないセリバオウレンの様子を見に行った。

いい天気だがいつも雪が残って寒ーい神社の境内は気が萎えてしまう。

そこで、友人を誘ってみたらちょうど暇にしているとのこと。

新しいカメラになってまだ花は写していない。

この花はあまりに小さくていつも満足に写せない。

写真塾に入っている彼女、私の様子を見て「こうしてみ」と写し方のコツを教えてくれた。

今までのボロデジカメはボロなりに使い込んでいたのでまあまあ撮るコツは判る。

だが、ミラーレスとはいえ一眼になるとまるで判らない。

私は必死で身体を固定しようとばかり思っていたら私より小柄な彼女が後ろから抱きかかえて「こうだよ」と言う。

「ははあん」と何となくコツのようなものが判ったら急に楽しくなった。

まだ望遠レンズは買っていないので中途半端、マクロレンズもない。

だが、手が上手く動かせなくても自分が動けばピントは合うことが判り少し飲み込めてきた。

いつも一人ぽっちであーでもないこーでもないと悩んでいたので嬉しいことこの上ない。

暗い神社に聞いたことのない鳥の声が響く。

私は一人で行動することが好きで多い。

でも、暗い森の中は苦手。

同じ趣味を持つ者同士だと二人で熱中できるのでいいなあと思う。

いつもは彼女が誘って出かけることが多い。

夫はいつもは上がって来ないが今回は二人で楽しそうに話しているのが聞こえたのかちょっとだけ覗きに来た。

まだ咲きはじめ、もう少し沢山咲いたら又写しに来よう。

チョットボケボケだけだけど見てくださいね。


思春期

2014-02-11 | 思うこと

今、高校2年生の孫が我が家に来ている。

私と比べると随分しっかりした子供だと思っていたのに学校へ行けなくなってしまった。

娘が行くようにと言うと出かけるが又舞い戻る日が続き自宅に見に行くといつも娘のベッドに寝ている。

いよいよ出席日数が足らなくなりそうで我が家に下宿することに。

ジージが毎朝送っていく日が続き、土日は自力で超早起きをして夜は遅く帰るパターンがあり、これなら一人で行けるんじゃないかと「2月から一人で行けるかな?」と持ち掛けたら「うん」と言ったそうで2月3日に一人でいつもの時間に出た。

やっと自力で行けるようになったと二人でお茶を飲んでいると高校から電話があり「来ていない」と。

我が家に来て1か月、一日も休まず頑張ったのにと二人で大慌て。

夫は娘の家に急ぎ私は娘に電話をかけた。

娘は「今朝、行きたくないと電話があったので学校に電話したけど?もう、学校には連れて行ってもらえないの?」と言うので「長くなるから」と、切った。

夫は暫くして戻り「ママのベッドで寝ていてどうしても行きたくないそうだ」と言う。

2月はじめ夫の誕生日を口実に我が家でパーティをした時娘が「もう少ししたら行けなくなるかも」と言っていたのを思い出し「この坂を超えたら行けるようになるかもね」と言ってた通り今回は乗り越えられなかったらしい。

夜、孫から謝罪のメールがあり夕食を食べたら戻ってきた。

次の日の朝、早く起きてお弁当も作った孫に夫が「今日だけは送らせて」と言って送って行った。

一旦学校へ行くとうまくいくらしくそこが我々には判らない。

その日から数日後、珍しく茶の間に長居して色んな事を話してくれた。

途中で医学系塾を辞めてしまい医学部は進学出来そうにないが前期はどうしても一度チャレンジしたいこと、後期は理学部で受験教員免許を取って塾の講師になりたいという。

理系のクラスに入ったので一浪しないと文系が受験できないことなども息子のアドバイスとして一度言ったような気がする。

数か月前まで「何も考えられない」とさめざめと泣く姿よりは少しいい方向に向き始めたのかな?と自己満足している。

私の息子と娘は自分で決め何もかも自分でしてきたので考えたこともなかったが親離れ、子離れで糸がもうれたのだろうか?

多少ライン依存もあるがそのおかげで親子はラインで繋がっているようだ。

昨日は久しぶりに家に帰って妹とチョコ作りに精を出し女三人で食事に行ったと帰ってきた。

我々からすると摩訶不思議で人さまが見たら「甘やかし」だとみる向きも多いだろう。

春に向けて自力通学ができるようになればよし、途中挫折しても学歴を取ろうと思えば方法はいくらでもある。

孫から聞いた話では「担任が理学部卒で理系の教師になったので相談に乗ってくれる」と言っていたことだ。

なにも考えられないと言っていたのに何だ少しは考えてるじゃないかと思った。

当分一喜一憂の日が続くことだろうが意外と心痛は無い。

摩訶不思議少女として結構面白がっている。

一つ判ったことは私のほうが余程どうしようもない摩訶不思議少女だったという事。