今日はお正月以来気になっていた「年賀状のこなかった人」に電話してみた。
一人目は元同僚。彼女は結婚後すぐに離婚、しかし、離婚して子供を出産、働きながら子育てをし、成人してアメリカに留学させた。
彼女とは時々会ったらお茶を飲んだり電話したりつかず離れずにしていたのがここ最近年賀状だけの付き合いになり、気にはなっていた。
開口一番、「年賀状来なかったから心配してたよ」と言うと最初は何も無いと言いながら娘の事、年老いた親の事などでとても疲れた、と話し始めた。
留学と言うと聞こえがいいけど、アメリカでの生活のいいとこ取りをして愚痴を言おうものなら「アメリカの親は自立している」と、反対にこちらがバッシングされ、わが子ながら頼ることも出来ないと嘆いていた。
自身のことも親との関係で結婚や子育てに全部口出しされて言うとおりにしてきたけど一日中一緒にいて指図されると逃げ場が無くなる。
私はどうしたらいいのか。と、ポツリポツリ、。
相談するべき友人はいない。退職後はみんな少しずつ疎遠になり今は誰もいないという。
それで、思い切って年賀状を出さずに相手の動向を見ようと思ったらしい。
若いうちは一緒に食事したり、遊ぶ仲間がいたが年金暮らしで一人だと遊ぶお金も無く、心細い。
溌剌としていた彼女の声はしどろもどろでその窮状は手に取るようだ。
私は、2時間あまり話を聞き、私はいつでも話を聞く事、親は厳しく言ってデイサービスに行って貰い自由な時間を持つこと、娘には頼らないこと、自分の心身の健康だけを考えるように言って電話を切った。
華やかだった彼女は良かれと思って決めた離婚、出産まで否定的になり、希望を失っていた。
幸いにも私は時間がある。彼女が自分を取り戻すまでお付き合いしようと思った。
二人目は独身の彼女。
70歳になるから年賀状は減らして少数の人だけにした。と、きっぱり。
「それならいいけど、私は安否確認のつもりで出すから電話くらい欲しかったな。黙ってそうされると驚くじゃない」と、言った。
彼女は昔からこんな気性だけれどきちんとしている人だから少しは相手のことも考
えると思ったが70歳になると「気遣い」は無くなるのかも知れない。
それなのに、昔の仲間と集まって食事会した時私の話題も出たそうで「あさちゃん」が初ちゃんの事覚えてたよと言う。「あさちゃんてだれ?」と聞くと、「あんたも年じゃね、ぼけたん違う」とほざいた。
そりゃあんたじゃろと応酬したがやれやれと苦笑い。何でも「パソコンをしとけばよかった」を連発するので「教えてあげる」と言うとするりと逃げられた。
「携帯メールは出来るようになった」と言うのでアドレスを聞いてメールを打った。「お話できて嬉しかったよ」
さてさて、お返事は来るのかな?
三人目は昨年病気で片目を失明した人。
年賀状はやはり負担になるのだろうと思ったが、話を聞くと病人扱いして欲しくないみたいだ。
彼女は強い精神力の持ち主だからその内生活にも慣れてくるだろうけど何とか元気で暮らしていた。
年に一度のお付き合いならやめればいいと言う人もいるがそれでも縁を繋ぐことでお互いを思いやることが出来ればいいと思っている。
年を取るとなお更、独りよがりになったり、孤独になって寂しく生きるより死ぬまでココロを元気に保ちたい。
これで、お正月以来の気になる作業は終わった。「年を取る」と言うことについて考えさせられた
絵手紙は今日広島から娘の所に行ったボクサー犬の赤ちゃん。