初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

『夏は音楽!』

2010-08-30 | 未分類

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連続35度以上の酷暑、ストレス解消、暑さしのぎ皆さんどうされているんでしょう。


先週末は二日続けて音楽を楽しんできました。


土曜日は湯来町の「カズエラ」


いつもメールをくださる「なかにし隆さん 」のライブです。


大サービスの投げ銭ライブは彼以外は初めての人たちでした。


夕方まで田舎で草抜きや掃除をして小腹が空いたころ高速経由で湯来町へ。


実は「カズエラ」は年中行くけど夜は初めて、それに有料のライブも初めてです。


別荘地の中に建つお店は夕明かりでムード満点です。


玄関になかにしさんが立っておられありゃりゃもう始まるのかな?と思ったらドラムスの人が迷子になってまだ到着していないとのこと。


まだ席が空いていて見知らぬ人ばかりでしたが同席された同世代の人が話かけて来られました。


なかにしさんと話していた夫に「親戚の方ですか?」


「いやいや長~いお付き合いですよ」と言ったら???


「流川で」と言うとやっと納得。


どうもこういうところは初めての方らしい。


私達はパスタとコーヒーを注文して待つことにしたがポロポロと来るお客さんもいて総勢20人くらい。


満員ではないが狭苦しくなくて丁度いい。


おもむろにポロンポロン・・・と弾き始めたり調整したり、でもまだドラムスの石井聡君」は来ない。


それでもうはじめちゃえと始まってしまった。


でも、ジャズのライブはいつもこんな風に始まるので一向におかしいとは思わない。


ピアノ・中西隆、ベース・九十九清美、パーカッション・宮本香緒理、2曲終わった所でやっと到着。


でも石井君なかなか合わない。


まあこれもご愛嬌だということでボサノバやラテンっぽい曲が多かったように思う。


パーカションの宮本サンは美人でそして色んな楽器を効果音で入れる。


いつもは楽器の説明もされないそうだけど並べてある3分の1くらい音を聞かせてくれた。


最後の曲が終わるとマスターが出てきて「今日は投げ銭ライブなのでよろしく」と缶を回される。


向こうの席の中高年ご夫妻がお金を出されているの見て「ギョ!」一万円札らしきものが・・・・。


その間にアンコール曲が始まり帰る人もいたので席を移動、すると一万円札チラリの人がレジへ。


やっぱりね。二人で一万円だとお食事もついてもっと豪華なミュージシャンを呼べるものね。


中西さんはバンドリーダーでもあるけれど若い人たちを育ててもいる。


広島のジャズシーンを引っ張って来られたベーシストの井上博義さんのお店ではいつも二人でセッションされているハウスピアニスト。


まだ大きな音が出せない九十九さんもステージごとに上達しているとマスタえはーに褒められていたがみんなで育てていく広島のミュージシャンも数をこなすともっと上手になっていくのかもしれない。


とまあ私はあまりジャズの事はわからないので日曜日の映画&佐川峯ライブの事を。


佐川峯さんと言えば広島では有名なバンドネオン奏者。


かつて新天地にお店を持っていらした頃、兄の友人でもある先輩にお食事をごちそうになりに行ったことがある。


場所は今お好み村がある2~3軒並びのビルだった。


私は全く佐川さんの事を知らされず美味しいお食事を頂いた。


すると先輩が一人の真っ白な(だったと思う)白の背広をきっちり着こなした人を手招きした。


私は顔を見てあっと驚いた。


小柄なので目立たないけれど手に持ったバンドネオンで一目で佐川さんだと判った。


誘ってくれた先輩はまるで音楽には興味がないと思っていたのであまりの意外性に言葉がなく東京育ちの佐川さんが美しい山の手言葉で挨拶されても頭が真っ白になってしどろもどろ・・・。


しばらくお話をされていたが先輩が「さあ、初ちゃん好きな曲を弾いてもらいなさい」と言う。


それでなくても真っ白な頭の私はとっさに曲名が出てこない。


すると「それじゃあ、有名な曲ラ・クンパルシータでも弾きましょうね」と私の目の前で私のために弾いてくださった。


多分まだ結婚する前の20代だったと思うので今91歳の佐川さんの年を逆算すると50代だったのかも。


お店の中は私のような若い人はいなくて中高年の男女が静かに食事をしていた。


演奏し終わると拍手が私にも向けられてちょっと恥ずかしくて嬉しい私の数少ない貴重な体験だった。


その時連れて行ってくれた先輩はもうこの世にいないけど彼の分も聞いてこようと思っていた。


30分のライブなので数曲だったけど最後にあの懐かしいラ・クンパルシータを弾かれた。


91歳とはとても思われない情熱的な演奏に思わず涙がこぼれてしまった。


映画「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」に出てくるマエストロに頂いたというバンドネオンで弾いてくださったがやはり素晴らしい演奏だった。


映画の上映は立ち見が出るほどの盛況で映画館は人いきれで汗がタラタラ。


終わったら喉がカラカラ、私は勝手知ったる商店街の喫茶店に・・・と探したが横川駅周辺でかき氷を食べられるお店が無い!


仕方なくカジル(スーパー)へ行き大きめのかき氷を買って食べました。


いやいや、暑い時に熱い音楽汗タラタラで楽しみました。


写真は苦手な夜景モードばかりですが雰囲気が判ればと。




『夏の山野草』

2010-08-24 | 未分類
デジブック 『夏の山野草』
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暑い暑いと言いつつも涼を求めて山野草を見に行きました。
この夏は殆ど写真らしい写真を写していなくて気合を入れたつもりですが・・・何せ暑い!
そして急斜面、いらっちの夫はなかなか待ってくれません。
でも山を管理するおじさんと山野草談議(講義)をしていい思い出を作ってきました。

思うにとても几帳面な人で時間があれば草を抜いたり手入れをして守っているようです。
丹念に育てた山野草、感謝をしつつ見せていただきました。

記念にデジブックにして公開しました。ちょっと恥ずかしい・・・



10年ぶりの餃子の味

2010-08-18 | 未分類


昨日10年ぶりに餃子を手作りしました。


不恰好ではあるけどカリッカリに焼けて美味しくいただきました。


何故10年ぶりかと言うと次のような理由があったのです。


この秋に義母の13回忌を迎えるので正式には13年ぶりなのです。


脳出血で左半身の麻痺の後遺症で片手片足人生も13年の月日が経ちました。


その間、目に見えないような回復があり(と自分では思っている)何が出来るか色々チャレンジしてきました。


餃子はひだを作るのが難しいんじゃないかとずっと思っていて作ろうと言う気が湧かなかったんですね。


後遺症なので殆んど回復は無いと思うのですが右手がかなりの役目を果たすのか結構自分でもやるな~と思うこともあるんです。


私が出来るようになるのはかなり回りの力が大きいんです。


料理上手の母がアルツハイマーになって「お寿司作って」と言っても出来なくなり角寿司を作ってみたら以外に上手く出来たり三角むすびはダメだけどまん丸むすびならOKだとか無理やり刺繍をしたり、迫ちゃんと一緒に押し花をしたり(左手で爪楊枝を持ちのりをつける)巻き寿司に至っては無理やり丸めたり。


暑い時期は殆んど動きの鈍くなる夫に代わりホームベーカリーも片手+腰に乗っけて上手に移動できるようになりました。


餃子は娘が広島に帰ってから芦屋仕込みの美味しい餃子をフライパンにいっぱい作ってきて焼いてくれるので自分で作る必要がなくなったので意欲は一瞬にして消えました。


所が昨秋から働き始め何度アンコールしても忙しくてなかなか作ってくれません。


それで先週王将の餃子を買ってきて食べたら余り美味しくなくてがっかり。


密かに「自分で作ろう」と機を伺っていたのです。


それが、一番下の男の子が一昨日高熱を出し娘が休んだので急に時間がデキ早速チャレンジしたら何と上手くひだが作れました。


2人用なので22個作ったのですが味は娘に叶わないけどフウフウ言いながら食べる餃子の味は何か誇らしいものを感じました。


人間の身体はそんなにやわなものじゃなくて身体に合わせて上手く順応できるものだと我ながら感心しました。


そう言えば、田舎に帰った頃厳しい姑に外出中は蔵にある味噌や梅干は自分で買って食べなさいと言われ、それならばと味噌作り、梅干作り、お漬物作りなど友人と一緒に農協さんに習いに行き麹から作る味噌、捨ててあるトマトを利用してジャムにしたりケチャップを作ったり・・・。


「なにくそ」と言う気は全く無くて今では「意地悪した」姑さんに感謝です。


ぼんやりの私がここまで生きてこられたのは「逆境」があったからこそです。


NHK朝ドラの水木しげるさんの体験を見ていると私も頷く事が沢山あります。


あまり幸せだと人間進歩が無いなあと、13年目の感想です。


次は何にチャレンジできるかなあ・・・。




ホテルでジャズの夜

2010-08-15 | 未分類

10日の夜、会社の人から貰った情報でオリエンタルホテルでジャズの夕べがあると聞いた夫が早々と申し込んでくれた。


7月にも会社の人たちと 帝劇会館にある MOLLY MALONE'S(モーリー マロンズ)でニューヨーク在住ベーシスト藤原清登トリオのライブに行った。


夫の会社の人たちは私がいた頃の時代とは様変わりし先輩の息子さんもいて一緒に机を並べたことのない若い人が多かった。


たまたま娘の職場の上司も来ていてお世話になっているお礼を言うことが出来た。


それにしても、現役時代あんなにジャズを聴きに行っていたのにいつも親友と2人か一人で寂しく聴きに行っていたのに退職と同時に一挙に一緒に行く仲間が増えどうしたものかと思う昨今。


職場の人とのやり取りを聴いているとまるで我が家にいる時と同じ会話。


毒舌、偉そげ、おやじギャグ、顰蹙を買う差別用語も・・・・・慣れたもので皆笑いながら聞いている。


上司でもないのに大きな態度は昔とまったく同じ。


でもみなさん「面白い方ですよね~。いつも笑わせて頂いてます」と娘か息子のように料理を運んでくださったり早く行ってかぶりつきの席を取って下さったり疑義は深まるばかり。


職場ではさぞかし皆さんに煙たがられているだろうと思っていたが現役時代と比べ少し角が取れ話しやすくなったのかもしれない。


中にはスキーを趣味にしている方もいて「冬になったら一緒にスキーに行く」と楽しみにしている方もいてこちらがお礼を言いたいほどだ。


10日の夜はオリエンタルホテル初の試みでホテルを全部使っての地元ミュージシャンによる食事つきのライブ。


仕事の夫は遅れて参加すると聞いたので、私は早めに出てそごうの本屋に。


欲しい本はあまりに高く敬遠。


子供服売り場に向かったが可愛い服は年金暮らしにはちと高く、これも諦めてタクシーでホテルに向かった。


入り口を入るともう始まっていて黒山の人だかり。


ホテルの人が大勢待機していて受付に案内され、さて・・・・と見回しても誰一人見知らぬ人ばかり。


こういう時はまず腹ごしらえをしようと1階のニューヨークカフェに行くともうチラホラ食事をしているグループもいる。


平日、しかも初めての企画とあってホテル側は緊張している様子。


私はまず充電切れの携帯を充電してもらうようにお願いしてメニューを見た。


美味しそうなものばかりだが入場券についているフード&ドリンク券では一枚で1品かぎり。


私はコーラとサンドイッチを頼んだが何も食べて来なかったのでもう1品頼むと「3~4階で1枚500円で販売してるのでそちらで券を買って欲しい」という。


お店の人はしきりに「3~4階にも美味しいものが沢山あるのでそちらの方がいいですよ」と勧めてくれる。


が、多分フードコーナーは立食になっているだろうと思い早々と来たわけだから取りあえず二品だけで注文パンフレットに目を通す。


時間差で各会場でボサノバだったりラテンだったりジャズだったり好きなグループの演奏が聴ける仕組みだ。


それも1階~4階までホールだったり、チャペルだったりロビーだったり・・・・。


ホテルならではのサンド(クリームチーズとサーモン、自家製ハムと野菜)は分厚くて片手では難しいけどほの暗いローソクの明かりなのでこぼしても平気。


充電も完了、お腹も満たして3階の目指す会場に行くと思った通り立食でロビーは人が溢れ身動きが出来ないくらいの人で埋まっている。


私はホテルの人に聞きながら会場を探し、まず「こゆみこ」さん達のライブを聴こうと前のほうに陣取った。


「こゆみこ」を引っ張る美人の折重ゆみこさんはピアノとクラビオーレという楽器を弾きこなすミュージシャンだ。


広島ではアコーディオン奏者の桑山哲也さんが来られるといつも組んで演奏される。


デパート、老人ホームのボランティアなど市内各所で小さな演奏会は頻繁にされている。


藤井政美さんのsaxもなかなか良くて楽しいお話でも盛り上がった。


オリエンタルホテルのハウスバンドとして毎週金曜日に出演されているそうだ。


私はジャイブに行くことが多いので知らなかった。


同時刻にチャペルではPOPSの演奏もあった。


終わると7時なのでもう夫達は来てるかな~と次の会場4階へ向かうと案の定私を探していた。


本日のメイン、SPECIAL STAGEはオリエンタルホールなので会社の人たちが席を取ってくれていた。


メンバーは「こゆみこ」の他のメンバー、ギターの小田原君、ドラムスの吉岡君などフルメンバーにボーカルが佐藤いよりさんなど8名。


私はボーカルはあまり好きではないが佐藤いよりさんは初めて聞いた。


名前は有名なので知っていたがあのハスキーボイス、語りの上手さすべて気にいって会場はすっかり乗せられてノリノリに。


時間は予定時間を大幅に過ぎて終わり、私は次は癒しのクラビオーレを聴くために3階のチャペルへ移動。


エレベーターでこゆみこ一団と一緒になると「これから大急ぎで衣装替えして行きますね」と話してバーと走って行かれた。


夫と会社の人たちはジャズトランぺッターの河村君を聴くと走って1階に下りて行った。


私は早く着いたので一番前に陣取って待っていると衣装替えしてきたこゆみこのフルメンバーが勢ぞろいした。


私の前はギターの小田原君。


静かであまり目立たない存在だったのに目の前で聞くと何と凄いテクニシャン。


今までは距離を置いて聞いていたのであんなに上手だと気付かなくて私は驚いてしまった。


続いて折重さんが抜けて佐藤いよりさんが入り又ちょっと違う雰囲気。


後ろを見ると夫達が入って来て会場は大入りになった。


佐藤いよりさんが入ると会場は盛り上がる。


最後に心地いいジャズの名曲をたっぷり聴かせて貰って帰路に就いた。


帰ったら12時。


万年休みの私はいいけど翌朝夫はさぞ眠かったに違いない。


勿論遊びすぎた私はお弁当なんて出来ませんでした。


長い文章ここまで読んでいただき恐縮です。


ありがとうございました。画像は最後に残った「レンゲショウマ」田舎の庭で咲きました。


 



 




ココロを扱う

2010-08-13 | 未分類

先日、精神科医の北山修さんが九州大学で退官の最後の授業をされた。


BSで放映された録画をやっと見ることができた。


北山修さんは40年前「フォーククルセダース」というバンドを組み加藤和彦さんやはしだのりひこさんと毎日のようにテレビに出て当時の音楽シーンを彩っていた人。


1年後突然の解散、本人はヨーロッパ留学したと聞いたが長くマスコミに顔を出されなかった。


 


10数年前、病気で思いもよらぬ退職をした時私の人生設計が大いに狂い始め身体も心もズタズタになってしまった。


その時、カウンセリングを1年近く受け少しずつ心や身体が動き始め私なりの行く道を探し始めた。


一年間悩んだ末に決意したのは「カウンセリングスクール」で心理学、カウンセリングを勉強しようと言う事だった。


当時月謝一万円のカルチャースクールは高くて一年間猶予を置いた。


それでも折角リタイアしたのだから自分に投資して技術を身につけ何かのボランティアをしようと考え新聞に募集が出てすぐに申し込んだ。


最初の一年は座学が殆んどで難しいけれど何とかがんばる事が出来た。


2年目から3年間は専門コースでカウンセリングの実習が殆んどでその間に特別講習がある。


実習は自分の番が来ると?全く見ず知らずの健康な人?決められた場所で?決められた時間?録音してテープ起しする。と言う厳しい決まりがあり、その出来上がったテープを聴きながらまな板の鯉のようにみんなからアドバイスを受ける。


普段は優しい教授もこの時は厳しい。


心臓は止まりそうに早くうち、言葉を磨いている人の集団だからみんなのコメントも心に突き刺さるように厳しくぐったりと疲れてしまう。


その時、私は心が健康では無い人にあたり、悩みすぎて十二指腸潰瘍になって教授に怒られてしまった。


自分の無知でクライアントが病気を抱えている事が判らなかったからだ。


2度目の時もやはり心に問題を抱えていた人で危うく自分が病気になりそうだった。


「君はカウンセラーには向いていないよ」と、正面切って仲間に言われた時もかなりショックで(勿論カウンセラーにはなれないのですが)勉強やめようかなあと思った時季もあったのですがみんなでビアガーデンに行ったり季節ごとに飲みに行ったりする中で思いなおしては「もう少し付いていこう」と思ったものです。


そんな時、特別講習で北山修さんが講師で来られると聞きちょっとミーハーな気分で受講したら、以外にもすんなりと理解したように思い(自分では)これはもう一度復習をしなければ」と勢いで本を買ってサインをして貰うべく列に並んだ。


私も折角だから質問しようと思ったら私の前の人が「先生、もうTVでは歌わないんですか?」と聞いた。


一瞬手を止めて北山さんは「君、ここはカウンセリングの勉強をしに来たんでしょう。カウンセリングに関する質問以外は受け付けない。TVに出ることも無い」と、険しい表情で言い放った。


そう言えばその日の講習はいつも卒業生はお金を払えば参加できるのに偉くシャットアウトして誰も入れない状態だった。


その時怒った北山先生の事が妙に気になっていたが先日の放映でやっと理由が判った。


あれだけ毎日TVを通じて見ていた彼があっという間にマスコミから消えた理由。


医師への道を歩んでいた彼がヨーロッパへ留学し、そこでフロイトの精神分析に出会いその道を歩み始めた事。


それまで、自分の作った歌は友人や個人の為に作ったのであり、不特定多数を相手にするマスコミに載ったおかげで歌が自分からはなれ最初の意図が伝わらないのではないかと思い始め、反対に心を扱う精神分析はその心の裏側を扱うパーソナルコミュニケーションであり自分でなければ出来ない仕事でありそちらが比較にならないほど楽しいから精神科医への道を選んだそうだ。


だから、私達の講義のときに謙悪の意思を現したのもよく判った。


今回の最後の授業で何度も言われた「言葉の重要性」についてもあの時話された事とすこしもぶれていない。


ただ、買った本は超難しくてまるで歯が立たなかったが。


私には要のその言葉の言い回し(ボキャブラリ)が多くなくて本当にカウンセラーとしては失格です。


先生によっては映画を見に行かされたり、本を沢山読みなさいと言われたり・・・沢山の言葉の言い換えが出来なければ感情を言い当てる事が出来ないからです。


そういう意味では作詞家であった北山修さんはピッタリの職業であったのだと思います。


私は専門コースを卒業してからも病気をするまでの数年間仲間と勉強会をしていたのですが通えなくなってそのままです。


今でも思い出すと冷や汗の出るような時間、それがTVに出るより面白いと言ってのけた彼はずば抜けて語彙の豊富な人物だったと言う事でしょうか。


それと、TVに出ない大きな理由は精神科医としてクライアントに不安を持たせないことだと言われます。


最後の授業の中で「精神分析の領域は大勢を相手にするマスメディアと違って人の心の裏を取り扱う、人間にしか出来ないパーソナルコミュニケーションとしてこれから先もずっと残っていく仕事だ」と豪快に笑ってみせました。


これからはTVにもどんどんでられるかもしれません。


歌もですが精神分析の話も大いに期待したいと思います。




私の8・6?2

2010-08-08 | 未分類

今月の市民劇場は井上ひさしさん追悼公演という事であの「父と暮らせば」でした。


時代は昭和20年代の広島、原爆の投下から2~3年後丁度私が生まれた頃です。


原爆で父を亡くし、倒れた家の下敷きになった父を助ける事が出来なかったり、大事な親友が運命のいたずらで亡くなり自分が生き残った事に罪悪感を抱く女性が亡くなった父との会話を通じて生きる道を選んでいく物語です。


原作の素晴らしさもあるが私は映画の宮沢りえさんの演技にも魅せられ何度も映画を見ています。


「生き残った自分は恋なんかしちゃいけないと言う娘に幽霊となって出てきた父がコケテッシュに笑を誘いつつ娘を応援する。


切なくて、市井の人々の苦しみがやんわりと伝わってくる作品、さすが井上ひさしさんだと何度も頷きました。


声高に原爆の被害を訴えるのもいいがこの作品のように親子の感情を共に描きながら原爆の悲惨さを訴えるのもこころにずんと響くものがある。


原爆で一瞬の内に焼かれた親にしてみれば言いおきたかったことも子の幸せを導く事も出来ない無念な気持ちがありそれを井上ひさしさんは代弁したかったのだと思う。


舞台は父親役の辻 萬長さんのほうが引き立っていたが親の気持ちを笑いの中に取り込みつつ上手く演技されていた。


世界の流れが核廃絶に向かう中でこの舞台を見ることができ有意義だった。




私の8・6

2010-08-07 | 未分類



私は広島出身ではない。


縁のある人もいないけれど縁あって仕事を持ち結婚して広島人となった。


ぼう~とした私は職場の先輩から組合の役員を命じられた。


女性が500人近くいた職場では先輩にたてはつけない時代。


最初に私に課せられたのは「原子雲の下に生き続けて」という被爆体験記だった。


まだ職場には白血病で亡くなる人もいた時代、気安く頼む相手もいなくて困り果て、役員を命じた先輩に相談した。


彼女は困った顔をして「う~ん、一応私は家族を原爆で亡くしてるんだけど、人に話したこともないし・・・」と渋ったけれど私も反論「私を役員に出した責任もあるんじゃない?」と押し通し書いてもらうことに。


それから1週間後、彼女が原稿を持ってきてこう言った。


「初ちゃんひどいよ。この1週間、当時を思い起こして書き下ろすのに心の中にしまっておいた辛いことを思い起こし泣き続けながら書いたよ」


「え!どうして・・・。私も読んでいい?」


と、無知な私は原稿を持ち帰り読んだ。


彼女は疎開した弟さんと二人きり残り、後の家族は全員原爆で亡くなられていた。


親や兄弟の死を乗り越えてやっとここまで来た彼女は苦労の連続だった。


今度は私が1週間泣き続ける番だった。


後に彼女はアメリカ大陸を横断しながら語り部をして長く活動していました。


たった一人の弟さんも近年がんで亡くされました。


 




転勤して最初に入ったのは歌声サークル。


数人の人を除いて殆ど趣味程度の人が多くついた名前は「ななつの子」


当時はフォークソングと共に労働歌やロシア民謡など次々に新しい歌を習った。


ピアノが弾ける人、アコーディオンを習いに行く人が出てきて少しづつレパートリーも増え、職場で歌声喫茶なるものも開いたりした。


当然のように8・6の原水禁大会の集会では歌を歌ったり詩の朗読をしたりお呼びがかかった。


私が最も印象的だったのは栗原貞子さんの「生ましめんかな」を歌ったとき。


これは当時指揮をしていたMさんが作曲したと聞いた覚えがあるが詩は今は吉永小百合さんが朗読されるのですっかり有名になったが曲もぴったりのいい曲だった。


数年後に栗原さんと車でご一緒し口ずさむと「とってもいい曲ね。ありがとう」と言われた。


しかし、たかが集会に出席すると言うだけでも当時は命がけ。


市内を平和行進して最後は体育館に集結するのだが何度か右翼に阻まれ、街宣車が行進の列に突っ込まれて死ぬ思いをした。


警護していた警察官が一番逃げ足が速くて抗議したが笑うしかないほど市民は守ってもらえませんでした。


そんな思いをしながら先輩にならって何かの集会に参加したり、ここ最近は平和公園へのお参りや灯篭流しなどに参加する程度。


今年は孫守りで忙しいので何もできないなあと思っていたら河野先生のブログで平和の夕べを開くと告知してある。


昨年も行くと言いながら行けなかったので今年こそ参加しようと子供たちのスケジュール等を合わせ何とか行くことができた。


が、私の狙っていた「高史明」さんの講演は後回しになっていた。


ぎりぎりセーフで会場に着いたのにガーンだ。


河野先生の司会で始まったが最初はリレートークだという。


最初に被団協の池田精子さん。


話し慣れていらっしやるのもあるがすぐに話に引き込まれてしまった。


悲しく辛い話を力強い説得を込めてお話される。


そこいらの政治家よりもずっと説得力のある前向きな話にすっかり感動してしまった。


最後に「私と同じ思いを世界中の人に味わわせたくない。世界から核が亡くなるまで証言活動をします」との決意に最も力が込められていた。


次に沖縄から知花昌一さんが舞台に立たれたが時間が途中になるので抜け出した。


「高史明」さんは若いころに買った本を読んで歎異抄のことを知り、一度お話を聞いてみたい人だった。


一人息子さんが自死され苦しみの中で歎異抄に出会われた方でもう一度読み返さないといけないなあと思っていた矢先。


一人玄関に出て待っているとひょっこり河野先生と出会い「先生、やっと来たのにもう時間がないの。ごめんね」というと「よくぞ来てくれたわねえ。嬉しいよ」と短い時間話ができた。


今回は河野先生のバイタリティーに引っ張られて出てきたようなものだから高さんの話は彼女のブログで伺うことにする。


それにしても何十年ぶりかで聞いた被爆証言、やっぱり生の声だと感情もそのまま受け止められるので良かったです。


池田さんはTVや世界中どこへも出かけて行かれる方なので講演会があると一度は聞いておくと勉強になります。


もう一つ8・6関連の話がありますが次回にします。




子供レストラン

2010-08-05 | 未分類

今週は夫が休暇を取ってくれたので私は毎日我が家で楽ができます。


朝、朝食を食べたら夫は孫たちを迎えに行き、ワンコの世話をして帰ります。


我が家に来たら午前中は勉強タイム。


その日の勉強が済むと「じいじ先生」に見てもらいます。


二人ともOKが出たら自由時間です。


お姉ちゃんと違い本嫌いの二人の子はもっぱらゲームやレゴでの積み木遊び。


そのうちに喧嘩になり叱られながらも二人でくっついて遊ぶのでまだ可愛いものです。


お昼は大抵朝から用意した「野菜たっぷり」のランチです。


ホットドッグやサンドイッチが多いのですが中身は野菜たっぷりのサラダやスープ。


野菜嫌いの娘に工夫して食べさせていた頃を思い出し懐かしい思いで作っています。


ポタージュスープはジャガイモを中心に人参やセロリ、キャベツ、玉ねぎなどの寄せ集めですがしっかりとバターで炒めれば匂いが出ません。


小さな人参でも出してしまう真ん中ちゃんが「これコーンスープでしょ。あぁ美味しい」と言って飲んだので大成功でした。


大鍋にいっぱい作って半分冷凍、疲れ切って帰る上の子用にしました。


野菜嫌いの娘にも「なにこれ、ビシソワーズ?」とバレずにしめしめです。


夫と二人だとお昼はきちんとしたおかずを作ることはあまりありません。


だから、毎日子供メニューで楽しそうに食べています。


実は私は今週は自分のスケジュールがいっぱいで送り迎えつきなのでこの暑さの中でも超楽ちんです。


パソコン教室、美容院、市民劇場、8・6催しなど。


今日は夕ご飯用にミートソースを煮込みました。


お店のかっこいいパスタもいいのですがたまにはシンプルに「スパゲッテイ」も食べたくなります。


今日は朝から田舎に行ってバーベキューをしようと予定したのですが朝起きてきた夫が「今日はやめよう。子供の様子がちょっと変なので今までどうりにしよう」と言います。


昨夜娘がPTAの仕事で夜10時を回って帰るというので子供たち我が家に泊まる予定でしたが上の子と違い下の二人はなかなか親から離れられないのでじっと様子を見ていたのですが何だか少し緊張が見られるので「お風呂に入って待たせるから連れて帰って一緒に寝なさい」と言いました。


今週の月曜日から一週間婿は出張です。


娘も大変ですが今少し気持ちを大事にして親子で寝たほうがいいみたいです。


だから、今日もお昼ご飯を食べたら近所の子供たちとプールに行き、遊ばせたほうが気持ちが落ち着くのではと夫が言います。


娘も「基本をあまり変えさせたくないのよね。学校に行き始める時がしんどいから」と、起床時間もいつもどうりにしているそうです。


子供の送り迎えに汗する夫に感謝しながら涼しい我が家でPCに向かう時間を楽しんでいます。


来週は仕事帰りの夫と待ち合わせて又ジャズを聴きに行きます。


オリエンタルホテルが企画した食事とジャズの組み合わせでホテル全体でいろんなグループのセッションが聴けるみたいです。


それを楽しみに子供レストランの料理長としてもう少し頑張ります。


 




週末

2010-08-04 | 未分類


 


 


週末、気になっていたアサギマダラを見に行った。


ここ最近餌となるヒヨドリバナの花が減り一挙に飛来の数も減っている。


朝9時を回ると急にに暑くなり始める今年の猛暑の傾向、こりゃ逃げ出すに限るとばかりにお弁当を買って芸北に逃避。


芸北に近づくと窓を開けてもクリアーな風が吹いて涼しい。


まず、いい場所を確保してお弁当を広げる。


戸外でのお弁当は意外においしい。


この日は子供連れより中高年やカップルが多い。


やはりお弁当組が多い。


遠くにギボウシの花が咲いているのが見えるが炎天下はやはり暑い。


高原の自然館の受付の人としばしアカショウビンの話題で話をする。


早朝、夕方に人のいなくなった静かな時間に鳴くことが多いと聞いた。


湿原の花も少しづつ回復して咲き始めているようですがこの暑さではあまり歩きたくないなあ。


さてっと腰を上げてまずはアサギマダラを探しに行きましょうと車を走らせると蝶待ちのカメラマン数人とすれ違う。


皆バズーカ砲のような望遠レンズを三脚にセットして待っている。


今年もヒヨドリバナやアザミも咲いている花が少ない。


登り始めてすぐにアザミで蜜を吸っている個体に会った。


今年は少ないと聞いていたので車を止めて欲しかったけど夫は無視。


一気に頂上を目指し急加速して登ったが群れていない。


頂上に降り立ち下を見下ろすと二頭、優雅に飛来しているのが見える。


が、柵がある急斜面、少し追いかけたがとうとう木の茂みに逃げ込んでしまった。


車に帰ると車の周りぐるりと「アブ」が10匹近く止まっている。


いつものことだけど車の中にも数匹入っていて車に乗れない。


とうとう夫がドアを開けてくれたスキに乗り込んだ。


降りる途中一頭ひらりひらりと飛んでいるのを見かけ車を降りたがすぐに木の上に隠れてしまい羽を休めている。


う~ん今年は写真は撮れそうにない。


ちょっとボケボケの写真が一枚やっと撮れた。


気を取り直して何か月ぶりかの臥龍山へ水を汲みに行くことにした。


大きなブナの木の下でお年寄りのご夫婦と見られる二人がお弁当を広げている。


私はやはり事件のことを思い出すのでお弁当を食べる気にはなれないなあ。


最近我子を虐待の果てに殺す親が増えてきたように思う。


そんなニュースを見るのも聞くのも辛くて無視したいけど直視しないといけないですねえ。


夫が口癖のように言うのが「死についてお寺も学校も教えない」と言いますが核家族が増え生まれる所は見る機会があるけど死に行くことは見る機会がないですね。


ブナ林に見守られて安らかに眠って欲しいです。


帰りは殆ど自然の風でも涼しくてさすが芸北。


写真はまずいけど一応UPしてみます。