初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

Kさんの死

2012-08-25 | 日記

数日前、友人のご主人の訃報を知った。

田舎にいた時の友人で今でも時折訪問している。

ご主人とはネット友。

30代の頃、うつ病を発症して30数年も闘病生活をされていた。

いつ遊びに行っても殆どお会いできないくらいの重症だったのに寛容な友人のおかげで安心して闘病していた。

私が病気になって訪ねた時「実は僕も軽い脳梗塞をしてね」と珍しく出て来られてお話をした。

私がブログをしていると言うと自分もしているとお互いに意気投合、早速ブログ友になった。

彼は前衛の絵を描いていたのでそれをブログに載せたらどう?と言ったが文学にも精通していたのでそのエッセイもなかなかのものだった。

そのブログのコンセプトが「年寄りで何が悪い、うつ病患者で何が悪い」と言う開き直りで私も愉快だなあと思い時折訪問していた。

私の友人は年に数回自宅で「古民家イベント」をしていて何度か行った。

でも、主催者なので殆ど話が出来ない。

そこで、ブログ友のご主人と話をして帰ることが多かった。

仏教の事、環境問題、本の事、沢山のジャンルがあり彼の娘さんと名古屋のネット友とのコメントのやり取りだったが最近はいつも覗いては入り損ねていた。

会話は彼が寝込むことが多く「おーい、冬眠から覚めないの?」とか言いながら勝手に書いていたので6月から書き込みが無いなあと思いつつも気になっていた。

8月の初め恒例の暑中見舞いを出したがその返信と古民家カフェのお知らせを兼ねて先日手紙が来た。

その最後にさりげなく「夫は6月に逝きました」と書かれていてびっくり。

すぐに電話すると「自分の死期を悟っていたらしく死後の事を全部書いていて手がかからなかったのよ。知らせなかったのも彼の遺言」と彼女は平常心で語った。

彼らしいと思った。

さりげなく、残すものを残しあっという間に逝ってしまった。

私には到底真似も出来ないし、話を聞いた後も爽やかさだけが残って悲しさは深くない。

どのように生きるか、はどのように死ぬかに=なのだと教えられた。

夏休みが終わり、私も彼女もひと段落したころに逢いに行こうと思う。

Kさんのご冥福をお祈りします。ありがとう。


処暑

2012-08-23 | 思うこと

先日友人たちと「残暑見舞いっていつまでだっけ?」と調べてみたら「およそ処暑まで」とあった。

今朝のニュースで「今日は処暑ですが・・・」と言われ、朝病院に行く途中見上げた空が「秋」に見えた。

先ごろ本屋大賞になった三浦しおんさんの本「舟を編む」を読んで以来日本語の美しさや意味に気づかされるようになった。

手紙を書くときに時折調べるが年々身体が老いて行くに従い季節の営みが時にきつく感じる。

そこで二十四節気について調べてみた

* 立春 * 雨水 * 啓蟄 * 春分 * 清明 * 穀雨 * 立夏* 小満* 芒種* 夏至* 小暑* 大暑* 立秋* 処暑

* 白露 * 秋分 * 寒露 * 霜降 * 立冬 * 小雪 * 大雪 * 冬至 * 小寒 * 大寒 

  

子供達ももうすぐ学校だと浮き足立っている。

暦に従って少しでも心地よい風を感じよう。

 

 

 

 

 


九州の旅???

2012-08-14 | ドライブ

先週の水曜日、娘から「10日長崎に行くから乗せてってあげるよ」と電話があり急遽載せて貰うことにして音訳の編集を一日で済ませ、ICTボランティアもお休みを貰って行ってきた。

「タダ」ほど高いものは無い」と言うがエライ目に遭ってきた。

私は「九州国博」で開催中の「美のワンダーランド 十五人の京絵師」展に行こうと計画していて娘に「九州方面に行くときは便乗させて」とお願いしていたのだ。

夫にお願いしていたが「別に絵は見たくない」といい返事が無く私一人でも大宰府に下ろして貰おうと断然行く気になった。

娘はハウステンボスに子供達と行き、帰りにコストコ、イケアに寄って帰ると言うので願ったりかなったりだ。

夫も子供たちと一緒なら行こうと乗り気になったがどうも絵を見る気は無いらしい。

私はネットでコストコのお勧めを検索してメモ、初めてのイケアも楽しみにしていた。

所が前日「俺は出光美術館に行く」と言い始めそれならば門司で降りなくてはいけない。

出発は6時、娘たちはお金を使わない、時間をかけないと言うので取りあえずサンドイッチを食べて出発。

私達のチンタラドライブと違い、ずっと追い越し車線、SAもPAも寄らずトイレ休憩のみ。

それでもくるまが大きくあっという間に門司に着いた。

所が「何処で降りればいい?」と聞いても夫は「判らん。何も決めていない」と言う。

慌てて私が「何処でもいいからコンビニで下して」と頼みインター近くのコンビニで下ろして貰った。

さて、どうしようかとお店に入り「出光美術館に行きたい。その後大宰府に行きたいのだが・・・」と言うとおかみさんは出光美術館を見て列車で小倉に行き、そこから天神に行き西鉄で大宰府に行く方が安いと教えてくれた。

とても親身に相談に乗っていただいて呼んで貰ったタクシーで門司レトロ地区の美術館に向かった。

まだ朝の8時、タクシーの運転手さんも心配して下さる。

2時間もどこで過ごすのかと。

「いやいや大丈夫、そこら辺りを散策しますよ」と言って降りた。

私はレトロ地区はあまり知らなかったがTVで放映しているのをチラと見ていたので殆ど休むことなく2時間歩き、美術館開館を待った。

千利休に関する陶器展だったがすぐに見終わった。

私は気が焦り早く次に行きたいのに夫は駅前の喫茶でくつろぐと言う。

やっと腰を上げて小倉まで行くことにした。

小倉に着くともうお昼。

話を聞くに夫は何もプランは持っていないようだ。

駅レンタカーを当たることにしたが車は一台、しかも夕方6時に返却だと言われすぐにキャンセル、案内所に聞く方が早いと聞きに行ったら「大宰府に行くのなら天神の西鉄までバスで行った方がいいと勧められた。

博多駅から西鉄乗り場まで少し距離があり、私もその方が助かると思い早速バス乗り場へ。

快適な旅だったがバスは時間がかかる。

「もう、国博は行けそうにないからコストコに行くことを考えましょう」と夫に伝え、又案内所に走った。

「1時間に1本ですからお急ぎくださいね」と言われ暑い中博多市内をを行ったり来たり・・・。

博多は昔、子供たちと来た時とは随分変わって大都会。

色々なものが目についたけれどバスに乗らなければ娘たちを待たせることになるかもしれない。

路線バスは一度転びそうになって以来載らないことにしているが夫がサポートしてくれるので安心だ。

ほぼ1時間でトリアスに着いた。

ここまでくれば一安心、娘たちと無事合流した。

所がここからが大変だった。

広い倉庫なので娘たちとはぐれてしまった。

その内に冷えからかお腹が痛み始めトイレへ。ふと気づくと足は歩きすぎでパンパンに張っている。

あんなに楽しみに来たのに今日はいつも荷物を持ちに来てくれるお姉ちゃんがいないので一人で商品を抱えて歩くことは無理だ。

諦めて休憩場所に出てがっくりしていると夫が出てきた。

娘は大きなカートにいっぱい買い物して「あれ!ここにいたの?買い物は?」と言うのでメモを渡したら「じゃ、一度車に積んで買ってくるよ」と言って出て行った。

しかし、人の物は判り難くて結局娘たちの物を分けて貰うことにした。

夫はちゃっかりワインなどを買い込んでいた。

もうすっかり暗くなったのでイケアはパス。

トイレ休憩して夕食も朝の残りのパンで済ませ10時帰宅。

娘たちは朝10時半にハウステンボスに着き、4時半までバッチリ楽しんだとのこと。

その日の夜ベッドに倒れこんでから日曜日のお昼までまるで死んだように眠った。

勿論飲まず食わずなので目覚めた時にはちょっと熱中症になりかけでやばかったが水分補給をし、少しづつ食べると元気になりパンパンだった足も元どうりになっていた。

今考えると一体何をしに行ったのかと思うのだが最近はあまり腹も立たなくなった。

私があんなに九州国博へ行きたかったのにもうすっかり忘れているみたい。

今回は諦めましょうか・・・。