初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

燻製の味

2014-11-09 | グルメ

毎日の食事ではあまり食べることのないハムやウインナー。

でも、数年前からハムを売っているのを見かけたり、facebookで見かけたりしていた

実はリタイアした当時、使わない中華鍋を使って燻製をしていた。

だが、ハムやウインナーは面倒なのでしたことが無いので興味を持っていたのだ。

添加物の入らないベーコンは美味しくて沢山作って色んな人に配った。

本当はウインナーが一番作りたかったのだが・・・面倒くさそう。

子どもが生まれて自然食の運動をしている人たちと出会って添加物の無いウインナーが食べたいねと言っていたら地元の福留ハムさんが生協と共同研究されて作ってくれることになり私たちは子育てグループで会社に直接届けて貰っていた。

今もウインナーを買う時はどうしても福留ハムでと思う。

食品添加物、合成洗剤、原発、まるで仕事をしに来ているのか商売をしに来ているのかと言う毎日。昭和の時代はそんなことも許してくれる会社だった。

合成洗剤の全国集会は琵琶湖まで一泊で参加してきた。

何をしても目の前のことを一生懸命になるので家族は大変だったろう。

だから、手作りのハムはどうしても食べたかった。

夫に話すと場所も大体わかると言ってお昼を目指して出発。

場所は直ぐに判り、やはり少し高めなので好きなハムとウインナーを1種類づつ買って外に出ると数組の家族づれがホットドッグを買っているので私たちも同じように好きなウインナーを入れてのみ物を買って里山を見乍ら食べた。小さいから・・・と思ったら何とパンも食べ応えがあり十分でした。

私はちょっとピリッとするチョリソーが好きなので燻製の香りがしてやはり、探しながら来た甲斐ががあったと自己満足。

次回もまた違うものを食べてみたいと思いました。

通販もされていましたが直接お店に行った方が楽しいですね。

チョリソーが一袋残っているのでこれは勿論ポトフだな。

お店は

Glücksschwein

https://www.facebook.com/glucksschwein86

 

 


新米

2014-10-26 | グルメ

先日、阿東町の親戚に行った時沢山の野菜や新米を貰った。

私自身はお寿司は好きではないが新米はいつも最初にお寿司をする。

以前は色々なお寿司を作っていたが最近は専らちらし寿司ばかり。

最近は酢の物も好んで食べるようになったが子供の頃から酢が嫌いでお寿司もあまり好きではなかった。

だが、義父母と暮らすようになって特に義母がお寿司が好きなので仕事が夜勤や宿直の時はたいがいお寿司を作って置いた。

義母は料理が嫌いだが食べることは好きだった。

しかし、電子レンジや揚げ物は絶対にしなかった。

電気器具などの使い方も経験が無く、コロッケも揚げるだけだから・・・とお願いしても「箸を持ったらすぐ食べられるようにして出てくれ」と言っていた。

お寿司にしておくと冷たくなっても直ぐに食べられるのでお互いに不満が無く楽だった。

角寿しも良く作った。

私の実家は具も一緒に混ぜていろんな形でくりぬいてかまぼこや薄焼き卵、でんぷなどを飾って食べる。

夫の実家はご飯の中に具を入れて上にはしめさばを載せる。

程よく魚の味が染みてとても美味しく、私もそちらが好きになった。

お正月になると色んなお寿司を用意して我々は市内に出て他の物を食べた。

巻きずしも何十本巻いてもお正月の間にぺろりとなくなっている。

義母も義父も胃が丈夫で今の私は羨ましい。

今日は冷凍室のものも全部使って大鍋一杯に煮しめを焚いた。

頂いた椎茸が肉厚で噛み切れないほど。サトイモもホックリしてスーパーのものとは大違い。

朝起きて一番に、皮をむいて冷凍していた栗と鶏肉の旨煮を作った。

栗が大きすぎて少し大味だがこれは娘の大好物だ。思ったより量が多くて少しは我々の口に入った。

あとは新鮮な島根産のさわらを塩焼きにしたり子供が食べられるようにとひれ肉のトンカツ。

常備菜のおから、ほうれんそうの胡麻和え、残ったニンジンと大根に雑魚を入れて酢の物に。

子供向きにマカロニサラダ。徳佐リンゴをいっぱい入れて。

まるで田舎料理のオンパレードで子供向きでは無いが味の染みた大根やサトイモの味も知って欲しいなと思っている。

いつもは面倒が無いオーブン料理が多いが煮しめは下処理に時間がかかるので昨夜のうちに下茹でしたら今日は超楽。

3時に二つの荷物を持って娘の所に寄り、荷物を発送し、夕方までドライブをして家に帰った。

心地よい疲れ。

きっと今夜は良く眠れることだろう。


蕎麦の好み

2014-09-29 | グルメ

最近、蕎麦談義があちらでもこちらでも聞かれるようになった。

勿論、生まれも育ちも津和野(一応島根)の私は幼い頃から食べていました。

でも、蕎麦の花を見たり蕎麦を打っている姿は実は見ていないんです。

年末になると「年越し蕎麦は?」と母に聞かれ私は「蕎麦は勘弁して」と自分で中華そばを買いに行き母に「これでよろしくお願いします。

と、年越しラーメンを食べていました。

でも、蕎麦が嫌いな訳じゃなくて年越しは「つるつるっとラーメンにしたいのです。

我が家で蕎麦を育てている訳じゃないし、どこから調達してくるのかもさっぱり判らないまま「そばがきが食べたくなったら隣のおばさんに作って貰いんさい。」と母に言われ甘いものが嫌いな私は学校から帰ると隣の家(父の実家)へ行って勝手にこたつに入り寝転がっています。

するとおばさんが来て「そばがきが食べたいの?」と聞きます。

「うん」と言って待っていると固くも無く柔らかくも無いちょうど食べごろの「そばがき」が出て来てお椀2杯くらい食べると「ごちそうさま」と、言って自分の家に帰ります。

今のようにインスタントなわさびも無い時代おろしたてのわさび醤油につけては食べる。

ちょっと「変な子」だったんだろうなと思います。

私の母は私が小学校高学年くらいから働き始めたと思いますが隣のおばさんは身体が弱くいつも家で寝ている方が多く、大抵家にいる時が多かったのだと思います。

私は無口な子(今思うと懐かしい)だったので自分からは何も言えなかったけれどきっと母から頼まれていたのでしょう。

 

 余談ですが

女3人寄れば・・・と言いますが私の母が家にいると近所のお母さん連中が10人組だと思いますがいつも井戸端会議でキャーキャー・ワーワーと姦しかったです。

それぞれに役割を持っていたりこの日は柏餅を作ろう、とか、暮れの餅つきはいつも我が家でお父さん連中も含めて大賑わいです。

子供たちは全員お飾りなどが出来上がったら並んでお餅を丸めたり運んだり、10軒分だと一日中かかり皆で作り友達同士で作業するので楽しかったですねえ。

私はお餅もあまり好きでなく2月くらいに作る「かきもち」が好きでした。

私のために我が家は塩入で青のりやごま、豆などが入っていました。

父も母も好き嫌いの多い私には一言も苦情を言ったことも叱られたことも無く今思うと私ばかり甘やかされ、苦学しながら一心に勉強している兄には厳しかった兄はちょっと可哀想でした。

県境を越えて早朝から通学し、勉強もスポーツも出来た兄は大学へ行きたかったに違いないのに父「大学なんか行かんでええ」の一言で進学は諦めたそうです。

就職先も殆どの人が親がかりだったのに兄は自力で就職をしました。

兄は実家で楽しい時間を過ごすことが出来たのだろうかと時折思います。

私は結婚して初めて自分がいかに甘えて育てられたかについて学びました。

お餅が嫌いな私は大きくなって年越し蕎麦は食べられるようになっていましたがお雑煮は相変わらず苦手。1個食べるのがやっとで餡餅などは今でも苦手です。

お姑さんから何度も嫌味を言われたり隠れて食べているんじゃないかと子供たちも聞かれたそうです。

でも、好きなかきもちだけは別腹で食べられるので「かきもち、青のりやごま、豆も作りますよね」と聞いたら「とんでもない、かきもちは甘いに決まっている。塩が入ったかきもちなんて聞いたことが無い」と、一喝。

自分がいかに甘やかされて育ったのかが思い知りました。

でも、こんなことでへこむ私ではありません。

子供たちを使って懐柔策をしたらあっという間にばれて「お母ちゃんが食べたいから塩入を作って欲しいって言えいわれたんじゃろ」

まあしつこい私は、3年間同じ手を使ったのですが家族全員甘いのが好きで夫も味方に出来ず諦めました。

と、話が横にそれましたが夫はいつの間にか江戸風、信州そば系が好きになり最近は出雲そばと聞くと嫌がります。

私はどちらもOKお店もどこでもOKです。

時おり「そばがき」も作っておやつにしますがこれが作り方が下手で固くなったり柔らかすぎたり未だに隣のおばさんのようには作れません。

あの世に問うわけにもいかず「う~んイマイチ」と言いつつ一人ぶつぶつ言っています。

そうそう、先日、総領のあたりで食べる所が無く迷っていた時「蕎麦やなら美味しい所知ってるけどあなたのお口に合わないと言うのなら連れて行きたくないけど」

と、言うと「えーいこの際腹が減ったらなんでもええよ」と言うので「五陵庵」に行った。

看板に「江戸風」とあったのでニヤリとしながら入ったが結構な人がいた。

もりそばをあっという間に平らげたので私の割子を一つあげた。

ちいさなむかごごはんも付いていたが男性には少ないらしい。

すると「冷やす時間が無くて・・・」と地元のいもで地元の人が作ったと言うこんにゃくの刺身が出てきた。刺身も美味しかったが酢味噌の上品さ。

それにむかごご飯に添えられたつくだに。

昆布もカツオブシも上等品。

まあ主人の顔がほこらんだこと。好みの味だったようで上機嫌でした。

 


うまい!

2014-08-04 | グルメ

昨日、小雨の中をドライブしてきました。

最近、私は行き先を聞きもせず、夫も言いもせずぶらりとドライブに行くようになりました。

本来は行きたい所は沢山ありますが自分が運転しなくなってストレスがたまっていたのが「年のせいか、体調のせいか」判りませんが言わなくなりました。

たとえば道を間違っても自転車が突っ込みそうでもよほどのことが無い限り黙っています。

何故かと言うとどちらにしても怒鳴られるので「なら、言わずにおこう」と言う結論に至ったのであります。

昔は怒りの向きがいい方向に(権力)向いていたのが今はあまりに大きく、一人で太刀打ちできないので殆ど独り言のようになっているからだと思います。

前置きが長くなってしまいましたが途中、コーヒーを飲むでもなし、トイレ休憩1回で西方面へと行きました。

昼ご飯を食べてからです。ランチ代を浮かす、と言う私の小さな努力によるものです。

そうは言っても外出すると放出は一向に減らないのですがストレスが溜まるよりいいのです。

ランチなしだとひたすら走ります。

下関?門司?の勢いでしたが小月で降りました。

小月には始めて降りましたがどうも私の機嫌を取るつもりだったか「道の駅」に寄りました。

車から降りると、早速私は少し戻って小さなお店に入りました。

と言うのも小さなお店から地元のおばちゃんが数人出てきたのを見たからです。

何か怪しいカバーをくぐるとまず棚にずらりと「ウニ」が。

試食できないのが残念ですがここまで来るとどれも美味しいに違いありません。

私はねっとりより粒の方が好きなので長門産の粒ウニを買いました。

食べ過ぎを避けるために1瓶のみ。

すると夫が呼びに来て引っ張っていきました。

海産物と山のものも珍しいものが沢山ありました。

魚の干物、わかめだけのふりかけは粉になっていていい香り、朝のTVで美味しいと渡辺徹さんが言っていたので早速「金太郎」も。

渡辺徹さんは市民劇場の舞台で熱演されたのを見て以来ファンになりました。声も大きくていい声、動きも太っているのに軽やか表情も素晴らしいんです。

だけど、どうしても山口の大好きなものが見当たらないんです。

外郎も美味しいですね。でも、小さい時から大好きなのは「ふく茶漬け」なんです。

それが、どこでもと言うわけにいかないので探すのですがパッケージが変わったのでしょうか。

私が生まれた津和野は島根と言うより食べ物は山口が多いのです。

と言うか母が山口県人だからでしょうか。

結構海も近く魚は新鮮、でも、練り物は萩からが多いのです。

この時期は大きな板わかめを大量に買って少しあぶってご飯に振りかけて食べます。

今は高くなってなかなか買えませんが子供達も大好きです。

私の満足した顔を見て次に急ぎます。

すると見たことのある風景と道の駅が。

ここではクジラ、イカの干物など珍しいものもありましたがお財布が寂しくなり私のカードを出すとホイホイおろしてきました。

「うちはビンボーだから」と言いつつ買い物は終了・・・ダムめぐり・・・。

しかし、あなおそろしや、小学生の女の子と何度か鉢合わせ。

おじさんだけでなく小学生にも流行っているのですね。

私は途中、山口市に行くのなら叔母や従妹に逢って母の実家を訪ねようか、はたまた萩方面なら連休に逢えなかった萩焼作家さんやお店、大好きな先輩に逢おう・・・。と、頭の中はぐるぐる回っていたけれど食い気には負けて十分満足して帰路につきました。

 


新年会

2014-01-22 | グルメ

音訳ボランティアの新年会がありました。

今年はフランス料理。

小高い所にある団地の途中、数年前に開店したのですが偶然昨年PCボランティアの仲間と食事会をしました。

個室が二部屋、昨年は和室でしたが今回は洋室。

それぞれに素敵なあしらいでちょっと優雅な時間を過ごしました。

昨年、突然体調を崩した日から初めて皆さんにお会いしました。

がん闘病中の彼女も出席しての賑やかな楽しい会でした。

フランス料理と言えば若い頃憧れて給料を貯めてはお友達や職場の人と食べに行きました。

今でも一番の思い出は広銀本店の裏にあった小さなこじゃれたお店「チューリッヒ」

毎月5~6人で予約していくのですがある日、全員にワインがふるまわれたのです。

顔を見回しても誰も注文していないのでお店のマスターの顔を見ると何とマスターの向けた目の先にシルバーグレーのオジサマがグラスを掲げてウインクしているではないですか。

まるで洋画の1シーン。

私たちもグラスを掲げて会釈をしてワインを頂きました。

50代ぐらいの素敵な方でしたよ。

私もあの世代になったらあんな人になりたいと思いつつ遥かにその年を超えてしまいました。

運よく女性の多い職場だったので先輩たちが色んな計画をしてくれて年に数回ホテルでフルコースを食べる企画でマナーもホテルの方に指導して貰いました。

私はそれまでに数回行っていたのでデザートはすばやく「バナナ」を取りましたが「りんご」を取った人はあっちへゴロン、こっちへゴロンと落としまくってホテルの人が呆れていたのを思い出します。

時に中華料理、ポリネシアン料理などおすましで食べていました。

昔のホテルは「マナー」を大事にしていてGパンは勿論、傘もダメなのに持って行った友人がいて即刻玄関に出されて、厳しかったものです。

「ブイヤベース」などは一応食べ方を聞いてよそって貰って食べて、食後にシェフが挨拶に来られてあまり食べた記憶がないというか緊張して食べた記憶ばかり・・・。

友人の一人はパンが出てきた時に「パンナイフがない」と言うと「ブイヤベースの時はこの大きいナイフでバターを塗るのよ」と言い、皆で大きなナイフでバターを塗って食べたらお店の人に「あら、ごめんなさいね、バターナイフが出ていなかったわね」と謝られて全員「赤面」

などなど昔の楽しかった出来事など思い出しつつ頂いたのでした。

久々にブログを開くと書きっぱなしの記事があったので1月後半の話ですがご勘弁を。


イカをさばく

2013-10-18 | グルメ

今日、夫がイカを貰ってきた。

つい先日も頂いたのだけれど日本海で釣り上げたプリップリッのアオリイカ。

先日は娘の家にいた時だったので患側の左手に紙の布巾を巻いたり最後は台布巾で持って調理をした。

30パイぐらいだったので10パイはお刺身用に、あとは冷凍用にして10パイは近くのボランティア仲間に取りに来ていただいた。

その方も私と同じ山陰出身なのでイカの扱いは慣れているだろうと思ったらやっぱり暫くして刺身の写真が送ってきた。

今日は12ハイだったので半分は迫ちゃんにお届け、ついでにげそを綺麗にして貰った。

 

今夜は高校生の孫が修学旅行から帰る日。

娘が忘れて美容院を予約したのでお迎えはジイジ、ご飯はバーバ。

反抗期真っ只中の孫、最近学校を休みがち、進路も決められなくて悩んでは泣いている日々でしたが大きな海外旅行用のカバンを持ってにこやかに帰ってきました。

我が家の食材持ち込みでシチュウ、鮭のムニエル、イカの煮つけと言う和洋折衷の夕食を帰る早々食べていました。

5分後に我々が帰ろうと玄関を出たら娘が息せき切って帰宅しました。

親子で仲良く食事ができてよかったなあと一安心しました。

とは言え来週から学校に行けると良いのですが進路は苦しくとも自分で決めなければ。

何も悩まずぼんやりとしていた私も色々あって進路は希望どうりに行かなくて殆ど周りのお世話になった身。

「代わってあげられないねえ」と言うのが精いっぱい。

そんなに上を望まなければどこかに入れるのに・・・なあんて思っていますが本人も親もちと違うらしいですね。

娘も反抗期が酷く色々あった身、だから失敗させたくない気持ちが強いのでしょうが子育ても頑張り、家事も頑張り学校のPTAも頑張っています。

でも、頑張りすぎはよくないなあと時折アドバイスするのですがきっとつらいのでしょう。

「あなたの頑張る姿を見ていつかきっと判ってくれるから大丈夫だよ」と、気楽な言葉をかける私ですが親の背中はきっと見てると自分にも言い聞かせています。

帰宅して夫が一言。

「今日のシチュウ、美味しかったねえ」

美味しいと褒められたことは殆どありません。

今夜は雪が降るかも。


カキ小屋

2013-03-06 | グルメ

今日はPCボランティアの仲間と「かき小屋」に行きました。

今まではオイスターバーしか行ったことが無くてワイルドなかき小屋は初体験です。

ぱちんと跳ねるたびに「キャー」と悲鳴が上がりこわごわですが焼き立てのプリップリは本当においしい。

一人が焼いて一人が食べやすく開いてくれるので私は大助かりです。

年末にはいつも宮島まで買いに来るのですがその頃よりずいぶん大きくなって私は2ラウンドでアウト。3キロくらいあったのでしょうか。3個めのかきが来た頃はもうお腹いっぱいで食べられなくて降参です。

牡蠣飯やカキフライ味噌汁、煮物と牡蠣尽くしでした。

最近は酢がきはノロウイルスが怖くて食べなくなりましたが酢がきも美味しいですね。

帰りに打ちたての牡蠣を500グラム買って帰り娘の所でカキフライにしたら大騒ぎで食べました。

さすがに私は夕ご飯は食べられなかったです。

昔、息子が帰省していた時横浜の友人が我が家に遊びに来たことがあり、「牡蠣を食べる?」と聞くと「大好き」だというので草津漁港で買ってきて牡蠣フライにしたらものすごい量をペロリと平らげ「こんなにおいしいカキフライ食べたことが無い」と喜んだことがありますが好きな人にはこの時期たまらない味ですね。

私の父も呉の海軍工廠にいたので牡蠣が大好きで津和野への帰省の時は長崎屋さんに注文して朝打った牡蠣をおみやげにしていました。

父は釣りが好きな人で魚をさばいたり料理をするので自分で酢がきにして食べていました。

今年は行けないかと思っていたのに仲間のおかげで堪能できました。

帰りはド○モショップに寄りスマホの機種変をする人を待つ間コーヒーを飲んだり使い方が判らないところを聞いたり遊んで帰りました。

さあて、明日は音訳です。