2016闘病記
長いお休みからやっと復帰しました。
今年は年初から病気続き。思うに67歳から68歳で黄泉の国に逝かれる方が多いと思っていたが(OB会の冠婚葬祭を見ていて)やはりこの坂を超えることは難しい様だ。
51歳で脳出血をして以来の病院生活が1月から今月まで続き、やっと今日退院できた。
1月に脳梗塞をしたが早く病院に行ったので2週間程度で梗塞は溶けたと報告があったけれど病院で風邪を貰い発熱して39度の日が続きなかなか体調が回復せず最悪だった。
それまでの元気はすっかり無くなり心も弱っていた。すぐに介護保険を申請し自宅でのリハを始めたが思うようになく弱った足の回復にとパワーリハに通い(よし、これで頑張れば元の自分に戻れる)と思っていた。
が、それは少々考えが甘く私には受け入れがたかったのかもしれない。
かなり焦っていたのかいつも病院病院と言っていたそうだ。体調の回復は年とともに遅いものだと今では思う。
そして、そのギャップに悩み今度は精神的にもかなり参ってしまったのか3月のとある日とうとう発狂し、自宅で友人が来るのを待ちきれなくなり夫は救急車を呼び友人に付き添ってもらって精神病院へと入院するはめに。
私はこの前後から入院して以降も全く意識が無く看護師さんや患者さんの話を聞いても(この人はどうしようもない)と思ったそうだ。
私がどんな様子だったか断片的に聞いた所「お風呂に3人がかりで入れたけど全く意識が無く重くてグニャグニャ状態で大変だった」とか「和室に全体に敷布団を敷き詰めて何故か転がりまわるので目が離せなかった」とか、(超不機嫌でご飯も食べずぐんにゃりしていた)とか他人事のように聞いた。
私の意識は半月ぐらいで少しづつ回復をはじめ断片的に思いだすが頭の中は霧で覆われ一枚づつめくられて行くのを日々感じていた。3月の終わりから連休までせん妄と言う症状に苦しんだが病院は外部との接触は禁止されており、杖歩行も禁止。何故かと言うと杖は時に凶器になりかねないと言う理由で私はいやおうなく車いす生活。
車の運転をしていたのですぐに慣れはしたものの一度乗ると一日中降りることは無く足が腫れて夜になって眠るまでにマッサージをしていた。
トイレに行くにも毎回呼び出して見守り、転ばないようにしてくれたが途中から(あぁ病気だから看護師さんにお願いすればいいことなんだ)と思う事にしたら気が楽になり、回復もかなり早くなったみたいだ。
連休中には外出し娘の所で食事をしたり、いつものイタリアンレストランで食事したりできるようになり、連休の終わりから連泊、何とかできそうだと思っていたら先日の主治医との面談で(もうそろそろ退院してもいいんじゃない?」と言われ急遽退院することにした。
今回、症状が酷かったので毎日2回面会に来てくれた夫に感謝。
病後の生活など娘が口を出してきたが何とか家族でやって行けるようにしてくれたので来週からは足の回復を目指しデイケアに行くことにした。
今回の病気は脳外科で貰った薬が原因でせん妄と言う症状が出たことを主治医の医師が早く見つけその薬の投与を辞めると同時に薬や食事など、私に合う治療法をしたのが良かったので見る見るうちに回復し、退院の運びとなった。
今までと違う治療法で今までは朝食もあまり食べなかったのが朝からモリモリ食べられる様になり元気が出てきた。と同時に弱り切った足は長くは歩けないので日々少しづつ歩行訓練をし写真を写しに行けることを目標に頑張っています。
これからは暫く写真無しの投稿になりますがどうぞ書き散らかしのブログにおいでくださいね。