初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

後半の作業

2013-01-31 | ボランティア

何だかね、年が明けると時間が脱兎のごとく過ぎていく。

1月は「行く」2月は「逃げる」3月は「去る」と母がいつも言っていたけど本当にそう。

今日、無事に1月後半のテープができ、明日はCDと共に発送する。

すると来週はもう2月前半の記事を切り抜いて調査し、読む練習をする。

その繰り返しなのに毎回読み違い、口中音などに悩まされ再録音する。

人の目を介し少しづつ完成させていく。

読み方が気に入らなければ再録音すればいいのに何とか技巧を駆使して編集する。

人が見たらおかしいだろうなと思ってしまう。

苦労に苦労を重ね挙句ごまかしてみたり「あれ?ちょっとおかしいんじゃない?」と言われるまで切ったり貼ったり。

4人いても編集しているとシーンと静まり返り黙々とキーを打つ音が響く。

早く終わればテープや発送の準備に取り掛かる。

仕事ではないけれど少しの緊張感を持って作業する。

待っていてくれる人がいる・・・それだけの事だけれどしんどくも楽しい時間である。

 


今日もボランティア

2013-01-25 | ボランティア

昨日はPC教室のボランティア、今日は音訳ボランティア。

ほかの仲間は昨日収録、今日は編集作業をして市に送付する。

私は、楽なようにと短いところが残してあった。

午前中録音し大まかに直してお弁当。

午後から本気で作業にかかったが表の読み方を大幅に変えたので移し替えがかなりぐちゃぐちゃになった。

だがそういう時にはベテランのKさんが上手く直してくれる。

言葉尻の「はぁ~」と言う息を吸う音は何とかできるが「口中音」と言う「ペチャッ」と言う音が取りにくい。

それもKさんがちゃちゃっと取ってくれる。

何とか2時過ぎにできて「みんなごめんね~待たせて」と言うと「大丈夫だよ。お疲れ~」と、言ってくれる。

最後の工程で音声インポートをするのだけれど「よし!完成」と言ってもう一度見ると最初のセクションが無い。

慌ててPC中探し、ごみ箱を見たが無い。

4人であれこれ見たがどうしても無い。

時間がどんどん経つので「こうなったらもう一度録音する」と言うと皆で取り掛かった。

最初はなめてかかってカードをコピーしてそのまま編集したので予備が無く再取り込みができなかった。

いつもはUSBにコピーして作業するのに今日は焦ったのと早くしたい一心で取り掛かった為に仲間に迷惑をかけてしまった。

反省、反省。

録音をし直すとその方が早かった。

とうとう5時になり申し訳ないなあと「ごめんね、ごめんね」と言うと「大変だったのは初ちゃんだから。お疲れ」と皆に言われ疲れは吹っ飛んだがここ3か月、どうも調子が悪い。

本当に少しは役立ってるのか足を引っ張ってるんだか判らない。

でも、落ち込まずに次はもう少し「まし」に作業して行こう。

今夜は心地よく眠れそうだ。


兄の事

2013-01-22 | 家族

いつまでも記事を更新しないでいると又テンプレートが変わってしまいますね。

今年も相変わらず忙しくボランティアをしています。

先日兄が心臓の手術をして付き添ったのですが何とか経過は順調、手術室から戻ったら食事をするほど元気でした。

私も兄も心臓が丈夫ではないので「私も兄のようになるのかなあ」とちょっぴり心配です。

父が心臓が悪くお酒など飲むとちょっと苦しそうでした。

私は今の所心臓肥大・不整脈が少し、薬を飲むほどでは無いのですが兄の不整脈は長く、大学病院で検査中に手術になりちょっと慌てました。

昨日はデパートでお寿司を買ってお見舞いに行きました。

今週はもう空いた時間が無いので今週末の退院まで行けません。

と言うことで私の兄のことを少し書いてみます。

兄とは8歳違いの私は殆ど親のような存在です。

兄は成績がとても優秀で今も思い出すのは勉強部屋で勉強している姿です。

私が小1の時、二人で留守番をしていたのですがその頃の私は何かといえば長靴を履いて兄の周りをちょこちょこついて歩いていました。

ある日、かまどで兄がご飯を炊いていました。

私は燃え尽きた残り火をいじって遊んでいましたがどうしたことかその火が長靴に入りギャーと叫んで転げまわりました。

兄が出そうとするのですがその火が足首にひっかかり靴が脱げないのです。

やっと引っ張り出した時には大きなやけどをしていてすぐに水で冷やしても良くならず今でも引きつった跡があります。

次に事件があったのも小1の時ですがこれはちょっと恥ずかしい。

当時は「虫下し」を飲んでいました。

学校で集団で飲んで次の日、お尻が妙にむず痒く兄に見てもらいました。

すると兄が「柱につかまれ」と言うんです。

お尻からどうも回虫が出てきたみたいでそれを引っ張るのですが腸に絡み付いて出ないのです。

私は懸命に柱につかまっていましたがとうとう兄が引っ張り出してくれました。

「ほーらこれみろ」と言って見せてくれたのは真っ白の大きなミミズのような虫。

ずっしりと大きな回虫、今の子供たちにはいないでしょうね。

無農薬のものを食べていたからなのかほかの人も出たのかは不明ですが兄との思い出です。

兄はきっと大学を目指していたのでしょうが就職をして家を出ました。

母が私にいつも言っていたのは「国立大学から入学してほしいと手紙が来たが父が握りつぶした」と言うことですが当時はそんなこともあったのでしょうか。

いつも兄に申し訳ないと言っていた母ですが本人は「へぇー」と過去の事には無頓着でした。

高校も地元の高校には行かず遠く山口市に通っていました。

時折勉強部屋を覗くとヒューヒュー隙間風が入る部屋で眠くなるからと火の気は全く無でした。

父は特注の大きな机を作ってくれましたが私は一日で撤退、こたつで勉強していました。

そんな兄が私にいつも言っていたのは「本を読め」でした。

勿論、本が大好きな私は学校帰りに図書館に行って沢山借りて読んでいましたが兄のお土産の本が楽しみでした。

最初に買ってくれた本は「にあんちゃん」

感動して何度も読みました。兄弟が食べていくために夜さつまいもを掘って生のままで食べるのですが「見つからないで」とひやひやして読んだものです。

今でも兄は本をよく読みます。

入院したらいつも私が数冊持っていくのですが「お前のは固くてかなわん」と言います。

兄弟げんかをするときは8歳離れていても私が勝ちます。

でも、できるだけ負けたふりをします。フフフ・・・悪い妹です。