いつまでも記事を更新しないでいると又テンプレートが変わってしまいますね。
今年も相変わらず忙しくボランティアをしています。
先日兄が心臓の手術をして付き添ったのですが何とか経過は順調、手術室から戻ったら食事をするほど元気でした。
私も兄も心臓が丈夫ではないので「私も兄のようになるのかなあ」とちょっぴり心配です。
父が心臓が悪くお酒など飲むとちょっと苦しそうでした。
私は今の所心臓肥大・不整脈が少し、薬を飲むほどでは無いのですが兄の不整脈は長く、大学病院で検査中に手術になりちょっと慌てました。
昨日はデパートでお寿司を買ってお見舞いに行きました。
今週はもう空いた時間が無いので今週末の退院まで行けません。
と言うことで私の兄のことを少し書いてみます。
兄とは8歳違いの私は殆ど親のような存在です。
兄は成績がとても優秀で今も思い出すのは勉強部屋で勉強している姿です。
私が小1の時、二人で留守番をしていたのですがその頃の私は何かといえば長靴を履いて兄の周りをちょこちょこついて歩いていました。
ある日、かまどで兄がご飯を炊いていました。
私は燃え尽きた残り火をいじって遊んでいましたがどうしたことかその火が長靴に入りギャーと叫んで転げまわりました。
兄が出そうとするのですがその火が足首にひっかかり靴が脱げないのです。
やっと引っ張り出した時には大きなやけどをしていてすぐに水で冷やしても良くならず今でも引きつった跡があります。
次に事件があったのも小1の時ですがこれはちょっと恥ずかしい。
当時は「虫下し」を飲んでいました。
学校で集団で飲んで次の日、お尻が妙にむず痒く兄に見てもらいました。
すると兄が「柱につかまれ」と言うんです。
お尻からどうも回虫が出てきたみたいでそれを引っ張るのですが腸に絡み付いて出ないのです。
私は懸命に柱につかまっていましたがとうとう兄が引っ張り出してくれました。
「ほーらこれみろ」と言って見せてくれたのは真っ白の大きなミミズのような虫。
ずっしりと大きな回虫、今の子供たちにはいないでしょうね。
無農薬のものを食べていたからなのかほかの人も出たのかは不明ですが兄との思い出です。
兄はきっと大学を目指していたのでしょうが就職をして家を出ました。
母が私にいつも言っていたのは「国立大学から入学してほしいと手紙が来たが父が握りつぶした」と言うことですが当時はそんなこともあったのでしょうか。
いつも兄に申し訳ないと言っていた母ですが本人は「へぇー」と過去の事には無頓着でした。
高校も地元の高校には行かず遠く山口市に通っていました。
時折勉強部屋を覗くとヒューヒュー隙間風が入る部屋で眠くなるからと火の気は全く無でした。
父は特注の大きな机を作ってくれましたが私は一日で撤退、こたつで勉強していました。
そんな兄が私にいつも言っていたのは「本を読め」でした。
勿論、本が大好きな私は学校帰りに図書館に行って沢山借りて読んでいましたが兄のお土産の本が楽しみでした。
最初に買ってくれた本は「にあんちゃん」
感動して何度も読みました。兄弟が食べていくために夜さつまいもを掘って生のままで食べるのですが「見つからないで」とひやひやして読んだものです。
今でも兄は本をよく読みます。
入院したらいつも私が数冊持っていくのですが「お前のは固くてかなわん」と言います。
兄弟げんかをするときは8歳離れていても私が勝ちます。
でも、できるだけ負けたふりをします。フフフ・・・悪い妹です。