最近思うんです。
8.6について。
私はここ広島に来て、何を見て、何を教わってきたか。
自分が見たり聞いたり学んだことを忘れてはいないかと。
60代になると書く力、考える力自分でも驚くほど衰えてきました。
難しい本はなるべく遠くに、読みやすい本は読んだらすぐにポイする。
特に最近の話題作などすぐに買います。読むのも直ぐに読めるのですが心に響かない。
書評など読むとそうかなあ、あんまりなあ・・・などと思ってしまいそんな、人さまの判断で「いいもの」を読んでも心に響かなければ何もならないのにと。
世の中の大半の人は「核」について8.6,8.9,3.11この時に思い出せばいいと考えている人が多いのだろうと思っています。
でも、時折「生きているうちに援護法を」と言いながら亡くなって行った先輩のこと、一緒に机を並べて仕事をしていた同僚の顔を見なくなったなあと聞いたら白血病で亡くなられていたこと、もう何十年も「反原発運動」を続けている友人のこと、少しづつかかわらなくなって「もう年取ったからいっか」と思っているのではないかと思う自分が怖くなる。
先日、とある方から上関原発に反対し、支援のカンパをと言う内容のチラシを配ってくれないかと頼まれ、夫は二つ返事で引き受けて約100枚程度配るよと即答したと言う。彼より私の方の知り合いなのに。
私はそのチラシを見てカンパ位するし手伝うからね、と言っていたのに向こうから「迷惑がかかるから」、と断ってきたと言う。
夫が「カンパは強制でもなく、もし、どんなことを言う人がいても自分で処理位できるから気にしなくてもいい」と、言ったがすでにカンパも集計して渡したと新聞に書かれていた。
私が毎年気にかけていることはネット友の産婦人科河野美代子先生たちが主催する集会に行くこと。
昔の私たちの世代色んな「セクト」と呼ぶ思想集団が本当にたくさんあり政党支持も右派左派と細かく分かれていた。
そんな中でセクト争いでいなくなった人やセクトが違っても広大全共闘の人たちの一部は良く私たちの事務所に来て討論したりしていた。
私も夫も結婚して当分は「公安」に動向を調査されていたようだが8.6の集会などは体育館へ行く途中でも右翼の街宣車にデモに突っ込まれ怖い思いをしたものだ。でも、公安が調査するほどの過激な思想も行動もしていない。
私は詩の朗読や栗原貞子さんの「生ましめんかな」を集会で歌った。
毎年8.6は特別に暑い。
でも、戦争はこんなものじゃない、大好きだった先輩や同僚が何年もの間バタバタと死んでいく。
不条理な死を受け入れざるを得ない苦しみを抱えて生きてきたのを身近で見て来て、3.11だ。
私は原発の一番の怖さは「プルトニュウム」爆弾がすぐに作れるという事。
もう一つは核のゴミの捨て場と放射能の処理が出来ないこと。
こんなに知識の浅い私でも判ることがどうして日本人にわからないのだろうという事がずっと心に引っかかっている。これは若い頃読んだ高木仁三郎氏の本で知ったことだ。彼は京都(大阪かも)で毎月反原発の各地の指導者たちと勉強会をしていました。今でも彼の遺志を継いだ人たちが各地で反原発運動を繰り広げています。
余談ですが私の息子が東京大学在学中あの「班目教授」のクラスで物理を学び卒業時に「東電しか就職先は無い」とはっきり言われたそうです。
息子に相談を受けた私は「東電に就職するなら私と縁を切って行け」と言いました。そんな大げさなと思われるかもしれませんが電力会社が憎いわけではないのですが実際島根原発にも見学に行きプルトニュウム爆弾が即座にできるような会社には絶対に行かせたくないと言う思いは息子が幼いうちから思っていました。
最近夫がダムカードを求めて田舎へドライブする事が続きました。
本当に小さな水力発電所や空き地にもソーラーが並んでいるのを見かけます。
私も電力をよく使うので大きな声では言えないが若かったら田舎の土地にソーラーを備え、小さな家を建てて暮らしたい。
祝島の人たちがお金のために二つに分かれ長い闘争を強いられるのにも我慢が出来ないのである。
そうは言っても何もできない自分に毎年8.6は重くのしかかってくる。