初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

貧乏人の銭失い

2008-07-31 | 未分類

「貧乏人の銭失い」この言葉、私の父がよく使っていました。


この言葉にピッタリのお話を聞いたのでブログネタに頂きました。


今日も粘りつくような暑さの中、パソコン教室ボランティアに行きました。


途中、にわか雨&雷でパソコンの電源を抜いて休憩、雨上がりのムシムシする中新交通で帰りました。


私の降りる駅には障害者と地域ボランテァの方が働く小さな喫茶があります。


最近そこにカキ氷のメニューがある事を知り、外出したら帰りに寄ってイチゴカキ氷を食べます。


今日はあまりの蒸し暑さにカキ氷を食べている人が数人いました。


食べていると大きな荷物を持ったおばちゃんが相席してきました。


席に着くといきなり「私アホやけど話聞いてくれます?」と言うのでうなづくと


「ビッグは凄く安いから少々遠くても買い物に行く。スーパーよりも○○が○円安い。あなたはどこで買い物してるの?」


「私は普段は近くのスーパーで歩いていける所」


「スーパーは高いでしょ。私は買い物をしたらレシートを見てどれだけ安いかちゃんとチェックして帰ってからもノートに書くんよ。」


「偉いね。私は量も少しだから、近くでササッと済ます」


「私アホやけどね、この浮いたお金でカキ氷食べたり、美味しいもの食べて帰るのが楽しみなの」


「他に安い所、ウエルに寄って、レディーに寄って7000円か8000円買って帰る」


「そんなに大きな買い物、持つの大変ね」


「ウン、タクシーで回るから待って貰って荷物を積んで帰る」


「ゲッ!タクシー??タクシー代いくらなの?」


「ま、昨日は2000円かな」


「2000円あるとまだ一杯買えるよ。そのほうが高くつくよ」


「え~と、私アホやから・・・そう?」


《正真正銘のアホやと思う(心の声)》


こういうのを「貧乏人の銭失い」と言うんだと噴出しそうになるのをこらえて帰りましたとさ。




「アサギマダラ」に逢う

2008-07-28 | 未分類


待望の「アサギマダラ」に会いに行った。


昨年は1頭だけという結果にあまり期待はしなかったが、今年も以前に比べると格段に少ない。


そして、一番好む「ヒヨドリバナ」やアザミも咲いている数が少なく山の中腹に少し群れているだけだった。



先発隊のベンジャミンのママさんから情報は貰っていたが今年はアマチュアカメラマン(だと思う)の中高年の人があちこちで群れていて車も止め難い。


おまけにカメラのモードを初めて「キッズ&ペット」連写にまでしたのに殆んどぶれていいものが無い。



時間も早すぎたのかもしれない。


あまり待ってもらえない夫を説き伏せて行ったのに残念。


今年は山の中も異常に暑く、帰ったら顔も首、背中も真っ赤に。


近々再チャレンジする積もりです。





化石のような私

2008-07-25 | 未分類

先日来娘に言われていた生協の個配。


昨日やっとホームページから資料請求のメールをしたら今日係の人が出向いて来られた。


手続が済み、「会員番号があまりにも古いので」と、話しかけられ「そう、結婚するかしないかで加入したので県民生協の時代でしたよ」と、話始めた。


「あの頃は石鹸運動に取り組んでいて、その流れで食品添加物、安心な食べ物にも関わるようになったんよ」と、私。


「大学生協も中心的な役割をしていたんですね」


「そう、大学の教授や学校の先生と講演会したり共同購入したり・・・・。今お店で売ってる無添加のウインナー、可部の福留ハムさんが研究開発して売り出す話になり、職場で共同購入を始めたのよ」


「え~、あれはまだ県民生協の時代だから生協の創世記から利用されてたんですか?」


「そうそう、そんなにまで頑張ってたのに最近、食品のチェック機能が機能してなくて信用を落としてるね」


「生協自体もそうですが組合員さんも最近は見学会の参加が少ないんです」


「私も長くいい食品を求め個人宅配してたけど年金生活には高すぎる。団体で利用する生協さんにもっと頑張ってもらって安心な食品を提供してもらわなくては困るね」


創世記の色んな話を目を丸くされて聞いておられたが「昔の話を聞かせてもらって驚きました。頑張ります」と、帰っていかれた。


障害者、高齢者、ママ割(小さな子どもさんをもたれている方)の宅配料の割引があることも私は知らなかったけど、身近なサービスの利用で夫の50肩対策が出来ればと来週から始めることにした。


しかし、自分ではついこの間だと思っていたことが、若い人から見ると「まるで化石」にも思えるような過去の事だとは・・・。


でも、話の端々では意見が一致したので中身はまだ化石化していないようです。




ゴーヤの酢の物

2008-07-24 | 未分類


昨日、花かんざしさんへのコメントで「ゴーヤ、池波志保さんがパイナップルと和えてましたよ」と、呑気に書いて


「本当に美味しいのかな?」と思い始め気になって気になって・・・


夕方スーパーに買いに行った。


小さなゴーヤ2本とパインも小さな器で売っていたので買い、帰ってからすぐに調理にかかった。


昨日は夫は月に一度の楽しみ、仲間とささやかに飲んで流川に繰り出しジャズを聴いて帰る日。


一人遊びが出来て私はとっても楽。


ゴーヤはそんなに好きな食材では無いので私はまず、表面のぶつぶつをサッと取ってしまう。


中のわたはしっかり取ってって言われたけど力不足の私はそこそこ。


かわりに薄くスライスする為にスライサーで切る。


塩をまぶし少しもみこんで苦味を出すようにしたが、ゴーヤはこの苦味も味のうちなのでしっかりと洗い流し固く絞って甘酢に入れる。


更にパインも切って入れる。


味見をしたらまずまずの味。


母が昔よく作ってくれたお汁にナスの薄切りとタマネギの薄切りを入れ一煮立ちしたら鍋を氷水に入れて冷やす。


津和野ではこれにそうめんをつけて食べていた。


母の味ってひょっこりと思い出すものです。


私は雑煮を初めとしてふるさとの味を懐かしく思い出して時々作っていたけど食文化の違う広島に嫁いでからは家族にけなされたものは作らないようにしている。


私の実家は薄味料理が多く、夫の実家は濃い料理が多い。


私は身体の為に徹底して減塩料理を作ったが家族は今も濃い味が好きみたいだ。


夫のいない日、こうして昔を懐かしみつつ作る料理は秘密の味がして美味しい。


花かんざしさんのようにセンスのいい器は無いが出来上がったゴーヤの酢の物をパチリして夕食をした。


感想は薄くスライスしたのは食べ易くて良かったがパインはもう少し小さく切って一口ごとに一緒に口に入るようにしたら食べ易いかもしれない。


そして、やっぱりこれはご飯よりお酒のつまみにピッタリ。


苦味と甘みのコラボレーションや!(彦麻呂風)


自分で作ってみて正解、これでやっとひと安心です。


自分の言動には責任を持たなくては・・・きゅうちゃん漬けのことがあるしね!




ブログコラボ「市民球場の思い出」

2008-07-22 | 未分類

私が広島に来た当事、夏になると広島の町は慰霊のための行事があちこちで行われ、夜になると紙屋町界隈はナイターに行く人とで熱気がムンムンしていた。


私の職場は市民球場の隣、仕事中に「わぁ~」と言う歓声が聞こえる程の至近距離。


煌々とライトアップした球場からは「1番バッター○○君」と言うアナウンスも聞こえ、休憩中はカープファンの人がテレビの前に釘付けになっている。


私はと言うと山陰の片田舎では「巨人・大鵬・卵焼き」がお決まりで「カープって何なん?」と言う始末。


電話の交換手にとっては毎日が平穏無事で仕事が出来れば言う事無し。


しかし、カープが負けたとなると途端に機嫌が悪くなるのがカープファンの悪い所。


やけ酒を飲んで当り散らす人もいる。


カープが負けた時に夜勤や宿直に当たったらエライ目に合ってしまう。


一度だけ友人に付き合って球場まで行ったことがある。


ある、選手のファンだという。


裏口から出てきた選手は「安仁屋選手」浅黒い顔で堀の深いいかにもスポーツ選手という感じ。


以来、職場の実業団の試合意外一度も足を運んだ事が無い。


ある日、幼馴染のNちゃんが電話してきた。


「私、カープの選手と結婚するの。結婚式に来てくれる?その前に会ってくれる?」


程なく、彼女は彼を連れて来た。


彼の名前は「外木場義郎さん」その時のお土産は「岡山のきびだんご」


「あのね、私甘いものダメなんです。これからはお菓子のお土産買わないで下さいね」


初対面でこう言ったのだが彼は遠征のたびにお菓子のお土産を買ってきてくれた。


結婚式はたしか福岡(博多だったかも)旅行好きの私は折角九州に行くのだからと大きなかばんに振袖を入れて長崎雲仙を旅して、帰りに友人と落ち合って結婚式に望んだ。


私はいつもスピーチの役目なので直前まで「何て言おうかな~」と、ぼんやりと考えていた。


大上段に構えたNちゃんは随分持ち上げられたり厳しい注文をつけられたり「何だか遠くに行った」感じがした。


自分のスピーチの順番がなかなか来ないので落ち着かなかったが見回してみると見たことのある人が沢山いることに気が付いた。


いつか友人がサインを貰いに行った「安仁屋選手」は相変わらずかっこよかった。


隣の席は「山本浩二選手」「衣笠祥男選手」・・・あとは名前と顔が一致せず殆んどわからない。


先日亡くなられた「佐々木久子さん」が「あんた達、カープの選手は独身が沢山いるからお近づきになったほうがいいわよ」と、話かけてきた。


佐々木久子さんは雑誌でも辛口の批評家で好きだったけど山陰出身の私達には全く興味が無く「カープが優勝するかどうかはあなたにかかっている」と、挨拶でN子ちゃんに葉っぱをかけたのが可愛そうで愛想よくする事が出来なかった。


他には星野哲郎さん、作詞家の石本美由起さんなどの有名人が列席、このお二人は歌を歌って祝われた。


どの方も「優勝をめざして」と厳しい注文をされ、「ひゃ~Nちゃん、大役だ。大丈夫だろうか」と思ってしまったけれど、見事に初優勝に貢献された。


結婚式が終わったら津和野の父に振袖を見せたくて、そのまま汽車に乗って津和野に帰った。


それから私も結婚し、長男がお腹にできた時に、我が家より一足早く生まれた赤ちゃんを連れて職場まで見せにきてくれた。


その後、私は夫の田舎に帰り、彼女は外木場夫人としてお互いに忙しく、病気した時だけ行き来するようになった。


最近はお互いに病気に見舞われ大変な日々だったが励ましあい、家族に支えられ外木場さんも野球学校の講師として後進の指導に当たっておられる。


先日彼女に会った時に「一度くらいブログで私達のこと書いてよ」と、言われてしまった。


それは、又次の機会と言うことで市民球場の話、横道にそれてしまった。




「勝手ケガレ」

2008-07-22 | 未分類

今日は午前中レンジフードの掃除に来てもらった。


今まではダスキンさんにお願いしていたが、今年はマンションお勧めの業者さんの料金と比べて安い方にお願いしてみた。


業者さんは私と同年齢のご夫婦。


作業の仕方が判らないので全部お任せにしてパソコンをしていたがお昼近いので様子を覗くとまだまだの様子。


レンジフードだけかと思えばガスレンジも、おまけに魚を焼く所も出して掃除している。


奥さんの方は流しをゴシゴシ・・・・これはちょっとどうなのかなあと思って話しかけてみると、とても気さく。


でも、掃除の道具の事までは言えなくてお任せしてしまった。


ガスレンジも分解して中もピカピカ。


私も毎日磨いてはいるけど左手は力が弱く、汚れが落としきれない。


気持ちよく落としてもらっておまけに「奥さん、綺麗にしてると思うわ」と言ってもらった。


最近は「激落ち君」とやらが出て、磨き粉も控えめ、掃除が楽になったのでチョコチョコと拭いているのが良かったらしい。


「激落ち君」は、洗面所、トイレにも置いて、行ったついでにさっと磨くといつも綺麗に出来る。


だけど、煮こぼれなどのこびりつきは頑固で、私には難しい。


ウンウンうなりながらしていると「わざとらしい」と、嫌味が聞こえるし、「じゃお願い」と言うと「50肩だ」と言って逃げられて放っていた。


これまでも、週一回ヘルパーさんに来てもらって時々台所を綺麗にしてもらったり、掃除機をかけてもらったりのヘルプをしてもらっていたが、やはり、自分の思うようにはいかない。


1時間30分の間に30分~40分の買い物か散歩で殆んど時間が無くて掃除機はガーと大急ぎでかけねばならない。


そうすると角角がこすれて傷んでくる。


もう今では諦めて自分が掃除機をかけても引きずりまくり、あちこち傷が出来ている。


友人からも「勝手ケガレ」何て異名を頂いている私。


少々の事は目を瞑り、出来る事だけして・・・・と、言いつつ今日も腕や肩が可愛そうな状態に。


夫のように汚れを「見ない」物も「片付けない」掃除も「しない」性格になりたいものだと思いつつ、なれない自分に少し歯がゆい思いをした一日でした。


終わってから冷たく冷やしたコーヒーで休んでもらって、帰られたらお昼をかなり回っていました。


これで、今年の夏は気持ちよく過ごせそう。


ちなみに、元気な頃の私の趣味はべたべたのレンジフードを綺麗に磨く事でした。


社宅は、意外にカビだらけの風呂、べたべたの台所があり、結構楽しませて貰いました。


母からの教え「来た時よりも美しく」この刷り込みは消えないものですねえ。




暑中見舞い

2008-07-21 | 未分類


夏本番が来ましたね。


最近は、珍しくなくなった熱帯夜。


今年は例年よりクーラーの出番が多いです。


日中は風が通り、何とかクーラーなしで過ごせるけど、人が増えたり、凪の時間になるとピタリと風が収まり蒸し暑くなる。


夏休みになった孫達と田舎へ行った。


田舎の家は屋根が広く、陽射しはしっかり遮ってくれるのでしのぎ易い。


大人は思い思いの場所で午睡を楽しむが子供達は元気で走り回り、水遊びやお絵かきをして遊ぶ。


持ち帰った道具を広げ、拓本の取り方を教え、裏から色を入れていく。


濡れている間にちぎってはがきに貼り完成させるのだが、学習能力の高さでは負けてしまう。



あっという間に個性的な作品が出来上がってしまう。


下の子はまだ色を入れるよりは拓本の材料を探すのが楽しいらしく、色々な植物を採集してくる。


私もいちごの木を一本貰って試してみたがクリアーには取れない。


 



今日は6人に暑中見舞いを出した。さて、誰が誰か・・・・。


来てからのお楽しみ!




ネット友と

2008-07-16 | 未分類

梅雨があけた。


たしかに・・・風がそよそよと入り始めた。


今日はネット友のベンジャミンのママさんとパソコンの勉強&打ち合わせ。


公民館のホームページの模様替えについて相談を聞いてもらったり、進捗状況を見てもらったり、やっと進むべき道が見えてきた。


彼女はいくつもの顔を持ちながら、いつも同じ態度で接し、ポイントを抑えて指導してくださるので私にとっては「救世主」だ。


以前は自分の勉強不足の為に不安だったり、新しいことにチャレンジするにも勇気がいったけど、じっくりお付き合いをする内に自分にも自信がつきむしろ新しいことにチャレンジすることが楽しくさえなった。


これからのボランティアについても将来的にどうするかと言うことを聞いたら不安も消えた。


夕方5時までみっちりと、勉強したらやる気が出てきた。


パソコンの前に座るとあっという間の時間、これからは思い悩む時間も無くテキパキと出来そうだ。


今度は友人に習った事を教えてあげよう。(嬉しいことはおすそ分けです)




ブログコラボ「我が家のエコ対策」

2008-07-15 | 未分類

最近国を挙げて「エコ・エコ」と騒々しい。


随分前にホームページで書いていたので引用しながら書いていきたい。


スローライフ・スローフード


もったいない


数十年間自分なりにして来たつもりだが果たしてこれで良かったのか。


しかし、「継続は力」子どももいつもエコバックを大量に持ち歩いています。


少しは親の背中見てくれているのか・・・。




「コネ」は嫌い

2008-07-14 | 未分類

連日、大分県教委問題が新聞、テレビを賑わしている。


一時「聖職者」だと言われた教師集団が我が子の為にこうまでも盲目的になるのか。


誰しも我が子は可愛いし、コネを使ってでも「良い職場」へ入れてあげたいと言う思いは持っていると思う。


しかし、地位を利用して採用をコントロールする事により優秀な人材が配置されなかったかもしれない。


テレビの前で小さくなってお詫びを繰り返す「親達」を見て子供はどう思うのか。


私が思うに「教師」と言う仕事は美味しい仕事なのであろう。


でなければ、子どもにも、とは思わないであろう。


教師の中には子どもと向き合って苦心惨憺されながら教職を遂行されている人もいるだろう。


テレビ画面を見て「本当にこの人たちは教師として職務を遂行されていたのだろうか」と、思いが巡った。


実はまだ子供達が小さかった時、嫌な出来事があった。


一年間営業訓練に行けるという施策があり、労使の話し合いで応募者の年齢順に1名だけ営業で働ける。


私も子供達の為に応募した。


いくら祖父母がいても一週間に二日の夜勤や宿直は可愛そうだ。


数年間、順番に出て行き、次は自分の番だと思って 待っていたらある日自宅に電話がかかった。


「君より若い人なんだけど子どもさんが小さいし、お宅は祖父母もおられるので代わってあげて欲しい」


上司からの電話に私はがっかりした。夫に言うと「来年させてもらえばいいから代わってあげなさい」と言う。


私は泣きたい気持ちを抑え了解した。


反論するだけの口も持っていたし、理由も年齢順で決まっているのだから押し切れないことも無かった。


だけど、その人も今困っているんだろうなと顔が浮かんできて断れなかった。


次の日、係長が真っ赤になって怒っている。


「これまで年齢順に行使したのにどうして断ったんだ。自分は納得出来ないから話し合いどうりにしてくれ」と言う。


私は「祖父母がいるし、来年出来ます」と言ったのだが次の年は職場の統廃合で昔の職場に逆戻り、結局転勤後に転職願いを正式に出して転職した。


その後、その時の配転には上司からのコネで、上司が困り、私に直接電話をして代わらせたのだと聞き、とても嫌な気分になった。


コネを使わずに私と話し合っていたらどんなにか気持ちよく出来ただろう。


たった一人の人がルールを守らない為にそこで泣く人もいる。


とは言え、私も「初ちゃんはお兄さんのコネで転職したらしい」と、長く言われ続けたが、それだけ、コネがまかり通っていたのかもしれない。


夫も仕事関係のお中元やお歳暮は送り返す人だったから私達は付き合いにくい人だったかもしれない。


でも、こんな人だったからこそ、私もついてきたのかもしれない。


この事は私の一つの「トラウマ」として、時折不愉快になる。


徹底して膿を出し「コネ」の温床を作らないように追求して欲しい。