初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

イズモコバイモとユキワリイチゲ

2015-03-19 | 写真

今日午前中は内科で薬を貰い、娘の着付け用の腰ひもを買いにデパートに行きその足でふと息子に随分前に頼まれていた用事を思い出し田舎へ。

大学を卒業し、院を変わる時大量の本が出て来て「この参考書は高価だったので後輩にあげようと思うので田舎に送ってくれと言うので値段を見たら1万円とかいてあったので仕方なく段ボール一箱送っていたのです。

数年前「あの段ボールどうするの?」と聞いた所「え!何の話?」と言うのでいつか処分しなくてはと思っていた。

彼は物理を専門にしていたので物理の関係の専門書だと川本にある専門店に持って行こうとネットで検索したら友人の家の前だった。

早速帰り、二階から転がすように持って降りた夫が箱を開け一冊づつ出してみると何と音楽関係の本ばかり。

そう言えば転居の時来てくれた友人たちが「君、ギターしてたの?一度も聞いたことないから弾けないんだろ。弾けないものは捨てちゃえ」と半ば強制的に捨てられていたのを思い出した。

半分以上が楽譜や音楽関連の本で物理の本は沢山なかった。

「げっやっぱり大ほら吹きだ。これじゃ売るほどないじゃないか」

と夫と大笑いした。

でも、「新聞にイズモコバイモがヒヨドリに食べられて減ったと書いてあるから行ってみようか」と言ってくれたので薄暗い天気だったが行ってみた。

確かにかなり打撃を受けて減っているし花が小さい。イノシシが掘ったような跡もある。

雨上がりで誰もいなくてひっそりしている。

地元の方は随分がっかりされていることだろう。

先日写しに行ったがこれも葉が枯れていたユキワリイチゲ

 


春の始まりに

2015-03-17 | 思うこと

昨日、久しぶりに田舎に行ってきました。

親戚に行ったのですが留守で畑を覗いたらルバーブが数個芽を出していました。

周囲をぐるりと草を抜いて土をほぐしてやりました。

昨年一年間、心身ともに疲れ土いじりも田舎の家の保守もできず厳しい寒さに震えていました。

何も意欲が出ず、大切に育てていた庭の山野草もススキが生えてめちゃくちゃでした。

それを見ていたら心の中を風が吹いて行くような寂寥感を覚えました。

 

今年の春先は寒くて、先日セツブンソウなど見に行ったのですが足がこわばり写真どころではありませんでした。

夫がもう少し暖かくなってでいいじゃないかと言うので仕方なく帰りました。

帰りに目的なしにドライブしていたら山の中で行き止まりになりました。

私の気持ちも下降気味でしたので思わず本音が出ました。

「あのう、今年から無駄に走り回るだけなら私はもう着いて行きたくないんだけど・・・。」

「ああそう、それなら俺も今度から花を撮りに行くのは連れて行きたくないから。花は嫌いだ」

それきり二人とも黙って帰りました。

言わなきゃ良かったかな?

でも、自分を押し殺して生きるより自己主張も言って気持ちよく生きたいなと思っていたので言ったらすっきりしました。

毎月のガソリン代、高速代は結構馬鹿になりません。

それがいつも目的なしに走り、結局帰ってからの食事の支度が遅くなり食事をしてお風呂に入るとバタンキューなので朝起きて片付けることも度々なのです。

夫は花が嫌いだと言います。

私も若い頃は好きでなく友人を連れて行っても全く興味が無いので「へぇ~」と思っていただけでした。

でも、病気をして目線が下がり、山野草やひなびた風景が好きになり、写真の手ほどきを受けて撮って見たら意外と楽しくて少しづつ好きになりました。

人様の写真を見るのも楽しくなり少々無理でも中腰で写したり、寝転がって写したりも楽しくなりました。

でも、寒さや場所によっては出来ないこともあるのです。

上手に写せなくてもいい、挑戦してもっと上手になりたいなあといつも思います。

車の運転は夫が決して許してくれませんでした。

きっと、無理にでも撮影に出かけて大変なことになっていたかもしれません。

だから、最初の頃は「はいはい」と言ってどこでも連れて行ってくれたのです。

段々私が思いどうりにするようになったので面倒になったのだと思います。

夫が反論したのも無理はないと思いつつ次の手を考えています。

でも、帰宅して美味しい夕食を作ったらすぐに冷戦は終わりました。

 

春は足早にやってきます。

色んな人に「花を写しに行く時連れて行ってね」と言っていますが女性はあまりカメラが好きな人はいません。

まだまだ上手く写せないし、自分で勉強するのもたいぎい。

自分勝手な私に少々呆れてもいます。

でも、花見には行こうね~と言ってくれる人がいるので次は桜かな?

早く一人でお出かけできるくらい暖かくならないかな?

 


春が来た!

2015-03-07 | 家族

我が家にやっと春が来ました。

半分登校拒否状態だった孫が愛媛大学に合格しました。

一年前、全く想像すらできなかった結果で昨日電話がかかった時には鬼の目にも涙でした。

昨年1月に我が家に預かり半年くらいまずは進級のために学校へ通わせようと思ったのですが朝起きられない日が続き心療内科で「抑うつ状態」だと診断され夕方になると起きられるので起きられたら通学するようにと診断書を書いてくれました。

でも、夕方から起きて来ても一向に行かず学校からは「出席日数が足らないので進級できませんよ」と言われ担任の先生が毎日のように電話をしてきました。時おり先生と話すことがあり何かのイベントには時折行くようになりました。3月31日小さな声で「進級できたよ」教えてくれた時にはホッとしました。

それから暫く順調に行き始め学校へ行くと7時まで学校で、以後は公民館で勉強するようになり10時までいて、歩いて帰宅するので帰ってから食事をして寝る日が続き始めたのでいいのかな?と思っていましたがやはりジージの送りが無いと行けないのです。

その内、娘の家族に大変な出来事が起こり、2カ月間我が家で6人で暮らしました。

1か月後、私が倒れ食事もできなくなりおかゆしか喉を通らず孫が手伝うようになりました。

お料理もやらせれば上手にでき、洗濯物を干したり、畳んだりしますが部屋の片づけはいくら言っても出来ませんでした。

その内、娘が近くのマンションを借りて出て行くと言うので引き留めたのですが「ママと一緒にいたい」と出て行きました。

でも、引っ越しの朝も起きられず夕方まで寝ていたのですが引っ越しの支度も誰も手伝わなことにして待っていましたが夜遅くまでかかりやっと支度が出来ました。

その時の苦しむ様子が私も夫も見ていられず引き留めたのですが帰っていく後ろ姿は親子で楽しそうに妹弟はお姉ちゃんにぴったりとくっついています。

それから暫くは学校へ行くようになったのですが突然行けなくなりかなり休んだので親子で話し合い退学届を出しに行きました。

もう仕事先も決めていたそうです。

帰宅したのは夜の11時ごろ。

二人とも笑顔で肩を組んで・・・

何があったのか聞いたら担任と孫、娘は学年主任と教室も別々で話し合いをしてできうるかぎり頑張ってみると言う結論になったそうです。

孫には担任から「僕も母子家庭で育った。本来は大学院に行きたかったけれど母ががんを発症したので教師になって戻ってきた。君は力があるから国立大学に行って全国から来た人と出会い変われるから頑張ってほしい」と言われ娘は学年主任に「実は僕の妻はうつ病なんですが理解するのに8年かかった。もっと娘さんのことを理解してあげて欲しい」と言われ説得されたそうだ。

それからは、体調が悪い日は我が家で休む、体調がいい日はジージが送っていくようになった。少しづつ回復して自転車で通えるようになった。

と思って安心していたら学校から電話「今日、お孫さんが来ていない。センターの申し込みの締め切り日なので探してください!」と先生の悲鳴のような電話。

すぐに行ってみたらどうも人の気配があると帰ってきた。

可笑しいけれど朝、みんなで出て暫くして自転車からベランダに入り寝ていたらしい。

う~んと考えて「行く気分になったらジージにメールをしなさい」とメールをして私たちは遊びに行った。

すると4時ごろ「ジージ、学校へ行きたいんだけどいいでしょうか?」とメールがあり無事センター試験も申し込むことが出来た。

ただ、休むと一日中眠っているので勉強はいつしているのかな?と思っていたがセンター試験の1週間前から試験の前日まで学校を休んで毎日我が家で眠っていた。

こうなると私たちもどうにも出来ないので放っておいた。

でも、当日は行ったときいたので安心していた。

三者懇談があり戻った娘はにこにこしている。

「受験は愛媛大学一本」

「あら?北海道大学諦めた?」と、聞くと「あれでA判定が出たから愛媛大学にして北海道大学は諦めた」と言う。

娘は飛行機も宿も仕方なくすべて申し込んで用意していたが体調を崩したとき駆けつけられないし、落ちると後期は難しくなるので心配していた。

本人もこれで満足しているし、何より担任の出身校なので喜んで受験に行った。

行きも帰りも「ママは着いてこないで」と言ったそうで人が変わったみたいで娘は少し寂しそうだが本来の孫は活動的で自力で何でもしてきた。

だが、かといって人間すぐに変われるものじゃないので私たちも娘も一抹の不安が残る。

ここ数年の娘家族の変化に付き合わされた私たち、今の暮らしが落ち着いて続けばいいなあと思っている。

娘はまだ大変なことが続くかもしれないがいざという時にはフォローできればと体調の管理に励んでいる。

時おり孫たちが「おばあちゃん、コロッケ作って」とか「ハンバーグが食べたい」とか言ってくるが働き始めてからから食事と家事はおろそかにしない娘。

料理も上手で私は温めるだけの手伝いだけだったが今は若い人の料理が食べられない。

でも年々増える時間外の時には私が作る。

ボケ防止にお料理は良いと聞いた。

年度末で時間外が増えた娘の役に立てば・・・それと忘れた料理や新しいお料理にもチャレンジしてみよう。

まだまだ珍事件がいっぱいあったけれど終わり良ければ・・・二人の先生の計らいに感謝して終わります。

長文読んで頂き感謝します。