我が家にやっと春が来ました。
半分登校拒否状態だった孫が愛媛大学に合格しました。
一年前、全く想像すらできなかった結果で昨日電話がかかった時には鬼の目にも涙でした。
昨年1月に我が家に預かり半年くらいまずは進級のために学校へ通わせようと思ったのですが朝起きられない日が続き心療内科で「抑うつ状態」だと診断され夕方になると起きられるので起きられたら通学するようにと診断書を書いてくれました。
でも、夕方から起きて来ても一向に行かず学校からは「出席日数が足らないので進級できませんよ」と言われ担任の先生が毎日のように電話をしてきました。時おり先生と話すことがあり何かのイベントには時折行くようになりました。3月31日小さな声で「進級できたよ」教えてくれた時にはホッとしました。
それから暫く順調に行き始め学校へ行くと7時まで学校で、以後は公民館で勉強するようになり10時までいて、歩いて帰宅するので帰ってから食事をして寝る日が続き始めたのでいいのかな?と思っていましたがやはりジージの送りが無いと行けないのです。
その内、娘の家族に大変な出来事が起こり、2カ月間我が家で6人で暮らしました。
1か月後、私が倒れ食事もできなくなりおかゆしか喉を通らず孫が手伝うようになりました。
お料理もやらせれば上手にでき、洗濯物を干したり、畳んだりしますが部屋の片づけはいくら言っても出来ませんでした。
その内、娘が近くのマンションを借りて出て行くと言うので引き留めたのですが「ママと一緒にいたい」と出て行きました。
でも、引っ越しの朝も起きられず夕方まで寝ていたのですが引っ越しの支度も誰も手伝わなことにして待っていましたが夜遅くまでかかりやっと支度が出来ました。
その時の苦しむ様子が私も夫も見ていられず引き留めたのですが帰っていく後ろ姿は親子で楽しそうに妹弟はお姉ちゃんにぴったりとくっついています。
それから暫くは学校へ行くようになったのですが突然行けなくなりかなり休んだので親子で話し合い退学届を出しに行きました。
もう仕事先も決めていたそうです。
帰宅したのは夜の11時ごろ。
二人とも笑顔で肩を組んで・・・
何があったのか聞いたら担任と孫、娘は学年主任と教室も別々で話し合いをしてできうるかぎり頑張ってみると言う結論になったそうです。
孫には担任から「僕も母子家庭で育った。本来は大学院に行きたかったけれど母ががんを発症したので教師になって戻ってきた。君は力があるから国立大学に行って全国から来た人と出会い変われるから頑張ってほしい」と言われ娘は学年主任に「実は僕の妻はうつ病なんですが理解するのに8年かかった。もっと娘さんのことを理解してあげて欲しい」と言われ説得されたそうだ。
それからは、体調が悪い日は我が家で休む、体調がいい日はジージが送っていくようになった。少しづつ回復して自転車で通えるようになった。
と思って安心していたら学校から電話「今日、お孫さんが来ていない。センターの申し込みの締め切り日なので探してください!」と先生の悲鳴のような電話。
すぐに行ってみたらどうも人の気配があると帰ってきた。
可笑しいけれど朝、みんなで出て暫くして自転車からベランダに入り寝ていたらしい。
う~んと考えて「行く気分になったらジージにメールをしなさい」とメールをして私たちは遊びに行った。
すると4時ごろ「ジージ、学校へ行きたいんだけどいいでしょうか?」とメールがあり無事センター試験も申し込むことが出来た。
ただ、休むと一日中眠っているので勉強はいつしているのかな?と思っていたがセンター試験の1週間前から試験の前日まで学校を休んで毎日我が家で眠っていた。
こうなると私たちもどうにも出来ないので放っておいた。
でも、当日は行ったときいたので安心していた。
三者懇談があり戻った娘はにこにこしている。
「受験は愛媛大学一本」
「あら?北海道大学諦めた?」と、聞くと「あれでA判定が出たから愛媛大学にして北海道大学は諦めた」と言う。
娘は飛行機も宿も仕方なくすべて申し込んで用意していたが体調を崩したとき駆けつけられないし、落ちると後期は難しくなるので心配していた。
本人もこれで満足しているし、何より担任の出身校なので喜んで受験に行った。
行きも帰りも「ママは着いてこないで」と言ったそうで人が変わったみたいで娘は少し寂しそうだが本来の孫は活動的で自力で何でもしてきた。
だが、かといって人間すぐに変われるものじゃないので私たちも娘も一抹の不安が残る。
ここ数年の娘家族の変化に付き合わされた私たち、今の暮らしが落ち着いて続けばいいなあと思っている。
娘はまだ大変なことが続くかもしれないがいざという時にはフォローできればと体調の管理に励んでいる。
時おり孫たちが「おばあちゃん、コロッケ作って」とか「ハンバーグが食べたい」とか言ってくるが働き始めてからから食事と家事はおろそかにしない娘。
料理も上手で私は温めるだけの手伝いだけだったが今は若い人の料理が食べられない。
でも年々増える時間外の時には私が作る。
ボケ防止にお料理は良いと聞いた。
年度末で時間外が増えた娘の役に立てば・・・それと忘れた料理や新しいお料理にもチャレンジしてみよう。
まだまだ珍事件がいっぱいあったけれど終わり良ければ・・・二人の先生の計らいに感謝して終わります。
長文読んで頂き感謝します。