やっと食欲が戻ってきたと思ったら今度はアレルギー症状。
先週のHP反省会で信州の実家から戻ってきた仲間と錦糸卵、山芋、ねぎ、大根おろしなどの薬味を持ちよりお昼に食べた。美味しくて私は3杯も食べてしまった。
その後二人の若い職員さんを呼んでみんなで「食べろ食べろ」と。
今回は女性の職員さんが転勤して今は男性ばかり。
まるで息子か孫のような存在。
館長さんも今年は若くそんなに愛想が良い方では無いが先日も例年どうり「ボランティアさんへの感謝の食事会」と称し、男性全員でひとしなづつ作って会を催してくださった。
蕎麦を食べた夜からあごのあたりが痒く次の日の朝から目の上が腫れはじめあごの下も広がり始めた。日曜日、お岩さんのようになり月曜日に皮膚科に行くと「顔湿疹」かな?と言われ塗り薬を下さった。
が、どんどん酷くなるので火曜日に友人から聞いた皮膚科に行くととてもてきぱきと指示され「取りあえず血液検査をして異常があれば電話をしますので大きな病院に行きなさい」とのことだった。
そして、前の病院より強い薬、その後、中。弱と言うふうに塗り、かゆみ止めの薬を処方された。
今日一日待ったが電話が無く、きっとアレルゲンが判ったのかもしれない。
孫の二人もアレルギー体質で畳がダメ。常に薬を持ち歩いている。
私のアレルギー歴も結構大変だった。
最初は息子が生まれて一か月丁度に田舎の風習で「名つけ」と言うのがあり、親戚や近所の人など五〇人くらいのお客をすると言うので床上げ直ぐに三日間掃除や食事の支度までまるで結婚式のような準備をした。
若い私は毎晩深夜まで作業をして当日はくたくたになっていた。
そして、酒宴が始まったが途中からおかしいなと思っていたら悪露と言う再出血があり心臓が悪くて代わりに来ていた兄が片隅に呼んで「お前、顔が真っ青じゃけどだいじょうぶか?」と聞いた。
私はしんどいとは思わなかったが近所のおばさんが「顔色が悪いから二階で寝ていなさい」と言うので横になっていたら姑さんが来て「よそから応援に来て貰っているのだから頑張って起きなさい」と言う。
そうして深夜にやっと終了。
次の日、片付け自宅に帰ると体中に発疹が出始め発熱し始めた。
皮膚科に行くと即入院。
夫は一か月の息子にミルクを飲ませ、お風呂 に入れ、おむつを替え、昼は義姉に預け、夕方は連れに行ったらご飯も食べずに帰って育児、家事をしたそうだ。
私は1か月入院し完治しないので退院し毎日注射に通い、人に勧められ漢方薬局に相談に行った。
漢方薬は新薬と飲んでも大丈夫だそうだが何しろ手がかかる。
育児休職を取り殆ど私の闘病ではあったが飲み始めて半年した頃治ってきた。
医師が「今回は治ったが年取ったり、体が弱ったら又アレルギー症状が出ることがあるから疲れすぎないようにね」と言った言葉はいつも気になっていた。
そして、二度目は脳出血の後遺症の視床痛。
倒れて三年目ぐらいだろうか。
リハビリをしたり、身体を動かすと何とも言えない痛みが体中に走りがまん強い私がとうとう根を上げて「死にたい」とか「お父さん会社を辞めて私の傍にいて」と、言い始めた。
それは言葉で言い表せない痛みで本当に私も参った。
その頃、我が家に来ていたヘルパーの友人が「夫が俺のことはいいからできるだけ付いていてあげなさい。ご主人はやめたらいけん」と言われ時間がある限り我が家に来てくれた。
数年たって「あの頃ドアの前で開けるのが怖くて見ていられなかった。もう、目が死んでいていつ自殺するかと思った」と白状して「そうだったん?ありがとう」と言って二人で笑いあったことがある。
毎日「イタイイタイ」「死にたい死にたい」と言う私に夫もさぞ苦しかったろうと今は感謝です。
その時、薬学に変更した息子が「お母さん世界中探したけど痛みを消す薬は無いよ。頑張って痛みを克服して生きてくれよ」とメールをしてきました。
そして、入院していた脳神経外科に行って相談したら「そうだよ。無いんだよね。でも、視床下部が切れた人は多くの人が後遺症で同じような障害が出る。消すことはできないが和らげる薬がある」と言うので心療内科の先生に言うとそれならうちにもあるよ、とすぐに処方して下さった。
なるほど、痛みが少し和らぎ多少楽になった。
次の日、むすめたちが暮らしていた芦屋市に遊びに行った。
到着して暫くして胸のあたりが痒い。
娘が近くのお医者さんに連れて行ってくれた。
すると、一目見て「薬疹ですすぐに帰りなさい」と言われ帰宅したらあっという間に全身に広がり毎日点滴と薬で半年通った。
その時、大きな病院で行くべきだったのに家庭医に行ったばかりに半年かかった。
そして、今回はそうならないようにと思ったが夫の弟の薬剤師がすぐに調べてくれたが「薬ではないような・・」と、言い、薬学博士を持っている息子に相談すると「薬は害も多いから薬を減らしてくれる医師を探しなさい」とのこと。
孫たちも頑張っている。
私も負けずに頑張って行こうと思っている。
今は夫もいるので心強い。