初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

アレルギー

2014-11-12 | 日記

やっと食欲が戻ってきたと思ったら今度はアレルギー症状。

先週のHP反省会で信州の実家から戻ってきた仲間と錦糸卵、山芋、ねぎ、大根おろしなどの薬味を持ちよりお昼に食べた。美味しくて私は3杯も食べてしまった。

その後二人の若い職員さんを呼んでみんなで「食べろ食べろ」と。

今回は女性の職員さんが転勤して今は男性ばかり。

まるで息子か孫のような存在。

館長さんも今年は若くそんなに愛想が良い方では無いが先日も例年どうり「ボランティアさんへの感謝の食事会」と称し、男性全員でひとしなづつ作って会を催してくださった。

蕎麦を食べた夜からあごのあたりが痒く次の日の朝から目の上が腫れはじめあごの下も広がり始めた。日曜日、お岩さんのようになり月曜日に皮膚科に行くと「顔湿疹」かな?と言われ塗り薬を下さった。

が、どんどん酷くなるので火曜日に友人から聞いた皮膚科に行くととてもてきぱきと指示され「取りあえず血液検査をして異常があれば電話をしますので大きな病院に行きなさい」とのことだった。

そして、前の病院より強い薬、その後、中。弱と言うふうに塗り、かゆみ止めの薬を処方された。

今日一日待ったが電話が無く、きっとアレルゲンが判ったのかもしれない。

孫の二人もアレルギー体質で畳がダメ。常に薬を持ち歩いている。

私のアレルギー歴も結構大変だった。 

最初は息子が生まれて一か月丁度に田舎の風習で「名つけ」と言うのがあり、親戚や近所の人など五〇人くらいのお客をすると言うので床上げ直ぐに三日間掃除や食事の支度までまるで結婚式のような準備をした。

若い私は毎晩深夜まで作業をして当日はくたくたになっていた。

そして、酒宴が始まったが途中からおかしいなと思っていたら悪露と言う再出血があり心臓が悪くて代わりに来ていた兄が片隅に呼んで「お前、顔が真っ青じゃけどだいじょうぶか?」と聞いた。

私はしんどいとは思わなかったが近所のおばさんが「顔色が悪いから二階で寝ていなさい」と言うので横になっていたら姑さんが来て「よそから応援に来て貰っているのだから頑張って起きなさい」と言う。

そうして深夜にやっと終了。

次の日、片付け自宅に帰ると体中に発疹が出始め発熱し始めた。

皮膚科に行くと即入院。

夫は一か月の息子にミルクを飲ませ、お風呂 に入れ、おむつを替え、昼は義姉に預け、夕方は連れに行ったらご飯も食べずに帰って育児、家事をしたそうだ。

私は1か月入院し完治しないので退院し毎日注射に通い、人に勧められ漢方薬局に相談に行った。

漢方薬は新薬と飲んでも大丈夫だそうだが何しろ手がかかる。

育児休職を取り殆ど私の闘病ではあったが飲み始めて半年した頃治ってきた。

医師が「今回は治ったが年取ったり、体が弱ったら又アレルギー症状が出ることがあるから疲れすぎないようにね」と言った言葉はいつも気になっていた。

そして、二度目は脳出血の後遺症の視床痛。

倒れて三年目ぐらいだろうか。

リハビリをしたり、身体を動かすと何とも言えない痛みが体中に走りがまん強い私がとうとう根を上げて「死にたい」とか「お父さん会社を辞めて私の傍にいて」と、言い始めた。

それは言葉で言い表せない痛みで本当に私も参った。

その頃、我が家に来ていたヘルパーの友人が「夫が俺のことはいいからできるだけ付いていてあげなさい。ご主人はやめたらいけん」と言われ時間がある限り我が家に来てくれた。

数年たって「あの頃ドアの前で開けるのが怖くて見ていられなかった。もう、目が死んでいていつ自殺するかと思った」と白状して「そうだったん?ありがとう」と言って二人で笑いあったことがある。

毎日「イタイイタイ」「死にたい死にたい」と言う私に夫もさぞ苦しかったろうと今は感謝です。

その時、薬学に変更した息子が「お母さん世界中探したけど痛みを消す薬は無いよ。頑張って痛みを克服して生きてくれよ」とメールをしてきました。

そして、入院していた脳神経外科に行って相談したら「そうだよ。無いんだよね。でも、視床下部が切れた人は多くの人が後遺症で同じような障害が出る。消すことはできないが和らげる薬がある」と言うので心療内科の先生に言うとそれならうちにもあるよ、とすぐに処方して下さった。

なるほど、痛みが少し和らぎ多少楽になった。

次の日、むすめたちが暮らしていた芦屋市に遊びに行った。

到着して暫くして胸のあたりが痒い。

娘が近くのお医者さんに連れて行ってくれた。

すると、一目見て「薬疹ですすぐに帰りなさい」と言われ帰宅したらあっという間に全身に広がり毎日点滴と薬で半年通った。

その時、大きな病院で行くべきだったのに家庭医に行ったばかりに半年かかった。

そして、今回はそうならないようにと思ったが夫の弟の薬剤師がすぐに調べてくれたが「薬ではないような・・」と、言い、薬学博士を持っている息子に相談すると「薬は害も多いから薬を減らしてくれる医師を探しなさい」とのこと。

孫たちも頑張っている。

私も負けずに頑張って行こうと思っている。

今は夫もいるので心強い。

 


エディオンスタジアム

2014-09-23 | 日記

 

今日は台所仕事が沢山あってお昼はどうしてもパスタが食べたくてお友達に貰ったニンニクとトウガラシで作った

計って二人分だと思ったけれど量が多く、食べたら二人とも寝てしまい3時ごろ起きて「食べて寝たら最悪、どこかへ運動に行こう」と出かけた。

夫は府中のイオンモールに行こうかと言ったけれど暑くも無し、昔リハビリにしょっちゅう通っていたエディオンスタジアムに行った。

今日は紅葉もまだ、花も無く中途半端で子供連れが多かった。

病気をして初めて来たときに見上げたらため息が出そうなくらい遠く感じたが今日は空を見上げたり、子供たちが遊ぶのを見たり余裕で登った。横の道には椅子があり休むこともできる。

夫はリハビリの進度に合わせいろんな場所を見つけてきた。

最初はアルパークの近くの社宅だったので時間があればアルパークに連れて行って貰った。

顔見知りの店員さんが声をかけてくれてエスカレーターの練習もさせて貰った。

先生の指導とはちょっと違ったけれど入院中にもうできるようになった。

その次は廿日市のさくらぴあ。

2階は絨毯が敷いてありてすりもある。

ぐるぐると歩き転んでも怪我はしない。夫は私を殆ど介助したりしない。

自分の行きたい所に行きながら時おり様子を見に来る。

夫の現役中はデパートに行き服も良く買ったが今は欲しい服が余りない。

ただ、靴だけはどれでも、というわけにいかずどうしても無駄に買ってしまう。

最近は大きなスーパーに買い物を兼ねて行くようになったがこれも少々飽きてきた。

とはいえ以前は隣の駅まで歩いていたので涼しくなったのを機に始めなければ。

ヘルパーさんが来られていた頃もアストラムに乗る 練習で何度か通ったなあ。

雨が降り始めたので大急ぎで車に戻り帰宅した。


何を「とる」べきか?について

2014-08-10 | 日記

ここ数日、体調がよくなってあちらこちらし始めた。

まず、急に「コストコ」に行きたくなり夕方から行くとかなり品薄。

でも、入ってすぐに目についたのがオーブントースター。

5000円ちょっとでかなりたくさんの機能があり我が家の汚くて何の機能も無いトースターもいい加減買いなおそうと思っていたので「よし、娘にも」と思って電話したら「色が白じゃないといらない」そうな。

最近の家電こんなに安いのかしら?

でも、夫が絶対「いつも俺が一人で持つんよ。考えてくれよ」と言うかと思ったのにさっさと籠に入れました。

娘が「せっかくだからパンは〇〇、ついでにピザはチーズ・・・etc。

結構買ったので息子たちに贈ろうと嫁に電話すると孫は病気も治り何でも食べられるようになったとのこと。

しかし、午後から市民劇場がある。

昨夜残っていたさつまいもを総動員してオーブンで焼き芋にしていた。

が、それ以外にこれと言ったおかずも急には作れず、TVで見た「土用シジミの雑炊」を作ろうと頂いた太田川シジミをゆでておいた。

でも、その前にどうしても病院に薬を取りに行かねばと出かけた。

帰宅して色んな人に市民劇場に行かないかと誘ったが皆用事があるらしい。

う~んと悩んだ末にやっぱり自分のためにと市民劇場に行くことにした。1時~4時過ぎまで中身の濃い小松座の芝居。

ミュージカル仕立てではあったが井上ひさしさんの作品は最高だ。

名前は聞いたことがある大正期に活躍した「吉野作造」と全く逆の仕事に就いた弟との話を面白く対比させてミュージカルにすると言う思ってもみなかった手法で、長時間ではあったが私の心には響くいい作品だった。

色々したいことはあるがこれからも「自分」にとって一番「ためになる」選択をしていこうと思った。

さて、戻ってからちょこちょこと孫用に作り、前日田舎から送ってきた大量のトウモロコシやあちこちこち遊んだ先で買い求めたものなど入れ、コストコのヨダレカケ(使い捨て)がご要望だったのでそれを入れると入らないものがあったけど運送屋に行くと7時はとっくに過ぎ9時前だった。

9時発送だと翌々日の朝に着く。

やきもきしたが今朝届いたと電話があった。

孫は保育園に行き始めたそうで名前を呼ぶと「はい!」と大きな声で返事をするようになっていた。

両親は心身ともに弱い両親だが孫は病気も何のその大食いの元気者だそうだ。

やんちゃな顔が浮かびこちらも嬉しくなった。

いつまでできるのだろう~と思いつつ電話を切った。

 

 


やっと・・・

2014-07-18 | 日記

コメントを頂いたりアクセスして頂いたりしていたのに長い間放りっぱなしにして申し訳ありません。

1月から預かっていた不登校気味の孫は7月から何とか休まずに学校へ行けるようになりました。

5月の連休から次々に家族に不幸が続き孫たちも大変な時期でしたがもう暫くすると落ち着いてくることでしょう。

私の悪い癖、障害を持ちながらも頑張りすぎること

何度注意されても治らず自分でも呆れ果ててしまいます。

6月の終わりにはご飯や家事もできなくなり家族にもとても心配をかけました。

未だ食事はおかゆを食べていますが少しやせてちょうどいいスタイルになりました。

家族だけでなく今日は友人ご夫妻に新鮮なハーブとトマトを頂き病院から帰っておやつ代わりに夫と二人で食べました。

夕食は若い人向きにカレー、私は貰ったトマトとハーブをヒントにミネストローネスープにしました。

どちらにもハーブとトマトをたっぷり入れ先日作ったかぼちゃ料理の残りのかぼちゃを皮をむいて入れたら好評でした。

やはり、野菜は元気が出ます。

だって、やっと重い腰が上がりブログを再開できましたものね。

ありがとうSちゃん、ご主人様。

明日もまだまだトマトを食べて元気になりますね。

食べた後でラタツユ用に買っていたズッキーニを入れるのを忘れていた事に気が付きました。

そうそう、いつもより大きく切ったミネストローネスープも結構いけました。

明日の朝は冷たく冷やして頂く事にします。

この2カ月間の生活、私にとっては過酷でしたがよく頑張ったなあと思っています。

早朝起きてすぐにコーヒーを沸かし、3つのお弁当を作り(昔から当日に作る)冷たい麦茶を3つのポットに入れる。

家族が食事をし始めると洗濯機、3度回します。

7時30分になるとほとんど出て行きます。それから食事(牛乳とヨーグルト、果物)

それからBSで朝ドラを見ながら洗濯物の手アイロンかけ。

終わると前日の洗濯物たたみ。

夫も手伝うようになりましたが手アイロンは出来ません。

でも、重いので運んでくれるだけでも楽です。

2月から始まったマンション工事のおかげでカーテンを閉めて家じゅうに洗濯物の山。

台所をかたずけているとお昼。

適当に食べると横になってお昼寝。

運動不足なのでどこかのスーパーに行きぐるぐる歩く。

しかし、半身不随の私には少しづつ疲れが溜まり、夕方には起きられなくなり孫に頼んで食事を頼むようになりました。

孫は朝は起きられなくても夕方にはしゃんとするので三角結びなどは上手にできます。

おかゆが作られない夫の代わりに義姉に頼むととても柔らかくて食べやすい。

作り方を聞くと「電気釜におかゆと書いてあるの知らなかった?」と聞き夫が早速チャレンジすると美味しいおかゆが作れます。今でも毎日ごはんとおかゆを交互に焚いています。

7月に入り娘たちが自立を目指して引っ越して行きました。不登校だった孫も必死に着いて行き今は一度も休まず行けるようになりました。

一時は退学届を出しに行ったのに二人の熱血先生に説得され学友たちにも励まされたのか毎日11時近くまで勉強して帰宅(娘が迎えに行っていると思う)

朝も前日に「ジイジ明日もお願いします」とメールが来たら送っていきます。

あと少しで自転車通学できるといいなと二人で話しています。

先週末はボーイスカウトにも復活、夏休みのキャンプを楽しみにしています。

受験生になると殆ど休むのに不思議な子です。

と、少しづつ歯車は回り始めたのに体調はこれでもかと私を押さえつけていたのですが部屋のレイアウトなども変え気分も帰ることにしたらいい方向になるかな~と希望をもって生きることにしました。


地震

2014-03-15 | 日記

夜中2時過ぎの地震、怖かったです。

目が覚めてトイレに行きドアを閉めた瞬間横揺れが来て便座に座ることもできなければ足を取られ棚にしがみついて「怖いよ~助けて」と思わず叫んでいました。

ピーと言うエレベーターが止まる音がし、暫くして救急車の音がしました。

この辺りは毎晩救急車や消防車は走るので慣れていますが地震の後は不気味です。

足の震えが収まらずTVをつけると広島放送局の様子が映し出され4~5だと言っています。

台所はガラス製品が割れ、突っ張り棒の小物かけが倒れ私は近寄れないので放置して眠ることに。

PC机の部屋をのぞくと本がバッサリ気持ちよく落ちていて母の写真立はわれてしまいました。孫の部屋を覗くと平然として毛布を掛けて勉強中です。

夜食事の時に聞いたら「芦屋ではいつも訓練していたから箪笥が倒れんように支えていた」と言います。学校ではそう教えるんでしょうか。

震災の後神戸に引っ越したので「神戸はこんなものじゃないと聞いた」と。訓練をしたり震災の話も沢山聞いて育ったので私たちよりどっしりと構えています。

数時間後、数日後に余震があるからそれを気を付けなければいけないと孫からアドバイスを貰いました。

今日一日エレベーターは止まったまま。

ICTボランティアに行くために9階から降りました。

帰ったときは回復していたので楽でした。

3.11を忘れるな!私にはどうしても天からの声に聞こえます。

東北はこんなものじゃないのですから。

そうそう、物資援助した東北の方からお見舞いメールが届きました。

嬉しかったですよ。


熊谷守一展

2014-03-11 | 日記

大好きな画家熊谷守一の展覧会に行ってきた。

これまで広島ではなかったのではないだろうか、年が明けて展覧会の開催を知って心がうずうずとしていた。

ここ数年、ボランティアが忙しく美術館に行く時間が無かった。

行かないと自然に興味が薄れていく。

今日は夫が病院に行くと言うので急きょ一人で出かけた。

あちこちに電話して友人を誘ったが今回はだあれもつかまらず一人で行った。

朝早く行ったら幼稚園生が団体で来ていた。

あとは静かで一人ゆっくりと堪能した。

守一を知ったのは絵手紙を習っていた頃。

モリカズ様式と言われるオレンジ色の線で絵を際立たせる手法が面白く見ていると今にも動き出しそうな存在感のある絵が印象的で忘れられなくなり本屋に画集を買いに行った。

私には高すぎて買うのがもったいなくてネットからコピーしてはそれをじっと見ていた。

心が落ち着き不思議な安堵感があった。

今回初めて生の絵を見て私は驚いた。

それは主に晩年期のモリカズ様式の絵の色だ。

鮮やかで色が奇麗だったことだ。

初期の油絵は暗く色もはっきりしない絵が多いが年とともに鮮やかさが増し絶筆とされるクロアゲハとフシグロセンノウの絵は本当に奇麗だった。

一人だと休んでは観、観ては休むを繰り返し帰るころには結構な人出になっていた。

以外にも若い男性も結構いた。

猫の表情が面白く座り込んで観ていたら一人の女性が声をかけて来て隣りへ座りおしゃべりを始めた。

一匹の猫を「ウシか?」と聞くので「猫だと思うよ。だって、猫ばかりでしょ」と言うと納得した様子。

「守一さんが盲目の猫を可愛がっていたのは有名な話だし」と、いうと「実は私はこの画家をはじめて知った」と言う。

それから延々と自分の母親の介護のことを話した。

それで絵を見に来て心をはらしているのだと。

美術館でおしゃべりをするのはためらわれたが黙って聞くだけの心はきっと守一の絵から影響を受けたのだろう不思議にいつまでも聞いていられた。

やはり画集は買わずに絵葉書だけ買って帰った。

参考までに

http://www.tsukechi.co.jp/


心臓検査その後

2013-11-25 | 日記

検査に行ってきました。

二つの検査なのに8時半~12時近くまでかかりちょっと疲れましたが結果は心臓に今の所緊急の異常が無く安心しました。

が、心臓バクバクの症状は改善せず依然やや自宅安静を保っています。

心臓でないとすれば精神的なもの・・・自律神経が乱れたのでしょうか?

更年期のような症状だけど年齢的にそうではないのでやはりストレスなのでしょうか。

何年も苦しんだのは下痢や吐き気便秘などを繰り返す過敏性大腸炎。

体重が40キロ台になり殆ど寝ていました。

食べることが怖い毎日は思い出すとぞっとします。

それは押し花サークルの仲間と美瑛に研修に行ったときにあっという間に回復に向かい少しづつ快癒していきました。

その後、不眠や不安症状、焦燥症状など色々出てきて本当はどこが悪いのか判らない日が続きました。

心にゆとりを持とうと映画を見に行ったのですが結局立ったり座ったり・・・なんのこっちゃと言う日もありました。

それがやっと普通に生きられるようになったと思っていた矢先心臓バクバクの症状に。

最初検査に行った病院の医師は「うつでこんな症状が出ることもあると思いますよ」とも言われた。

だが、自宅にいると大丈夫と言う事も無く昨日はエスカレーターを降りようと思ったら突然ドキドキし始め顔は真っ赤になった。

すぐに椅子を捜しじっと通り過ぎるのを待つと10分位で落ち着いてきた。

明日は主治医に結果を報告に行く。

どんな対応をされるのだろう。今かかっている心療内科の方がいいかもしれない。

一難去って・・・の心境。


心臓検査

2013-11-09 | 日記

先日から心臓バクバクが続いている。

友人の勧めで今日は専門医に行ってきた。

我が家の近所の主治医は「大した不整脈ではない」との診断で、それよりも私の性格を責められた。

処方された薬や注射では症状が収まらないと訴える私の言葉は全く聞こえないらしく大きな声で叱責される医師の言葉を聞いて看護師さんも「最初から感じていたけど何でも自分が先頭に立ちたい性格だからやりすぎるんじゃないの?もっとおとなくしていなきゃ」と言われた。

今まで体調を崩すと何度となくいわれるので私も耳にタコができて半分くらいしか聞かないけれど今回はそれを見越して「少し忙しくし過ぎで疲れました。だから、ボランテァは全部休みました。」と最初に言ったけれど「ほれ見たことか」とまくし立てられるのには少々うんざりした。

おどろいたのは処方された薬が不整脈の薬では無くて精神安定剤。

私は家族が全員心臓病を患っていること、兄は不整脈でペースメーカーを付けたことも心配だと言ったが多分耳に入っていないと思う。

だから、自分で検査に行かなくちゃと思っていた。

が、検査に行きたいと言うと以前も激怒され、私が以前かかっていた病院に胃カメラや腸ファイバーを受けに行ったら全く無視されことあるごとに「勝手な人だ。人の言う事を聞かない頑固な人だ」とレッテルを貼られた。

だが、我が家から一番近く、ずっと通っているのであまり変わりたくは無い。

出来るだけコミュニケーションを取り関係が悪化しないように心掛けてきたが貼られたレッテルはどうもはがせないらしい。

しかし、今日行った心臓外科の医師や看護師さんの態度は全く違った。

診察は本当に丁寧で言葉も紳士的、心配しないようにと気配りをされ看護師さんは笑顔で接し、安心して検査を受けることができた。

心電図は異常があったがエコーでは異常が無くポルター心電図を取るために24時間身体に装着している。

今の所、あまり大きな発作が無く記録すべきことも無いが「年のせい」で済むことを願って今夜は寝苦しさをがまんしなくては。

それにしても、こんなに長く「あなたは頑固で勝手で言うことを聞かない人だ」と決めつけられると本当にそうなのかなあと思うようになった。

人さまから見ればそうなのかと思うけれど夫や娘からも時々きつい突込みがあるので本当の自分はそうかもしれないと思うことにした。

娘や夫にも「何でも一生懸命やりたがる。我儘だ」と言われるのでボランティアの送迎や通院などできるだけ自力でするように心がけているがそれも強がりに見えるらしい。

私の心の中が見えるなら見て欲しいと思うがコミュニケーションとは難しいものであると思う一日だった。

 


自宅で食事

2013-10-10 | 日記

娘が早退してPTAに行くので孫守りは休み。

午後からPC教室なので午前中早めに食事作りに取り掛かった。

最近はお肉類があまり欲しくないのでどうしても質素なものになる。

鍋の残りの白菜で甘酢和えをして、あらめにニンジンや油揚げなど入れて一品。

どちらも素朴で「母の味」がする。

私はどうも乾物があるとすぐに使ってしまう癖があり、高野豆腐や切り干し大根、切昆布などはあっという間に使いすぐに無くなる。

今思うと私の母がいつもこまめに作っていたのだと思います。

主菜が無くてこんな副菜ばかりの食事も多々ありますが今日はコストコで買ったプルコギビーフに野菜を入れて炒めて食べました。

プルコギビーフは一皿買うと多いので半分は娘宅へ。

あとは少しづつ冷凍して野菜と共に食べますが今までは国産牛肉しか食べなかったのに意外と柔らかくて美味しいので時折食べます。

薄味が好きな私には濃い味付けなので野菜をプラスするとちょうどいい味になり簡単なのでいつも冷凍しておきます。

関西や九州に比べると少し狭いように思うのですが見て歩くだけでも運動になるので平日に遊びに行くことがあります。

時折思いが違い失敗のこともあります。

「酢漬けニシン」があるのをネットで知り偶然瓶詰があるのを見つけ買って帰ったのですが私の食べたものとは味や鮮度が違いちょっと残念でした。

私はいつも「アンデルセン」で買っていたので新鮮でとても美味しいのです。

1瓶が量が多いので暫くは頑張って食べなくては。

娘に色々手ほどきを受けながらコストコ暮らしになってしまいましたが大量に買って少量づつ使いまわすのも大分上手になりました。

今回息子たちが帰ってきた時も「お母さん、あまり手をかけなくてもデリカを買ってくればいいよ」と言われ午前中お寿司やパエリア、鳥足など買ってきたら本当に楽でした。

内心は自分で作る方が美味しいと思ったのですが大量に作るのは大変なので人が集まる日はさっと買って済ませ平日は冷凍庫から色々出して惣菜を作るとその方がお互いに楽のようでした。

でも、大量に買うと言うことはそれなりにお値段も高くなり来月の支払いが怖いなあと思っています。

今回は友人に「息子さんにどうぞ」と言って貰った「香茸(こうたけ)の塩漬け」があったので香茸むすびを作ったら嫁ともども美味しい美味しいと食べました。

友人によると一袋5000円位したそうです。

田舎にいた頃義父が山から大量に採ってきて塩漬けにしていました。

私は一度で大好きになり息子は遠足の度にお結びにして持っていきました。

今は採れないのでしょうね。本当に高くなりました。

まだまだ頂き物の鮎もあったのですが機会が無く鮎飯にでもして送ってあげようと思っています。

栗は剥くのが難しいのですが栗ご飯も一度するくらい剥いていたので子供たちも大喜びでした。

もう一度くらい栗剥きにチャレンジして今度は鶏肉と一緒に煮込んで食べたいなと思っています。

 


忙中閑あり

2013-08-06 | 日記

フウロソウとオミナエシ

随分ご無沙汰をした。

7月から音訳の講座が始まり人数が少ない分一人何役もしなければいけない。

私は殆ど言われた事しかしないできたがここまで減ると何もしないわけには・・・。

募集は20名位を予定していたのに5人の応募だった。

講師の先生によると「最近は応募がめっきり減った」とおっしゃる。

巷では手芸から教養講座まで幅広いカルチャー教室が花盛り。

地味ーな「音訳ボランティア」を希望する人は少数派なのか。

講師の先生も今回は初めてだけどとてもいい授業をしてくださる。

二人の講師で最初にアナウンサー出身の方から発声の基本を2コマ。

次にベテランの先生から音訳の実践についてビシビシと。

最初の授業で「難しいので私はどうも・・・」と言われる方が出てきて少々焦ったが「先輩」の私もできないことが続々なのでちょっぴり恥ずかしい面も。

私にとっては本当にありがたい講座でできないことの復習で多少はましな読みができるようになれば・・・と心ひそかに思っている。

年齢も私より若くやる気満々の方ばかり。

そのうち教えていただくことになるやも。

まだまだ9月まで続きます。

後半3回はみんなで役割分担をして講座をします。

 

月初めはちょっと時間が空きPCボランティアも少し楽。

外国に旅していた人や信州の実家に戻っている人など色々だったが「今回は芸北にでも行きましょう」と、他のクラスのおじ様に運転手をしてもらってアサギマダラを見に行こうと急きょ決めて女性4人+男性1人高原を目指します。

八幡高原に着いたらまずはお食事。

いつもの喫茶が休みなので茶屋に入り田舎定食を食べた。

天然のクーラー。気持ちのいい風が窓から入っていつまでも居たい気分。

マツムシソウが1輪だけ咲き初めていたが今年は極端に少ない。

暑さのせいかどこへ行っても花が少ない。

8月に入るとアサギマダラは旅立ってしまうので期待はしなかったが2頭だけ見かけた。

沢山いる時と比べ落ち着いていないので初めて見たという男性が懸命に頑張るのを待って尾崎沼へ。

私は以前ハスを撮りに行ってうずまったことがありパス!

あまり収穫が無くみんなすぐに戻ってきた。

おじさんとおばさん、賑やかにおしゃべりもカメラもと高原を走り回りまるで少年少女のように。

クーラーの中でじっとしているよりよほど良い一日を過ごした。

おじさんも趣味が一緒だと楽しく遊べるものですね。

高原はもう秋の花です。

これから続く猛暑も高原の風を思い出しては頑張ることにします。