夢の中と言っても可笑しくないほど更新をさぼっていた。
夢のように楽しい出来事も無く,かと言ってもったいぶるほどの記事があるわけでもない。
書くことはそんなにおっくうでもなく「好きだ」
カウンセリングのごとく自分の想いを整理できるから不思議と言えば不思議。ブログは自分史のように覚書程度しか思っていないし何とも不思議な作業なのだ。
今日は息子が何を思ったか海外出張の報告と写真をメールしてくれたのでこれを材料に書いておこうと思ったから。写真はストックホルムの風景。
毎年、この時期に海外出張がある。大抵はヨーロッパ、またはアメリカ、両方の時もある。
薬の研究職なので他の科学者とおなじように「学会」というらしい。
彼は最初は宇宙に興味を持っていて「素粒子」などと言う私には理解できない研究をしていたように思っていたが途中から薬に興味を持ち大学も薬学を学ぶために資格を取ったと言っていた。私だといくら興味を持っても大学に入り直すなんて思いもしない。私の息子とは言っても価値観が偉い違うものだ。きっかけは何なのか、何処に魅力があるのか、何時か聞いてみたいと思っている。
今の彼があるのは嫁や息子の存在が大きいと思うがいつも口癖のようにいっているのは「守るべき人がいる」ということ。
私の夫もそんなことを思っているのだろうか。
私はそんな大きな考えは無くて娘を育てる時に苦しんでカウンセリングなどの力を借りたりしたので、それの延長で心理学、カウンセリングを学んで何かのボランティァに役立つかな?くらいの考えしかない。
人それぞれだがお恥ずかしい限りの考えしかない自分にも呆れてしまう。
それでも、6年間カウンセリングスクールへ通ったことは自分の宝だと思っている。
時には有名人が「講師」としてやって来る。
私がもっとも嬉しかったのは「北山修」さんである。
ドキドキして講義も何となくふわふわとして聞いていたが一冊だけ買った本は最初から最後まで解らなくてとうとう最後は私の友人が持って帰ってしまった。折角並んで書いて貰ったサイン入りなのに。
北山修さんの講義は言葉とカウンセリングと言うテーマでやはり作詞をされる方なので当たり前と言えば当たり前だ。
私はどうしても言葉を交わしたくて「先生は歌手として舞台に上がることはあると思いますか?」
勇ましく手を上げて聞いた。
すると、頭を振りながら「君たちはすぐにそういうことを言う。復帰は無いと思うがまるでないとは言えない。何故かというと今もクライアントさんはお年の方が多く急にTVで歌っている僕を見たらきっと混乱されると思う。僕は医師として生きていこうと決めたのでもう舞台には立たないつもりだから期待しないでくれ」
私はがっかりしたがその日からあまり時を経ずして彼はBSのフォークソング特集に出ていた。
きっと当時の同期の人たちは「ウソツキ」と思ったことだろう。
あとは「日野原重明さん」
体型は80歳くらいで動きもゆっくりだったが抗議の間は座られることが無く行ったり来たりしながら独特のトーンでお話しをされる。そして必ずこう言われる。
「眠い人は眠ってしまってもかまいませんよ。ただし、いびきは抗議の邪魔ですから出て貰います」
私はいつもこの言葉に甘んじてぐっすり眠っていた。
日野原先生には「死生観」を学んだと思う。
亡くなった人との別れはきちんとしておくことだと。
どんな別れ方でもいい、きちんとけじめをつけるようにと。
その為には「葬式」「しのぶ会」などの儀式をして故人との別れをする事。
今はほんの少ししか覚えていないけど6年間は通った。
お元気そうで何よりです。
毎日猛暑の日が続いていますね。お家でゆっくりされるのが一番ですよ。
実は私は暑いのが好きなんです。みんなからげーと言われますが病気をする以前から寒いのが苦手で寒くてちじこまっているより暑い日差しを浴びてるほうが好きです。
だから、猛暑にも関わらず出歩いています。そのためにスクワット20回はかかさずしています。今年は啄木鳥にも良く行きました。家の中はあまり暑くなくて風が北から吹いて寒いくらいにヒンヤリしています。