大分城というより府内城と呼ぶほいが地元の方には分かりやすいようで…
確かにね、名門守護、大友氏の居城は豊後国府内。
現在ではこの若干の石垣と櫓だけが残り、中は駐車場になっています。
大友氏が島津氏に敗れ、その後関ヶ原後に入封された竹中重利というからあの半兵衛さんのの子孫ですかね、が完成した遺構だそうです。
いやー、この日は暑かった^^;
この辺りの地名は荷揚町、以前は海がこの辺りまで入ってきていたから、は現地店の人間の説明ですが海からそこそこ離れているロケーション、本当かな?
戻ってのwikiによれば、確かにこの辺は船の荷役を行なっていたので荷落と当初呼ばれ、
その後語感が悪いからと現在の地名になったのだとか。
訪問に先立ち寄ったランチのお店の女将によれば、この堀に掛かる「廊下橋」がピクチャレスクだとか。
確かに…
寛保3(1743)年に天守など焼け落ち、その後再建されなかったとか。
この廊下橋は1996年の再建。
そしてお堀の様子です。
まあ太平楽でしたなあ〜