基本花目当て、本堂には上がらず… となりました。
北の門から入って、嵐山正面から出るまで、一連拝見した綺麗な花々をご紹介:
足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
が由来ですから、相当の怨念と治国を願ったものであることは間違いない。
名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。
そうです!
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。
成程、大きなお寺である訳です…
文安の火災と応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまで復興できなかった。その後秀吉の朱印を受けて順調に復興するが、文化年間に被災、この再建途中の元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失した。
それから再び今の姿へとなったようですが、往時の1/10の境内の様です。
キリが無い中、次第に桜ゾーンへ…
山の上へ上がって、嵐山方向を見下してみます。
これがこの日のベストショットかな??
これは「多宝殿」、昭和9年建立とか。
後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、前に拝堂をもち、後ろの祠堂とを相の間でつなぐ。入母屋造の屋根とも調和し、中世の貴族邸宅を思わせる。
です。
著名な天龍寺第8代管長である関牧翁老師が揮ごうした扁額があります。
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。
中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。
であります。
この2~3枚目は庫裏。
庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せる。白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で天龍寺景観の象徴ともなっている。
のだとか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます