さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日本書紀 神功皇后紀を読んでみる3

2016-11-29 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

前回は神功皇后、おきながたらしひめのみことは、それはそれは美しく、叡智、聡明な方でいらした

という冒頭の部分を読んでみました

早速続きを読んでみましょう


「九年春二月足仲彥天皇崩於筑紫橿日宮時皇后傷天皇不從神教而早崩以爲知所崇之神欲求財寶國是以命群臣及百寮以解罪改過更造齋宮於小山田邑

三月壬申朔皇后選吉日入齋宮親爲神主則命武內宿禰令撫琴喚中臣烏賊津使主爲審神者因以千繒高繒置琴頭尾而請曰「先日教天皇者誰神也願欲知其名」逮于七日七夜乃答曰「神風伊勢國之百傳度逢縣之拆鈴五十鈴宮所居神名撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命焉」亦問之「除是神復有神乎」答曰「幡荻穗出吾也於尾田吾田節之淡郡所居神之有也」問「亦有耶」答曰「於天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神有之也」問「亦有耶」答曰「有無之不知焉」

於是審神者曰「今不答而更後有言乎」則對曰「於日向國橘小門之水底所居而水葉稚之出居神名表筒男中筒男底筒男神之有也」問「亦有耶」答曰「有無之不知焉」遂不言且有神矣時得神語隨教而祭」




 仲哀天皇のご即位九年、春二月に天皇が(足仲彥天皇・たらしなかつひこのすめらのみこと)が筑紫の橿日宮(かしひのみや)で崩御された。

そのとき、皇后は天皇が神の言葉に従わなかったことで早く亡くなられたことに心を痛め、仲哀天皇を祟った神を知り、あらためてその言葉を聞き、御自ら、財宝の国を求めようと思われた。

そこで群臣と百僚(官僚)にお命じになられ、世の罪を祓い、過ちを改めて、さらに斎宮(いわいのみや)を小山田邑(おやまだのむら)に造らせられた。

三月一日、皇后は吉日を選んで斎宮にお入りになられ、御自ら神主となられた。

武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を呼び、審神者(さにわ・神託を聞き、その意を解す人)とされた。

そしてたくさんの織り物を、琴の頭と尾のところに供え、神に尋ねて言われた

「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて頂けますか。」


七日七夜たって、ようやく答えがあった。

「神風(かむかぜ)の伊勢国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮においでになる神、名は撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)である。」

烏賊津使主(いかつのおみ)は尋ねた。

「この神の他にまだ神はおいでになりますか?」

答えがあった。

「旗のようにたなびくススキの穂のように現れ出でた吾は、尾田の吾田節(あかたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である」と。

また尋ねた。

「まだおられますか?」

答えがあった。

「天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神(あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)がある」 と。

さらに尋ねた。

「まだおられますか?」

答えがあった。

「いるかいないか分からない」と。

そこで審神者(さにわ)烏賊津使主(いかつのおみ)は言った。

「今、お答えがなくとも、後にまたおことばがあるようなことがありましょうか?」

答えがあった。

「日向国(ひむかのくに)の橘の小門(たちばのおど)の水底にいて、海藻(かいそう)のように若々しく生命に満ちている神、名は表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)の神がいる。」


「ほかにまだおられますか?」


「あるかないか分らない」


ついに、神がいるとは言わなくなった。

その神の言葉をうけ、教えられたままに祀った。


香椎宮 「橿日宮(かしひのみや)」の伝承地


簡単解説

冒頭の「仲哀天皇の崩御」ですが、仲哀天皇紀には、天皇が「西の宝の国(朝鮮)を治めよ」との神のおことばを信じず、無視したために急死したというようなことが記されております。病死のようですが、別説には、日本武尊(やまとたけるのみこと)を父とし、武人でもある?仲哀天皇が熊襲(くまそ・大和に従わない九州の勢力)征討のさい、敵の矢で射たれたというものもあります。いろいろ妄想膨らみますが、それは妄想的歴史探訪の方でいずれ


神がかりした神功皇后と審神者(さにわ)烏賊津使主(いかつのおみ)の掛け合いのシーンですが、ここは神がかりした皇后御自らお尋ねになられているとする訳者もいらっしゃるようです

神がかりした皇后が御自ら神のおことばを語り、御自らお尋ねになるってのも変な感じですが、もしそうであったなら

「まだおられますか?」

「〇〇である」

「まだおられますか」

「いるかいないか分からない」

実際は命懸けのシーンなわけですが、誠に不敬ながら神功皇后がちょっとかわいらしく思えてしまいます

小平次は実はこののちの新羅征討に向かう勇ましいシーンも好きですが、この神との掛け合いのシーンも結構好きなのです

現れた神は諸説ありますが

撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)は「天照大神様」(異説あり)

尾田吾田節之淡郡所居神はいろいろ説がありますが、土地の神様でしょうか

天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神(あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)は出雲で有名な「事代主神」

表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)は「住吉三神」

このあたりのことを神話としてではなく、現実的な事件として考えると、またまた妄想が膨らみますが、それはまた別の機会で

では今日はここまでで

ありがとうございました




御免!





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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 2

2016-11-23 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

始めて見たいなと思います


前回プロローグで申し上げたとおり、あまり学術的にどうこうではなく、ただ一日本人として感じてみる、そんな感じでやっていきたいと思います


日本書紀 巻第九 神功皇后

氣長足姫尊 神功皇后

「氣長足姬尊稚日本根子彥大日々天皇之曾孫氣長宿禰王之女也母曰葛城高顙媛足仲彥天皇二年立爲皇后幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」


訳文

「オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后)は、ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト(開化天皇)の曾孫のオキナガスクネノオオキミの娘である 母をカツラキタカヌカヒメという タラシナカツヒコノスメラミコト(仲哀天皇)の即位2年のときに皇后となった 幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」



簡単解説

氣長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)とはもちろん神功皇后のことです

これまでご紹介してきたとおり、皇太子であらせられた応神天皇のご即位が西暦390年、古事記崩年干支からおそらく夫の仲哀天皇の崩年が、西暦362年と推測されますので、その翌年からが神功皇后の執政開始と考えられます

「氣長氏(オキナガ氏」とは一応名門氏族と言われておりますが、これについてもあーでもこーでも諸説ありすぎるので、そうなのか、と読んでおきましょう

小平次が何より心惹かれるのは、やはり

「幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」

のくだり

「幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」

後に雄々しく男装し、海を越え新羅征討に向かわれる古代の超スーパースター、スーパーヒロインはやはり「聡明にして叡智」かつ「美しい」方でなくてはなりません

「父もいぶかしがられる」

というのは「宇治谷孟」先生の「全現代語訳・日本書紀」(講談社学術文庫)など、ほかのいくつかの訳書にも見られる表現ですが

「異焉」

とは、「他と異なる」という意味に対し「焉」によって疑問文のような意味合いになっているようです

ですので他の訳文を見ますと

「父も不思議に思うほど」とか「父もあやしむほど」

というものもあります

小平次としてはこの

「いぶかしむほどの美しさ」

という表現が好きですね

「いぶかしむ」 → 「不審に思う、あやしむ」

といった意味ですが、何も「自分の子ではないのでは?」的なことではなく、子供離れした落着き、賢さ、驚くほどの美しさ、それがあまりにも人とかけ離れたものであったため、うれしいような反面、父としていてもたってもいられないような不安、心配、のような感情がにじみ出ているように思えるのです

さて、その美しくも聡明、時に雄々しくもあった神功皇后

この後、どのように我が国の「君」として歩まれるのでしょうか

また次回、続きをご一緒に読んでみましょう


御免! 


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「日本書紀 神功皇后紀」を読んでみる プロローグ

2016-11-14 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

進めてまいりました「妄想的歴史探訪」でありますが、前回、古代日本は朝鮮半島の三国

「高句麗」 「百済」 「新羅」

に対し、時に軍事侵攻、大規模な戦争など、積極的に半島の国々への干渉をしていたようであることを述べました

特に「新羅」に対しては、朝鮮の史書「新羅本紀」に王都金城が八度も「倭軍」の侵攻を受け、包囲された等の記事を見つけることができます

「王都」まで外国の軍隊が侵攻してくる、尋常ならざる事態ではないでしょうか

例えば日本において、あの「元寇」のさい、元軍が京の御所の間近まで大群で押し寄せて来た、となっていたら我が国の歴史上、これまで以上に大変重大な事件として認識されることになっていたでしょう

というより、その後のわが国の歴史は一変していたかもしれません


金城までの侵攻に至らないものでも「倭軍が東海岸に侵入した」というような記事も数多あるわけです

こんなにも日本が新羅へ侵攻した理由はなんでしょうか

その妄想についてはいずれまたお話させて頂きたいと思っておりますが、最も単純な理由としては、新羅と隣接していた半島南部、南端部、この地域が元々は新羅や百済の建国前から

「日本領であった」

ことが関係しているのだろうと妄想できます

百済、新羅が建国される頃には、この地域はそれまでの「日本固有の領土」的なものではなく、任那と呼ばれるどちらかと言えば「植民地」に近いような国々の集合体のような地域になっていたかのようにも見えます

日本の「新羅」侵攻、それは単純にこの任那地域の権益を侵すような振る舞いを新羅が行ったのではないでしょうか

「任那地域の権益」

を侵す、といっても、それは単なる「国益」への侵犯、ということだけではなく、太古の昔から連綿と続いてきたこの地域に対する日本人の、なにか根源的な思い入れのようなものがあったのではないかと小平次は妄想しております

もちろん、高句麗などに対する本土防衛上の重要な軍事的要衝でもあったでしょうし


さて、この大和の新羅侵攻

ハイライトはやはり

「神功皇后の三韓征討」

でありましょう

戦前まで神功皇后は、日本史上の重要な実在の人物の一人として教育の場にも当然出てきましたし、お札の肖像にもなっておりました



しかし戦後、GHQの占領政策により日本の歴史教育、日本人の歴史感が一変させられると、神功皇后はあくまでも神話上の人物としてその実在性を否定されてしまったわけです

その上、歴史教育の場のみならず、日本人の生活そのものから「神話」を教える、語る、ということが消えていき、まさに歴史から抹殺されたがごとく今日にいたっております

そういうことから、日本人でありながら「神功皇后知らない」と言う人も大勢いるのです

小平次の知人でも、東京の六大学を出たような人が「知らない」と言います

小平次自身も、家がクリスチャンでしたし、大学受験は世界史を選択、大学で経営学部ながら取ったゼミが「日本の古典を読む」というものであったので、ようやくそこで「お名前だけ」は知るようになったくらいです
(そんなゼミをとっていましたが、漢文の古典なんてもはや読めませんが…)

学校の教科書にも出てこない、神話も教えられない

「神功皇后を知らない」

無理からぬことです

それでも最近になって、心ある研究者の方々の努力によって、その実在の論証が試みられるようになってきているのは喜ばしい限りであります

小平次としては、尊敬する大平裕さんの論証もさることながら、もっと単純に考え感じるままにその実在を確信しているのであります

それはまず、西日本を中心に残る、神功皇后にまつわるその伝承、伝承地(およそ三千とも)の多さがハンパないということが一つ

また、神功皇后を祭神として祀っている神社の数は、やはり西日本を中心に900を超え、歴代天皇、皇后の中でも群を抜いてダントツの一位であるということが一つ

神話上の伝説の人とするにはあまりに伝承、神社の数が多すぎるのではないかと思うのです

小平次としては、神功皇后の実在の証明は、これらの事実だけで十分であると感じております

また、後世につけられたものではありますが、そのお名前に「神」という字が使われていること、天皇、皇后のお名前として「神」の字が充てられているのは

「初代神武天皇」「十代崇神天皇」「十五代応神天皇(母君が神功皇后)」

そして

「神功皇后」

だけであります

こんなこともまた、妄想をたくましくさせてくれると思います

「神功皇后」

知れば知るほどとても魅力的なお方でいらっしゃいまして、色んな妄想も膨らむのですが、それはそれでお話させて頂くとして、今シリーズは、新たにカテゴリーを設け

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

と題しまして、原文をご紹介し、その上で様々な訳文を参照にしながら(くどいようですが小平次は漢文なんぞ読めませんので)、あまり学術的視点にとらわれずにフラットな目線で、日本史の超スーパースターにして「英雄」でいらっしゃる「神功皇后」をともに感じていくことができればと思っております

自身もあらためて勉強しながらゆっくりやっていければと思っております

よろしくお願い申し上げます







御免!
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