さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド珍道中 2度目のインド『エア合コン』

2024-12-24 | 2度目のインド


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

前回、インドへは行ってみたいけど、一人では怖いからどうしても一緒に連れて行ってくれ、と懇願して付いてきた来た前橋君を、混沌と喧騒の渦巻くカルカッタ市街の衝撃は一人で味わうようにと空港から先に行かせてみたら、待ち合わせのインド博物館前には立ってもいられず、地下鉄の構内に隠れていた、そんな前橋君と何とか無事に再会した、というところまででした。

*****************************************

 おれと前橋は、一先ず宿泊を決めていたホテルに向かい、チェックインを済ませた。6年前、このカルカッタに長期滞在した時に泊っていたホテルは、一泊70ルピー、日本円で350円、部屋にはシャワーとトイレがついていたが、広さは畳三畳ほどの狭い部屋だった。今回は一泊700ルピー、10倍の宿泊料だ。この辺りではまあ、中の下くらいだろうか、下の下以下の安宿がひしめくサダルストリート周辺のホテルとしては上々である。

 おれ達は荷物を置いて、晩メシを食おうと外に出る、おれが6年前によくチキンチリを食いに行っていた店の方へ、記憶を頼りに歩き出した。インド博物館側の大通りとは逆に向かい、狭いながらも人や車、リクシャがごった返す通りへと出た。



『確かね、この通りの真ん中らへんだったと思うんだけど。。』

 店の名前などは覚えていない。それでも少し歩いてそれらしい店を見つける。

『うーーん、ここかな…、うん、多分ここだな』

 かなり曖昧な記憶による頼りない確信をもって扉を開け中へと入り、席につきすぐにメニューを開く。

『うーーん…、 ん? おお、これだ!Chicken Chilli!!この店で合ってた!』

 6年前、一番メシを食いに通っていたサダルストリートにあった店は、この店に来がてら探したが、もう今は無くなっていた。この店は健在で良かった。チキンチリの他にナン、細長いコメのライス、そしてビールを注文した。

『おれ、前に勤めてた会社でさ、日帰りで東京から盛岡まで新幹線で出張行ったんだけどさ、大して歩いたりしたわけじゃないのに、帰って来たらどっと疲れてたことがあってさ、人間て、時間とか関係なく、移動する距離の分疲れるもんなんだって思ったんだよ』

『ああ、確かに、今日だって飛行機はバンコクから2時間半、タクシーで30分、歩いたりしたわけでもないのに疲れたよな、ま、おれの場合極度に緊張したのもあるんだろうけど…』

 出されたビールをグラスに注ぎ合い、まずは疲れた体に一気に流し込んだ。すぐにチキンチリも出て来た、おれはインド人のように手づかみで、荒っぽく骨付きチキンに食いついた。前橋の方は、そのワイルドな外見に似合わず、丁寧にフォークを使い食い始める。

『おお、すげぇ辛いな、でも味はしっかりしてて旨いな』

『だろ? 日本でよく激辛カレーとか食うとさ、辛いだけで味がわからなくて、悲しくなることあるよな』

 辛い料理を食い汗をかきながら、冷たいビールを飲む、最高だ。おれ達は十分に満足をして店を出た。途中、酒屋でウイスキーを買い部屋に戻った。

 
 世界一汚い街、と揶揄されるカルカッタ、相変わらずゴミも多く、排気ガス、砂埃、まずはそれらを思い切り吸い込んだ汗を流したい。

『前橋、先におれがシャワー浴びてもいい?』

『ああ、構わないよ』

 おれは替えのトランクスとタオル、日本から持ってきた石鹸を持ちシャワールームへ向かう。前回カルカッタで過ごしたホテルよりは値段の分、シャワールームも随分広い。一応お湯の栓もあるが、捻ってみてもやはり水しか出ないようだ。まあ、インドだから仕方ない、おれは直接石鹸で体をあらい、水浴びをしてシャワーを終え、トランクスとTシャツ一枚の姿で、頭をタオルで拭きながらシャワールームを出た。

『ん?』

 シャワールームの方に背を向けてソファーに腰掛けていた前橋が、おれが出て来たことに気づかず、何やら身振り手振りでジェスチャーをしている。

(なんだ?)

 両手を前で合わせ、頭上に上げてから「ドン」と、もちろん音はしないが落としてみたりしている、よく聴いていると、小声で時折何か言葉も発しているようだ。少し体を前に乗り出したり、腕を組んで頷いたりしているその姿は、おれには見ることのできない誰かと話をしているようだ。ちょっと気まずいものもあったが、万一心霊と話されたりしていると困るので、おれは思い切って声を掛けた。

『おい、何してんの?』

 前橋は不意に声を掛けられ大いに驚いた様子でおれの方へと振り返り叫んだ。

『ああああ! も、もう出たのか!?』

『あ、まあ、水しか出ないし。。。』

『そ、そうか、じゃあおれもシャワー浴びようかな…』

『いやいや、ちょっと待って、今の…』

『……、見てた?』

『ごめん、結構長く見てた…』

『ああああ!』

『で、何してたの?』

『い、いや、何でもないよ…』

『いやいや、何でもなくないよね、誰かと、おれには見えない誰かと話してたよね…』

『………。』

 おれは前橋の横に腰掛けて言った。

『…、なあ前橋、覚えてる? 大学4年のとき、就職の適性検査だって言って、2時間くらいかけて同じような質問に答えるアンケートというか、心理テストみないの受けたじゃん?』

『あ、ああ、そんなのあったっけな…』

『あの時の質問の中にさ、「空想の中に友達がいる」、はい、いいえ、みたいな質問があってさ、おれ、ハイって答えたんだよね、で、結果おれ、その回答のせいかはわからないけど「社会不適合型」って診断されたんだよ』

『空想の中に友達がいるってお前、(笑)(笑)(笑)』

『お前が笑うとこじゃないよね…』

『………。』

『おれ、高校の時から、音楽始めたんだけど、野球部に憧れがあってさ、空想の中で自分の野球チーム作ってたんだよ、レギュラーはみんなおれの仲の良かった友達で組んでたんだけど、一人だけ空想の選手がいて、一番打者で俊足、ポジションはセンター、名前は園田、時折空想の中で園田と話してたりしたんだよね』

『ソ、ソノダ? (笑)(笑)(笑)』

『お前が笑うなって、でもだからさ、今のお前の、さっきのヤツ、気持ちわかるし、笑ったりしないからさ、誰と話してたのか教えてくれよ』

『…、…、いや、その、』

『なあ、誰と話してたんだよ?』

『いや、まあ実は…、去年さ、お前が合コンに誘ってくれたじゃん…』

 確かに、支店勤めのおれや同僚が、普段接点のない本社総務の女子に本社勤務の同期を通じて声を掛け、まあ、合コンと言うか飲み会を企画し、彼女のいない前橋にも声を掛けたことがあった。二次会でカラオケ、プロの歌歌いを目指していた前橋がボン・ジョヴィを歌うと、その大迫力に一同驚愕、素人のカラオケ飲み会のレベルでなくなり、却って女子から引かれたことがあった。

『…、…、でさ、また日本に帰ってからああいう合コンなんかにお前から誘われたこと想像して、その、女の子達と話をしてるところを、その…』

『妄想してたんだな? そうかぁ…、でさ、何かこう、両手使って上からドン、みたいな、物が落ちたみたいなジェスチャーしてたよね、あれは、その、エア合コンで何を女の子に話してたの?』

『ああああ、それも見られてたのか…、あれは、その、来る時の飛行機でさ、タイエアーの、機内食食ってるとき一度大きく高度が下がったことあったじゃん、高度が下がったと言うより落下したってくらい落ちて、機内もどよめいて…。』

『あ、ああ、あったね、で、あのジェスチャーは?』

『…、だから、あの時機内食のプレートが一瞬中に浮いたじゃん、だからそれくらい凄い落ち方だった、って、その、…、女の子に話して…。』

『あ、ああ、なるほど、あれは両手で浮いた機内食のプレートが落ちる様を表現して、それを女の子に話してたんだ…。  ぶ、ぶわっぶわっはっはっはっはっはっはっは!!!!

 おれは思わずソファーから転げ落ち、腹を抱え死ぬほど笑った。

『おい! 笑わないって言ったじゃねーかよ!!』

『いやいや、ごめん、ごめん、(笑)(笑) いや、そうだな、帰ったら合コンやろうな、でもさ、機内食の浮いた話、お前がその合コンで女の子にする前に、既に妄想の中で女子のみんなに話してたことをおれが言うから!(笑)(笑)(笑)(笑)』

『そ、それはやめてくれ~!!』

 (笑) (笑) (笑) (笑)

 おれはその後フロントに言って氷をもらい、ウイスキーのロックを二つ作り前橋に一つ渡した。

『いや、まあ、恥ずかしいとこ見られちゃうって、プッ、だれでもあるから気にするなよ、ププッ、この後、旅を楽しもうぜ!』

『…、お、おお…、』

 インド、男二人の珍道中、カルカッタでの初日の夜は更けて行く。


*************************つづく
さてさて、前橋君は翌日もやらかしてくれます。ww




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インド珍道中 2度目のインド⑤ 『前橋!大丈夫か!!』

2024-11-19 | 2度目のインド
画像引用元 そうだ、世界に行こう インド旅行は危険!?観光時の注意点とリアルな治安状況について


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

前回は、カルカッタの喧騒と混沌、すさまじい勢いで迫りくる人のパワー、その衝撃は一人で味わうべき、と、一緒についてきた前橋君を先に、一人でタクシーに乗らせ市街、魔のサダルストリートに向かわせた、というところまででした

では、つづきです

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 緊張のあまり身体を硬直させ、まるで競歩の選手のように早歩きをして、タクシーに乗り込む前橋を笑いながら見送ってから30分程が経過した。いよいよ、おれもあのカルカッタ市街に再び向かう時が来た。

『Sudder street』

 タクシーのブッキングカウンターで行先を告げる。

『Sixty Rupee』

60ルピーを支払う、荷物持ちの若い男が予約票を受け取り、おれの荷物を担いで外に出る、タクシーの『群れ』の外側の一台に案内される。荷物をトランクに入れるかと聞かれたが、必要ない、と告げ、受け取った荷物をかつぎそのまま乗り込んだ。そして窓を開け小銭を数枚、荷物持ちに渡す。

『Sudder street』

『OK』

 いよいよ車が走り出す。空港の近辺は、市街のあの渦巻くような喧騒も混沌もなく、広々として静かだ。ポツリポツリと建っている煤けたビルが、ここが間違いなくインドであることを物語る。そしてここがインドであることが間違いないと実感した瞬間、おれは思わず小さな声でつぶやいた。

『帰って来た……。』

(えっ? 帰って来た…?)

 6年ぶりにこの悠久の大地に降り立ち、おれの心にまず沸き起り口をついて出た言葉は、「久しぶりだ」とか「懐かしい」、とかいう感慨では無く「帰って来た」であった。なぜ、今、「帰って来た」と思ったのだろう。この不思議な感情に、おれはしばらく思いを巡らせ、戸惑いながら外を眺めていた。この不思議な感情を正しく、いや、恐らくは正しく理解するのはこの数年後の事である。いや、それも違う、「どこに帰って来たのか」、数年前に気づきながらも、それを言葉にできず、物語を書いた。「無人電車」という名の短編小説だ。その時におれは気づいていたのだ。いずれこの物語もこの場で語ろうと思う。

 車は次第に市街の中心に入って行く、徐々に混沌とした喧騒が広がる。

『混沌』『喧騒』

 この言葉がこの街ほど似合う街はないだろう。

 人、車、バイク、リクシャ、犬、牛、騒がしいインド音楽、クラクション、あらゆる音、あらゆる色、スパイス、香水、煙、あらゆる匂い、全てのものが交錯している、入り乱れている。

『カルカッタだ!!』

 おれはようやく「帰って来た」、ではなく「久しぶり!カルカッタ!」という正常な感覚を取り戻したようだ。

 タクシーがサダルストリートに入り停車する、数人の男がおれの車に直ぐに群がる。おれはチップなど何も要求しないドライバーに10ルピーほど渡し、車を降りた。ポン引き達がおれを取り囲む、おれは無視して前橋が待っているはず、のインド博物館を目指す。路上にへたり込んでいるジイサンが弱々しく手を差し出してくる、一先ずポン引きも物乞いも全て無視して大通りまで出る、そして、大きく左に、インド博物館の入口の方へ体ごと向けた。

 前橋は!?

 いない……。

『ありゃ、やっぱ無理だったか』

 凄まじいポン引きや物乞いの攻勢を交わし切れない、そう思ったらインド博物館前の地下鉄乗り場に降りて待つ、繰り返し前橋に伝えていた。おれは恐る恐る地下鉄の入口から階下を見下ろす。

 前橋は!?



 いない!!


 どうしても、インド博物館前に立っているのも無理、その逃げ道としていた地下鉄の階下にもいない!

『あちゃ~、これはヤバイかな…。』

 手の無い人、白目だけの人、指の溶けた人、両足を付け根から失い、スケートボード状の板に乗って迫り来るジイサン、そうした物乞い、しつこいポン引き、その攻勢をまるで囃し立てるかのように鳴り響くインド音楽、クラクション、様々な香り、慣れない旅人をたちまち飲み込んでしまう激流のような街、カルカッタ、最初のその衝撃を一人で味合わせたかった、失敗したのか! 前橋! 大丈夫か!!

 物乞いやポン引きの凄まじい攻勢に会い、もう何が何だか、最悪どこを歩いているのかもわからなくなったら、タクシーでもリクシャでもつかまえて、地球の歩き方に出ているホテルまで行って待っているようにと印をつけた、これが最後の作戦だったが、比較的ポン引きや物乞いの少ないインド博物館前にも、さらに安全な地下鉄の構内にも行けないのではとても無理だろう、初めてのインド、衝撃の体験をさせようとしたことを、おれは少しばかり後悔した。

 念のため、地下鉄の構内まで降りて探してみよう、そう思った瞬間、通路の陰から前橋がひょっこりと姿を見せた。

『こ、こ、こ、小平次!!』

 前橋!! なんだ!!  その顔! その顔! その顔! その顔は!!!

 おれが子供のころ、家で雑種の小型犬を飼っていた。当時は外に犬小屋を建て飼っているのが普通だった時代、おれがある日犬の散歩に行こうとすると、母親からスーパーで何かしらの買い物を頼まれることがよくあった。散歩の途中、スーパーに犬を連れて入るわけにも行かず、棒状のガードレールのようなものに散歩紐を繋ぎ、おれだけスーパーに入ろうとすると、犬は小声ながらもやや甲高い声で吠え、『ボクをおいてどこへ行くの!?』みたいな、ちょっと困ったような情けない顔をしておれを見ている。

『すぐに戻るよ!』

 それでも犬は困った顔で小声で吠える、急いで買い物を済ませ犬のところに戻ると、大きく尻尾を振りながら、嬉しいのだけれど、やっぱり一人置いて行かれてちょっと不満、みたいな顔をして、何とも言えない声でやや横を向き少し大きく吠える、その時の犬の顔、表情、前橋!!

『なんでボクを一人で行かせたの? なんですぐに来てくれなかったの? こわかったよぅ!』 

 今まさにお前、その時の犬の表情!! おれはその前橋の情けないやら嬉しいやら、複雑な表情を見て大笑いしながら言った。

『いやいや、良かったよ、ここまでも辿りつけなかったのかと思って少しだけ心配したよ』

『ああ、ほんと今ほっとした…。』

『やっぱり外にいるのは無理だったか…。』

『いやぁ、だんだん市街に入ってくると、度肝抜かれちゃってさぁ、最初から地下鉄だけ目指して、もう必死だったよ、ほんと、すごいな、この街』

 そう言われてみて初めておれは、何かがちょっと違う、と自分が感じていることに気づいた。

『確かに、街のパワーは相変わらずなんだけど、なんかね、うん、そう、あ、物乞いがさ、前より少し少ない気がする、まあ、たまたまかもだけど、前の時はさ、もうほんと、間髪入れず誰かが近寄って来て、ほんの数十メートル歩くだけで一体何人の人間に声掛けられるか、手を差し出されるか、あの時ほどじゃないんだよなぁ…』

『そりゃあれじゃないか、お前がこの街に慣れてから帰国したからそう感じるんじゃないか』

 物乞いが減った理由…、インドがいくら経済成長著しい、と言っても、数千年に渡りこの地域に住んできた人たちの本能など変わりようがない、厳しい身分制度の名残、それが急に無くなるわけでもなく、皆に成長の恩恵がある訳でもない、ウソかホントかわからないが、後日プリーで衝撃的な話を聞くことになる。

『ま、とりあえず会えて良かった、一人カルカッタも味わってもらって良かった、ホテル行ってチェックインして、晩飯にチキンチリを食いに行こうぜ!』

『チキンチリ?』

『めっちゃ辛いけど、めっちゃ旨いんだ、病みつきになる感じ、6年前によく行った店がまだあるかなぁ、ま、あとはインドを楽しもう!』

 無事に再会? を果たしたおれと前橋は、宿泊予定のホテルを目指し、つい今し方の前橋の、置いてけぼりの犬の顔について語り、大笑いしながらサダルストリートを右に折れた。


つづく******************************

ほんとにこの時の前橋君の顔、心の記憶に焼き付いて忘れられませんw 次回も前橋君がやらかしてくれます

 




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インド珍道中 2度目のインド④ カルカッタ再び

2024-09-25 | 2度目のインド
(インドのホームレスや物乞いへの対応について語る/youtubeリュウサイ / Ryusaiさんの動画より)



こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

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 一泊二日のバンコクトランジット、バンコクはとてもいい街で名残惜しい気持ちを持ちながらも、おれと前橋はホテルを出てタクシーで空港に向かった。ここからカルカッタまではインディアンエアラインでの2時間半ほどのフライトだ。

 飛行機に乗ると、おれと前橋はカルカッタに着いてからの「計画」の確認をした。

『昨日話した通り、カルカッタの市街に入って行く衝撃は、まず一人で味わうってことで、お前が先にタクシーでサダルストリートまで行く、それでどうにかインド博物館の入り口前まで行き、そこでおれを待つ、おれは2、30分してから後を追うから』

『お、おお…』

『で、サダルストリートのどこら辺にタクシーが停まるかはわからないからさ、降りたら左右をよく見て、大通りの方へ向かう、片側3車線くらいの大通りだから、間違って反対の通りに行ったら、人混みはすごいけど、狭い通りだからすぐに引き返して反対の方に向かう、その大通りとサダルストリートのT字の交差点の左側にインド博物館があるから』

『お、おお…』

『で、もしインド博物館の入口で、おれを待っている間、どうしてもポン引きや物乞いを交わし切れない、と思ったら目の前の地下鉄の入口を降りて、下でおれを待っている、OKか?』

『お、おお…、でも、大丈夫かな…』

『まあ、昼間だし、大丈夫だと思うけど、おれが初めて来たときは夜だったしな、いきなりタクシー囲まれて、降りたらものすごいポン引きと物乞いの攻勢をくらって、もう右も左も分からなくなって、ダッカで知り合った日本人のK君と待ち合わせするはずだったホテル、タクシー降りたところから目と鼻の先だったんだけど、その時はもう何が何だか…、でポン引きや物乞いを交わす内に完全に自分がどこにいるのかも分からなくなって、それで詐欺師に引っかかってそいつの紹介するホテルまで行っちゃうことになって、まあ、ビビりまくってたからな』

『おれ、やっぱり不安だよ…』

『最悪、初めての時のおれのようになって、もう何が何だかわからなくなったら、リクシャでもタクシーでもつかまえて、このホテルに行って待っててよ、10ルピーも出したら行ってくれるから』

 と、おれは地球の歩き方に出ていた一軒のホテルに印をつけ前橋に渡した。

 そうこうする内、無事にカルカッタダムダム空港に飛行機は着陸した。6年前の夕暮れ時、当初のインドへの情熱などは失っていた中、空港は大きかったが、ビルは煤け、屋上のネオンのCALCUTTAの真ん中のの文字が消えているのを見て、『おれはなんでインドなんかに来たんだろう。。』とすでに後悔し始めていたことを思いだす。

 入国手続きを終え、ロビーに出ると、6年前と同じように大勢のタクシーのポン引きが、柵の向こうで大声で喚き散らし、おれたちを自分のタクシーに乗せようとしている。前橋はすでに圧倒されているようだ。おれたちはそのまま両替カウンターへ向かい、インドルピーへの両替を済ます。

『さ、いよいよだな』

『お、おお…』

 前橋の顔は引きつっている。タクシーブッキングのカウンターへ向かい、前橋にサダルストリートまでの予約を促す。

『60ルピー』

 6年前と金額は変わっていないようだ。カウンターの男から、プイっと顎を横に振られ、予約票のようなものを出される、すぐさまその予約票を若い男が受け取り、前橋の荷物を担ぐ。

『え、えっ、えっ?』

 すでに前橋は慣れない旅人をジェットコースターのように振り回すカルカッタの激流に巻き込まれている。

『いいからさ、もう始まってるから、あの男の後について行けばタクシーに乗れるから』

『え、えっ、えっ?』

 前橋は、おれと、荷物を持って歩き出している男を交互に見ながら、あわてて男を追った。

『荷物持ちにチップ払えよー!』

 もう前橋には聞こえていないようだ。

 空港の外に出て、速足で前橋の荷物を持った男が群がるタクシーの一台を目指し歩いて行く、その後を、まるで競歩の選手のように、膝をピンと伸ばしたまま緊張感丸出しの前橋がついて行く、その光景が妙に可笑しくて、大笑いしながらおれはガラス窓越しにタクシーに乗り込む前橋を見送った。

『行った、行った、まあ、やっぱりあの衝撃は一人で味合わなくちゃ、夜でないのが残念だ』

 おれは近くのベンチに腰掛け、6年前にここに来た時のことを思いだしていた。タクシーが市街に近づくにつれて日も暮れて、徐々に凄まじい喧騒が車窓の外に広がって行く。

人、車、バイク、リクシャ、犬、牛
人、車、バイク、リクシャ、犬、牛
人、車、バイク、リクシャ、犬、牛
人、車、バイク、リクシャ、犬、牛

 すごい光景だ。そこに大音量のインド音楽があちこちで響き交わって行く、そこかしこで座り込み、何かを煮炊きしている路上生活者、大都会でありながら信号なども無く、車線を無視して、けたたましいクラクションを鳴らしながら車やバイクがせめぎ合う、おれはあの時、もはや完全に戦意喪失状態になり、心の中で叫ぶ。

『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!もう二度とインドに行きたいなどと言いません、だから日本に帰らせて下さい』

 ガイドブックには、初めてのインド旅行でカルカッタから入り、一歩も外へ出られなくなる日本人も多いと書かれていた。

『都市文明化の失敗作の街』
 
とも謳われていた街、カルカッタ、世界で一番汚い街、カルカッタ、実際に来てみれば、カルチャーショックだとか、おれにとってはそんな言葉の全てが生ぬるいと感じた。

 夜のサダルストリートに到着するや否や、おれのタクシーは大勢のポン引きに囲まれた。おれの車の周りで男たちがわめいている、タクシードライバーが後ろを振り返り、少しドスを利かせて『Chips』と、金を要求してくる、外の男たちも『金を払え』と騒いでいる、空港で支払い済みだ、と言うと、外の男の一人がドアを開けてくれた。

 すると今度はその男たちが喚きながら『おれの紹介するホテルへ来い』というようなポン引きを始める、それを無視して歩き始めると、路上にへたり込むように座っていた物乞いたちが一斉におれに向かって『Money』と手を出す、ビビりまくったおれはもう自分がどこにいるのかもわからず、うっかり細い路地を曲がる、今度はその路地にいた物乞いが『Money』と次々と手を出してくる。

 前方から、両足を付け根から失ったジイサンが、手製のスケートボードのようなものに乗り、杖を使い、舟をこぐようにおれに近寄り『Money』。

 悲鳴を上げそうになったおれの背後から『Money』とまた手が出て来る、その手の指は、全てが蝋のように溶け無くなっていた。。。。

 あれから6年、おれは再びここへやって来た。

『前橋、大丈夫かな、まあ、昼間だし、大丈夫だろ!』

 前橋が出発してから30分程が経過した。

『そろそろ行くか。。』

 おれは、酷く傷ついた心を引きずりながらも人生をやり直す、そのための儀式に向かってゆっくりと立ち上がった。

つづく

************************************
親友の前橋には本当に人生において言い尽くせない程世話になり、大変申し訳無いのですが、あの緊張感丸出しで硬直したように速足で歩く前橋の姿は、今も鮮明に覚えています。

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インド珍道中 2度目のインド③ 『バンコク』

2024-09-10 | 2度目のインド
(2024年2月撮影・バンコク)

こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

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 どうしても一緒に連れて行ってくれ、と前橋に懇願され、想定外の事となったが、出発の日、おれと前橋は成田空港で待ち合わせをし、無事にタイエアー、バンコク行きのチェックインを済ませた。

 機内はとても快適だった。おれはこの後何度かタイエアーを利用しているが、好きな航空会社の一つだ。バンコクは世界のハブ空港としても名高く、世界中に飛んでいる。そして機内食も美味い。

 機内食が配られ、美味いタイ料理に舌鼓を打っていると、突然大きく高度が下がった。いや、下がったと言うよりは『落下した』と言った方が良いような落ち方だった。おれたちの目の前の機内食の器が一瞬宙に浮いたくらいで、おれたちも思わず声を出してしまったし、機内も少しの間騒然となった。

 まあ、この程度の出来事はわざわざ公開の日記に記すようなことでもないのだが、後にインドに到着後の、前橋が時折見せた奇怪な行動を説明するためには、どうしても記しておかなくてはならないのだ。
 
 そんなことがありながらも、飛行機は無事にバンコクに到着した。真冬の日本を出て来たおれたちは、30度を超える機外の温度に南国にやって来たことを十分に実感した。
 
 手荷物検査や入国手続きを終え、ロビーに出た。たくさん並んでいる観光案内の店のカウンターに行き、こちらでは比較的高めの一泊4,000円のホテルの予約をとった。前回来た時のように、無理してバックパッカーを気取り安宿に泊まる必要は無いし、おれはとにかくユースホステルのような大勢が同じ部屋で寝たりとか、共同シャワーだとかが嫌いだった。前回も、安宿でどれだけ部屋が狭くとも、個室でシャワー付きだけは譲らなかった。

 タクシーで市街に向かう、高速を走っているとバンコクが大都会であることを改めて実感する、あちこちに見える有名日本企業の看板、時折ビルの谷間に除く金ぴかの寺院の屋根などが無ければ、日本の大都市の光景と言ってもうっかり信じてしまうだろう。

 ほどなくしてホテルに到着、車寄せにタクシーが停まると、すぐにポーターの男が出て来て、笑顔でおれたちに歓迎の言葉を言う。それからトランクの荷物を台車のようなものに積み、フロントまで案内してくれた。日本で同じ金額でこんなホテルには決して泊まることはできないだろう、おれたちには随分と高級なホテルに思えた。

 8階の部屋の窓から下を見下ろすと、ホテルの敷地にはプールまであった。テレビをつけると、複数のチャンネルがあり、NHKまで放送していた。

『タイ語でこんにちは、ってなんて言うのかな?』

 前橋が尋ねて来た。一泊二日のトランジットだからおれもあまり気にしていなかった。

『後でメシ食いに行くとき、フロントで教えてもらおう』

 しばし休息し、夕方になってからおれたちは、フロントで『サワッディー』という言葉を教えてもらい外に出た。街を散策しながら、路地などで椅子に腰かけ休んでいる人や、反対側から歩いてくる人に『サワッディー』と声を掛けてみると、みんなが同じように笑顔で『サワッディー』と返してくれた。

『なんか、バンコクっていいな、人が温かく感じる、やっぱ気候が温暖だからかな』

 おれたちはそんなことを話しながら大通りに出た。おれが『タイ料理らしい辛い料理を食って、汗をかきながらビールが飲みたい』というと『いいね!』前橋は二つ返事で答えた。

 それっぽい屋台を見つけ、ベンチに腰掛け、店頭に並ぶ幾つかの料理と、今作っているチャーハンのような料理を注文、もちろんビールも。

 料理はその見た目通りとても辛かった、そして美味かった、そこへビールを喉へと流し込む

『ううめえええーーー!』

 おれたちは汗を流しながら料理を貪るように食い、そしてビールを飲んだ。

『今まで旅をした街で、バンコクが一番いいかも』

 おれは本当にそう思った。いつか改めて、トランジットではなくバンコクを目的地として来てみたい、そんなことを思いながら、しばらく街を散策してホテルへ帰った。

 ホテルに帰ると、おれは前橋が一緒にインドに行くことになってから、ずっと考えていたことを前橋に告げた。

『前橋さぁ、おれずっと思ってることがあるんだよ』

『何を?』

『前にも話したけど、カルカッタって、そりゃあすげえ街なんだよ、今見て来たバンコクの街並みなんて、カルカッタ行った自分からすれば、日本とそう変わらない、いや、街行く人たちののんびりした感じと温かさは、むしろ日本より居心地良さそうなくらいでさ』

『そうだなあ、確かに』

『でさ、カルカッタの市街地に入った時の衝撃、ってほんと凄くて、まさにタマげるって言うか、度肝抜かれるっていうか、よく言うカルチャーショックなんて言葉も、ほんと生易しいと思っちゃうくらいでさ』

『そうなんだ。。』

 やっぱりこいつは他人事のように聞いている、おれと一緒に行くから大丈夫、くらいに思っているのだろう。

『でさ、あの最初の衝撃は、絶対一人で味わった方がいいと思うんだよね』

『ああ、なるほど。。。、ん? えっ!? えええええええええええ!!! い、いや、それは。。えっ!? どういうこと?』

『お前もそこそこ海外行ってるじゃん?ヨーロッパやアメリカ、あと韓国だっけ?もちろんロンドン辺りにも物乞いはいたけどさ、実際、そんなレベルじゃないから。。、腕や足の無い人、指が溶けちゃってる人、顔とかが変形しちゃってる人、なんなら四本足の人とか、そういう人たちからゆっくり手を出されて、うつろな目で「マネー」って手を出されるって、最初はすごくショック受けるから』

『…………。』

『それをさ、おれと一緒にカルカッタの市街に入ったら、多分衝撃も半減しちゃうと思うんだよ、せっかくインドに来たのに、あの衝撃が半減しちゃうって、もったいないじゃん』

『い、いや、でも。。』

『もうこれは決まりな、ちょっと地球の歩き方出せよ』

 前橋は観念したように地球の歩き方を出した。おれはカルカッタのページを開き前橋に説明を始めた。

『まず、空港に着いたら先にお前がタクシーに乗って、ここにあるサダルストリートまで行く、サダルストリートは広くも長くもない通りだけど、安宿が密集していて世界中からバックパッカーのような旅行者がこの通りに集まってきている、で、物乞いやポン引きもそれを狙ってこのサダルストリートに集結している、お前が出た後、2、30分してからおれもサダルストリートに向かう、で、ここ、ここにインド博物館があるだろ?サダルストリートを大通りに向かって左に折れるとこのインド博物館の入口があるから、そこでおれを待っていてくれ』

『いや、やっぱり、おれ、できるかな……。』

『できるできる、できなかったら、この街を一人で歩けなかったら、インドに行ったとか言えないから』

『うーーん……。』

『もし、ポン引きや物乞いを交わし切れない、インド博物館の前に立っているのも無理、って思ったら、博物館の真ん前に地下鉄の入口があるから、何でかは知らないけど、地下鉄の構内には物乞いもポン引きもいないから、そこに下りて待っててよ』

『うーーん……。』

『大丈夫、大丈夫、サダルストリートを数百メートルだけでも歩けたら、十分に衝撃を受けられるから、そこまで体験して無理だと思ったら地下鉄な!』

『うーーん……。わ、わかったよ…。』

 おれは、出発前から考えていたこの『計画』を前橋に話し、それを明日実行できることを想像し、ワクワクが止まらなくなってきた。がんばれ! 前橋!!



*************************************
カルカッタに着いてから、計画通り前橋を先に行かせましたが、まあ、面白かったですよww 

 
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インド珍道中 インド、再び② 『出発』

2024-08-19 | 2度目のインド
(イメージ)


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

****************
 
『そうだ!インドへ行こう!』

 と決断してから、おれは親友の前橋という男に電話をかけた。前橋は学生時代からの親友で、ジャンルは違ったが、音楽の仲間でもあった。おれがやっていたのは、まあ、幅広かったが、主にボサノヴァやサンバ、といったラテンジャズ、サンタナのようなラテンロック、時にはファンク系などであった。前橋は、主にアメリカンロックや、ガットギター一本で歌うボブ・ディランのようなスタイルの音楽をやっていた。私生活においても大変世話にもなった男である。
 
 前橋は、おれがどういう理由で心を病み、苦しんでいたかも良く知ってくれていた。だからおれとしてはちゃんと報告をしなくてはいけないだろう、と思ったのである。

『よう、おれさ、前に進むために、またインドへ行くことにしたよ』

『えっ!インド!? そうかぁ…』

 おれがインドへ再び行くと聞いて、前橋が思わぬことを口にした。

『なあ、小平次、インド行くならおれも一緒に行きたいな』

『えっ!?』

『おれ、お前が前にインド行った話聞いて、おれも一度行ってみたかったんだよ、いいだろ?』

『いやだよ』

 おれは即答した。

『なんでだよ!いいじゃないか、一緒に行こうぜ!』

『いやだよ、おれは一人で行きたいんだよ、何でお前と一緒に行かなきゃいけないんだよ、行きたいなら一人で行けよ』

『いや、だってさ、おれ、一度インドへ行ってみたいとは思ってるんだけどさ、インドだろ? ちょっと怖いじゃん、一人じゃ、頼むよ』

 面倒なことになって来た。前橋という男は、外見はロックミュージシャンっぽく、パーマのかかった長髪を後ろで結び、服装などもそれっぽかった。やや反社にも見え、学生時代にはヤ〇ザからスカウトされることすらあった。態度も割と横柄で、気にくわないやつには威圧するような態度を見せることも多かった。そのくせ、こうした局面ではビビリの顔をよく見せた。

 この時より10数年前の学生時代、おれは初めての海外旅行、ヨーロッパへ行こう、と思い立ち、行きと帰りの便だけ決まっていて、その間自由に行動できるフリーツアーに申し込むことを決め、それを前橋に話した。すると前橋が言った。

『いいなあ!ヨーロッパかぁ! おれも一緒に申し込もうかな』

『何でだよ、別のツアーに申し込めよ』

『いや、だってさ、怖いじゃん、一人じゃ』

 見た目と普段の態度、歌う姿からは想像もつかないほどのビビリである。

『一緒に申し込んだとして、おれはスペインに行くけど、お前はどうするの?』

『おれは…、ヨーロッパと言えば、スイスの山々を見てみたい』

『じゃあ、最初と最後だけは一緒で、おれは主にスペイン、お前はスイス、別行動だからな』

『……、わかったよ……』

 こうしておれの初めての海外旅行は、とりあえず前橋と一緒に行くこととなった。
 
 最初の地はドイツのフランクフルト、ここで二泊する予定がツアーに組み込まれていた。ここまでは俺と前橋の他、数人の日本人旅行者と一緒だった。この頃から『卒業旅行』というような言葉が生まれ、大学などを卒業するとき、最後の記念に海外旅行をする若者が増えていた。この時の参加者も、大学2年生だったおれと前橋を除き皆この春大学を卒業するという若者であった。

 初日、早速おれと前橋はフランクフルトの街を散策してみた。ネットもスマホももちろん無い時代、当然翻訳アプリなんかもない、そんなものはまさにドラえもんの世界、想像すらできないものであった。だからおれたちは旅行用のコンパクトな六ケ国語辞典という同じオレンジ色の本を持って来ていた。

 前橋が不安そうに言う。

『なあ、ドイツ語でさ、スミマセン、とかってなんて言うのかな、英語の『Sorry』、とか『Excuse me』みたいなの、けっこう使うと思うんだよな』

『英語でいいんじゃないの?』

『いや、やっぱここはドイツだし、後でパリとか行った時も、フランス人とかって英語で話されると嫌がるとか言うじゃん、ドイツもそうなんじゃないかな』

 前橋は六ケ国語辞典を開き、ドイツ語の『Sorry』などに当たる言葉を調べ始めた。そして見つけたのが『Entschuldigung(エントシュルディグング)』と、やや日本人には難しく感じる発音のようであった。前橋は六ケ国語辞典を開き、食い入るように『Entschuldigung』を見つめながら、繰り返し『エントシュルディグング、エントシュルディグング、エントシュルディグング、エントシュルディグング』とつぶやきながら歩いていた。

 と、その時、前から歩いてきた大柄のドイツ人とぶつかってしまったのだ。まさにその瞬間、前橋の口をついて出た第一声が。。

『あ、すみません!』

 何と日本語!!その光景を見ておれは大笑いをしてしまった。

『前橋!! 今だよ、今! まさに今の瞬間にエントシュルディグングだよ!! 今のような時のために本見ながらつぶやいてて、それで人にぶつかって、なんで、あ、すみません? なんで日本語!?』

『いや、、、、なんか咄嗟に……』

 そう、前橋とはこういう男なのである。

 初日の夜は、一緒にやって来た日本人グループで食事に行った。何といってもフランクフルト、ソーセージを食いながら、ビールを飲む、楽しいひと時であった。

 翌日は、近隣に有名な古城があるとのことで、皆でその古城を見に行くことになったが、おれは一人参加をしなかった。その城に興味は無かったし、スペインではグラナダのアルハンブラ宮殿、マドリードにあるピカソのゲルニカ、を見に行きたい、それ以外は短い時間であってもその街の『日常』を体験したい、という希望が強かった。だからおれは早速単独行動を取り、スーパーに立ち寄り食品売り場などを眺めたり、実際にパンを買って食ってみたり、当てもなく市電に乗って見たり、郊外の動物園にいる白い虎を見に行ったり、そんな中で道に迷い、頑固そうなドイツじいさんに助けてもらったり、『日常』を満喫したのであった。

 二日目の夜、食事を終えたおれと前橋はホテルの部屋に戻った。いよいよ明日、前橋はスイス、おれはスペインのバルセロナに向け列車の旅を始める、ところがである。前橋が言った。

『なあ、小平次、おれさ、やっぱりおれもお前と一緒にスペインに行こうかな…』

『はあ? なんで?』

『なんかさ、やっぱり一人は不安だよ…』

『あのさ、そりゃおれだって初めての海外旅行だから、不安はあるよ、でもさ、お前はスイスの山々を見たいんだろ? おれに合わせて旅行して、こんな旅行生涯で何度もできる事じゃないと思うよ、自分が見たいもの、行きたい場所、行かなかったら後で後悔すると思うよ、絶対にスイスに行った方がいいよ!』

『うーん、そうかあ、うーん、そうだよな…。』

 大学を卒業後、前橋がギター一本で歌うライブへ何度か行った。野性味の溢れる野太く声量のある声、それでも繊細な歌詞、不覚にも涙ぐみそうになったことすらあった。この旅行に来ても、トランジットで寄った香港、フランクフルトの空港、おれは税関の荷物検査などすんなり通れたが、前橋はその外見からか、一々隅々まで調べられ長い時間質問を受ける、そんな男であったが、こういう時は本当にビビリなのである。

 それでもどうにか前橋を納得させ、おれは翌日、バルセロナへ向けて列車に乗ったのであった。



『なあ、頼むよ、インド、おれも一緒に連れてってくれよ』

『わかった、わかったよ、インドへ一緒に行こう、でも約束してくれ、旅程は全部おれが決めるし、飯をどこで食うか、どこのホテルに泊まるか、全ておれが決める、いやだったら単独行動を取ってくれ、おれは自分の決めた旅の仕方を、お前に合わせることは一切ないけど、それを約束してくれるか?』

『おう!わかったよ! 全部お前に従って旅するよ!』

 こうしておれと前橋、インド珍道中が始まることとなった。

 予定は二週間、おれは上司に有給を申請した。たまたま運もあって、営業成績で全国トップを獲っていたおれは、すんなりと休暇申請書にハンコをもらった。

 すぐにHISの横浜営業所に行き、タイ航空、バンコク経由、インディアンエアライン、カルカッタ往復のチケットを2名分購入した。

 前橋と一緒に…、想定外のこととはなったが、腕を切るまでに病んでいたおれは、人生の再出発の儀式として、いよいよ二度目のインドへ旅に出る日を迎えるのであった。




****************
こうしてヨーロッパ旅行のことを思い出しながら書いてみますと、この時も色々あったなって思います。いずれこちらの珍道中も記憶にある限り書いてみたいと思います。

インドでは、ヨーロッパ同様、親友の前橋が予想通り結構やらかしてくれます。というより、大笑いさせてくれる珍道中となりました。

 

 
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インド珍道中 インド、再び⓵ 『決断』

2024-08-01 | 2度目のインド


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

まずは出発までのお話


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 おれは相当に病んでいた。心が。

 順風満帆に思えていた人生、それがこの時のおれには、乗り越えることがかなり難しい問題に直面していた。いや、それは本当のところ、おれが一つ、ただ一つのこと決断さえすれば解決できる問題であったが、おれの心がその決断を受入れることができずにいたのだ。

 だから相当に病んでいた。心が。

 心の病んでいる人間のその気持ちなど、病んでいない人間には理解ができず、『しっかりしろ!』だとか『お前はそんな人間じゃなかった』だのと軽く言うものだから、おれ自身も悪いのはおれだ、実際そうだったのかもしれないが、より病んでいくことになる。

 ある日、二世帯住宅で同居していたおれの母の一言でおれの中で何かが切れた。おれはクリスチャンでもあったが、数年前よりキリスト教そのものに疑念を抱き、決別していくことを決めていた。クリスチャンであること、おれのアイデンティティの大きな部分を占めていたわけで、その決別は自己否定そのものと言っても良かった。それがこの時のおれの置かれた状況と相まって、より一層心を苦しめていたのだ。

 母の一言、何だったかは覚えていない、だがおれはその一言に絶望を感じ、キッチンに向かい包丁を手に取り、自分の左腕の思い切り何度も叩いたのだ。当然血が噴き出た。自分の腕から噴き出す真っ赤な血の噴水を見て我に返った。

『何やってんだ、おれ。。』

 母が泣きながら、それでも毅然と血まみれのおれの左腕をタオルでくるみ、救急車を呼んだ。何針縫ったかは忘れたが救急病院で処置をし、数日後には普通に動かせるようになった。その傷は今もおれの左腕に刻まれている、傷口の端を押すと、今でもピリピリと痺れを感じる。

 こうなる予兆は少し前からあったのだ。ある日のオフィス、何かの書類を書いていたおれの隣の席の同僚が、右手でボールペンを上下に振りながら言った。

『あれ、インクが無くなったかな、澤田さん、ちょっとボールペン貸してくれませんか』

『ボールペン? いいよ、ちょっと待って』

 おれはボールペンを手にとろうと自分のデスクの上を眺めた。だが、ここで少し異変が起こった。

(ボールペン、ボールペン、ボール、、ペン、 ボールペン、、て、どれだ? ボールペンって、なんだ?)

 胸の鼓動が激しくなってきた。(ボールペンがなんだかわからない? いや、そんなことがあるはずがないのだ、でも、本当にボールペンがわからない。。)

 おれは、よもや自分がボールペンが一体なんなのかがわからなくなっている、とは悟られないよう必死に冷静を装いながらデスクの上を探す仕草を見せた。

 同僚は作業を止め、おれからボールペンを受け取ろうと椅子をこちらに向け待っている、冷や汗をかきながら、ようやく目の前に会った赤と黒の二色ボールペンを見つけ、(あ、ああこれだ、これだよ!ボールペンは!)

 何事もなかったようにおれはその二色ボールペンを同僚に渡した。そしてすぐにオフィスを出て、荒くなった呼吸を整えるべく、非常階段に出る重たい金属扉を開け外に出た。7階から非常階段の鉄柵を少し乗り出し下を眺めた。不意に、今ここから飛び降りることがおれのすべきことのような感覚に襲われた。慌ててその感覚を打ち消し、このままこの場にいるのは危険だと判断しオフィスへと戻った。

(マズイな、これはけっこうマズイな。。)

 おれはすぐに早退を上司に申し出て、近くの大きな病院の精神科を受診した。医師に今の自分の置かれている状況などを説明し、たった今ボールペンがなんだか急にわからなくなったこと、非常階段の7階から、まるで自分の意思とは無関係であるかのように飛び降りそうになったことなどを説明した。
 医師は、結局のところ、おれの抱えている問題が解決することが最優先だろう、と言い、とりあえず精神安定剤を処方してくれた。自傷流血事件は、精神科に通院を始めて一か月後のことであった。

 左腕を吊るして来院したおれを見て医師は深刻そうな表情を見せ言った。

『マズいですね、うーーん、澤田さん、ちょっと今度ご家族と一緒に来てもらえますか、ご家族も含めてお話ししましょう』

 数日後、おれは父と病院に行った。

『結局は今、小平次さんが抱えていることを無くすことしかないんですね』

 医師はおれでなく、父に向って話をしている。

『一時的にはつらいかもしれませんが、前を向いて人生をやり直す、難しく考えずに時間をかけてゆっくり気持ちを切り替えて行く、時が薬、とも言いますからね』

 父もこの医師の言葉にうなずいていた。実際おれもそれしか道がないことはわかっていた。

 桜木町にあったその病院を出て、みなとみらいの方へと向かった。まるで子供のころの親子にもどったように、遊覧船に二人で乗った。潮風を浴び、海を眺めながらおれは言った。

『オヤジ、迷惑かけてすまなかった、もう決めたよ、前へ進む』

『そうか。。』

 同じように海を眺めながらオヤジが答えた。

『それにしても、横浜の海は随分きれいになったな。。』

『ああ、あそこに見える汽車道で、おれは随分たくさんスズキを釣っているんだよ。。』

 それからおれは、まるでずっと心に強く巻きついていた太い縄を断ち切るように、前に進むことを決断した。キリスト教からの決別も誓った。家族の他にもおれを支えてくれる人にもまた出会えた。完全に心が回復したと思えるようになったのは、さらに数年がかかった気もするが、この時はただ、

 前に進もう

 前に進もう

 そう強く思っていた。

 だが、それには大きく気持ちを切り替える、何か儀式のようなものが必要な気がした。

『儀式』

 しかも強烈にインパクトのある

『儀式』

 おれの頭に一つだけ浮かんだものがあった。

『そうだ! インドへ行こう!』

 そうだ、インドへ行こう、あの悠久の大地へ再び、人間の原点そのものがあからさまに蠢く街カルカッタ、バブーたちのいるプリー、そうだ、インドへ行こう!

 そう決めたおれだったが、心の回復がまだ完全ではなかったこともあり、親には反対をされたがおれの決意は変わることはなかった。


 インドへ! いざ、再び!


*****************

二度目の時は日記をつけていませんでしたので、記憶のみを頼りにつづってまいります。初回はいきなり暗い感じで始まりましたが、旅行中はとても楽しかったので、またお付き合い頂ければ幸いです。

 
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