さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド珍道中 2度目のインド『エア合コン』

2024-12-24 | 2度目のインド


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

前回、インドへは行ってみたいけど、一人では怖いからどうしても一緒に連れて行ってくれ、と懇願して付いてきた来た前橋君を、混沌と喧騒の渦巻くカルカッタ市街の衝撃は一人で味わうようにと空港から先に行かせてみたら、待ち合わせのインド博物館前には立ってもいられず、地下鉄の構内に隠れていた、そんな前橋君と何とか無事に再会した、というところまででした。

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 おれと前橋は、一先ず宿泊を決めていたホテルに向かい、チェックインを済ませた。6年前、このカルカッタに長期滞在した時に泊っていたホテルは、一泊70ルピー、日本円で350円、部屋にはシャワーとトイレがついていたが、広さは畳三畳ほどの狭い部屋だった。今回は一泊700ルピー、10倍の宿泊料だ。この辺りではまあ、中の下くらいだろうか、下の下以下の安宿がひしめくサダルストリート周辺のホテルとしては上々である。

 おれ達は荷物を置いて、晩メシを食おうと外に出る、おれが6年前によくチキンチリを食いに行っていた店の方へ、記憶を頼りに歩き出した。インド博物館側の大通りとは逆に向かい、狭いながらも人や車、リクシャがごった返す通りへと出た。



『確かね、この通りの真ん中らへんだったと思うんだけど。。』

 店の名前などは覚えていない。それでも少し歩いてそれらしい店を見つける。

『うーーん、ここかな…、うん、多分ここだな』

 かなり曖昧な記憶による頼りない確信をもって扉を開け中へと入り、席につきすぐにメニューを開く。

『うーーん…、 ん? おお、これだ!Chicken Chilli!!この店で合ってた!』

 6年前、一番メシを食いに通っていたサダルストリートにあった店は、この店に来がてら探したが、もう今は無くなっていた。この店は健在で良かった。チキンチリの他にナン、細長いコメのライス、そしてビールを注文した。

『おれ、前に勤めてた会社でさ、日帰りで東京から盛岡まで新幹線で出張行ったんだけどさ、大して歩いたりしたわけじゃないのに、帰って来たらどっと疲れてたことがあってさ、人間て、時間とか関係なく、移動する距離の分疲れるもんなんだって思ったんだよ』

『ああ、確かに、今日だって飛行機はバンコクから2時間半、タクシーで30分、歩いたりしたわけでもないのに疲れたよな、ま、おれの場合極度に緊張したのもあるんだろうけど…』

 出されたビールをグラスに注ぎ合い、まずは疲れた体に一気に流し込んだ。すぐにチキンチリも出て来た、おれはインド人のように手づかみで、荒っぽく骨付きチキンに食いついた。前橋の方は、そのワイルドな外見に似合わず、丁寧にフォークを使い食い始める。

『おお、すげぇ辛いな、でも味はしっかりしてて旨いな』

『だろ? 日本でよく激辛カレーとか食うとさ、辛いだけで味がわからなくて、悲しくなることあるよな』

 辛い料理を食い汗をかきながら、冷たいビールを飲む、最高だ。おれ達は十分に満足をして店を出た。途中、酒屋でウイスキーを買い部屋に戻った。

 
 世界一汚い街、と揶揄されるカルカッタ、相変わらずゴミも多く、排気ガス、砂埃、まずはそれらを思い切り吸い込んだ汗を流したい。

『前橋、先におれがシャワー浴びてもいい?』

『ああ、構わないよ』

 おれは替えのトランクスとタオル、日本から持ってきた石鹸を持ちシャワールームへ向かう。前回カルカッタで過ごしたホテルよりは値段の分、シャワールームも随分広い。一応お湯の栓もあるが、捻ってみてもやはり水しか出ないようだ。まあ、インドだから仕方ない、おれは直接石鹸で体をあらい、水浴びをしてシャワーを終え、トランクスとTシャツ一枚の姿で、頭をタオルで拭きながらシャワールームを出た。

『ん?』

 シャワールームの方に背を向けてソファーに腰掛けていた前橋が、おれが出て来たことに気づかず、何やら身振り手振りでジェスチャーをしている。

(なんだ?)

 両手を前で合わせ、頭上に上げてから「ドン」と、もちろん音はしないが落としてみたりしている、よく聴いていると、小声で時折何か言葉も発しているようだ。少し体を前に乗り出したり、腕を組んで頷いたりしているその姿は、おれには見ることのできない誰かと話をしているようだ。ちょっと気まずいものもあったが、万一心霊と話されたりしていると困るので、おれは思い切って声を掛けた。

『おい、何してんの?』

 前橋は不意に声を掛けられ大いに驚いた様子でおれの方へと振り返り叫んだ。

『ああああ! も、もう出たのか!?』

『あ、まあ、水しか出ないし。。。』

『そ、そうか、じゃあおれもシャワー浴びようかな…』

『いやいや、ちょっと待って、今の…』

『……、見てた?』

『ごめん、結構長く見てた…』

『ああああ!』

『で、何してたの?』

『い、いや、何でもないよ…』

『いやいや、何でもなくないよね、誰かと、おれには見えない誰かと話してたよね…』

『………。』

 おれは前橋の横に腰掛けて言った。

『…、なあ前橋、覚えてる? 大学4年のとき、就職の適性検査だって言って、2時間くらいかけて同じような質問に答えるアンケートというか、心理テストみないの受けたじゃん?』

『あ、ああ、そんなのあったっけな…』

『あの時の質問の中にさ、「空想の中に友達がいる」、はい、いいえ、みたいな質問があってさ、おれ、ハイって答えたんだよね、で、結果おれ、その回答のせいかはわからないけど「社会不適合型」って診断されたんだよ』

『空想の中に友達がいるってお前、(笑)(笑)(笑)』

『お前が笑うとこじゃないよね…』

『………。』

『おれ、高校の時から、音楽始めたんだけど、野球部に憧れがあってさ、空想の中で自分の野球チーム作ってたんだよ、レギュラーはみんなおれの仲の良かった友達で組んでたんだけど、一人だけ空想の選手がいて、一番打者で俊足、ポジションはセンター、名前は園田、時折空想の中で園田と話してたりしたんだよね』

『ソ、ソノダ? (笑)(笑)(笑)』

『お前が笑うなって、でもだからさ、今のお前の、さっきのヤツ、気持ちわかるし、笑ったりしないからさ、誰と話してたのか教えてくれよ』

『…、…、いや、その、』

『なあ、誰と話してたんだよ?』

『いや、まあ実は…、去年さ、お前が合コンに誘ってくれたじゃん…』

 確かに、支店勤めのおれや同僚が、普段接点のない本社総務の女子に本社勤務の同期を通じて声を掛け、まあ、合コンと言うか飲み会を企画し、彼女のいない前橋にも声を掛けたことがあった。二次会でカラオケ、プロの歌歌いを目指していた前橋がボン・ジョヴィを歌うと、その大迫力に一同驚愕、素人のカラオケ飲み会のレベルでなくなり、却って女子から引かれたことがあった。

『…、…、でさ、また日本に帰ってからああいう合コンなんかにお前から誘われたこと想像して、その、女の子達と話をしてるところを、その…』

『妄想してたんだな? そうかぁ…、でさ、何かこう、両手使って上からドン、みたいな、物が落ちたみたいなジェスチャーしてたよね、あれは、その、エア合コンで何を女の子に話してたの?』

『ああああ、それも見られてたのか…、あれは、その、来る時の飛行機でさ、タイエアーの、機内食食ってるとき一度大きく高度が下がったことあったじゃん、高度が下がったと言うより落下したってくらい落ちて、機内もどよめいて…。』

『あ、ああ、あったね、で、あのジェスチャーは?』

『…、だから、あの時機内食のプレートが一瞬中に浮いたじゃん、だからそれくらい凄い落ち方だった、って、その、…、女の子に話して…。』

『あ、ああ、なるほど、あれは両手で浮いた機内食のプレートが落ちる様を表現して、それを女の子に話してたんだ…。  ぶ、ぶわっぶわっはっはっはっはっはっはっは!!!!

 おれは思わずソファーから転げ落ち、腹を抱え死ぬほど笑った。

『おい! 笑わないって言ったじゃねーかよ!!』

『いやいや、ごめん、ごめん、(笑)(笑) いや、そうだな、帰ったら合コンやろうな、でもさ、機内食の浮いた話、お前がその合コンで女の子にする前に、既に妄想の中で女子のみんなに話してたことをおれが言うから!(笑)(笑)(笑)(笑)』

『そ、それはやめてくれ~!!』

 (笑) (笑) (笑) (笑)

 おれはその後フロントに言って氷をもらい、ウイスキーのロックを二つ作り前橋に一つ渡した。

『いや、まあ、恥ずかしいとこ見られちゃうって、プッ、だれでもあるから気にするなよ、ププッ、この後、旅を楽しもうぜ!』

『…、お、おお…、』

 インド、男二人の珍道中、カルカッタでの初日の夜は更けて行く。


*************************つづく
さてさて、前橋君は翌日もやらかしてくれます。ww




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同窓会のお誘いと武士道

2024-12-16 | 日記・思い出・愚痴・雑感の備忘録


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

相変わらず、ドタバタと忙しく過ごしております(泣)

先日、小平次の事務所に一本の電話が入りました

電話を受けた女性が「Y・Aさん、という方から沢田小平次さんはいらっしゃいますか、というお電話なんですけど…」、と怪訝そうに受話器を持ったまま保留にして小平次に伝えます

普通はフルネームでそんな確認したりする電話はあまりないですし、営業の電話でも代表者の方いますか、とかですので、小平次もちょっと怪訝そうに外線ボタンを押して電話を変わります

『はい、お電話変わりました、沢田ですが…』

『あ、沢田小平次さんですか、私Y・Aと申します』

『はい…、Y・Aさん… ?』

『あのう、沢田さん、昔神奈川県に住んでらしたことありますか?』

『……、えっ? あ、ああ、はい…。。』

『で、〇〇中学校ご出身ですかね?』

(なんだ? 新手の詐欺か…?)

『えっ? そうですけれど…?』

『おおお! 沢田君!良かった 見つけたー!! おれ、Y・A、覚えてない? 〇〇中で一緒だったY・A!!』

『Y・A、…、…、お? Y・A? おおおおお! Y・A! 覚えてるよ! あのY・A!、ちょっとガタイ良かった、〇〇の方に住んでたY・A君?』

『そう! そのY・A! いやぁ久しぶり!! 検索して一番先にヒットしたところで一発だった!』

『おおおお、ほんと久しぶり!! びっくりしたよ!』

『いや、実は〇中出身、あの時の全クラスの同窓会をしよう、って、生徒会長だったTが企画して、おれ305のクラス幹事になってさぁ!』

『そうなんだ、へえ~、おれ、今まで同窓会って、一度も出たことないんだよね、でもそれは面白そうだね、ぜひ行きたいよ』

『おお、それなら連絡先教えるんで時間ある時ショートメール送って、色々案内するから』

いやいや、びっくりしました、ほんと、不審な電話かと思いましたしね、でも、偶然ってすごいことがあって、たまたま数日前に中学校の卒業アルバムを屋根裏から引っ張り出して来て、この電話の前日、ちょっと眺めてたんですよね、いやびっくり

数日後、Y・A君からの連絡で、近々会いたいね、との連絡があり、小平次も是非、と返信

で、昨日、何十年ぶりかにY・A君と新宿の居酒屋で再会してきました

この日は、Y・A君が、今回の同窓会のことなどで連絡をとっていたK・K君も顔を見せてくれました

K・K君は小平次と幼稚園から一緒で、散々子供の頃遊びましたし、クリスチャンの家でお互い教会にも大学生まで通ってましたので、20代の前半頃までは良く遊んでいた友人です

少し遅れて顔を見せたK・K君、小平次の顔を見るなり満面の笑み

『おおおおおお!! さわだーーーー!!』

抱きつくような勢いで握手します

いやいや、本当に久しぶりの再開、小平次を含め、だいぶ歳をとりましたが、みんな面影が少し残っています

積もる話…、と言えば積もる話ばかりで大変に盛り上がりました

懐かしい同級生たちの話、担任教師の話、悪さした話、好きだった女子の話、また自慢話になりますが、小平次が女子にモテた話ww、本当に楽しい時間を過ごしました

Y・A君もK・K君も成績は小平次よりもかなり良く、二人とも偏差値の高い高校に進学していました

Y・A君とは中学卒業後はあまり会っていなかったのですが、K・K君とは大学生の時までは頻繁に会っていましたし、その後も教会の関係で度々顔を合わせてはいました

二人とも、大学卒業後は大手企業に就職、技術屋さんとしてずっと今日まで勤め上げて来たそうです

小平次は、まあ、インド行ったりとか、今の生業につくまでは色々ありすぎましたw

K・K君が言います

『沢田はさあ、インドとか確か放浪したよな、で、そのあと▲▲社に就職して、そのくらいまでは記憶にあるけど、その後は全然知らないよ』

『いやあ、ほんと色々あり過ぎて、一辺には話せないど、▲▲にいた時、新聞一面に載るような収賄事件を会社が起こして、某有名政治家や▲▲の幹部が逮捕されたりして、その時おれ、政治部門にいたもんだから、退職して…』

『その後も色々あって、おれは二人と違って典型的な文系人間だからさ、手に職も無いし、法律系の資格取ろうと、タクシードライバーしながら司法書士試験の勉強を始めて、でもハードルが高くて、何とか行政書士の資格取ってさ、一応自分の事務所開設して、▲▲のときの政治部門のトップだった人に仕事もらいがてら挨拶行ったら、そこからなんかとんとん拍子で、いつの間にか、自分の個人事務所とは別の、20人ちょっと職員抱える他の団体の代表になることになってさ、まあ、今そんな感じ』

『へえ、有資格者で代表者、すごいな』

『いやいや、その分、一杯人にも迷惑かけて、おれからしたら一つの会社で勤め上げる方がよほどすごいと思うよ、ところで、K・Kはさ、今も教会に行ってるの?』

『おお、行ってるよ、別の教会だけどな、今日も礼拝に出てから来たんだよ、沢田は?』

『おれは、もう決別っていうか…。』

『そうかぁ』

『いや、インドとか旅してさ、何人かのインド人に同じこと言われたんだよ、「お前たち日本人は、アメリカやイギリス、白人の差別に勇敢に立ち向い戦った、それが今じゃアメリカの言いなりだって…』

もちろん、今、熱い信仰心をもって教会に通っているK・K君や、他の人たちを批判したり否定したりする気は毛頭なく、それはそれで尊重しています

実際、教会に来ていた人たちは大概真面目でいい人ばかりでした

小平次やK・K君のように悪さをするのもいましたけど

『インド行ったずっと後のことだけど、ネパールのカトマンドゥで大地震に出くわしてさ、いつ帰れるかわからない状況で、空港で待っているとさ、中国やアメリカの救援機が飛んできて、救助隊が降り立つんだけど、中国機には中国人が歓声を上げても、他の国の人たちはシーンとしてて、米軍機が来ても周りはシーン、でも、オレンジのユニフォームの日本の救助隊が降り立ったらどこの国問わず、ロビーで大歓声が上がったんだよ、で、ネパール人っぽいヤツがおれに、嬉しそうにJAPAN!、JAPAN!って声かけて来て…、少なくともおれが訪れた国々では、かつての日本軍人をほめる人はいても、オレたちが教わった軍国主義の侵略国、と思っている人は、いなかった、こういう信頼って、簡単に築けるものではなくて、やっぱり先人たちの努力の結果なんだと思うんだよね』

小平次は続けます

『で、歴史見直して、日本って、同じ島国であるイギリスとは全く違っていて、実際のところキリスト教国は戦争や侵略を繰り返して来て、今もそうで、逆に日本人が長い年月を掛けて培ってきた武士道の精神、の方がよほど世界の平和に貢献できるはず、って思ったんだよね』

新渡戸稲造が記した『武士道』の精神は、近現代に突然現れた思想ではなく、長い日本の歴史の中、様々な思想、宗教などを日本的なものとして取り入れ熟成されてきたものだと思っております

宗教であるキリスト教の博愛は、神からそう命じられた外的なものであるのに対し、日本人の武士道の精神は、繰り返しますが、長い歴史の中で熟成された内から発せられる精神、この違いは大きいですし、それを発信することができるのも日本しかない、と思っています

程よく酔いが回りながらも、Y・A君とK・K君は小平次の与太話を聞いてくれています

K・K君がニヤっとして言います

『なあ、Y、コイツこんなこと真面目に話してるけど、学生の頃は随分女の子泣かせてるんだぞ』

『えっ?そうなの? あ、おれも思い出した、中学の頃何人かの女子が、沢田君にエッチなことされたりするから助けてって相談されたことあった!』

『えっ!? おれが? だれよ?』

『Y・Hさんとか〇〇さんとか…』

『えっ!? Y・H!! えっ!? うそでしょ! おれ、彼女のこと好きだったし、彼女にはエッチなこと言ったりしたりしてないよ!!』

『いやあ、沢田君はいじめられてるヤツとか助けたり、正義感の強いヤツってイメージだったけど、今思い出したよ、そんなヤツだったんだ』

『いやいや、Y!、正義感強かったのもオレ! ちょっとエッチな悪ガキだったのもオレ!全部沢田小平次少年!!』

(笑) (笑) (笑)

いや、ほんとに懐かしく楽しかったですよ、同窓会が楽しみです

二人ともいい大人になっていて、小平次なんぞまだまだです


御免!

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