EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ロッキンf  1977年8月号

2017-06-16 14:36:51 | 音楽誌に載ったEmerson,Lake&Palmer
ロッキンf  1977年8月号



カール・パーマーへのインタビューが掲載されています。

翻訳のインタビュー記事は、
訳者によって、ミュージシャンの話す雰囲気のようなものが、
かなり異なっていると感じるのは私だけではないでしょう。

EL&Pは国内ではキースのインタビューが最も多かったと思いますが、
「オレ」とか「私」とか「僕」等、
自分自身を呼称する表現にどの言葉を用いるかによって、
翻訳される大意は同じであるとしても、
インタビュー全体から放たれる印象は違ったものになりますよね。

このロッキンfのカールのインタビューのカールは、
「僕」で表現されているのですが、
カールのインタビュー記事は、「僕」が多いような気がしますね。


扉のページ

カールのかん高い声を日本語に翻訳すると、
こんな感じになるのかも知れないという言い回しでまとめられています。

忘れていた事や、知らなかった事が載っていますので、
概略を挙げてみます。

1.「ELP四部作」はマネージャーのスチュワート・ヤングのアイデアである。
カールはこのアイデアをとても気に入っていて、
(他のバンドが試みていない)画期的なアイデアだと思っている。
ソロアロバムにしてしまうと、それぞれのメンバーの売り上げの足を引っ張る事に、
つながる事も想定されるし、その意味でも、良い具合にまとまったと思う。

2.アルバムタイトルの「WORKS」は、ピート・シンフィールドのアイデア。

3.「L.A.ナイツ」は、1974年にロスアンジェルスで、ジョー・ウォルシュとバーでバッタリ会った時に、彼は退屈そうにしていたのだが、意気投合して一緒に演奏しようという事になった。
(カールの方は全米ツアー中って事かも知れません。)

4.マンティコアはレコード会社としては、廃業したが、出版業者としては、維持継続している。
EL&Pのツアーの企画等、マンティコアで行っている。

5.カールは、以前のツアーで前座を務めていた、バックドアのアルバムをプロデュースした。

等々。

今でこそ、アメリカンロックをあまり聴かない人であっても、
名前だけは知っていると思われるジョー・ウォルシュ。

ウィキで見てみると、その情報は、あまり多くはないのですが、
HMVでのプロフィールの方がさらに詳しいです。

1972年に最初のソロアルバムをリリースしてから、
セカンドアルバムに収録された「ロッキー・マウンテン・ウェイ」という曲がヒットしたらしいですが、それがどのぐらいのヒットであったかはちょっとわかりません。

そのあたりから、ジワジワと知名度が上がっていたようなのですが、
ジョー・ウォルシュがイーグルスに加入したのは、
1975年のようなので、カールと演奏したのは、その前という事になりますね。

「ホテルカリフォルニア」がリリースされたのは、
1976年の12月。
「ELP四部作」のリリースより数ヵ月前ですね。

ジョー・ウォルシュは、「ザ・ベスト」では、キースと同じステージに立っているので、
EL&Pファンにとっては、
折りに触れてメンバーに近い位置にいたギタリストの一人という事になるかと思います。

以上。

EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村 音楽ブログ プログレッシブへ
にほんブログ村