引き続き、現代思想のパフォーマンス。
この本、おもろいわーー。
エクリチュールについて。自分の言葉で
語っているようで、テレビのキャスターの言葉を
語ったりってなこと。そう考えると、
、自分だけの言葉や、作品はありえない。
そうすると、作品を、テクスト(織物?)とし、
その中に、自分を溶け込ませるしかないと。
バルトについての解説で、パスカルの言葉
「偉大さは、一つの極限にいたることによって示されるのではない。
二つの極限に同時に触れることによって示されるのだ」、なるほど。
例えば、映画は、監督のカラー、カメラマンのカラー、役者のカラー。
映画は、誰のもの?監督に、映画で、語りたかったことは?なんて、聞くのは
ナンセンスということか。
その実践されたものとしての、映画「エイリアン」
ジェンダーの視点と、男性的視点。本当?
やはり、作品あるいはテクストを作る際には、方法論や視点が大事だなあ、と。
今さら、ポテサラ、サラサラ。
両極にこのブログはいけたかな?なんて。
この本、おもろいわーー。
エクリチュールについて。自分の言葉で
語っているようで、テレビのキャスターの言葉を
語ったりってなこと。そう考えると、
、自分だけの言葉や、作品はありえない。
そうすると、作品を、テクスト(織物?)とし、
その中に、自分を溶け込ませるしかないと。
バルトについての解説で、パスカルの言葉
「偉大さは、一つの極限にいたることによって示されるのではない。
二つの極限に同時に触れることによって示されるのだ」、なるほど。
例えば、映画は、監督のカラー、カメラマンのカラー、役者のカラー。
映画は、誰のもの?監督に、映画で、語りたかったことは?なんて、聞くのは
ナンセンスということか。
その実践されたものとしての、映画「エイリアン」
ジェンダーの視点と、男性的視点。本当?
やはり、作品あるいはテクストを作る際には、方法論や視点が大事だなあ、と。
今さら、ポテサラ、サラサラ。
両極にこのブログはいけたかな?なんて。