週五日記

ボチボチがんばります

資本主義の精神と経営学(資本主義の精神)

2009-01-23 08:47:46 | Weblog
朝、日経新聞で章栄不動産の民事再生の

記事。なんか、自分が歴史の証人になった気分。

松山の知り合いに電話で話すると、ジョーコーポレーションも一昨日

民事再生申請。昔、飲み屋であった従業員のヒトは、3時まで飲んで、

朝から働きます的な勢いあったがなあ、としみじみ。

松山の建設業界もこれからが本番。チーママが、メロンくりぬいて、

ブランデー入れてたヒトは来なくなったといっていたが、

そういうヒトが、今、大変なんだろうな。


そんな中、資本主義の精神について。まず、資本主義といっても

商業資本主義から、産業資本主義へという感じかな。

資本主義があって、その精神なのか、それとも、精神があって、資本主義なのか?

そりゃ、地域ごとに違うだろうが、基本は、精神があって、資本主義だろうな。


マックスウェーバーに沿って考えた笠原先生によれば、予定説と、天職説がカルヴ

ァン主義者に根付いていたのだと。予定説は、簡単には、善をほどこしたヒトが救

われてる考え方で、天職説は、自分の仕事は、神が与えてくれたもので、自分の仕

事をやることが、神に奉仕することなのだと。ここから、さらに、天職説は、具体

的には、市民生活を規律するように、節約的な生活を具体的な基準とするのだと。

そうすると、必然的に、余剰が残る。では、その余剰をどうするかといえば、

神の意志に従うならば、神が与えてくれた天職のために、再投資することこそが、

神に余剰を捧げる唯一の方法なのだと。ほーーーーーーーー、なるほどね。


と考えると、享楽的な快楽に身をまかせるのでなく、常に、資本主義のサイクル

の中で、走り続けないといけないということかな。


今日では、当時の「神」の位置に、何かを設置する必要があり、何を置くかが、

ヒトによって違うんだろうな。


さて、自分は「何」を置こう?
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