部族民・蕃神は日野市(東京多摩地区)に住む。日野緑小学校の合唱団がこのたび(10月13日)「NHK全国学校音楽コンクール」小学校の部で金賞(全国一位)に輝いたとのニュースに接した。連続7年の栄誉である。写真は日野市全居宅に配られる「広報ひの」の号外である。月に2度の発行、最新は1457号に達する。およそ700月30年近く刊行されているけれど、号外は初めてである。市民、担当者の熱のこもりが伝わる。
日野市ニュースの号外(拡大は下に)
しかし何故に、かくなる立派な成績を達成できるのであろうか。指導する先生の努力、彼女を支える同僚達、校長教頭様々の理解、そして父兄の協力などがあげられ、これらが大事な背景であろう。そして部族民としての解釈を述べる。
「よろこびの声」が号外下欄に掲載されている。校長先生(大和田氏)の一文を借りよう。
「本校は七尾丘陵の上に位置する学校です。子供達は毎日、坂道を上って練習を重ねてきました。丘の上で仲間と音楽を楽しみ、これからも先の世界へと翔んで行くことでしょう」(号外から)
すると丘の上の見晴らし、緑(木々)に囲まれる自然の賜なのか、坂道を登る日々の運動が声帯と肺活量が改善されていると理解できる。もう一点を追加しよう。丘陵の風である。
小筆は七尾丘陵の一隅に居を構える。(自身の家ではなく、知り合い居宅を「宅借り」しているだけ)。その地は緑小学校とは離れる、グーグルで調べるとその距離およそ3kmほど。しかし緑と坂道は同じである。そして同じ風を身に受けている。
真夏では無理、真冬も風が強いからそれは聞こえない。時期としては秋の今時、気配が深まれば深まるほど、空気が優しく風は穏やか、好条件となる。すると聞こえてくる。
静かな秋の昼下がり、夕刻に掛けて庭に出て、茂みに踏み入り耳を澄ます。どこからか渡り来るは妙なるメロディ、耳に響くのはどこにまでも空に抜けていく、澄み切った子供達の声である。風が運んだその声を空に宿る天使の声かと信じてしまう。ほっと心が和むのはその響きの透明によるのだろう。
きっと練習室の窓を開け、日の差し込みを傍らに、緑の影に向かい練習に励む子供達が、吹き抜ける風に声を乗せ、それが森をわたり谷間を越えて、丘陵の高さで並ぶ陋屋(借り宅ながら)の庭先、地先に忍び込んでいるのか。声を揃え風にささやきき掛ける子供達の努力を聞いているのかもしれない。だから丘陵の風だって子供達を育てているのだ。
7連勝の裏方に坂道、木陰、そして七尾の風があったのかもしれない。子供達は日野の、丘陵の子供なのかもしれない。
写真:子供達の表情がすばらしい、日野の子だ。
さて;
小学生の合唱団ならば出先で披露するなど滅多にない。10月27日には日野市合唱祭が開催され、オープニングセレモニーを祝すると決まった。開催式はこれまでは出入りが自由、しかし今回にのみ「切符」が必要になった。切符は市販されない、聞くところでは合唱祭に参加する方々(団員と指揮者)に配られたらしい。しかし聴きたい市民の数はあまた、会場(市民会館、1000席未満)は大きくない。値段を付けない切符の価値がコネや友達関係で「プラチナム」化している。合唱活動で東京一盛んな日野市らしい現象です。小筆にあり平素聞き惚れている天使の声の現物を耳にしたいと願うけれど、合唱団にコネがないから無理である。
日野市ニュースの号外(拡大は下に)
しかし何故に、かくなる立派な成績を達成できるのであろうか。指導する先生の努力、彼女を支える同僚達、校長教頭様々の理解、そして父兄の協力などがあげられ、これらが大事な背景であろう。そして部族民としての解釈を述べる。
「よろこびの声」が号外下欄に掲載されている。校長先生(大和田氏)の一文を借りよう。
「本校は七尾丘陵の上に位置する学校です。子供達は毎日、坂道を上って練習を重ねてきました。丘の上で仲間と音楽を楽しみ、これからも先の世界へと翔んで行くことでしょう」(号外から)
すると丘の上の見晴らし、緑(木々)に囲まれる自然の賜なのか、坂道を登る日々の運動が声帯と肺活量が改善されていると理解できる。もう一点を追加しよう。丘陵の風である。
小筆は七尾丘陵の一隅に居を構える。(自身の家ではなく、知り合い居宅を「宅借り」しているだけ)。その地は緑小学校とは離れる、グーグルで調べるとその距離およそ3kmほど。しかし緑と坂道は同じである。そして同じ風を身に受けている。
真夏では無理、真冬も風が強いからそれは聞こえない。時期としては秋の今時、気配が深まれば深まるほど、空気が優しく風は穏やか、好条件となる。すると聞こえてくる。
静かな秋の昼下がり、夕刻に掛けて庭に出て、茂みに踏み入り耳を澄ます。どこからか渡り来るは妙なるメロディ、耳に響くのはどこにまでも空に抜けていく、澄み切った子供達の声である。風が運んだその声を空に宿る天使の声かと信じてしまう。ほっと心が和むのはその響きの透明によるのだろう。
きっと練習室の窓を開け、日の差し込みを傍らに、緑の影に向かい練習に励む子供達が、吹き抜ける風に声を乗せ、それが森をわたり谷間を越えて、丘陵の高さで並ぶ陋屋(借り宅ながら)の庭先、地先に忍び込んでいるのか。声を揃え風にささやきき掛ける子供達の努力を聞いているのかもしれない。だから丘陵の風だって子供達を育てているのだ。
7連勝の裏方に坂道、木陰、そして七尾の風があったのかもしれない。子供達は日野の、丘陵の子供なのかもしれない。
写真:子供達の表情がすばらしい、日野の子だ。
さて;
小学生の合唱団ならば出先で披露するなど滅多にない。10月27日には日野市合唱祭が開催され、オープニングセレモニーを祝すると決まった。開催式はこれまでは出入りが自由、しかし今回にのみ「切符」が必要になった。切符は市販されない、聞くところでは合唱祭に参加する方々(団員と指揮者)に配られたらしい。しかし聴きたい市民の数はあまた、会場(市民会館、1000席未満)は大きくない。値段を付けない切符の価値がコネや友達関係で「プラチナム」化している。合唱活動で東京一盛んな日野市らしい現象です。小筆にあり平素聞き惚れている天使の声の現物を耳にしたいと願うけれど、合唱団にコネがないから無理である。