蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話から物語りへDu Mythe Au Roman 5

2019年10月23日 | 小説
(2019年10月23日) 群としての神話の規定を前回説明した(前回のPDF、下の写真をご参考)。神話学第一巻「生と調理」の前文(序曲)には単体としての神話の構造を解説している。これもPDF化しているので参照してください(写真を下に貼り付けた、比較する)。 シミデュの冒険神話(M60Tukuna族)がモンマネキ神話と他の同類神話とで形成するグローバルに位置できない理由、それらの神話群に仲間として認識されない仕組みを明らかにする。本書「食事作法の起源」95頁の記述を引用します。 <On ne saurait pourtant négliger le fait que ces mythes apparaissent très différents quand on les envisage sous l’angle syntagmatique> 動詞savoir(知る、できる)の条件法sauraitをここで用いる。この場合は<Pour marquer un fait douteux, en particulier lorsqu’on presente ce fait comme une assertion>。疑わしいと示すものの当の本人(主語)は断定している。一歩の踏みとどまりの含みを見せるが、それは修辞で読者に判定を委ねるため。こうした用い方である。この用法は「条件」法の意義から離れると書(文法書Le bon usage)に注釈がある。 訳;しかしながら、読者に判断をゆだねるが、syntagmatiqueの視点から両神話(モンマネキ、およびシミデュ神話)を比較すると似通いは全くない。 写真:吠え猿Guariba、新大陸で大型の猿、獲物として嬉しい。 コロロマンナ(下の神話)が必死に守ったわけだ、生と調理の挿画から 当該神話群でのsyntagmeをPDFから抜き書きすると;天体の創造、日夜の交代…など「天文周期性の創造」である。読者、確認にはPDF(ここでは写真)で。しかるにシミデュ神話にはそれらがsyntagmeとして、別の言い方でanalytique(分析思考)として、さらには共時性因果として、筋立てに反映されていない。天体と関連するのは庭番のVenkicaの膝をシミデュがしこたま打って、脚無しにしてオリオン座に昇天させたくだりがあげられる。しかしこの発端はM362の筋(兄嫁にそそのかされた次弟が末弟を殺して脚を切り取った)、polyandrie一妻多夫にまとわりついた罪、そして罰の因果、葛藤は読み取れない。Syntagme(分析思考)がparadigme(弁証法思考)に影響する、さらに前者と後者が枠となり群としての神話の伝達意志、筋道、背景を拘束する仕掛けを設定する。これがglobalであり、この枠内にシミデュは住まない。 <Tous deux affectent la forme d’un récit a episodes mais, dans M354, cette ressemblance est trompeuse puisque nous avons pu mettre a nu derrière la forme une construction dont les éléments, observes dans des perspectives diverses, s’agencent toujours avec precision> 訳;2の神話は語りの流れを挿話のつながりとしている点で似通う。しかしM354(モンマネキ神話)についてはすべての挿話の帰結が、ある原理に支配されているのだから、(形だけの)似通いは当てにならない。我々(レヴィストロース本人)は形態の背後に潜む、とある「構成」をすっかり裸にしてしまった。構成体の各要素は正確にあるべき処に収まると証明した。 「転がる首」神話に限らず、神話群が規定するglobalに位置を取れば、その神話はsyantagme/paradigmeが固める枠、制約(contraintes)を受けるから語り口が整うとの主張である。そもそも、制約そのものが神話群の規定である訳です。 生と調理の序曲から起こした神話3分節のPDF(スクリーン写真) 前回投稿の神話群グローバルのPDF それでは、いかなるglobalからも外れる神話は何を表現するのか; <les types dont ils (=episodes) relevent semblent resulter d’une invention plus libre, toute prete a s’affranchir des contraintes de la pensee mythique si même elle ne l’a déjà fait.On peut se demander si l’histoire de Cimidyue n’illustre pas un passage significatif du genre mythique au genre romanesque, dont la courbe est plus souple ou n’obeit pas aux mêmes determinations.> 訳;それら挿話が取り上げる登場者形態は全くの自由解釈に寄るものである。神話的思考(la pensee mythique)の制約を乗り越える手前、あるいはもう乗り越えてしまっている自由さを享受している。 物語に移行する際の選択はかなり柔軟で、登場する人物動物などの規定(神話の3分節PDFが伝えるpropriete性格)も無視している。神話から物語りへの移り変わりを表す例としてシミデュ神話を取り上げないとすれば、なおいっそう自問しなければならない。 (注:なお一層の「自問」とレヴィストロースは語る。しかし彼にはそんな反省、再考はあり得ないけれど) シミデュに脚を砕かれた庭番はVenkicaと伝えるが、これは凶悪鬼の名である。たかが女のシミデュに打たれ「しゃべるなよ」と脅され、ジャガーの問い質しに「あの大女にはほっといてくれ」と泣いた。こんな語りを聞いたら族民は、Venkica定義、3分節でのproprieteの無視に走り、神話的思考から解き放たれて、ヤンヤの喝采をあげただろう。 もう一例; M317 Warrau族 コロロマンナ(Kororomanna)の冒険(蜜から灰へ332頁) 狩人コロロマンナは吠え猿をしとめ村に帰らんとするが日が暮れた。仮の宿をこしらえ一夜を過ごす。夜ふけて適地でなかったと分かった。<son campement est en plein milieu d’une route frequentee par les demons>仮の宿りの周りに、ありとあらゆる悪魔が出没し始めた。身動きせずに潜んでいたが、獲物の吠え猿がおならを漏らした。死後、腹に溜まったガスが抜けた。悪魔に獲物を取られてはならじ、臭いけれど獲物を手元に寄せた。しかし悪魔が異臭をかぎつけた。 <Il eu envie de se moquer d’eux et répondit a chaque coup en frappant le ventre du singe avec son baton> 訳;奴らを馬鹿にするしかないな、悪魔が脅し声をあげるたびに猿の腹を棒で打った。 その腹が打たれる度に猿がボンボンと騒音をまき散らす。この音が悪魔の力を凌いでコロロマンナにも猿にも、悪魔らは手出しはできなかった。<Il riait aux eclats d’entendre une bete morte peter si vigrousement . Le chef des demons se desolait de ne pouvoir faire un bruit aussi beau>猿がでっかいおならを放ってコロロマンナも大笑いした。悪魔の親玉はこんなにすごい騒音を出せなかったと悔やんだ。 神話ではこの後も破天荒な冒険話が続く。筋立はシミデュ神話と同じく挿話の繰り返しでそれらの内容は神話的世界の決まり事、制約から大きく離れる。 夜に音を立てる、新大陸の多くの部族で禁忌である。夜泣きする子をもてあます母の悲話も神話に取り上げられる。祖母に一旦は預け、引き取りに行くと「孫など預ずかったりしてない」祖母は否定する。夜泣きを嫌う鬼が、祖母に化けて預かったわけだ。 しかしコロロマンナはこの禁忌を豪快に破って、悪魔共に一泡吹かせて獲物を守った。発想が自由闊達、奔放自在。こんな語り口を聞いたら族民は拍手喝采をあげたかもしれない。 神話から物語りへDu Mythe Au Roman 5 の了 本稿(4)は次回の5と併せ部族民通信のHP(www.tribesman.asia)に投稿します。 次回投稿は25日を予定。
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