蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

構造人類学を読む、出来事の由来 下

2023年04月01日 | 小説
(2023年4月1日)この文(前回30日投稿の最終節<…この作り話がいかにも起こりうると湧き立て…>)を拡大解釈してその前の文(行間の推理、リーダーの災難)に取りまとめた。ここでの鍵語は « les mobiles » 移動である。これを魔術師とリーダーの嵐の中 、行ったり来たりの飛行と考えた。すると夜毎の火影、Ananaz河畔、嵐、リーダー災難が魔術師の霊力とがつながる。
一の出来事に2の解釈が出揃った。
1 嵐に巻き込まれた=自然の摂理。
2 魔術師が嵐を引き起こした=宇宙森羅の表現
魔術師の策略が成功したかについての記述はない。レヴィストロース一行はこの出来事から時を置かずに出立している。 « C’étaient naturellement les indigènes de l’autre group, qui répandaient cette interprétation, à laquelle ils ajoutaient secrètement foi, et qui les remplissait d’inquiétude. Mais jamais la version officielle de l’événement ne fut publiquement discutée » この解釈を広めたのは(魔術師の肩をもつ)側の族民であるとは自然に理解できる。彼らはここを信じ込んでいるし、そこに危惧を染み込ませてもいる。しかし(上記の1にせよ2にせよ)公式見解が公開されることはなかった(186頁)。1か2か、出身成分の党派を分かち、族民の口から耳へ « de bouche à oreille » 囁かれるのみだった。


美しきティターニャ、AnzKanie画 説明は後段

ここで「出来事の由来」の一考察 ;
前置き : ヒトは一つの事象を理解するに、それを取り巻く森羅との関連に知恵を巡らす。出来事の「なぜ」を、その事象の顛末内に孤立させるのではなく、より広くかつ深く、森羅の中心に位置づけるのである。この思考は即物因果(=未開社会の思考方法)もコペルニクスが切り開いた近代思考(事象を属性分解する)にも同様である。
当夜、リーダーは淡々と語った。そこに現れる因子は嵐、突風、巻き込まれて遠くに飛ばされ、露営地近くに戻った。Nambikwara族として事象と自然の関わりについての一般的かつ科学観察と言えよう。しかしこの観察には根本欠陥が隠れている。<なぜ彼が一人のときに嵐が発生したのか、それもこの年の初めての嵐、いかにも彼を狙い撃ちにした>こうした疑念に応えていない=前述。言うなれば森羅、宇宙との繋がりがその説明には見当たらない。「魔術師が嵐を起こした」はその欠陥を補正する説明である。
すると前述2の解釈は : 
1背景は自然の摂理=出来事の個別発生  2魔力が嵐を引き起こした=出来事の宇宙巡回
と言い換えられる。魔力とは宇宙森羅を魔術で再現する能力である。
« Le point important est que les deux éventualités ne sont pas mutuellement exclusives, pas plus ne le sont, pour nous, l’interprétation de la guerre comme le dernier sursaut de l’indépendance nationale, ou comme le résultat des machinations des marchands canons. Les deux explications sont logiquement incompatibles, mais nous admettons que l’une ou l’autre puisse être vraie, selon le cas ; comme elles sont également plausibles, nous passons aisément de l’une à l’autre, elles peuvent obscurément coexister dans la conscience »
これら2の蓋然性は相互に排他的とならない。私達にとって戦争勃発の理由を推測する作業に例えれば、原因に国家独立のための最後の手段とする見方があり、もう一方で大砲商人の策動とする見方も出てくる。私たちはその両者も正しいと受け止めているし、両方とも有り得るのだから一方からもう一方へ、いとも簡単に移り替わってしまう。2の見方は意識の中で共存している(201頁)。


Namikwara族の少女(レヴィストロースの著作からデジカメ)

前述の解釈を拡張すると : 
1 嵐に巻き込まれた、自然の摂理=国家独立という個別事由=出来事は個別で発生し終結する
2 魔術師が嵐を引き起こした=宇宙森羅の再現=資本家は常に利益を求める=出来事は宇宙の巡回に言い替わる。出来事とは 個別発生か宇宙森羅の中での因果か に分類できる。
レヴィストロース曰くヒトは両の説を受け入れている。いずれかを選択するかはヒトの判断に関わる。すると上文は : 出来事の由来はヒトの思想に存在すると言い替えられる。
構造人類学を読む、出来事の由来 の了(4月1日)

後記 : もう一例の出来事(Pueblo族の少女が引きつけを起こした)を「出来事の由来の続き」として4月第2週から連載します。



後記2 : 写真はAnz Kanie氏画の「美しきティターニャ」。銀座ウエスト社の特装容器です。販売店で見かけあまりに豪華ゆえに購入しました(中身の美味しいクッキーも)。銀座ウエストはクッキー、ケーキに特化しています、販売は銀座店のみ(いくつかの都内デパートにも)。日野市内に特別豪勢店舗を構えます。同店のみ価格にいくらかの値引きがあり、これをもって特別豪勢とした。工場直結なのでコストの下がる分を近隣市民に還元している。日野市民の端くれの部族民は、時たま買込みとろける味を楽しむ。そんな時にこの華麗容器出会った(こうした容器を常備、置いている訳ではありません)。
Anz Kanie氏は日野にアトリエを構える。「美しきティ…」は画伯才分の結晶となりますが、日野市の自然も幾ばくか寄与していると感じます。丘陵の緑、白い風と太陽、夜の青さ零れる星屑が日野の自然です。
(写真の素材は市販品なので著作権に触れないと判断しました。ご指摘を)
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