蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

出来事の由来、北米先住民少女の失神 下 (4月14日)

2023年04月14日 | 小説
Zuni族、Nambikwara族の出来事への推理、両者の共通点は ;
1 単発で発生し終結する特異か、森羅一環として事象互いが連関をもつか
2 身に降りかかる災難は偶然か、なにがしか悪意の現れか――の疑念を常に抱く。
Nambikwara族長の災難は彼自身の説明「災害に巻き込まれた」に族民は一旦納得するが、異なる見解が露営地に広まった。魔術師が仕組んだとの経緯が大ぴらに(レヴィストロースらにも伝わるまでに)語られた。嵐の単独発生、密かな終結を族民は信じたくない。彼らにして嵐は宇宙の仕組みの気象の一現象、森羅の流れの久遠の一筋であるから、「単独特異」を排斥しなければ自分たちの宇宙観はまとめられない。ここで肝心は「なぜだけ族長が」への推理である。それを偶然と片付けたら、宇宙森羅のすべてが「特異で偶然」に向かってしまう。出来事の裏に魔術師の差し金が隠れる。彼が嵐を仕組んで族長を巻き込ませたと信じ込めば、魔術師は族長にのみ敵意を持つ(はず)だから、他一族も露営地も安泰だ。
Zuni族も魔術は森羅の流れを統治すると信じている。そして魔術師は己の意志を恣にして宇宙に干渉する。これが魔術師の秘技であると信じている。
両の族はアメリカ先住民ながら南北に離れ、社会文化の隔絶は幾千年に及ぶであろう。宇宙論に於いて同じ思考を執る理由に付いて、レヴィストロースは魔術を信ぜず他のシステムを信じる選択は(先住民には)無い。魔術が無ければあらゆる事象、現象が特異であり発生と終結が自律単独で終始する。これは混乱 « désarroi » 、ヒトの誰しも、生を託す母なる宇宙が混乱しているは受け入れられない。
先住民に共通するこの宇宙論こそ、後の著作野生の思考 « La pensée sauvage » の主題である。その思考の根源はモノとモノとは繋がりを有すると決めつける具体科学 « science du concret »となる
近代科学は上の1,2を否定する。嵐が発生する理由を気温、湿度、気圧などで説明する。この科学的説明はしかし、不完全である。特定時空(族長が一人で狩りをしていた、少女が痙攣を起こした)の特異性と災難の因果を何一つ説明していない。原因追求をさらに深め上空気圧、気温寒暖の変化などに論を進めても、なぜ族長が、なぜその時少女がの説明はしていない。つまるところ「偶然」と言っているだけだ。
野生の思考では魔術を「因果律の巨魁=フランツ・ボアズの言葉」としてその短絡性を採り上げているが、一方でその思考傾向は近代科学に親しむ現代人にも残るとしている。


アフリカAzande族の出来事の由来、これも魔術である。

スライドは野生の思考の紹介で2020年に作成

野生の思考で魔術をYoutubeに投稿している。以下のアドレス
https://youtu.be/cu_LgAaiO0w (Youtubeに入ってから検索窓に入れてください)

出来事の由来、北米先住民少女の失神 了 (4月14日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする