以仁王図小柄
以仁王図小柄 無銘
後白河法皇の子であった以仁王が自らの処遇に不満を抱き、源氏など各地の反平家勢力に令旨を発して挙兵を促した。治承四年のこと。
これに呼応した源行家などは東国へと行き来するも、その後、準備不足のまま計画が露見。以仁王は源頼政の軍勢を供に都を逃れて園城寺に身を寄せたが、寺衆の中には平家に通じる者があり、ついに平家の討手が迫ることとなった。園城寺を脱出して南都へむかう途中、ここが最期の地と悟った頼政は宇治の平等院に陣を構えて平家軍を迎えた。頼政の最期の地である。
この小柄は、以仁王を女人に変装させて三条高倉御所から脱出させたという伝説を図にしたものであろう。
以仁王図小柄 無銘
後白河法皇の子であった以仁王が自らの処遇に不満を抱き、源氏など各地の反平家勢力に令旨を発して挙兵を促した。治承四年のこと。
これに呼応した源行家などは東国へと行き来するも、その後、準備不足のまま計画が露見。以仁王は源頼政の軍勢を供に都を逃れて園城寺に身を寄せたが、寺衆の中には平家に通じる者があり、ついに平家の討手が迫ることとなった。園城寺を脱出して南都へむかう途中、ここが最期の地と悟った頼政は宇治の平等院に陣を構えて平家軍を迎えた。頼政の最期の地である。
この小柄は、以仁王を女人に変装させて三条高倉御所から脱出させたという伝説を図にしたものであろう。