忠度和歌図目貫
忠度和歌図目貫 無銘
頼朝が東国で武力を結集している頃、木曽義仲は北信濃、越後、越中、加賀と攻め進んで京を見下ろす比叡山に布陣。その勢いに圧された平家は幼い安徳天皇を奉って都を離れた。寿永二年七月のことである。
装剣具において平家都落ちの場面は比較的少ない。その中で語られることの多いのは、和歌に長じていた平忠度(ただのり)の行動。
忠度は清盛の弟。この頃、歌人の藤原俊成が『勅撰和歌集』を編んでいた。これに自らの和歌の載録を願うため、都落ちの最中、淀の辺りで引き返し、闇に紛れるように俊成邸を訪れたもの。
この目貫は、俊成にみずからの和歌集の巻物を手渡す場面。和歌を書き記した短冊を弓矢に添えて手渡す構成もある。弓矢に和歌のみで忠度留守模様も間々みられる。哀れ、都落ちの場面である。
この後、義仲による京の支配があり、頼朝は東国勢を結集して西を睨んでいる。そして、武家政治による安定を意図する頼朝とは意識を異にした義仲は追討される立場となる。
忠度和歌図目貫 無銘
頼朝が東国で武力を結集している頃、木曽義仲は北信濃、越後、越中、加賀と攻め進んで京を見下ろす比叡山に布陣。その勢いに圧された平家は幼い安徳天皇を奉って都を離れた。寿永二年七月のことである。
装剣具において平家都落ちの場面は比較的少ない。その中で語られることの多いのは、和歌に長じていた平忠度(ただのり)の行動。
忠度は清盛の弟。この頃、歌人の藤原俊成が『勅撰和歌集』を編んでいた。これに自らの和歌の載録を願うため、都落ちの最中、淀の辺りで引き返し、闇に紛れるように俊成邸を訪れたもの。
この目貫は、俊成にみずからの和歌集の巻物を手渡す場面。和歌を書き記した短冊を弓矢に添えて手渡す構成もある。弓矢に和歌のみで忠度留守模様も間々みられる。哀れ、都落ちの場面である。
この後、義仲による京の支配があり、頼朝は東国勢を結集して西を睨んでいる。そして、武家政治による安定を意図する頼朝とは意識を異にした義仲は追討される立場となる。