石橋山図鐔
石橋山図鐔 無銘
赤銅魚子地高彫金銀素銅色絵の手法で表現した鐔。赤銅の色合いは夜の様子を表現するに好適。
頼朝に迫った追手である梶原景時は、このとき平家に与していた武将であったが、後に頼朝の下で、武家の政治のため、その機構を確立してゆこうとする。義経とは武家としての意識を異にしており、義経よりはるかに頼朝に近い考え方を保持していた。
石橋山で敗戦、そして伊豆山中から逃れた頼朝は舟で上総国へ渡り、以降は東国の武将を結集させ、次第に西へとその矛先を向けてゆく。
石橋山図鐔 無銘
赤銅魚子地高彫金銀素銅色絵の手法で表現した鐔。赤銅の色合いは夜の様子を表現するに好適。
頼朝に迫った追手である梶原景時は、このとき平家に与していた武将であったが、後に頼朝の下で、武家の政治のため、その機構を確立してゆこうとする。義経とは武家としての意識を異にしており、義経よりはるかに頼朝に近い考え方を保持していた。
石橋山で敗戦、そして伊豆山中から逃れた頼朝は舟で上総国へ渡り、以降は東国の武将を結集させ、次第に西へとその矛先を向けてゆく。