古刀匠 (鍔の歴史)
分からない、分からないばかりでは面白くもない。江戸時代の金工鐔は、彫刻技法や意匠の魅力が感覚的に捉え易く、かなり分かり易い。
ところが、我が国には、古くから、古釘を掌の中で愉しむような趣向がある。時代の上がる鉄鐔の魅力とは、焼物に例えると楽に似ている。極めて素朴な表面状態を掌中において、指先や皮膚に接しているその微妙な点の連続からなる面で感じとるのである。
鉄鐔は「ねっとりとした…」というような表現が為される。焼き入れと腐らかしによって表面がとろけたような感じに見え、しかも触れると、滑らかで…。言葉に直しては伝わらないような、とにかく感覚的な世界である。鉄鐔の多くはこのような質感を愉しんでいる。
古い錆で覆われている刀匠鐔のようなものは、その錆を含めて愉しむか、いったん古い錆を落としてしまい、鉄肌を露にし、その表面を愉しむか、二通りある。これは好みだと思う。いったん古い錆を落としてしまうと、元には戻らない。錆は時に深く朽ち込んでおり、錆の上からの観察では分からないような地の状況である場合が多い。錆を落とすという行為は一つの賭けでもある。
四方猪目透鐔 古刀匠
木瓜形の板鐔で、その四方に猪目を透かしたのみの簡素な造り込み。猪目はハート形にならず水滴形。鉄色黒く、一部に浅い朽ち込みがあるも総体にねっとりとした質感。表面には鎚の痕跡が残り、自然味のある景色となっている。縦85ミリ、切羽台厚さ2.3ミリ。
分からない、分からないばかりでは面白くもない。江戸時代の金工鐔は、彫刻技法や意匠の魅力が感覚的に捉え易く、かなり分かり易い。
ところが、我が国には、古くから、古釘を掌の中で愉しむような趣向がある。時代の上がる鉄鐔の魅力とは、焼物に例えると楽に似ている。極めて素朴な表面状態を掌中において、指先や皮膚に接しているその微妙な点の連続からなる面で感じとるのである。
鉄鐔は「ねっとりとした…」というような表現が為される。焼き入れと腐らかしによって表面がとろけたような感じに見え、しかも触れると、滑らかで…。言葉に直しては伝わらないような、とにかく感覚的な世界である。鉄鐔の多くはこのような質感を愉しんでいる。
古い錆で覆われている刀匠鐔のようなものは、その錆を含めて愉しむか、いったん古い錆を落としてしまい、鉄肌を露にし、その表面を愉しむか、二通りある。これは好みだと思う。いったん古い錆を落としてしまうと、元には戻らない。錆は時に深く朽ち込んでおり、錆の上からの観察では分からないような地の状況である場合が多い。錆を落とすという行為は一つの賭けでもある。
四方猪目透鐔 古刀匠
木瓜形の板鐔で、その四方に猪目を透かしたのみの簡素な造り込み。猪目はハート形にならず水滴形。鉄色黒く、一部に浅い朽ち込みがあるも総体にねっとりとした質感。表面には鎚の痕跡が残り、自然味のある景色となっている。縦85ミリ、切羽台厚さ2.3ミリ。