足長に蛸図小柄 (鍔の歴史)
足長に蛸図小柄 政随
奈良派の中でも、最も隆盛したのが浜野政随の門流。これまでにも政随の作例は度々紹介する機会があったように、政随は安親と共に比較的時代の上がる江戸時代中期の金工としては作品を多く遺している工である。同時代の有名な町彫金工としては、横谷宗(一六七〇~一七三三)、奈良三作の利壽(一六六七~一七三六)、土屋安親(一六七〇~一七四四)、杉浦乗意(一七〇一~一七六一)がおり、そして政随(一六九六~一七六九)である。
作風は、奈良派の作風を基礎として情感豊かな風景や江戸好みの文様、人物図も得意とし、多くの門人を育てている。時代の好みに適合したことと、優れた技術から大流行したと考えられる。
この小柄は南方人を題に得た作で、頗る表情が良い。朧銀地高彫に素銅、赤銅、色を違えた朧銀、金の色金を用いて巧みに色絵処理している。我が国に伝えられた伝承の一つに手長足長の人種が存在するという話がある。その古伝を基礎にしたものであろう。
足長に蛸図小柄 政随
奈良派の中でも、最も隆盛したのが浜野政随の門流。これまでにも政随の作例は度々紹介する機会があったように、政随は安親と共に比較的時代の上がる江戸時代中期の金工としては作品を多く遺している工である。同時代の有名な町彫金工としては、横谷宗(一六七〇~一七三三)、奈良三作の利壽(一六六七~一七三六)、土屋安親(一六七〇~一七四四)、杉浦乗意(一七〇一~一七六一)がおり、そして政随(一六九六~一七六九)である。
作風は、奈良派の作風を基礎として情感豊かな風景や江戸好みの文様、人物図も得意とし、多くの門人を育てている。時代の好みに適合したことと、優れた技術から大流行したと考えられる。
この小柄は南方人を題に得た作で、頗る表情が良い。朧銀地高彫に素銅、赤銅、色を違えた朧銀、金の色金を用いて巧みに色絵処理している。我が国に伝えられた伝承の一つに手長足長の人種が存在するという話がある。その古伝を基礎にしたものであろう。