鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

結雁透図鐔 Tsuba

2011-07-12 | 鍔の歴史
結雁透図鐔 (鍔の歴史)


結雁透図鐔 古甲冑師

 大切に保存されたものであろう、頗る健全な鐔。錆込み少なく放射状の鑢目がくっきりと浮かび上がっている。これも浅い桶底耳仕立てで、地の厚さは2.5ミリ、耳はわずかに立てている程度でさほど厚くは感じられない。透の意匠が優れているのも大きな魅力。この文様はもちろん家紋にも採られているが、鐔の意匠となると、何と素敵なことであろう。88.3ミリ。

雪華文小透図鍔 Tsuba

2011-07-10 | 鍔の歴史
雪華文小透図鍔  (鍔の歴史)




雪華文小透図鍔 古甲冑師

 このような造り込みを、耳が桶の側板のように仕立てられていることから桶底耳と呼んでいる。切羽台の厚さは3ミリだが、耳はその三倍の約9ミリ。甲冑師鐔と呼ばれているような構造的な鐔の一例。耳の造り込みには、この他に打返耳、環状に仕立てる環耳、土手耳などがある。
 甲冑師の作と推測されている理由は、筋兜の鉢が筋状に高く仕立てた薄手の鉄地の接ぎ合わせによって造られている点に似ているからであろう。あるいは確かに甲冑師が、その技術を鐔に応用したのかも知れない。何しろ、刀匠鐔と同様に記録がなく、明治時代に至って以降に呼び名が付けられ、分類されたものであり、呼称に歴史がないから、なんとも馴染めないのは筆者だけではないだろう。
 この鐔の図柄は、雪を意匠したものと推測される。鉄地は鍛えた鎚の痕跡が良く残され、耳には瘤状の鉄骨が現われており、保存状態も良好。図柄が軽やかな風合いを漂わせているという割りに、骨太な感がある。縦90ミリ。□

団扇透図鍔 Tsuba

2011-07-09 | 鍔の歴史
団扇透図鍔  (鍔の歴史)


団扇透図鍔 刀匠

 なんとも大胆な意匠というか、遊びごころが現われている作。桃山時代の文化的影響が残されている、おおらかな意匠と言えよう。鍛えた鎚の痕跡が全面に残り、鍛え割れが所々に生じて景色となっている。手にした感触は滑らかであり、江戸時代の所持者の手入れの結果が、現状であると言えよう。総体的に肉厚で、しかも櫃穴辺りが耳際に比較してわずかに厚い造り込み。江戸時代初期であろうか。93.8ミリ。□

雀透図鍔 Tsuba

2011-07-09 | 鍔の歴史
雀透図鍔  (鍔の歴史)


雀透図鍔 刀匠

 この鐔も古刀匠で戦国時代はあろうかと推測しているが、刀匠と鑑られている。透かしの図柄も面白い。何だろう、雀で良いのだろうか。刀匠に限らず、古い時代の鐔は、尾張にせよ、正阿弥にせよ、意味が不明な図柄がある。当時は誰でもとは言わないが、高位の武将であれば知っていたであろう事象が、今では霧の中にあるように思われる。このような題を探ることも面白い。鐔を手にとって愉しむ。そしてそこに記されている意味を探り出す。何と高尚な趣味であろうか。
 鉄色黒く、鎚で鍛えた平滑な部分が多く残されており、その肌合いを愉しみたい。86.5ミリ。

筏に菱透図鍔 Tsuba

2011-07-08 | 鍔の歴史
筏に菱透図鍔 (鍔の歴史)


筏に菱透図鍔 刀匠

 桃山時代以前の刀匠鐔を古刀匠鐔と呼び分けているわけだが、先にも述べたように、桃山文化は江戸時代初期にまで及んでいる。在銘で年紀作であれば、江戸時代に入っているのか、桃山時代であるものか、それ以前であるのか判断は容易だが、総て無銘。そこで、桃山文化の影響を遺している江戸初期までを桃山時代に含め、古刀匠としている。現実にこの間の数十年の違いが明確に読み取れるものであろうか、保存状態の違いも考慮しなければならない。
 この筏に菱透鐔などは、戦国時代と考えても良さそうだが、刀匠鐔と鑑られている。複雑な透しから甲冑師鐔に含められる可能性もある。地鉄は、鍛えた痕跡が所々に残されていて、色合い黒々としており、質も良さそうだ。透かしの細い線が良く残っていると思う。この繊細な様子は、今でこそ繊細と表現するも、実用の時代においては、もっと別の感覚で捉えられていたのかも知れない。味わい深い作である。85.2ミリ。

日輪透図鍔 Tsuba

2011-07-07 | 鍔の歴史
日輪透図鍔


日輪透図鍔 古刀匠

 地面の仕立ても鑑賞の要素となる。単に鎚の痕跡を残す程度に平滑に仕上げているものが多く、健体を保っていれば艶やかで、黒漆が施されている例もあるが、これが錆の発生によって不明瞭となる。朽ち込みもあるが、仔細な観察により、鍛え肌と、表面処理方法の一つでもある鑢の痕跡や、時に阿弥陀状に鑢が掛けられている例も窺える。
 写真例が、縦方向に鑢をかけた痕跡が明瞭の作、というより、この鑢目を装飾とした鐔。一面は縦鑢、裏面は阿弥陀鑢が施されている。この肌合い、質感を指先で鑑賞したい。大胆な日輪透かしも魅力的。古作の魅力を存分に楽しめる作である。88.8ミリ。□

沢瀉透図鍔 Tsuba

2011-07-06 | 鍔の歴史
沢瀉透図鍔 (鍔の歴史)


沢瀉透図鍔 古刀匠

 刀匠鐔や、甲冑師鐔のもう一つの魅力は、腕抜緒として利用された透しの意匠である。様々な意匠があり、家紋に似ているもの、造形的なものなどがあり、いずれも刀匠鐔の場合には簡潔である。先に紹介した茸透も古い鐔には良くみられるもの。他には、甲冑師鐔でも紹介するが、花文、家紋などを陰に表現した作が多い。
この鐔では、窓のように大きく空間をとり、ここに沢瀉の葉を陽に意匠している。83.8ミリ。
 これらの多くは小柄あるいは笄の櫃穴が開けられている。実用の時代を経たものである以上、小柄あるいは笄を打刀に備えたという、その実用の痕跡が残されているわけだから、実用の時代を経たという歴史の証明でもある。それはそれで大切にしたい。

刀匠鍔 Tsuba

2011-07-05 | 鍔の歴史
刀匠鍔 (鍔の歴史)


刀匠鍔

 無文の古刀匠鐔。時を経て所々浅い朽ち込みがあり、鎚による鍛え肌も残り、これらが働き合って自然な景色を生み出している。素朴な鉄板に過ぎない、単なる道具にすぎないものながら、存在感は頗る強い。この板鐔などは、更なる手入れで地鉄の美観が良くなってゆくもの。
 鉄は錆によって自然な景色を造り出す。自然の景色や質感を愉しむのが目的であれば、この鐔のように装飾のないほうが都合が良いのかも知れない。川流れの石ころに景色を見出す水石とは直接繋がるものではないが、わが国にて発展した禅にも通じる愉しみ方である。縦92ミリ、切羽台厚さ3.6ミリ。

古刀匠鍔 Tsuba

2011-07-04 | 鍔の歴史
古刀匠 (鍔の歴史)

 分からない、分からないばかりでは面白くもない。江戸時代の金工鐔は、彫刻技法や意匠の魅力が感覚的に捉え易く、かなり分かり易い。
 ところが、我が国には、古くから、古釘を掌の中で愉しむような趣向がある。時代の上がる鉄鐔の魅力とは、焼物に例えると楽に似ている。極めて素朴な表面状態を掌中において、指先や皮膚に接しているその微妙な点の連続からなる面で感じとるのである。
 鉄鐔は「ねっとりとした…」というような表現が為される。焼き入れと腐らかしによって表面がとろけたような感じに見え、しかも触れると、滑らかで…。言葉に直しては伝わらないような、とにかく感覚的な世界である。鉄鐔の多くはこのような質感を愉しんでいる。
 古い錆で覆われている刀匠鐔のようなものは、その錆を含めて愉しむか、いったん古い錆を落としてしまい、鉄肌を露にし、その表面を愉しむか、二通りある。これは好みだと思う。いったん古い錆を落としてしまうと、元には戻らない。錆は時に深く朽ち込んでおり、錆の上からの観察では分からないような地の状況である場合が多い。錆を落とすという行為は一つの賭けでもある。


四方猪目透鐔 古刀匠

 木瓜形の板鐔で、その四方に猪目を透かしたのみの簡素な造り込み。猪目はハート形にならず水滴形。鉄色黒く、一部に浅い朽ち込みがあるも総体にねっとりとした質感。表面には鎚の痕跡が残り、自然味のある景色となっている。縦85ミリ、切羽台厚さ2.3ミリ。

刀匠鍔 Tsuba

2011-07-02 | 鐔の歴史
刀匠鍔 (鍔の歴史)

 刀匠鐔と甲冑師鐔という分け方も、刀匠が製作した鐔あるいは甲冑師が製作した鐔というように、考えられがちだが、この点も実は、作者についてはわからない。この区別と呼称は明治時代以降のものである。ただし、少ない例だが、刀に生ぶの状態で装着された鉄の板鐔やハバキがあるそうで、これが刀匠の作と推測されている。
 甲冑師鐔については、耳の造り込みが桶底式であったり環耳であったりと構造的であることから、筋兜など甲冑金具の製作に通じた職人の手になるものとの判断が為されているようだ。また、車透のように、透かしを多用するのも甲冑師で、この点が技術的に刀匠より上と考えているようだ。
 単なる板鐔で耳の立たない甲冑師鐔もある。刀匠鐔とは似ているのだが、刀匠鐔については、切羽台に比して耳際の厚さがやや薄手になる傾向がある点、甲冑師鐔はほぼ一定している点を極め所としている。
 鉄味は、保存状態に左右されるので、なんともいえない。この保存状態から、時代の下がる鐔が一時代上がって判断されたり、逆に綺麗過ぎることから時代を下げて鑑られることもある。即ち、最初に述べたように、見ることによって受ける感覚的なところで判断せざるを得ないのである。
 鐔に含まれている元素を分析すれば、ある程度の時代範囲で判明するが、世の中にある多くの作例を分析する手立てがないのも現実。「分からないところは分からない」が正しい判断と言えよう。


茸透図鐔 古刀匠

「くくりざる」とも言われているが、何を意匠したものか不明。古い鐔には間々みられる図である。鐔の表面には鎚の痕跡が地衣類のように残り、その風合いは、まさに鍛鉄の表面。やはりこの透かしの意匠がいい。80.2ミリ。

刀匠鍔 Tsuba

2011-07-01 | 鐔の歴史
刀匠鍔・甲冑師鍔 (鍔の歴史)

 鉄地を丸い板状に仕立て、茎櫃を設けるほか、小透と呼ばれる文様化された透かしを施しただけ、あるいは全く装飾の加えられていない鐔がある。刀匠鐔、及び甲冑師鐔と呼ばれているもので、実戦の時代およびその影響の残る桃山時代以前の作を、それぞれ古刀匠鐔、古甲冑師鐔と呼び分けている。
 研究家はこれらの時代の判断に苦しんでいる。時代の上がる鐔は、薄手、大振り、地鉄鍛えに強みがあるという特徴、即ち、「古く見える」という視覚による判断によって時代判断をしている。その古く見えるという基準だが、研究家個人の感覚によるところが大きい。この点は、刀匠鐔や甲冑師鐔に限らず、在銘作がないという、各流派の初期の作品群についても言えることである。
 だが、鐔が刀身を保持する際のバランスに重要な役割があるとするなら、規格化されたようにすべて大振りに造り込むはずがない。命を預ける刀に規格化された鐔を装着して扱い難くするものであろうか。即ち、厚手の鐔、小振りの鐔があって然り。実際に、古く見え時代が上がると推考される刀匠鐔で、脇差ほどの小振りの作例がある。
 先に紹介した太刀拵の鐔と打刀拵の鐔という分け方もある。太刀には70~80ミリほどの太刀鐔しか装着しなかったのであろうか。装飾のない泥障形鐔や、練革鐔も結構簡素な構造で、古いと言われている甲冑師鐔ほど大きくはない。
 かつて『足利尊氏図』と言われていた馬上の武者図がある。南北朝時代の武士の戦闘の姿を現す好資料とみられているのだが、その鐔が大振りで、車透が施されている。現在でいうところの古甲冑師鐔の類ではないかと考えられている。先に紹介した上杉家伝来の打刀拵に装着されている簡素な菊花透鐔と同趣の鐔である。ただし、こうした絵画資料は、誇張されている可能性がある。
 薙刀に装着されていた大振りの鐔もある。総ての薙刀や長巻が鐔を装着していたとはいえないので、このような例もあると考えたい。むしろ、馬の足を薙ぎ払うための武器であれば、大きな鐔があっては扱い難いと思うがいかがであろうか。薙刀の鯉口の形は刀に比して丸みがあることから、薙刀に装着されていた鐔は違いが分かると思う。
とにかく、記録がない、銘がないので真実は分からないということ。幾つか作例を紹介する。

刀匠鐔 


鉄地丸形無文。茎櫃横の小穴は、鐔止めの穴で、後のもの。100.4ミリ。