芋洗い図鐔
芋洗い図鐔 無銘
東京港区に芋洗坂の名称が遺されているが、芋を商う店があったとも言われるが、その由来は明確ではない。東京九段の靖国神社から市谷駅に至る坂は、一口坂と書いて同様に「いもあらいざか」と読むも、これについても芋とは関わりがないようだ。ごくごく当たり前の食べ物である芋は、どこでも売られており、それが故に絵画としても遺されているのだが、作品の面白さはそれだけではなさそうだ。
写真の鐔は芋を洗いながら月を眺めるという構成。鉄地薄肉彫に毛彫、月は金布目象嵌。素描風の表現で、簡潔ながら人物に動きがあり表情があり味わい深い。このように月を眺める市井の人物図という例は多い。
月が出て、それを人物が眺めるという場面は、人物を通して自らの心情をそれに擬えることができ、図柄の性格から想いは月を通して遠い両親へ、あるいは子へと向かう。謡曲『木賊刈』がその例であり、安親にこの場面を描いた鐔がある。
芋洗い図鐔 無銘
東京港区に芋洗坂の名称が遺されているが、芋を商う店があったとも言われるが、その由来は明確ではない。東京九段の靖国神社から市谷駅に至る坂は、一口坂と書いて同様に「いもあらいざか」と読むも、これについても芋とは関わりがないようだ。ごくごく当たり前の食べ物である芋は、どこでも売られており、それが故に絵画としても遺されているのだが、作品の面白さはそれだけではなさそうだ。
写真の鐔は芋を洗いながら月を眺めるという構成。鉄地薄肉彫に毛彫、月は金布目象嵌。素描風の表現で、簡潔ながら人物に動きがあり表情があり味わい深い。このように月を眺める市井の人物図という例は多い。
月が出て、それを人物が眺めるという場面は、人物を通して自らの心情をそれに擬えることができ、図柄の性格から想いは月を通して遠い両親へ、あるいは子へと向かう。謡曲『木賊刈』がその例であり、安親にこの場面を描いた鐔がある。