科目の復習を希望する社会人が中学校で中学生と同じクラスで授業を受けられるようにしておかなければなりませんでした。
私が中学生の頃は(1989-1991)。同じく高校についても同じでした。
社会人と混合したクラスで授業を受けることに耐えることのできなくなった生徒が出席しなくなったとしてもそれはたいした問題ではありません。
社会人と同じ空間で授業を受けることができない生徒は最初からある程度の割合存在するものだとして、彼らにあった環境を構築することは常識人が考えることです。
ここであらたに未成年に対してしか指導力の発揮が認められないような指導慣行の問題が出てきます。
あらかじめこのクラスには社会人も含まれているのが当然だと考えることができるようになると、質が直ちに一変します。
もちろん、社会人に問題行動の認められるようなことがあれば、即座に社会人としての責任を要求することが容易になっていることが前提です。