新笠通信 奄美電信版

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あいつを黙らせるのにいったい何億使ったと思っているんだ というセリフがにあう面々が勢ぞろいですね

2013-09-28 07:34:34 | Diaries
○○祭や○○祭りといったお祭りを成功させなければならないが、お祭りを成功させるにあたってあなたの人格とかあなたのこころとかいったものはまったく必要としていないということで、人格やこころを誰もが徹底的に無視するようになるようにと導いているものにはどのようなものがありますか。みのまわりで探してみましょう。
地域の子供たちは小学校時代中学校時代と日々誰かが父親の夜逃げや失踪に直面しています。父と母は当然存在するものだという前提の集団から脱落したことを強く自覚している子供たちにお祭りを盛り上げなさい、お祭りを楽しみなさいと強いています。
卒業式などで、わたしは壊れているんですと最後の力を振り絞って全力でアピールすることがみられるのにもそれなりの道理というものがあるからなんです。
卒業式などの儀式の成立を妨げようとした人間はもともと存在していなかったという結果が必要なために、儀式を妨害しようとしていた人間がいたということを徹底的に否定、誰の記憶にも残らないようになかったこととして永遠に忘れさせようとします。
儀式やお祭りが成功しましたという事実が実現したということがなによりも最優先するようにと誰もが行動するように、そのように行動することが無意識のうちにできるようにと訓練が行われた結果、儀式を成功させるまでにはとてもお祭りを楽しむことができなかったりお祭りを盛り上げられるような気持ちになれない心の状態が固定化してしまった子供たちの犠牲を必要とするようになりました。

世界的スケールの大きな卒業式で集まった参加者に訴えることとは?それを主催者はなかったこととして闇に葬りさることができるのか?(主要国首脳会議開催地やオリンピック会場のことを言っています)

国会議員やテレビによく出てる人の子供というのは公立学校にとってお荷物でしかない。扱いに困るんです。

あんたにリーダーシップなんか求めていない。あなたの意見なんかききたくない。あな
たが自分の頭で考えて思いついたことを意味のあるものとして取り上げるつもりはない。
あなたの指図だけはうけない。あなたにわたしを使役する権限はない。あなたのおくにの言いなりにだけはならない。領民に対してはこれが口ぐせのようでした。

奄美市の教育委員会 すなわち 奄美市役所職員採用当局 は大丈夫か?

2013-09-25 12:15:25 | Diaries
校区外から通勤する教職員が多いことについて「校区内居住について今後も厳しく指導していきたい」
(24日奄美市議会)
厳しく指導を受けたほうがいいのは 奄美市教育委員会の首脳部だろう
単身赴任も気にくわないと言い出しかねない。

先進何ヶ国といわれる我々の国民が日本のこの公立中学校を選択するということなどありえない。
いったい何のためにわざわざ敗戦国民のための中等教育というものを子供に受けさせる必要があるんだ?

大島郡伊仙町長選挙10月20日投票 大島郡龍郷町長選挙11月9日投票 奄美市長選挙11月30日投票

2013-09-22 08:45:58 | Diaries
奄美市長選挙や衆議院選挙のたびに町内全世帯を個別訪問して徳洲会を支持するかどうかしらみつぶしに調べるのはほんとにもうやめてください。

後援会にはいるのを拒んだらどれだけひどいめにあわされるかわからないという底知れない恐怖をもっと日本の国民たちはわかってください。

ブログ 新笠通信 2009年10月27日 「署名を規制すると大幅な改善が期待できます」 を再掲します
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鹿児島県奄美市の笠利町地域の選挙運動にはこのような特徴がみられます

奄美市に合併する前は大島郡の笠利町であった地域に限った例です

今回の場合だと、選挙の前には朝山毅という候補者の後援会に加入するよう勧められます

笠利町に在住している有権者ほとんどすべてに、選挙前1ヶ月の頃に朝山候補後援会に加入するかどうかの意思確認が行われます

後援会の運動員が持参してくる後援会加入者名簿に署名することによって後援会に加入したことを勧誘された本人が認めるということになります

署名を集めてまわる後援会の運動員は、地域の全世帯を一軒一軒まわってお年寄り世代を中心に各年代から署名を集めます

今回立候補予定の元笠利町の町長=朝山候補を応援する後援会に加入する署名を地域に在住しているすべての世帯の各個人から募ります

運動員は訪問した先で、その場で署名用紙に氏名を記入することを求めます

後援会に加入するかしないかどうかを訪問した先でその場で即決するように促してきます

その場で署名するということは、後援会の会員として名を連ねるということになります

署名用紙(後援会加入者名簿)には一枚の用紙に数十名の氏名が記入できる空欄があり、その空欄は近隣の各世帯で書いてもらった署名でほとんど埋っているみかけになっています

ほうぼうで集めてきた直筆の署名らしいものの一覧を見せながら、その場で署名するのかどうかという意思表示を運動員はせまってきます



ここの地域に限っていえば、町在住の有権者は、選挙前に勧誘を行っている立候補者の後援会に入会してから、投票日当日を迎える。というように、選挙日より以前に、自署による意思表示をせまられることが避けられなくなるような状況におかれています。奄美群島の一部地域だけでしかみられないような特殊な選挙活動が行われているといえる状況になっているといえます。

特殊な事情を例にしてひとつあげるとするならば、それは、後援会への加入率、これが想像もつかないほど、高い。ということがあげられるといえます。

実際の選挙そのものの投票率、おおむね80%台が記録されるというのもさることながら、選挙日までに誰もが後援会に入会しているといえるほどに、加入率が高いということがいえるのではないでしょうか。

立候補者が2人の選挙戦であるとするならば、有権者のほとんどがいずれかの陣営の後援会に加入した状態で、選挙日当日を迎えることになるといえます。


後援会の機能としては、加入者の名簿管理というのがひとつあげられるといえます

奄美群島各島に赴任してくるような公務員には考えられないことかもしれません

町内すべての集落で、後援会の会員名簿が運動員によって作成されることになります

後援会は、誰が署名をした、誰が署名しなかったというようなことを、各集落の運動員が集めてきた署名を集計、インデックス化(50音別、地域別などにわけて記録)することで、すぐに調べることができるようになります


この地域の選挙の特徴は、後援会加入にあるといえます

地域に古くから住んでいる人は、どちらかの陣営の後援会に加入したことの証拠にもなる署名というものは選挙のたびに毎回書かされるものだというような感覚でいる点に特徴があるのではないかと考えられます


古くから住んでいる住民のほとんどが後援会に加入することを勧められた上で投票日を迎えるというような現状にある中で、署名をしないという意思表示を運動員に対して示すことは、その場で特定の候補者への投票を断るという宣言をしたこととほとんどかわりがないこととして受けとられるといえます

きょうは奄美警察署の人にも奄美市の選挙管理委員会の人にも立候補を表明している朝山、指宿両陣営の人にも私が言いたいことが伝わることを期待しています

奄美市長選挙とは関係のない地域外の日本人にもわかるように一生懸命丁寧に説明しようと試みているわけです


奄美市笠利町では、朝山氏の後援会に加入するかどうかといったことは各集落の運動員によってもうすでに調査されている

といいきれるともいえます

いいかえると、朝山氏に投票するかどうかといったことは、各集落の運動員によってもうすでに集計されているというような感じになります

朝山氏に投票するかどうかは、後援会に加入を勧めるついでに署名することも要求することで、だいたい調査できるということになります


町内全世帯を一軒一軒戸別訪問、署名運動してまわるということには、選挙前に後援会側の立候補者がどれほど得票できるかある程度予測できるようになるというだけの意味はあります

奄美市の選挙管理委員会が、後援会加入の意思表示とあわせて署名までをも求めるという勧誘のしかたには改善の余地があると認めると、より公平性、透明性の高い選挙が実現されることになります

選挙管理委員会のあり方に積極的な意見がよせられると、より健全な選挙運営が実現されるのではないでしょうか

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(奄美市議会議席番号)
1 西 公郎 ニシ キミオ
2 安田 壮平 ヤスダ ソウヘイ
3 川口 幸義 カワグチ コウギ
4 栄 ヤスエ サカエ ヤスエ
5 師玉 敏代 シダマ トシヨ
6 多田 義一 タダ ヨシカズ
7 橋口 和仁 ハシグチ カズヒト
8 向井 俊夫 ムカイ トシオ
9 渡 雅之 ワタリ マサユキ
10 戸内 恭次 トナイ キョウジ
11 関 誠之 セキ マサユキ
12 大迫 勝史 オオサコ カツシ
13 与 勝広 アタエ カツヒロ
14 叶 幸與 カノウ コウヨ
15 奥 輝人 オク テルヒト
16 平川 久嘉 ヒラカワ ヒサヨシ
17 栄 勝正 サカエ カツマサ
18 竹田 光一 タケダ ミツカズ
19 渡 京一郎 ワタリ キョウイチロウ
20 元野 景一 モトノ ケイイチ
21 里 秀和 サト ヒデカズ
22 伊東 隆吉 イトウ リュウキチ
23 竹山 耕平 タケヤマ コウヘイ
24 崎田 信正 サキダ ノブマサ

将来があったはずのいなかものとはどのようなものかを知らせるには伝えるしかない

2013-09-19 23:56:08 | Diaries
池田信夫 blog

2013年07月19日
内ゲバの時代


きのうの記事には大きな反響があったが、中核派という組織を知らない人も多いようだから、説明しておくのもわれわれの世代の責任だろう。

中核派は、60年安保のあとにできた革共同という組織が革マル派とわかれてできたもので、革マル派が黒田寛一などの理論を重視するのに対して、直接行動を重視する「肉体派」だった。60年代後半には、社学同(ブント)・社青同(解放派)とともに「三派全学連」として武装闘争の中心になり、羽田闘争や佐世保闘争などでは大量の逮捕者を出した。

このころはまだ運動のエネルギーが国家権力に向いていたのだが、70年代になって新左翼運動が退潮してくると、党派同志で争う「内ゲバ」が増えた。それも最初は集団で衝突するなぐり合いで、「頭はねらうな」という暗黙のルールがあったが、私が大学に入ったころからそういうルールが崩れ、個人をねらうようになった。その武器は主として鉄パイプで、次第に殺害を目的とするようになった。

私は党派とは無関係だったが、私の所属していた社会科学研究会というサークルには、革マルも社青同もいたので、メンバー10人のうち4人が殺された。全員が革マル(およびその友人)で、そのうち3人が中核に殺された。彼らの共通点は、地方の高校出身者で駒場寮に住んでいたことだ。身近に友達がいないので、活動家が近づいて、最初は「ベトナム反戦」のような党派色のない集会に勧誘し、そのうち党派の教典を読ませて洗脳してゆく。今回の「反原発」や山本太郎も、その「餌」だろう。

今でも記憶に残っているのは、梅田という学生だ。まじめな学生で、サークルに入ってきたときは「経済学部で過渡期経済論をやりたい」という。過渡期経済とは資本主義から社会主義への過渡期のことで、ブハーリンが論じたものだが、当時はまだそんな歴史観が信じられていたのだ。それがしばらくすると、黒田や梯明秀などの革マル派の教祖の本から引用した話を呪文のように繰り返すようになり、「中核を打倒することが革命の第一段階だ」などというようになった。

そのうち梅田はサークルに出てこなくなり、生協の前でアジ演説をやり始めた。「こんな所にいたら危ないぞ」といったら、「大丈夫だよ。みんなの見ている前が一番安全なんだ」と笑っていたが、1975年10月、衆人環視の中で数人に取り囲まれて鉄パイプでなぐられた。頭蓋骨骨折で、即死だった。おびただしい血が食堂前まで広がって一帯が立入禁止になった。革労協が犯行声明を出したが、犯人は不明だった。

党派に入って1年もたたない彼が、東大にいなかった革労協に殺されたのは、その直前に静岡で革マルが革労協の活動家を殺害した報復だった。誰でもよかったのだ。しかも大学の構内で白昼に殺人事件が起こり、犯行声明まで出ているのに、警察は家宅捜索もしなかった。公安は、明らかに極左が内ゲバで自滅するのを放置したのだ。彼らのねらい通り、内ゲバの激化とともに極左勢力は急速に衰退した。

極左運動がこういう分派闘争になることはよくあり、それも本来の敵である国家権力よりも身近の党派への近親憎悪が強くなる。しかし個人テロにまで至ったケースは珍しく、その点では彼らの否定していたスターリンの粛清や毛沢東の文化大革命に似ている。日本では、戦前の共産党のリンチ殺人の伝統だろうか。

あのころに比べれば、山本太郎のやっているちゃちな反原発運動なんてお遊びみたいなものだが、彼を傀儡にして中核派が国政に議席を得ると大変だ。かつて菅直人氏のやっていた「反原発勉強会」にも、中核派の幹部が常駐していたことは公然の秘密だ。そういう連中のやっている反原発運動が「命を守れ」とは悪い冗談である。

2013年07月18日
山本太郎は中核派の支援候補


東京新聞や産経新聞の調査によると、東京選挙区で5位につけているのは、反原発派タレントの山本太郎候補で、民主党の鈴木候補と接戦のようだ。まだ投票先を決めていない有権者が4割もいるので、まさかとは思うが、山本がどういう人物かを知らないで支持している人も多いと思われるので、念のため書いておこう。

彼は福島第一原発事故について、現地に乗り込んで「放射能がチェルノブイリの4倍」だとか「被災地の瓦礫は危険だ」と主張して、その移送を阻止するデモの先頭に立った。この他にもまとめサイトに書かれているように、非常識なデマを流し続けることによってメディアに露出してきた。これは芸能人の生活の手段としてはわからなくもないが、政治家になると話は別だ。

昨年の総選挙でも東京8区に立候補し、民主党の候補をおさえて次点だった。今回も民主党が分裂しているので、山本が漁夫の利を得る可能性がないとはいえない。特に問題なのは、中核派との関係だ。中核派は「山本氏の政策支持し闘おう」という記事で、彼への投票を呼びかけている。

これは中核派が一方的に山本を支援しているという関係ではない。山本は中核派の反原発組織NAZENの呼びかけ人である。その事務局長は、中核派全学連の前委員長、織田陽介であり、山本は彼と仲よく写真を撮っている(左が織田)。

山本はこうした中核派の支援に対して「拒否しない」とのべている。彼の集会への動員数やポスターの数は民主党候補を上回っており、彼の運動の背後に組織があることは確実だ。中核派は、これまでにも瓦礫反対運動の「実働部隊」として動いており、一般の反原発への関心が冷める中で、彼らの比重が高まっている。

革共同中核派は、これまで内ゲバで革マル派や革労協などを50人以上殺してきた、日本最大のテロリスト集団である。彼らの支援する候補が国政に議席を得るというのは先進国では例をみない事態であり、日本の政治は世界から嘲笑されるだろう。

2013年07月25日
左右の社会主義をもう清算しよう


昨夜の霞ヶ関総研は夏野総研までなだれ込んで、「あなたの知らない戦後の黒歴史」で3時間以上盛り上がった。石川さんも夏野さんも私より10年ぐらい下で、内ゲバは知らなかった。ニコ生のスタッフも「大学の中で殺しがあったなんて知りませんでした」と驚いていた。

学生運動といえば、安田講堂の攻防戦とか連合赤軍とか突出した事件しか人々の記憶に残っていないと思うが、私の時代までは学生の半分ぐらいは何らかの形で左翼にかかわっていた。共産党系の民青もいたが、流行していたのは新左翼で、東大では革マルが多かった。中核と革マルは、もとは革共同という同じ団体の分派だから似たようなものだが、この両派の内ゲバが一番ひどかった。

戦後の左翼の元祖は共産党で、終戦直後には山村工作隊や火炎瓶闘争などの暴力革命路線をとり、セゾングループの堤清二氏なども当時の党員だったが、1955年の6全協で議会主義に転換した。これに不満をもって学生を中心とする極左が結成したのが共産主義者同盟(ブント)で、これが60年安保の全学連主流派だった。江田五月氏や西部邁氏や青木昌彦氏はその幹部だった。

ブントは60年安保の敗北後、散り散りバラバラになったが、武装闘争路線を継承したのが革共同だった。それが60年代後半にベトナム反戦運動と合流してふたたび盛り上がり、「三派全学連」は羽田や佐世保で警官隊と衝突して大量に逮捕され、多くの裁判が起こった。このとき彼らを弁護したのが仙谷由人氏などの「救護班」だった(仙谷氏自身は穏健派のフロントで、武装闘争にはかかわっていない)。

私が大学に入ったころまでは、キャンパスで日常的にバリケード封鎖や機動隊の放水などが起こっていたので、あのころ学生運動に何も関心がなかったのは、社会的な感受性のない鈍感な学生だけだった。学生のとき「資本主義は根本的に間違っているのではないか」という疑問をもったことが、社会を批判的に見る目を養ったと思う。戦前から、日本のインテリはマルクスを卒業することによって思想的な立ち位置を決めたのだ。

そういう対立軸が冷戦時代まではあったが、社会主義の崩壊でなくなってしまったように見える。しかしきのう石川さんも言っていたように、社会主義が日本でもっとも強く残っているのは霞ヶ関だ。戦前に軍部と結託して満州国を建設し、戦後も一貫して自民党の中枢にいたのは岸信介であり、彼の理想とする国家社会主義を実現するためにつくられたのが通産省である。

岸が師と仰いだのが二・二六事件の指導者、北一輝だった。いいかえれば、青年将校が二・二六で果たせなかった国家社会主義を満州国で実験し、それを戦後の日本で実現したのが通産省だったのである。この評価にはいろいろあるが、アセモグルなども指摘するように、途上国が発展するためには一定の「本源的蓄積」が必要であり、岸の開発主義がその役割を果たしたという肯定的な評価も多い。

岸の理念は徹底的なエリート主義であり、一部の優秀なリーダーが国家を指導することが最善で、議会は国民をあやつる道具にすぎないという発想だったので、収賄や買収を平気でやった。この点では極左と共通する点があり、彼らも愚昧な民衆の選んだ議会より「前衛」による暴力革命のほうが有効だと考えていた。社会党や共産党はそれを薄めた二番煎じだから、日本の政治には左右の社会主義しかなかったのだ。

だから霞ヶ関のコアにあるのは岸以来の国家社会主義であり、それは経産省の好きな「ターゲティング・ポリシー」や総務省の電波社会主義に今も受け継がれている。自民党は、それを追認して国会を通すエージェントにすぎない。そして安倍首相は、まさに岸の孫であり、彼の意を受けた黒田日銀のターゲティング・ポリシーも岸の悪しき遺産だ。自民党の憲法改正案にも、国家社会主義への回帰願望が見られる。

民主党に弁護士が多いのも、大学紛争でドロップアウトした人々の集まりが日弁連だからである。菅直人氏が東工大を出て就職できなかったのも、学生運動のおかげだ。そういう日本社会の裏街道を歩いてきた団塊世代のルサンチマンが爆発したのが、民主党政権だった。

だから民主党の崩壊は、こうした左右の社会主義を清算するいいきっかけだ。団塊の世代以上には退場してもらい、こうした日本の暗い歴史とは無縁の40代以下の政治家と官僚が、フレッシュな発想で政治を建て直してほしい。

大島郡龍郷町長選挙・奄美市長選挙も目前となりました。

2013-09-19 08:03:52 | Diaries
奈良県生駒市長にはあって、奄美の市町村長にない指導力とはどのようなものかみてみましょう。
生駒市長・山下真のブログより
2013-07-18 橋下流「独善主義的統治」の限界 -政治とは地味な作業、「政治に王道なし」

 橋下徹大阪市長率いる大阪市政の改革と「日本維新の会」に陰りが生じている。
 大阪府内42市町村が運営する大阪広域水道企業団と大阪市が協議してきた水道統合について、大阪市は6月、統合を事実上断念した。
 また市営の地下鉄とバスの民営化についても関連議案が市議会で継続審議となっている。
 「日本維新の会」も、東京都議選では惨敗、来る参議院選挙でも公認候補の立候補辞退が相次いでいる。
 私は、こうした事態を橋下市長のそれまでの独善主義とそれに基づく発言や統治形態が多くの敵と批判を産み出し、それらが最終的に従軍慰安婦発言を契機に爆発したと見ている。
 私は、橋下市長と同じ大阪弁護士会出身の同世代の市長であり、橋下市長には府知事時代から注目していた。大阪府•市の肥大化した行政組織を改革し、二重行政を解消し、財政再建を果たす上では、彼のような豪腕が必要な面も確かにあるし、原発政策では国民の側に立って闘っていた時期もあった。そうした面ではエールも送っていたが、反面、彼の独善主義的発言や、強制と処罰を基本とする統治形態には強い違和感を感じ、ツイッターなどで批判してきた。
 政治家の仕事は、有権者に進むべき方向性を示し、その支持を得た上で、行政組織を動かし、政策を実現することである。その過程で最も重要かつ厄介なことは与野党の議員や利害関係者との調整である。橋下流の特徴はこれをできる限りなくすということである。
 端的な手法は、政党や利害関係者をメディアや議場でこき下ろし、既得権益者、即ち住民の敵と断じ、その発言を封じることである。衆人環視の中で権力者から悪者と決めつけられた利害関係者は抵抗を諦めざるを得ないが、その怨念は心の奥底に鉛のように沈殿することになる。文楽に対する補助金カットがその典型である。
 行政組織が橋下市長の思うように動かないときのやり方も同じである。職員の問題行動を殊更強調し、悪役に仕立てあげ、強制と処罰に基づく恐怖政治で組織をコントロールしようとする。
 君が代斉唱、組合活動、入れ墨、体罰、喫煙とこの手法が採用された場面は数多い。仮に職員の側に問題行動があったとしても、ここまでされると、反省と改心で止まることはなく、怨念に行き着くのが人情である。
 こうした手法を用いて解決に至った課題もあろう。しかし、首長の仕事は自治体の全分野に及ぶ。一つの課題だけ解決しても、他の分野で職員の協力を取り付けられなければ、実現できる政策課題は限られる。
 私自身、市長になってつくづく思うが、トップの仕事の半分以上は、部下の仕事へのモチベーションをいかに高めるかである。
 民主主義の営みは時間がかかり、まどろっこしい。利害関係者とねばり強く話し合い、少数派の意見も取り入れられるものは取り入れ、ほとんどの人が「まぁ、これなら仕方ないだろう」と言ってくれるような妥協案を作り上げるほかない。そうした地味な取り組みの先頭に首長が立つことによって、利害関係者や議員、職員の支持が少しずつ得られていく。そういう実績を積み重ねることで有権者の支持も少しずつ蓄積されていく。政治とは本来こういう地味な作業である。「政治に王道なし」だ。
 敵を作り、それをみんなの前で叩くことで、事態を打開しようという橋下流「独善主義的統治」が行き詰まることは必然だった。
 ただ、行き詰まったところで、大阪府•市が抱えている問題が解決するわけでもないし、関西の未来が明るくなるわけでもない。「ヒーローが現れて全ての課題をかっこよく解決してくれる」ことを期待する私たちの安易な意識を改め、より良きリーダーを選ぶ鑑識眼を養うとともに、各自がそれぞれの持ち場で少しずつ改善を積み重ねるほかはない。

DOESN'T REALLY MATTER - Janet Jackson (2000)

2013-09-08 14:17:45 | Diaries
ファ シ♭ ファ ミレドラ ミ
レドシソ ラ ド♯ ミ

ファ シ♭ ファ ミレドラ ミ
レドシソ ラ ド♯ ミ

Nutty-nutty-nutty my love for you
I can't believe my dreams come true
(He-he)
I've finally found somebody whose heart is true
And best of all you're nutty-nutty-nutty for me

Nutty-nutty-nutty my love for you
(I'm always doing that!)
I can't believe my dreams come true
I've finally found somebody whose heart is true
And best of all you're nutty-nutty-nutty for me

2020年にイスタンブールもダマスカスも ある

2013-09-05 07:59:35 | Diaries
国営通信社のカメラがここにいて大丈夫か?
一にも二にも 敵味方識別ののちに狙撃が実行される。
敵味方識別か無差別発砲かどうかは撃たれたあとでないとわからない。

赤十字の旗が掲げられている施設から 交戦している勢力に対して ああしなさい こうしなさいと 干渉する 攻撃する ようなことはしてはいけません。
赤十字の旗が掲げられている施設という施設にことごとく、まったく無傷で高い殺傷能力を持つ精鋭がカモフラージュとして大勢潜んでいる。という前例をつくってしまうと、赤十字を掲げている施設を無差別に破壊するような手段が常套化してしまうことになりかねないからです。

日本列島3000キロメートルにはさまざまな地域があるが、
政府補助がほしいと言ってくる地域に公平に分配するためには、
人口1000人あたりでみたとして海外で活躍している出身者がひとりでも多い地域を優遇しましょう。
人口1000人あたりでみたとして放射線汚染可能性がある地域でがんばってくれる出身者がひとりでも多い地域に褒美を与えましょう。
というふうにしかならない傾向がはっきりしてくるでしょう。
奄美群島のように沖縄と違って米軍施設が集中していないような地域では特に。