新笠通信 奄美電信版

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「君は日本国憲法を読んでいるかね?ん?」

2010-01-31 20:54:35 | Diaries
2009年12月14日(月)
民主党 小沢一郎幹事長の記者会見

私には感想というものがあるから述べることができるのだが、この演出で勝負あったという感がある。

まぎれもない実権者が記者という一組織の担当者を圧倒する演出は、第一線を退く際に憤りの矛先を向ける対象を失っていることの悲痛さを吐露した先がたまたまインタビューを担当した記者であったというのが適当であってと限定するするわけではないが、ひとりの記者ではなく国民全体を圧倒したのと同じ効果を得たというところから、一方的な勝利宣言であったとすることができる。

徳之島の地価が暴騰するとしよう。

2010-01-31 18:52:07 | Diaries
そうすると
徳之島および徳之島の前後に位置する加計呂麻島、沖永良部島といった地域でも土地需要が向上するわけだ。

大陸の論理、1953年には長崎県の対馬、鹿児島県の奄美大島を含めそれより南、沖縄県地域全域が中国の潜在的領土として未成年向けの歴史教科書に記述されることになった。
中国国定教科書「現代中国簡史」より

はやいはなし、加計呂麻島を実質的に所有しておけば、大陸系の土地開発機構団系統に賃貸するも、徳之島基地の後方支援施設としての用途として日本の政府に賃貸するも自由になってくる。

情報収集、工作活動拠点としての土地取得活動が徳之島移設案が周知されることになったその日のうちや翌日には動き出していたとしてもなんらおかしいことではない。

長崎県と韓国の間にある長崎県の対馬では、韓国系資本による土地取得がさかんに行われている。


加計呂麻島を所有したいといっている企業の親会社である、

鹿児島市城南町に本社を置く大東海運産業株式会社の
代表取締役社長 東 文夫

は加計呂麻島の転売や賃貸を中国系のシンジケートと交わすことも、アメリカや日本の沿岸警備のために政府の施設機構と交わすことも自由に行えるようになる。

この企業が大陸系のファンドから成功報酬を受け取る契約を交わしているとするならば、徳之島と加計呂麻島で米中がにらみあう構図だって生まれかねない。

報道の商売根性

2010-01-29 14:31:11 | Diaries
新聞ってのはね、国会のある日なら国会前で号外を配布するぐらいの営業努力をしてなければ、発行していないのと同じこと、最初から存在すらしていないことになるんだ。

お金を払って全国紙の記事に載せてもらう、キー局の朝の番組で紙面を紹介してもらう。

そうすれば国会議員の潜在読者数の割合に変化もみられてくることだろう。

いまはよくてせいぜい1人から2人ぐらいといったところだろう。

ベテルギウスがここまで明るく赤く

2010-01-27 00:14:43 | Diaries
夜7時過ぎ東の方角に異様なほどに赤く明るく光る星

気になっていたんだ

生きているうちにオリオン座のベテルギウスが超新星爆発を起こしてしまうのを見てしまうかもしれないと思わせるようなまぶしい光を放つ星

これは、火星だったのね

オリオン座は火星から右上の位置にありました



ベテルギウスから600年かかって地球に届いた光を見ていることになっています

火星から5分44秒かかって地球に届いた光を見ていることになっています

光の速さ c≒30万km/s (c≒30万キロメートル毎秒)

2010年の1月28日 火星は地球から9800万㎞ほどまで接近

国産糖宣言

2010-01-26 20:53:02 | Diaries
まずは2009年7月22日
硫黄島の皆既日蝕から見ていただきたい

戦後の日本で義務教育を受けると太平洋戦争で戦死したアメリカ側の兵士に対しての追悼の意が自然に湧き上がってこなくなるのはどうしてだろう。

君のお父さんは特攻機で米兵のタマをとりにいって返り討ちにあって死んだんだ。

殺しにいったから殺された。

単純なことなんだ。

突っ込んでいった先の相手はみながみなみなしごというようなことはなく、誰もが父と母から産まれてきて家族がいたんだ。

そういうことをいまだに理解させようとしないのは、

いまだにそういうことがたいしたことではなく、

それよりも優先したい大切なことがあるからであろう。

名護市辺野古 への 普天間基地移設

2010-01-26 19:06:03 | Diaries
沖縄県宜野湾市 から 名護市辺野古 へ

事情を知らない者が移設予定地を上空から観察してみれば、なぜこのような海岸を滑走路にするのか疑問に思うであろう。

景観(自然環境)的視点から感性、神経を疑われることになるだろう。



さて、この問題を解消するには、両国たがいに相手の国土への部隊駐留を認め合うことの条件を揃えてしまわなければならない。

いつになったら両国は同規模の人質の交換を実現するのであろうということだ。


核抑止力といった概念はすんなりと受け入れられるものとなっているにもかかわらず、

5万人規模の競合国の部隊駐留は受け入れられないものとなっている。


人質交換と言い方は悪いが、交換するぐらいの関係性を保っているとするならば、駐留先での身の安全は想像を絶するほど保障されたものとなっているものだろう。


1945年に停止したものは、大陸の分割だといえます。

それまでは相手の準備がととのわないうちに旗をたててしまおうということが常套手段として繰り返されていた帝国主義の時代だったわけです。


1945年に止まった時間が再び動き出すというのは、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約後の主権を回復した時からのことをいうのではなくて、が、主体的に北アメリカ大陸やアジア大陸それぞれの地勢条件下での効果的な開発方法を熱く語りだすときのことをいうのであろうということになります。


止めた時間を再び動き出させれば、大陸の分割が進行するか、大陸が反転攻勢に転じるか、こう着状態を維持するかのいずれかです。


訴えてくる側は論理を伴わせて主張してきます。

お宅の国の都合のままに、好き勝手に開拓領域化されていった。一方的にはやいもの勝ちという感覚で旗をたてられていった。

だから講和条約による戦後補償の結果貸し借りの関係が終了していっても、返すおつりはいくらでもある。

金では解決できない、目に見えない借りを大量に保有している、後攻めである債権国という立場なんだぞ。

ということになってきます。

他人の不幸

2010-01-24 15:08:25 | Diaries
1月24日(日)

君のお父さんがおかしなことを言っていた

ふとんでなく仏壇で寝たい



なんで

よそのひとのおつむのことを心配しなければ

ならないのよ


一応事件が起こるかどうかの分岐点に差し掛かったわけだから

付箋を貼っておこう

深刻な近隣トラブル

2010-01-23 18:16:10 | Diaries
近所には多くの家族が生活しています。

去年Aというお宅とBというお宅の間でトラブルが発生しました。

どちらのお宅にも小学生の子供がいて同じ学校に通っています。

Aというお宅の子供の母親が、Bというお宅の子供を家の近所でみかけたときに、同じ歳の小学生と比較してもあまりにもぶくぶく太っていたため思わずただひとこと「ブタ」とだけ出会い頭にBさん宅の子供に声をかけました。


小学校の先生としても、よそのうちの子供に身体的特徴に由来した差別的な蔑称を平然と浴びせられるような母親に対してなすすべはそうあるものではないといえます。

児童の母親に対して効果的に指導力を発揮することに専念する職務に従事しているわけではないためです。


この件に関して、後日Bというお宅の子供の行動に異変があり、なんらかの苦痛を訴える遺書らしき書面が残されていた場合、