新笠通信 奄美電信版

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もう一句むすめ

2008-08-25 10:16:06 | Diaries
おはよう

野球の3位決定戦は滅多にみることのできないいい試合でした

65年にドラフト会議が始まりました
優れた野球選手が中学や高校時代に活躍しますとプロ野球球団は選手としての入団してもらうことを強く望みます

選手はプロリーグへの入団を希望します

フィールドプレーヤーは希望する球団への入団を望みます

選手に人気のある球団とそうでもない球団といった違いが出てきます

特に優れた選手が人気の高い球団だけに入団してしまうと
人気の高い球団が特に優れた選手だけを入団させてしまうと

チーム力に大幅なかたよりがでてくるものです

年間を通じてレースにならなくなってしまうわけです

圧倒的なチーム力を誇る球団が人気の高くない球団に完勝するゲームを

年間を通して楽しむというのは

弱いものいじめを無意識のうちに楽しむ趣旨が興行に含まれていくようになります

どのスポーツでも最初に競技界全体の健全な成長が望まれます

プロチームが形成されるまでに成長した競技はほんのごくわずかです

競技界全体の成功として位置づけられる筆頭のものが野球になります


興行として採算のあう、継続の可能なスポーツ競技界を生み出すことはほとんど不可能です

祝日平日を問わず、競技場まで足を運ぶ観戦希望者

が存在するか否か

興行としての成否はこれに尽きます


業界全体に対する期待や信用というのがあります

業界が(業界の関係者が)失望や疑念を与えてしまうようなことは問題外です

期待されて、支持されて興行界全体が中断することなしに業界であり続けてきているわけです

見たいという人がいないと始まらない事業なのです

興行界というのはいち事業なわけです

事業の成否には信用が強くかかわってくるわけです


ゲームには結果がついてきます

結果が意図的に操作されるようなことがあるとゲームにはならなくなるわけです

結果が予定されている芝居を見せられたというようなことが起こると業界の信用は地に堕ちてしまいます

競走馬によるレースなどの公営ギャンブルの業界でも同じです

着順を意図的に操作するような不正の存在は期待を失わせることにつながります

不正によって着順が予定されていて、期待を持っているほとんどすべての人は意図された着順を知ることはできない

そんな興行につきあうのは無意味なことだと不正を知った人はあらためて思いを強くするわけです


世代交代というのは確実に訪れます

時間がたつだけで人々が抱く期待の対象というのは移り変わっていくものです

30年以上たったあとに、引退世代の入れ替わりも確実に起こり

ある競技の業界全体の責任者の顔ぶれも変わってきます

20代30代の現役世代が引退世代となった時に

どの競技界に強く期待を抱くものでしょうか


地方では、出身者が大相撲界で活躍することに大変期待が持たれています

ありとあらゆる競技界というのが存在しますけれど、

その中でも力士への期待は群を抜いているといえます

地方というのは誰かといえば、自治体となるわけです

地方でメッセージを発信するのは自治体ぐらいしかありません

自治体の長が期待していると述べるわけです


自治体はよくしゃべるというようなニュアンスは正確なものではありません

自治体は誰かにしゃべらせるから意向を伝えることができるわけです

とにかく、この地方では自治体に絡む世代の人が大相撲に期待をしていると言っているわけです

業界を代表して応援しているといっているわけですから

応援しているという代表をみれば、どういった業界が応援しているかというのがわかるわけです

地方では自治体という業界に並ぶ業界というのがありません

自治体以外の業界による支援というものがなかなかイメージされることはありません


野球やサッカーなどプロリーグの公式試合を継続的に実現するにはバックアップ体制が十分に整っていなければなりません

地方に自治体ぐらいしか業界といわれるようなものがないとすれば、このような興行費用を試算するのは自治体ぐらいしかありません

適当だといえる特別な措置はいくらでも考えられるわけです


世代が変わり引退世代になった人々がどのような競技に期待しているかというのは重要です

大相撲や野球といった競技界は完全に防衛的地位にあるといえます

人口はそう大変動するものではないので、競技界に期待を持っている人の数はあまりかわらないわけです

「楽しめるから競技場に行く」から「競技が行われているから見に行った」に変わってしまうと

「競技が行われていても見なかった」に変わってしまうのはあっというまです

期待をもたれるというのはとても大切なことです

どっちもベストを尽くしていて、競技後の結果は事前にはわからない

これはもっとも大事なことです


競技を見てなにかをとりもどす

というようなことは大事なことです

競技を見たらいろんなことに気づけるものだと思います

戦争の作戦行動と競技の作戦行動との違いを探ってみることは有意義なことです

平和のために戦争に勝つと言っているような行動と比較してスポーツの神聖さを再確認することはよいことです

公正な競技、公正な競争などと言ってられないというようなところから戦争の肯定が起こります

公正な経済取引を行うという哲学をもたないところに略奪が発生します

腕力で充足を充たすというのはとても原始的なことでまた自然摂理でもあります

原始的な人間同士では闘争しか起こりません

自然な食物連鎖の原理で生きてしまうと

本能の原理だけで行動してしまうと

公正な環境を実現するために考案されてきたほとんどのルールを無視するようになります

ルールの異なるグループと接触することで腕力による意思表示を行うことを検討してしまいます

ルールの異なる相手との対話を武力でしか図れないということが起こってきます


世界を知るということはルールの異なるグループとの対話能力を身につけるということになります

ルールの異なるさまざまなグループとの接触を可能にしていく能力を身につけるということになります

グループ内でのみ対話が行われる

というのは古来の様式です

グループ内だけに通用しているルールにしか対応できていないため

グループ外との接触に武力にかわるものを歴史経験的に携えてしまうということがあるかもしれません

未知の概念との接触は手ぶらでは行えないというのがあるかもしれません

ルールの異なるグループとは接触しないという絶対確実だと考えられる選択が選ばれやすいものかもしれません

世間が狭いというのは関係しているグループのルールしか知らないということだと考えられます


オリンピックというのは世界共通のルールが実現される貴重な機会です

スポーツ以外の業界で世界共通のルールを実現することはとても困難なことです

異なるルールとルールが接触し戦争までもが検討されてしまいます


原始的と考えられる本能的な行動が目立つグループには

武力を持たせてはいけないと

理性的な現代人は考えます

欲のままに行動してしまうグループに武力が備わると

似たような欲の強いグループが存在しなくなるまで

実際の戦闘を行ってしまいます

戦闘相手のグループがなくなっても

グループの内部で殺し合いが始まってしまいます

欲のままに行動してしまうグループが武力を確保したらきりがなくなります

次から次へ欲のままに行動してしまうグループの模倣が全体で繰り返されます

生き残るには武力に頼るしかないのが常識となってしまいます

そういう時代を経験しているわけですけれど

人が殺戮しあうということの恐ろしさをよくわかっていない人が新しく増えていってしまうと

日常社会の中に擬似的な戦争が発生していってしまうのかもしれません


無差別殺人はある意味戦争行為です

武力の調達手段がないなりの実戦活動であるといえます

誰かが気づくにしても気づかないにしても

誰も相手にしてくれないという最終評価を自分に下しています

アピールしたところで自己に対する扱いというのが一定化している環境にあると断定しているわけです

儀式として象徴的な演出は必要であったのです

いろんな意味での卒業式だといえるわけです

決別式を派手に行っているわけです

人間には残酷なところがありもともと面倒を見る気がないのにあれこれ意見するというところがあります

かかわりたくない相手には意見しないという行動を無意識にとっているわけです

ここまでやっても一考だにしないつもりかとも言っているといえます


共通しているのは自爆をしていないタイプのテロ行為だといえます

自殺者と共通項としてもよいといえます

同じ共通項としたとき

普通の例では自殺しているものであろうともいえます

自殺という行為に帰結すると考えられる要因を抱えている者が自殺という手段をとらずにかわりになんらかの行為をなすようになるとすればそれはどのようなものになるか

といったせっぱづまったテーマになります

自殺直前にはいろんなものに動かされやすい状態になっているといえます

よくない内容のものを受信してしまうと

殺人者へと容易に変貌してしまいやすくなるとも考えられます

すでに死んでいる者として自己を認識している者が持つ現実感は理解が容易でないものとなっていると考えられます

現実と死後の世界の境界があいまいになってくると自分や他人の生死はほとんど問題がないものとなってきているといえます

生きているも死んでいるもなくなっているものに所有の概念はありません

不特定の対象者に怨みがあってもなくても殺傷した相手の生死とははじめから無関係の存在なわけです

私が殺傷したから死んでしまったとはなっていないものです

私と死亡者は最初から最期まで無関係となっているわけです

この名義がこの名義を殺傷したというのは社会が記録したものによることだとなっているわけです

本人は自分がなんという名前を持っていてもこのような状態に陥るしかなかったと考えているわけです

自分のなんとかなんとかという名前にはまったく束縛されていないわけです

社会に記録され認識されている名義には何も負っているところがないとしているわけです

武器を持って錯乱している者が自分を傷つけていない

というところが重要です

化けているものに接触した死傷者の犠牲だけは避けることができない

という事実だけはあるわけです

化け物に変わっている間は人間として認識してはいけないわけです

ひととおり殺傷を終えても落ち着かないということはまずありません

殺傷を終えても我に返ることができていないとすれば息絶えるまで殺戮を継続するでしょう

捕獲されて化けの皮を剥がしてもらえるという願望が充たされるわけです

これから先、恐怖感を与えたり、正しい教えを施すといったことがまったく無意味なものとなるわけです

正しい教えに導かれたことを確認しあったのち死んでもらう

生きている間は恐怖を覚えた人々の思いを味あわせ続けられなければならない

といったことがほとんど効を成さないわけです

それこそ儀礼的、儀式的といったものになってしまうわけです

これから施す処置が誰のためになるか

誰の役にもなりようがないのです

殺人者へ処置を行うことが役に立つと考えられるはずだった人はもう死んでしまっているのです

犠牲をださないためには殺傷を予定している者の自己申告しかありません

無差別殺傷しか思いつかないと考えていることを耳に入れる役の人が必要なわけです

相手をしてくれないと犠牲者の発生もやむをえないといった旨のメッセージをキャッチしやすくしなければなりませんし発信しやすくもしなければなりません

人を殺したといった虚偽の自白への対応

収容先の確保が必要なわけです

異常を自己申告してもらい隔離された環境が提供されなければならないわけです

殺人者は自己の名義に対してなんら負っていないというのは他の主体に対して因果関係を認められないということになります

他の主体に対して責任関係を負えていないということは主体として無能力な状態にあるといえます

他の主体に対する責任関係能力を持たないものに対しては前処理というものと後処理というものがあります

他の主体との間で負の因果関係がひきおこされてしまうことがないようにと前処理が行われるわけです

前処理が行われていない無能力者がひきおこしたものが負の因果関係といわれる無差別殺傷事件といえるわけです

メディアの影響は大きいため慎重さはとても重要になります

無差別殺傷事件のようなものをひきおこす引き金として精神状態が不安定なものに不要な刺激を与えてしまう機会と遭遇し続けているといえます

一時的におかしくなっている人がいっせいに暴走してしまうような編成も手法次第だといえるわけです

無差別の犠牲者となってしまう人が発生することを誰一人望んでいないという大きな軸があるわけです

おかしくなっている人を挑発することはおかしな行為を誘発させてしまうことにもなるわけです

起こるべくして起きた不幸ではないと証明することは誰にもできません

人物を知った気になるというのは大変な過ちです

誰一人として他者の深層を知ることはできないから共通ルールの確認を行っているわけです

共通ルールの確認作業ののち対話の決裂を一方的に宣言したものが武力での対話への切り替えに移行します

共通ルールの確認後対応可能性を断念したものが不特定の多数に対して報復行動へと向かってしまいました

共通ルールに対応できないとする自己申告は重要です

共同体の中にルールに適応できない人物を扱う部門があることは重要です

不適応者の完全追放を社会が実現しようとすれば、追放されたと認識した不適応者の常軌を逸した行為によって無駄な犠牲者が発生してしまいます

接触することによって実害の発生が予測されるから一般の人には対応できないとされるわけです

対応できる人と対応できない人にはっきりとわかれるわけです

一般の事業所ではあまりにも無力であるといえるわけです

そもそも事業所というのは適応性を特に重要視してコストがかかる可能性を前もって除去しているわけです

コスト面で際立った被害をもたらす可能性があるかどうかを気にしているわけです

毒にも薬にもならないタイプのほうがよいことが多いわけです

よその団体と負の因果関係をひきおこしてくれるような人物はいらないわけです

よその団体に実害を加えたら、自己の団体は謝罪し弁償しなければならなくなります

一般事業所がかかえられる災難にも限度があるといえます

無差別殺人者はしゃかいびととしては死んでしまったけれど、親は社会ビトとして死んではいないわけです

親が生き残ってしまっているともとれます

親が生きていくのにこの犠牲は避けられない性質のものとなっていたということもあります

何かを見て育ったことにはかわりありません

今まで見たなにかの中からでしか人格の形成は行なわれえません

提供された環境をみて感じ取り方を形成していったわけです

誰がどのように感じているかを想像できる能力は大事です

誰かがこのように感じているということについてまったく無関係を決め込む

刺されて痛みとともに死を予感していくという感覚は当事者にとってまったくひとごととなっているわけです

一方的に他者にいろんな感情をいっぺんに与えているわけです

喜怒哀楽の共有にはそれなりの礼儀というものが必要です

喜怒哀楽を共有するためにはまず関係性の構築が必要となってきます

日常ではグループの内部でしか喜怒哀楽の交換は行なわれません

喜怒哀楽の交換すら行なわれないグループではグループ外活動に喜怒哀楽交換の場を求めます

喜怒哀楽の交換にふさわしい対象との関係性というのもあります

通常喜怒哀楽は従であって主ではありません

感情を扱う商売というのが例外的にはありますが

本能的感情では産業は成立しません

ものがたりは心理を扱っています

最初から最期まで心理であることがほとんどです

脚本屋のフィルターを通してしまえばどのような人物であっても心理をひょうしゅつされてしまいます

さかなをさばくように題材に選んだ者の脳みそをさばくわけです

このような人物だと描かれてしまったら誤りである点については否定をしなければなりません

人物の心理を完全に知るというのは不可能です

人々に支持されることについては理由をつけなければ表現できません

その逆もそうです

人物像というのは社会が持っている期待、願望に適わされていくということがしばしば起こります

誇張すればきりがありませんが、丸裸にすれば市場への供給には向かなくなるという性質があります

自伝と他者が残した人物評があるとすれば

他者の残す人物評の史料価値が大勢だといえます

他者が描く人物評眼というものが描いた時期における社会評となります

他人の口からしゃべらせるというように

社会が漠然と抱いている主張というものをキャラクターにになわせることもあります

誰かが評を残すというのは大事です

ある業界としての評が残されるというのは大事です

自己評は権威とはならないからです

評価を残す業界というのは評に責任を負っているわけです

はくがついてしまうことをわかっていて評を行っているわけです

責任をもって箔づけを行っているわけです

広告事業は受け取る報酬の範囲で可能な限りの責任を持ちます

事業なので労力が投入されています

受け取った対価に見合う範囲内でしか責任をとれないわけです

商業は宣伝広告にかかるウェイトが非常に大きいわけです

宣伝広告はある意味力ずくといえます

資金力の有無が決定力となります

事業として成り立ってきているのは収支構造が数値化されているからです

動いてはいけない案、動かなければならない案というのがはっきりしてくるわけです

評価を交わすには業界との関係が明確にされていなければならないわけです

どの業界にも上下官構造があります

どの業界とも関係性がないというのは上官の影響を受けないとなります

業界グループ内で上下構造に組み込まれたら

上官の指示はほとんど絶対です

業界の意向にほとんど影響を受けます

説得する相手をまちがえたり

望ましからぬ人物に気づかれたりすると

既成の台本が届くようになります

実際に構成している人がことばを握っているわけです

業界が評を残すということはとても重大なことなのです


次回は日本での銀行業の興り
プロジェクトファイナンスとは何か
どの団体とどの団体の間でプロジェクトファイナンスの検討が行われるか
融資規模はどれくらいか
ほとんどは国外事業か

について
このような大プロジェクトに参加するにはどのような団体に所属していなければならないか
を学生のうちに知ることができるでしょうか


終戦と同時に帰国手段を失った日本人が大量に発生しました
帰ることができた人帰ることができなかった人
それぞれ国内と国外という異なる生活環境の中で同じ時代を生きたわけです
帰国できた人が帰国できなかった人をどう扱ったかというのは重要です
敗戦直後に捕虜として生きていくことになったわけです
捕虜でなくても人身売買され労働力として持ち込まれた人間と同様の境遇に置かれることもあるわけです
大陸から帰れないで現地で差別的な地位におかれあたらしくできた子孫も優先的に教育を与えられてきていないとすると
国外に対しての自力での接触はほとんど不可能になっていると考えられます
教育を受けないとグループの外との対話を実現することはほとんど不可能です
接触手順を知らない人を要所要所で門前払いする
社会はそうでなくてはいけない性格も有しています
国外への移動費用を工面できない労働環境というのがいたるところにあります
条件のよい土地へ人間が流れるのは自然なことです
労働力がどっち側を向いているかを知っている団体主体が流出を促進することはありません
土地に縛るというのは自然に発生してきている傾向とみることができます


さざんかの宿にものもうすうす

2008-08-21 21:16:00 | Diaries
おっす おら 土管かい


先日遊技場運営業者ではなくパチンコ台メーカーがじきじきに折り込み広告の配布を行ったようです
奄美諸島一帯を配布エリアとしている地元紙に織り込まれて配布されるわけです
遊技場関連産業の体力は他産業よりも優っているといえます
一定以上の市場規模を得ているということは支持を得ているということであり市民権を得ているということになります
戦後日本の文化として真っ先にあげられるものとしての地位を確保しているといえます

よそのどの国でも流行ってはいないので日本特有の現象だということになります

夢のレベルが管理されていることになります
この程度で満足してもらわないと困るというバランスがあるわけです
おとなしくマシンに向かい合っていてもらうこと以上に役に立つことは誰も要求していないのです

公営ギャンブルや宝くじ以上に熱をあげてしまう(期待を持ってしまう)ことは非現実的なことであったとしても何もおかしくはないのです
現実の日常の中にささやかな期待を持つ対象を見つけることはとても難しいものであっても不思議ではありません

充実感を伴って仕事をこなせるほど業務というのは単純なものではありません
やっつけ仕事でしかない業務を任せられていると感じることもおかしなことではありません

職務そのものが夢と考えていた期待していた環境のことであるとする人と
職務そのものは夢として考えている環境とは無関係のものだとする人とでは
職務から得られる充実感に大きな隔たりが生じてきます

職務そのものは夢と考えているものとは異質なものとして認識している人にとっては
職務を通した上での業務環境の理想化を図ろうとするモチベーションは大変低いものとなるものです

業務と夢は完全に分離されたものとしてあらためて期待を持つ体勢を整えていくものです
夢が業務にオーバーラップしてはいけないとして線引きを行うわけです
業務と夢の住み分けを確立するわけです

業務に関連する環境からなんくせを受けようのない環境の中に期待というものは発生するものです

こればっかりは同僚をはじめとする上下関係社会からとやかくいわれようがないというジャンルの中に期待が発生するわけです

業務をとりまく環境には夢と分類される期待を傾ける目的物が存在しないものだとして割り切っているわけです

仕事は仕事、プライベートはプライベートで境界がはっきりしているわけです

夢を(期待を)仕事に持ち込まないという意識が働いているわけです

理想を仕事に持ち込まない仕事をしている人々の期待に応える業界というものが支持を得ているわけです

夢と仕事がリンクしている人は職場環境以上に快適な環境はありません

存在意義が理想を履行していることにあるので

期待の受け皿を必要としている、用意された期待に充足を覚えるような程度には

かえって不快を覚えてしまうものです

しかけというか手のひらの上で満足させられていることに

存在意義の否定を強く覚えてしまうわけです


30分後にまた

興信中「・・・黄桃ゼリー・・・」

2008-08-17 14:57:50 | Diaries
こんにちは


兵士とリポーター

紛争の続いている戦闘地域があります
そこで取材が行われる
戦っている人のそばへ人が近づく
生死がかかっている状況の中へ味方ではない非戦闘員が出現するわけです
交戦国どちらの味方でもない非戦闘員の出現は戦況が有利になる材料となるでしょうか
非戦闘員は戦闘員に対しなんら影響を与えることはできません
戦闘員には本文があるからです
非戦闘員は戦闘員の上官ではないのです
上官が取材者に対する扱いの指示を出していないとすれば
おもむろに戦闘地域に現れるような取材者は味方ではないものとして扱わなければなりません
そこには上官と味方と非戦闘員である味方だけが存在しているという大前提があるわけです
そうでないものが目下の交戦相手となっているはずなのです
味方でない者を戦地に存在させておく義理はないのです

あらゆる理屈が通用していないからこそ戦地となっているのであって
理屈で安全の確保を要求しようとすることはとてもナンセンスな状況になっているわけです
安全の確保されている環境からはもっともかけ離れている状況の真っ只中にあるわけです
もっとも安全の確保されていない現場で身体に危険の生じないことを要求することほどばかげたことはないでしょう
戦地で味方でないものは異物でしかありません
味方でない者が怪我をしないようにと配慮することによって非常に気が散らされてしまいます
敵の動きに気を集中しているさなか味方ではない者の動きにも意識を向けることになってしまうためです
取材者の動きに気をとられ一瞬の判断の遅れから味方が大ダメージを受けたとします
取材者の存在が味方への損害にへとつながったと判断されると
味方ではない取材者は敵側の取材者だとする認識に変わっていったとしても不思議ではありません

そもそも誰もが生きるか死ぬかの状況におかれているエリアでは滞在している者すべてが生きるか死ぬかの状況にしかありません
特権的な待遇などはまったく無効になっているから戦場になっているわけです
敵か味方しかない状況の中で敵でも味方でもない存在の安全確保を要求することは理にかなっていないわけです
関係が薄い者の意見を検討できるようであれば最初から交戦などは生じないのです

手続きを間違えた調査員は諜報員でしかないというのがわかるでしょうか
情報収集を行っている者は協力者に対する損害を生じさせないことの確認を行ってはじめて滞在の許可が許されるものです
情報を扱う
情報を扱ってきた者の歴史
どのような者が情報を扱ってきたか
団体の者の中でも腹心中の腹心だけに情報の扱いが認められてきた
情報は内容によって質が異なってきます
誰もが知っていてもよい情報と少数の人だけが知っていればよい情報
少数の人だけが知っていればよい情報を腹心が扱うわけです

戦場にある情報とはどのようなものでしょう
戦況はあるでしょう
戦場には腹心が扱っているような情報はありません
団代の中でも戦闘部隊というごく一部門が展開している事実があるのみです
展開している部隊がとる行動に変化がみられてくることはそうないものです
作戦を専門的に遂行する団体だから組織されているわけです
戦闘を専門としている部隊に予測外の行動が見られるものではありません

建造物が壊され人々が死傷していくのが戦場であって
予測不能な奇跡が起こるのを期待するような場所ではありません
予測可能な不幸だけがある場所に何かを探しにいくものではありません

そんな不幸な場所で戦力にならない者が取材を行なっているというのは違和感があるものです
そこにいる戦闘員は戦闘員としてしか存在しえない状況にあるわけです
団体員として以外には存在できない境遇にあるわけです
取材により戦地の状況が全世界に伝えられたとしても
誰も戦闘員を続けるのはやめたほうがいいよとは言えないわけです
自由がないから戦闘員として活動している人に向かって非現実的なアドバイスは行えないわけです
志願によって戦闘員として活動している人に対しては意思を尊重するしかないわけです
願い出た時点で迷いのない存在として任務を遂行しているわけだから
団体が罷免することでしか除隊させることはできないわけです

選択の自由なく行動を行っている戦闘員のそばで自由な取材活動が行われていていることほど違和感を覚えるものはありません
自由に取材を行っている者が戦闘員の不自由な姿を伝える
兵士以上に自由な行動をとれない状態がそうあるものではないのです

交戦中の兵士と兵士の間で取材活動だけが自由に行われてしまう
どちらにとっても味方でない者がどちらからも敵とみなされてしまうのに時間はかかりません

常識の通用しない戦地では味方と敵の識別がなによりも重要です
中途半端な立場をとる者に対しては常にスパイの嫌疑をかけておく必要があるわけです

味方が情報を漏洩してしまうことにも神経を尖らせているわけです
敵味方の関係がはっきりしてしまう前から
双方とも相手の事情を探り合っているわけです
潜伏者が存在している可能性についても十分考慮しているわけです

取材者がスパイとしての役割を果たしてしまう可能性をどちら側も見込んでおくのが妥当となるわけです

報道より昔の世界というのは、新聞の時代より昔の世界では、情報は特殊な人によって専門的に扱われていたと言えます
中央集権化された社会で重要だと考えられる情報を扱っていたのはごく一部の人に限られていたといえます
中央集権階層下のそれぞれの組織の長に情報が集約されていればよいわけです

開港要求元を敵とするか味方とするかの判定があり
敵としない判断を行ったわけです
強いと判断し敵としなかったわけです
そのあとにも強いか弱いかの判断が行われていったわけです

中央集権団体は直接の自治・統治を行うという点で報道団体とは異なります
報道団体が情報提供活動を停止したとしても中央集権団体の自治・統治活動は続くわけです
報道活動を続けようが廃業しようが統治機構の活動は停止しないわけです
統治機構は報道機関のような情報提供活動を行わないわけです
報道機関のような情報提供活動というところに報道機関としての特色があるといえます

その極端なものが戦地状況の配信といったものです
交戦当事者は戦況の配信を行わないわけです
当事者による配信が行われたとなると大本営による情報操作活動となるわけです
広報活動は作戦行動の一環として活用されることになるわけです

情報は統治機構に集中する
これはまぎれもない事実です
統治機構にて情報の選別が行われ反映項目の検討がなされるわけです

統治機構が寄せられた情報として検知するかどうかに重点が置かれてくるようになります
寄せられた情報は選別され処理されていくわけです
有効/無効の判断が行われ
無効とされた時点でその情報についてはその場で処理完了となり
有効とされる情報については反映がなされていくことで処理が進行していくわけです

なかったことにすることで業務効率は格段に向上します
無効処理を増加させ情報はよせられていなかったとすることで処理効率を向上させることができます

問題点・課題点の指摘、要望などは発生していなかったとすることで何も変えなくてよいことになります

団体の規模が大きくなればなるほど影響を受ける人は莫大な数に上るため無計画に変えることは予測以上の混乱を招きます

影響範囲が大きいものほど変えることに慎重になりますし検討に膨大な時間を要するようになります

迅速に変えることが可能なものは裏返せばそんなに影響範囲の大きいものではないということがいえます

大きな流れとして影響範囲の大きなものについてはなるべく手をつけない方向にあるといえます

変えることに膨大な検討時間を要するものについて寄せられていく情報は保留扱いされ件数は無尽蔵にふえていきます

政治的駆け引きがまったく排除されたところで時間をかけ検討されていくかは重要です

重要案件が政党的事情に左右されてはいけないためです

どの政党に所属していたとしても同一の検討事項に一貫性のある見解の主張を見ることができるかは重要です

この政党に所属している場合には検討事項の見解に修正を加えて主張しなければならないとなると調整がなされた分だけ支持関係者の持つ見解が優先されることになります

支持関係者の希望に左右されることなく検討の継続を続けることができる団体はごく限られたものとなってきます

当然中央集権団体は特定の支持者だけに影響を受けた判断を行わないものとなっています

執行機関は中央集権団体であるわけです

報道機関は執行団体ではありません

執行団体のように議題検討のため費用をかけ、具体的計画を立案するために費用をかけ、集約され絞られた計画案の承認に向けての費用をかけることはありません

検討されている模様を記録し、計画された案を記録し、承認されていく模様を記録し編集を行った上で報道していくわけです

検討されるべき事が取り上げられていないとして、計画された案に課題が残されているとして、承認され反映された結果発生した問題について意識させてゆこうとするわけです

情報と頻繁に接触することになる部門で前処理が行われ、きわめて少数意見、取るに足らない情報であるといった性格をもたされたものが除去されていきます

大規模な団体ではすべての情報が上位の意思決定部門に流れ込んでしまわないように情報の質に優先付けがなされ重要性の低い情報を早い段階で遮断しなければ非効率的です

最上位の判断機関に直接苦言を届けるというのは非常にイレギュラーなことです

主に最終判断を行う部門に直接情報を届けることは最終的な手段となります

検討が必要になっていると認識してもらおうとしている事案についてはほとんどの場合担当の部門が設置されているものです

担当の部門が意見を聞く機会を用意します

個別に担当の者に意見を聞いてもらう時間の確保を要求し、意見の交換を行う場合もあります

大上段から組織を一括表現してしまう性急さを報道機関はもっています

実務者がそれぞれ抱えてきている障壁についてはなかなか配慮がなされないものです

周囲がどれだけ苦言を呈したところで代わりに実務を行う団体は存在しないわけです

本当にいい仕事をすると考えられる報道機関はいたずらに実務者を右へ左へと振り回さないものです

代議士がオリジナルの哲学を主張しないのは支持者の考えを主張しなければならなくなっているからです

困った人やならず者といった人の面倒はけっきょく誰かが見なければならなくなります

なかなか誰も相手をしなくなっているような人について担当しなければならなくなる人もいます

ふつうの人はなかなか対応しようなどとは思わない部門についても扱わなければならなくなります

とりわけわけありの人ばかりが集中して殺到してしまうのが代表です

課題がある人は代表へ代表へと直行してしまうものです

代表へ訴状が届けば迅速な処理がなされる可能性が高いというのもまた事実であるわけです

地方公共団体に対して争議を行うという発想がみられない地方もあるといえます

そういう地域では議場での追求に特徴のみられるいくつかの政党に代弁してもらうことに過度の期待がもたれる傾向もでてくるわけです

さて、特にわけありの人を集中的に扱うことも代表は要求されているわけです

特にかまってくれと訴えてくる人ぐらいしか対応する時間はなかなかないともいえるわけです

そんなに困ってはいない人を気にかける時間などないといえるわけです

最近よく目立つのは代表が辞めないから困っているといったものです

どんなもんでしょうか

執行団体に任せられないのであれば替わりにどの団体に任せるのでしょうか

今ある団体を良くしていくほかありません

団体の風通しについては地域によって大きな開きがでてきているといえます

情報化の進行によってかえって情報統制意識を高めてしまうこともあるのでしょうか


兵士とリポーターですが

生きて帰れない可能性も自覚している兵士のそばに生きて帰れるつもりでいる取材者の存在は場違いなものです

戦場から伝わってくるものがあるとすればそれは生きては帰ってこられない現実があるということです

戦闘は茶番ではないということです

芝居ではないということは命を落としてみないとなかなか伝わらないものです

味方ではない者を妨害工作を行ってくる敵側のスパイだとみなす転機を持つことは造作もないことだといえます

言動ひとつで攻撃目標となる敵としての認識に切り替えるタイミングがいつでも訪れてしまう状況の中にいるといえます

味方が敵側に寝返ってしまうような異変に注意を払うなど神経質になって状況把握を行っているわけです

予測不能な行動をとるような非常識は戦地では通用しないわけです

もともと情報は諜報員が専門的に扱っていたわけです

執行機関の中でも特殊な部門が扱う内容が情報とされるものだったわけです

ほとんど最後まで開示されるようなことのなかった情報によって判断が行われていたわけです

最後まで開示されるようなことのない性質の情報を入手するために専門の担当者が用いられるわけです

機密情報の内部漏洩者は反逆者として処理されたわけです

スパイにはスパイとしての処理がなされたわけです

戦地では戦力にならない作戦の障害にもなりえる邪魔な存在だとされている自覚も必要なわけです

兵士にとっては何でこんなところにいるのかまったく理解できない目障りなよそ者でしかないものであることもあるわけです

戦力のたしになることはありえないどころかこちらが安全確保のために骨を折らされてしまうとなるのです

生死がかかっている人のいる場所での理解不能な行動は命取りになります

理解不能な動きをみせるのは敵のとる行動になるからです

指定された範囲内の行動にとどめている限り危害を加えないといったような契約を取材地側の部隊と仮に交わしているようなものです

極限状態では事前に取り決めた約束が絶対になります

部隊との約束だけが命を一応保障することになる取り決めになるわけです


本体からの伝信

未だ到来せず

本日も飛来なし

同胞子息に幸多からんことを

あの日あの時あの場所でありさんとありさんがごっつんこ

2008-08-15 04:20:07 | Diaries
痛いの痛いのとんでけー

おはっ

きょうは終戦前日の出撃命令に思うを

電波事情のため降伏の事実を知るのに数日の時差が生じる前線基地からお届けいたしております

人間魚雷の発射準備万端に整っています

あとは出撃命令を待つのみです

伝令系統の麻痺している部隊は機能しません

独断で能動的に行動できるような組織形態を軍隊は採用してはいないものです

指揮系統内で下位が上位の伝令を無視すると反逆行為になります

本体に所属していることの否定意思表示になるわけです

戦力を保持したまま本体からの拘束を拒否した部隊を本体はどのように処理しなければならないでしょうか

軍法によって処理しなければなりません

軍法は本体の影響が通用している(本体に拘束されている)軍人には適用できます

単独の意思によって本体から分離している状態が続いている部隊は本国から法の影響を受けることを拒否しているわけです

離脱部隊が戦力を保持している状態が続いている以上本体の影響が及んでいるエリア内に本国以外の部隊が出現したのと同じことになるわけです

本体の影響が有効に及んでいる支配領域内に侵攻してきている状態の部隊が突如として出現したのと同じことになるわけです

分離勢力の戦闘能力を喪失させる処理が速やかになされます

戦闘能力が保持されている状態は独立した国家的勢力である状態を意味します

分離勢力が周辺国から外交能力を有していることを承認されてしまう直前までに処理してしまわないと

周辺諸国が分離勢力の主体性を既成事実として認識したのちには本国は分離勢力に対して主体が在することの承認を行った上で外交手続きをとらなければならなくなります

国家としての主体を認めるということは内国法によって拘束されないことを認めてしまうことになります

分離勢力の戦力が及んでいるエリアの扱いが問題になります

主体の承認を行った周辺国に分離勢力の吸収を行わせることによって本国領域内から排除するという形をとるか

分離勢力の戦力が及んでいるエリアにおける支配権を放棄するといった形をとるか

となります

いずれにしても主体(主権)が存在することを認めてしまったあとに発生してくる問題です

武力による制圧というのは国として主権が発生していることを認めないという結論が出ている上でなされるものです

人々が生活している土地がある

自治が行われているエリアがある

自治が行われているエリアそれぞれで生活している人々がいる

生活している人々はみな国籍をもっているわけです

現在の国籍を認めている人々は自国の主体を認めているわけです

主権国家の影響下に置かれていることを認めているわけです

戦時に上位が下す意思決定を否定すると本体からの分離状態が決定します

本体からの供給によって保持している戦力を放棄しなければ部隊を乗っ取ったことになります

クーデターの発生となります

10万人以上もの兵士で構成されている軍隊組織はとても大規模なもので末端の混乱ぐらいはあっというまに鎮圧してしまうものです

上位の意思決定は絶対的に有効なものなので上層部で異変が起こるとたちまち国家主権が軍事部上層に移ってしまいます

現代では文民統治が実現されています

軍部が国家主体として行動してしまうことのない統治が実現されています

軍部が国家主権を超越するようなことは起こり得ないというのがあるべき姿だとなっているわけです

特に軍部上層の立場にある者の適性が正常であるかどうかが文民によって監視されていなければならないわけです

軍上層部による自己評価は一般市民からするとまったく無価値なものだといえます

部外者による適性評価が排除されている状態があるのだとすればそれは軍部の独立状態以外のなにものでもないということがいえます

軍部は独立していないということを示す説明責任が常に問われているわけです

上位層には説明責任が生じているということになるわけです

意識のずれが広がっているようなことはないかの照合が行なわれていなければならないのです

隊員の意識に違和感が感じられるようなことがあればそれは現代市民との間に意識のずれが生じてきているサインです

意識のずれの放置があってはいけないわけです

隊員の意識のあり方が一般人にも理解されるものとなっていればよいわけです

隊員しかもつ必要のない意識のあり方というのも理解されていればよいわけです


さて、人間魚雷とはなんぞや
ミサイルに人間を装填するとはいったいどういうことなのでしょう
人間の所業には目をみはるものがあります
はじめからあなたはこの世に存在していなかった
魂ははじめから存在していなかった
でよいでしょうか
あの時誰もいなかった
運がどうのこうのでなく
このままの内政が続いてはいけなかった
との評価を受けているわけです

何を変えないと変わらないだろうと見られていくことになるわけです
何を変えたがろうとはしないかというのを見るわけです

変えたがろうとしないものを抜き出していかなければなりません

変えるために手を加えているわけですから

まず上陸後にゲリラ攻撃が発生するようなことがあってはいけません
一本の放送で反抗発生の見通しがたっていったとすればこれは驚きです
大衆の動きを手短に確実に封じる手段を温存しつつ矛先を逸らせる

アングロサクソン型の発想を理解するために語学の習得を行っているというのをわかっているでしょうか
あちらの発想にはこういったことの意識が伴われていないといった違いを見出していく作業になるのですよ
ということはあちらと比べてこういったことの意識をよけいに伴った社会が営まれているという確認を行うことになるわけです

こういったことの意識を伴って丁寧にあちらさんに接してもこちらが一方的にこういったことの意識を伴っているというだけでなかなか意図が伝わるものではないということになります
こういった意識が伴われている対応は丁寧な対応だととてもすぐには理解されるものではないということです

身分社会から生まれた非常に細分化されている言葉遣いも訳してしまえば微妙なニュアンスなど伝わらなくなってしまう簡潔な言語もあるということになります
youはyouでしかなくミスター歩く核弾頭は起爆装置抜いとけーでしかありません

都会と田舎では生活している人々の意識に違いがあります
いちいちこんなことを意識して気の毒にと思っているようなことが双方にあるものです
そんな田舎にほとんどないものがアングロサクソン型思考です
都会型思考とアングロサクソン型思考を用いれば田舎では簡単に話をあわせなくすることが可能です
近辺の誰にでも対応するのと相手を選んで対応するといったほどの違いがあります
かかわる相手を選ぶ、選ばないの違いがあるわけです

話の通じる相手を選んで話すのとだれかれ構わず話を聞いてもらおうとするのでは確実に意識が異なってきているわけです
目的を達成するには話を通していかなければならないのですがあまりにも人が多い場所であればだれかれ構わずに話を聞かせることは単なる徒労でしかなくなるものです

商売人と僧侶の相性
はなかなか考察の余地がありそうです
水戸黄門みたいのに職場をうろつかれるとやっかい
といったぐらいの相性だと思われます
それを言ったら元も子もないというようなことを説諭してくるためです
目的を達成するための説得を行っているそばで説法が始まったらどっちに影響されてくるでしょうか

どちらも気をひきつけるものですが手口が異なってきます
快を提供して注目をひきつける
忍ぶを説いて合点を与える

マルチ商法(ねずみ講)には擬似新興宗教的なものがあります
支持を得るためにマインドコントロールが重要視されているというのがわかりますか
つまるところ信者獲得競争を追及していくと心理に直接働きかける意識操作術が重宝されていくようになります

集会所で焚かれた葉っぱにより神経に直接刺激を与えられた人々は天にも昇ったような気持ちの中で説法を聞くことになる
葉っぱの力を用いるような宗教だってあるわけです

CMにしてもサブリミナル効果とかいろいろ試されてきているわけです

信者の獲得が優先されてしまうとどうしても心理術の多用が目立ってくるようになるわけです

つまるところ商売は意図的に心理術をも用いてかかわらせようとしてくるものなので周期的にけがれを祓うことが望ましいのです

意図的に心理術を用いるような人物に霊験を求めるものではありません

心理術を用いることのできる人物は心理術を用いないものです

何を言っているかわかりますか

洗脳するような人物は同業者に対する説得力が限りなく無に等しくなっていくわけです

同業者は騙せんということです

あちらの人はどういったことを耐える必要はないのかどういったことを忍ぶ必要はないのかをあらためて発見してみましょう

あちらの人に比べて余計に耐えたり忍んだりしていること

それはいったい何なのか

今ではどうなったのか

あちらにとって都合の悪いことは意識しないようにしてきたのでしょうか

当事国以外からの視点を持たなければ気づかないことがたくさんあるものです

疑問を持てる自然さを取り戻したいものです

疑問を抱かない人材を意図的に養成していってしまうと

便利な人々の流用を目当てにした小賢しい人々がたくさん訪れてしまいます

装填されるような人を利用しない手はないと普通に考える人たちがどうせ逝くならおれ達のために逝ってくれとやってきます

あなたの名義で金を借りてほしいあなたの団体の名義で金を借りてほしい

と考えている人々は普通にいるようになったでしょう

あなたたちの名義はローンを組むためにあるようなものだといわんばかりの人の視点ももったほうがよいでしょう

原油価格の高騰で見事に帳尻があわせられているのがわかりますか

株・為替・債券・製品・地価どれも単独で推移しているのではありませんよ

常に不利な投資先から有利な投資先へと流れているのです

地価が不利になりドルを減らして先物を増やしたのです

ドル関連で損したくないと考えた人たちが先物で損を回避したとなると

製品の値が上がることで損が市場にばらまかれたとなるわけです

マネーの影響を一国で食い止めるようなことはできないのです

どこで大きな損が発生しても被害は世界をかけめぐるわけです

発端はあなたの名義でローンを組ませたことにあるのです

誰もが住宅を持てると思わせたところにあるのです

金融開発とはそういうものです

売るほうはこの人にとってうまい話かどうかを最初から見切っているのです

貸すほうは損をしないのが商売です

借りるだけ借りて倒産させようと考える商売の人もいるわけです

地方局はどれだけ損が出ているかを明確にすればいいだけのことです

その損の部分について検討すればよいのです

あいまいにしようとすれば説得力が損なわれるものです


誇り高き軍人を美化することはできません

誇り高き軍人像は国によって異なります

攻めたか守ったかしかしてません

60年以上にわたり我々が現代的戦闘に直面することがなかったのは

現代的戦闘に直面した人々の存在があったからです

代わりの分まで生きている我々の生活を今でも見捨ててはいないでしょうか

彼らに見放される時に本当の終わりがやってくるのではないでしょうか

戦闘を終わらせることを望んで身代わりになっていった人々に深い感謝の意を贈ります


あなたたちがいてくれてうれしい

伊豆で泳ぎ頃

2008-08-10 00:13:55 | Diaries
おばんです


うまくいっていない夫婦の数だけ
家庭(団体)の数だけ
あらたなストーリが生まれる

うまくいっている夫婦や族はそう表にはでてこない

そうなんですよね

いわゆる国替えというものを
沖縄県内の選挙区に移すということを
考えてみてはいかがでしょうか

そもそも国替えという概念を理解されることはまずないでしょう
いったいあれは何をやってるんだ
これ以上属地性をばかにした話はない
と思われてしまうかもしれません

あの候補はなにをしにやってきたのだろう
と純粋に考えることのできる有権者の多い地域かどうかということになります

国替え先とされた選挙区は制圧済み
という視点でとらえる人がどれだけ多いかとなるわけです

国替え先にもっとも不適と考えられる選挙区を上位から挙げてみることはできますか

兄弟げんかが発生するメカニズムを考えることができますか

どちらかが兄弟と言い出したらどこもかしこも兄弟だと言い出してくるものです

兄弟はけんかするものです

どちらかが兄弟と思いこんでいるからです

思いこんでいるほうはお客さんとしての関係性をとっていくことは考えられないとなってくるわけです

相互にお客さんとして対応していくことはできないとなるわけです
互いに違いを認め合う上での対応はできないとなるわけです
互いに人格を尊重した上での交際は難しいとなるわけです
人格より民族意識が先に立ってしまっているからです


同和問題というのがありました
差別問題です

かかわりあいになってはいけない人たちという意識の共有が目指されていたということになります

差別を受けているわけですから進化します
虐待を受けた民族というのは進化するものです
環境適応能力が向上しない限り民族にとっての未来はない
という危機意識には並々ならぬものが発生してくるからです
ユダヤ人で例えているのですよ

奄美・沖縄の人たちはどれぐらいかかわりあいになってはいけない人たちなのだろう
赤道を挟んで広範囲にわたる南洋諸島それぞれの民族はどのような気質をもっているのだろう
こういったことを知っておかねばならないと考える人もでてきてしまうのです

故人島尾 敏雄(作家)に奄美というものを背負わせようとするのがこの地域の気質です
奄美を自称する者に奄美の代弁はできない
といった暗黙の了解があるのです

自らの意思での移住こそは行ったのだが

よその人だからこそ
気づくことができた
というものがあるのです

私は薩摩半島、奄美諸島、琉球諸島
のいずれにも属地性を見出すわけにはいかない

これは環境に適応していくために必要な重要な判断です

いつも少しはなれた地点から観測していくべき推移していく関係性である

正確な分析を行うのであればそのような立場をとらざるをえない


出身者は実質的に職業選択の自由がない
表の団体が導き出してきた結論です 
出地を理由とする門前払いが採用側によってなされていた
となると裏の団体にしか身の振りようがなくなるわけですね

差別を受けると裏の団体に流れやすい
そのようなものなのかもしれませんね

それってここいら一帯ではどうなんだろう

そういうことは知りたくもないことです

間違えた適応例は知りたくないものですね


開会式の日に世界にニュースを駆け巡らさせるというのはたいしたものです
開会式直後の日本時間21時10分ごろ町内防災無線で町内のお年寄りの行方不明者が発生したとの放送がありました
オリンピックスタジウムで開会式を見ていれば絶対に聞くことはなかった内容でした
町内7000人に興ざめをもたらした思慮すべき出来事でした
開会式は四年に一度のアートでもあったりします
開会式の感動の継続を遮るには十分なものでした

おまつりとはつながっていないことを実感した一瞬でした
ということは町内だけでならつながっているわけです

ロシアとグルジアの関係みたいなところがあちらこちらにあります

国境周辺でイデオロギーの議論をするというのは思慮がたりません
国境周辺で道州制の話題を持ち出すというのは思慮がたりません

自然淘汰とは兄弟げんかのことをさします
まずどっちが兄どっちが弟かで意見をたがいにうち消しあうのです
属地性を前面に出して言い争っている人々はどちらもたいがい領域外の役にはたたないものです
陣取り合戦に精を出している人々はほかの分野によい影響を与えるような役割をほとんど果たせないものです

兄弟いうのであれば4000年の歴史が黙っているはずはないのです

2000年に入ってからの長野県というのはとても参考になるのではないかと考えられます
何が変わって何が元に戻ったのかという点についてです

変えた後に元に戻る性質があるものへの認識が重要だと考えられます

民主主義の怖さについて
世界人口のある一定割合を占める国
例えば10億人前後の国の人のほとんどがですよ
あの国は好かん
との意思を投じてしまうことの恐ろしさが理解できますか

民意はあの国は好かんである
といった事実はとても脅威的なものであると考えられます

奄美群島は特定省庁の直営地なのでしょうか
親奄派が国交省に影響を与えてくれることを期待するのが至上命題でしょうか

参加している者誰一人として売り上げを出している形跡の見当たらない人々による大会
にだけはなってはいけないと考えられます

姿勢の問題ですよ
徴収されたものが分配されるのを待ち受ける
その待ち受け限定の立場をとってはいけないと考えられるわけです
砂の中に潜むありじごくだと思われてはいけないわけです
ありじごくに近づこうと思うような競争適正のない人は現代にほとんどいません


うまくいっていない夫婦や家庭や団体は現状がうまくいっていないと認識しているわけです
いつも自身の価値観でいうところのうまくいっている夫婦や家庭や団体といったものを強く意識しているわけです

うまくいっていない輪とうまくいっている輪の違いをうまくいっている側の輪に知らしめようとして
次から次へと物語が生まれてくるわけです

被差別意識が消えない限り政策として同和問題をとりあげることが望まれてくるのです

被差別意識を残していくことを望んでいくことにつながるわけです

うまくいっている輪の中の者がどれだけ供養していけるか

供養とは人間が生きているうちに施してこそ成仏できるというものです

生きているうちに供養されなかった人は本当に救われるのでしょうか

供養は故人のためだけにささげるものだとするのならば死ぬまで救われないと感じる人がでてきてしまいます

うまくいっている輪の中の人物がうまくいっていないと感じている人に刺激を与える

絡まれても不自然ではないといえます

うまくいっている輪の者がうまくいっていないと感じている者を題材にした物語を残していく

記録に残っていくのと記憶に残されていかないことのどちらが望まれるでしょう

うまくいっている輪の中にある人であってもうまくいってないと感じる人の題材を扱うことによってうまくいってないと感じてしまうようになることがあってはいけないものです

うまくいってないと感じてしまうようにはならないからこそうまくいっていないと感じている人を題材に扱う適性があるのです

人格が確立されているからこそミイラ取りがミイラになるようなことがないのです

人格が確立されていないと染まってしまうことになるということです

民族意識の確立だけで人格の確立がなされていないと

人格形成が未完成なままで民族意識だけが確立されてしまうと

ここいらの人には民族意識しか残っていないとなってしまうわけです

政治・宗教・民族・言語の前に人格の確立が重要だといっているわけです

民族だけを前面に出すと他民族の相対的な軽視が発生してきます

人格が政治や宗教・民族・言語の中に埋もれてしまうことのない、過去の経験の積み重ねを無駄にしてはいけない現代人でなければならないわけです

どっちに行政区割りがなされようが人格をもっている者の人格は変わらない

ひとりの人格をもつ者が民族意識的圧力によって人格の修正を余儀なくなされるということなどはありえないからです

どちらの行政区分に属していようが民族のくくりとは無関係に貢献できるような人物かそうでないかは変わらないというわけです

民族でくくられている範囲内にしか帰属意識をもたない人は民族のくくりの外では人格の確立を行うことはできないと考えられます

人格を軽視した民族意識で世界が構成されているのであれば、所属とは異なる民族でくくられているエリアとされる場所では、ひとりの人格をもった個人として尊重されることはないでしょう

どこどこの民族の個人といったことが強く意識されているからです

民族意識の前に個人の人格は完全に無視されているわけです

どのような人物という以前に出身民族の者だといった前置きがなされてしまうことになるわけです

どの学校の出身、どの団体の出身といった前置きでひとりの人格をもつ個人としての尊厳は距離を持たされてしまうことになるわけです

民族意識は識者の間では過去のものとされてきているべきだと考えられます

団体の代表にふさわしくない民族・人種であると考えてしまうような人物を発生させてはいけないためです

それなりに人格の形成がなされてきたものたちによる自治が実現されていればよいわけです

民族意識によった意思形成が全土中のならず者といわれるようなものを呼びこむことになってしまうような対立の進行を生むことがあってはいけないのです

まず民族意識の副作用をよく知ることです

どこの出であっても健全な人は健全。不健康な人は不健康

出身の民族といった属性抜きで人を見ることのできる自然な眼が必要です

民族を意識していくようなことがあるかぎり出身意識を持つものは発生し続けていきます

民族意識問題はなくならない意識問題はなくならないとなります

そういった意識を気にするようなことなしに一人格をもつ個人として日常を送っている人々に訴えておかなければならないことはあるでしょうか

ねまわしはんぶん

2008-08-09 20:37:38 | Diaries
居住区を同じくする者として
同じ本島在住者として
少しでも多くの人が気づいていたほうがよいと考えられる
タイプのブログ投稿者についてにさん

参照URL http://amamiko77.exblog.jp/8801038/

これは竹下元総理に対するほめごろしに極めて類似するたぐいのものではないかと考えられます
日本一金儲けの上手な政治家であるとほめる出来事があったわけです

サービス業には向かない
商売には向かない

内容であることを誰かがいちはやく伝達しなければならない状況にあると考えられるわけです

サービス業に執着がないのであれば家業替えを行う必要があると考えられるわけです
世の中にはしゃべってなんぼという商売も実際に存在しているわけなので
自己のホスピタリティー適性を見つめなおしてみる機会を持つことはとても重要なことなのではないかと考えられるわけです

師匠的人物とよく話し合ったほうがよいのではないかといえるわけです

これはいったいどういうことなのかなといったことは監督経験者が問われていくものです

どのような団体の信用がいちじるしく損なわれていくのかをしばらくの間測定してみましょう

濡れ衣を着せられているということを担当者が立証すれば慰謝料を確保しなければなりません

争う商売をするのかどうかをはっきりさせておかなければ

サービスの商売どころではありません
お仕事にならないのです

外堀を埋めてから口をはさめということです
原告団を形成してから事を進めろということです

特定の政党の隠れ蓑となってませんか
あなたやあなたの団体の名義は

私の出身省のOBをあなたの団体でつこてもらえそうですか

えすかれーとん

2008-08-07 14:05:14 | Diaries
おかげんよろしどすか

1988年リクルート・コスモス社未公開株譲渡事件
1989年12月29日日経平均株価38,915円87銭をピークに
一任勘定取引・損失補てん

この頃のおおよそ典型的といえる大衆の人心
これが戦後社会一応の終着点だったといえるのではないでしょうか

この頃の人々の姿は戦後を生きてきた人達がとってきたとても正直な行動の姿だったといえます


1993年第40回衆議院総選挙
1994年長野県松本市、死者8人重軽傷者660人
1995年地下鉄丸の内線・日比谷線、死者12人重軽傷者5510人
1996年住宅金融専門会社不良債権処理

1998年金融国会

89年弁護士一家殺害

新興団体の教義
を心のよりどころとして受け入れやすい心理状態
が持続していた時代

心の支えのない時期が長期間続いていた時代
があったんだなあと感じられる層がとくに増加していた時代

体面維持のために団体の口封じはどこまでエスカレートしていくのでしょう
といったことが今日のテーマです

スパイとして受け取る団体そして暗殺

余剰資金がだぶついてきた時にこそ人々の本当の姿というものが見えてくるのだといえます
80年代のような金余りの時代にこそこの人々たちは何を考えているのだろうというのが見えてくるのだといえます
金をもたせたら何をやったか
それはバブルの形成です
バブルはどうやったらできるか
売却益をさらに売却益を得るために投資するということを考えていたのです
誰もが同じことを考えていたとするならば
ごく短期間の間であっというまに投資対象の相場は膨れ上がります
株価上昇によって得られる売却益と地価高騰によって得られる売却益のことぐらいしか思いつかない
姿を見せてしまったわけです

名目の価値を膨らませることに投資したわけです

実質の価値を膨らませるという概念が希薄だったわけです

実質の資産とはどのようなものが考えられるか
それを発見していくのが人生です
自分で探さない限り永遠に発見することはできません
実質の資産というものはその人にとって唯一無二といった性質があるものなので
他人がどのようなものを実質の価値としているかを知ったところでそれを自分の実質の価値としていくことはできません


新興宗教であっても教義の根っこはそんなに変わっているものではありません
戦前に興った戦後に興ったの別はあるでしょう
みなさんは学生時代に何を心の拠りどころとしてきましたか
進学校といわれるような進路に進んだ人はどうでしょう
満足のいく偏差値の維持ができていたらそれ以上に心配するようなことはあったでしょうか

一定の偏差値を保つことは十分心のよりどころとなると感じたこともあるのではないでしょうか

公立の学校では特定の宗教のよいところについては教えないものです
学歴社会だとは教えます
専門学校は学歴にはならないと強調していました
教会やモスクのないかわりに教育委員会というものがあるのが日本社会です
公立教育の影響力圏での話です

本来寺院などを通して影響を受けていくと考えられる心の支えとよべるものの認知というものがあるとしますと
公教育の影響力圏では心の支えに相当するものを認知していく機会というものがごっそり抜け落ちていると考えられます

心の支えについて具体的に明示していくことはとても難しいのです
神の教えは教えない
この教えなかった部分についての代替物というものが必要になってきます
ごっそり抜け落ちているのだから何かで穴埋めしないと空っぽになってしまうわけです

人間として成長していく上で意識していくことが望ましい理念といったジャンルになるわけです

この理念の部分をはたして偏差値・学歴重視といったことで埋めてしまっていけるかが問題だと考えられるわけです

理念の部分に学歴社会という概念を埋め込んで、将来理念の部分から学歴社会に対する失望といったものが発生してくると

学歴社会という概念が抜け落ちた理念の領域の部分が見事に空っぽになってしまいます

心の支えが何にもなくなってしまったとなるわけです

学歴社会上のレールに乗り続けているとしても理念そのものは学歴社会でしかないわけです

実利のある資格を取得・実利のある採用試験を通過することが理念となるわけです

理念は実利であったと再確認することができるのです

原理上若くしてオリジナルの理念の確立を行うということなどほとんど不可能なわけだから社会に参加したのちにあらためて理念の再発見という作業を行っていかなければならない時期をもつものだと考えるわけです


さて、新興宗教を受け入れやすくなっている心理状態とはどのようなものがあると考えられるでしょうか
まず新興型に新規で加入
これはこれまでもっていた信仰から改宗というよりむしろその人なりの新たな発見という側面が考えられるのではないでしょうか
新たな発見という認識であるのだとすればそれはその人が無宗教であったことによりもたらされたといえるのかもしれません

たいがいのものが信じられないといった環境の中で突然しっくりきてしまうものを見つけてしまった
なにかをすんなり発見してしまったような感覚
というものがあるのかもしれません

親子孫世代にわたって公教育だけを受け続けていくといった環境の中で発生することが考えられるのが無宗教です
純粋に公教育だけを受けていくとなれば洗礼の機会といったものがまず間違いなく訪れません
親世代が宗教を持っていないとすれば高確率で子世代への無宗教の継承が発生してくると考えられます

信教的な心の支えを持たないことの継承が行われるわけです

公教育から信教方面での影響を受けることはまず間違いないくありません

無神論系統の家庭を出て家族を心のよりどころにしているわけではなし、籍を置いている団体を心のよりどころとしているわけではなし
の状況で発生する漠然とした疎外感、閉塞感ではちょっとニュアンスが異なってくるかもしれませんが
ある感覚を打開する可能性を感じる希望の光として新興型に出会ってしまう。発見してしまうというようなことはあるかもしれません

さて、信じられたということは
信仰に傾倒するようなことがなかったはずの人が信じることのできる体感を得てしまったということは大変なことです
ビビットきてしまった相手との熱烈な恋愛結婚成立状態です
夫婦の婚姻関係より結合度の高いカップル関係の成立みたいなものです

神に永遠の忠誠を誓うという事の重大さがわかりますか
法治国家で施行されている諸法典などとは拘束力の度合いが全然異なります

諸法典と経典の兼ね合いということで天秤にかけることもあるといった問題ではなくなってくるのです

あり方そのものを規定してる教義の優先が狂信的になされてもおかしくはないのです

心の支えができてしまったのです
わかりますか
心の支えを失うと人格が瓦解してしまう
境地に達するわけです
心の支えを失うような事態に直面するようなことがあればそれを阻止するために死んだ気で何でもすることができやすくなるわけです
それしかない人になっていると信じているわけです
失ってしまったら死んだも同じ、廃人のようになって当然だといった性質を持ってくるわけです
心の支えとはそのようなものです

そういう人ばかりなのではないですけれど、純粋な人、戦略性をもたないで生きてきたという人は確実に存在するわけです
主体性をもってきていないのなら染まるものには染まってしまうのです

やや熱くなってしまいました

団体の暴走について
外部のものが団体の内部事情を伝えようとすると妨害にあいました
万全な身辺警護を行っていない者が団体内部の事情についておおやけの場で検証を行おうとすると殺害されることがあるということがわかりました

内部事情の透明化が進むことを嫌悪する団体の風通しをよくしようと働きかけるとどのような報復を受けてしまうことが予想される
といったモデルパターンができたことになります

商法会社を運営するといった商業界での経験を積み重ねていくと
収益構造の安定化を実現しなければならないなどといったさまざまな課題に対応していくことになります
商業を追求していくということになります
商業を追求していった人物が最終的にはNPO法人や宗教法人の運営を行なうといった例がみられてきます
非営利活動法人の主な利点は税制優遇です
非営利活動による収益には課税されない
これらの法人形態を活用することで収支を改善することができる
非営利活動を通しての収益確保を実現する
商業経済構造の追求をしていく上で非営利法人形態を選択するというのはひとつの戦略になります

法人運営を行う、法人管理を執行するとは税制から受ける影響を熟慮しもっとも余剰の流出の発生が生じない形を維持する
ともいえます

商売は理屈ではない、制度環境は道具に過ぎないといった現実があります
収支の合わないことは最初からやらない。やれない。厳しい世界なのです

さて、各種規制からもっとも自由な環境を実現できていると考えられる法人形態
そのひとつが宗教法人です
資産である土地建物関連の規制がクリアされているとしましょう
建造物の中で何が行なわれているかは検討の余地がありません
スピリチュアルな事項に規制を設け定期検査を行う
ことはないためです
法人の点検が定期的に行われてない
これは自由な環境です
検査がはいらないことが数十年にわたり続く
とすれば何でもできちゃいそうです

建造物の中で製造が行なわれていることになかなか気づけない
化学物質の調合
小・重火器の製造
人体への影響測定

これは大問題ですね

密室空間を確保した上ではさまざまなことができてしまいそうです

医療行為
薬事法関連
危険物取り扱い

死亡診断書の不作成
死体遺棄

無差別テロ

内部事情を知る者の暗殺

前代未聞です

ここまでやれるというのを証明したわけです


長期間検査の入らない環境は地下施設になってしまいやすいのです

団体、法人主管のありかた

宗教法人ということで軽減してしまってはいけない原則とは何か

密室を作らない拉致が可能な環境を与えない

無神論者の自我の確立

主体を持っていないということは判断能力を持っていないということです

理念をもたない染められやすい人材はどのようにして育成されてきているのか

無神論者が一定数存在する限り説得相手が確保されているということになります

教会支持している人は絶対こういう行為をなさない
モスクを支持している人は絶対こういう行為をなさない
寺院を支持している人は絶対こういう行為をなさない

といった具体例を知らない恐るべき無宗教者が爆発的に増加しているとすれば末期状態です

人として絶対こういう行為をなすことはないといった例の中にだいたいの理念がつまっているものです
法典の中には表現できないことが経典の中に含まれているのです
法典にも経典にも特に拘束されてはいないといった感じを受けてしまうことはとても危険なことだと思われます

法典、経典のどちらからも粗末に扱われたとして不思議ではないと感じられてしまうことはたいへん悲しいことだと思われます

どちらも尊重してはいないのだからなんらかの報いがあっても不思議ではないと考えられてしまいます

道徳・倫理で謳っていることはどのようなことかを知ってはいるというところまではいくかもしれません

道徳・倫理で謳ってきていることが実践に結びついていっているとなるとどうでしょう

説得力が備わるとはどういうことをいうのでしょう

寺院系の僧侶の持つ説得力と比較しどのような点に影響度の違いがみられるのでしょう

実践の感じられない人の説得からも影響力が生じているのであれば幸いなのだといえます

これでいいのだ

純粋な人は純粋な人

商業戦略をもっている人は商業戦略をもっている人

そんなふうにしか生きられない

なるようになるさーの人にカメのこうらを

野心どおりにしか動けない

それもいいでしょう

打算もおもいっきりがいいでしょう

説得力とかいって技術に傾倒していくととても商売上手になるでしょう

私は何を信じていて何を信じていない

これが真実です

信じてないっつたら信じてないのです

信じてるってったら愛してるのです

信じてるも信じてないも今ありのままが真実です

無神論者に対する営業戦略を徹底的に考案してみましょう

ビジネスモデルを考案することができたら特許出願しましょう

登録が通ったら特定の宗教法人と契約を結んでロイヤリティーの徴収を行いましょう

ライセンスの使用料をいただけるってわけです


いいですか1988年前後の頃このままでイケルと思った人が大勢いたわけです

じゃぱん あず なんばーわんの時代だったわけです

ゴールを通過して何しようかと始めたことが含み益上昇への期待だったわけです

やるべきことを絞っていこうとはしなかったのです

ゴールのあとに目標の策定ができない姿が本当の姿だったのです

次の目標などというよりも価格上昇を気にすることに時間をかけたのです

名目上の数値上昇に一喜一憂することに時間を費やしたのです

実質上の数値変動に一喜一憂するとはどのようなことなのかを知っていくようにしましょう

目に見えるものだけに一喜一憂することではありませんよ

目に見えないものの本物の価値は人に言うようなことではありません

お互いに認め合っている人同士が気づくものです

気づかない人は気づかないでいいのです

あなたのもっている目に見えないものの価値は低いとか高いとかっていうものではないでしょう

それに気づいたら誰にも教えなくなるものです

劣化しないように応援するわけです

サンキュ

神学★科学

2008-08-05 05:30:22 | Diaries
おはようござんす


世の中には学術書にまったく興味を示さないタイプの人がいます
日本国憲法について語り始めても、その主張を始めた団体のいうことに誰も耳を貸すことなどありえないというタイプの団体もあります

学者が所定の環境で、正確な記述を丹念に続けていくことにはまったく問題ありません
インターネットなどのオープン環境で厳密な記述を行なうことは問題があります

馬鹿に正直な記載は休み休みにしていかなければならないわけです

ウィキペディアにみられるような百科事典形式での記述は理想的だと考えられます

ウェブ上に付加価値の生じている著作物を残すというのは慈善事業にあたります

正確な記述を蓄積していくボランティア活動になるわけです


本当の事を記録していくというのは学術の姿そのものです

学術に限定されていないオープン環境で本当の事だけを記述していくとどうなるでしょう

日本はよそに比べるとだいぶ安全な環境にあります

他民族の姿をほとんど知らないと考えられます

信教を持っている人は異なる宗派を持つ人の姿がどのように見えているのでしょう

信教を持っている人は無宗教の人たちの言動をどのようにキャッチしているのでしょう

無宗教というのはある意味恐ろしいものです

宗教に触れたことのない無宗教の人がいきなり特定の宗派について持論を語り始める

世の中にこれほど恐ろしいことはないと考える人も少なくないのではないでしょうか


ある特定の宗派のことについて所定の場所で学問として分析し学術用として限定された領域内に記述物を蓄積していく

閲覧が予測されるのは学術関係者にほぼ限定されるわけです

これを学術に限定されたエリアから一歩外に出す(リリースする)となると、正確に記述された純粋なままの著作物として手直しなしでリリースすることはたいへん問題が発生してくると考えられます

信者が心の支えとしているものについて学者の行った科学的な分析による客観評が与えられてしまうという形になってしまうからです

神を科学の言葉で表現してしまうことになるわけです


元は1つだった宗教が複数の宗派に分裂し同系宗教間でも争いが行われてきているものです

ほんのささいな記述ミスにより特定の宗派の非難が行われたと受け取られてしまうと

世界中に展開していることもあるその宗派のネットワークに世界指名手配としてリストアップされてしまうこともあるでしょう

世界指名手配とは通常国際司法に限定されるものだと考えられるのですが、ここではあえて世界指名手配という表現を用いています

機構の仮想敵個人ではなく機構の真の敵。教団の真の敵とされてしまうこともあるでしょう

信教団体によって許されざる教義上の敵としてみなされたならば、教義の名の下における重罪人とされ、重罪といわれるものに見合うだけの処罰が神の意思によって下されるとされてしまうこともあるでしょう


商業マフィアと国際テロ組織

現場で何かがかわってゆくとすれば、この両者の接触もしくは衝突が序章になっていくとも考えられます

民事不介入からもたらされる効果とはどのようなものが考えられるでしょう

民事不介入の一言で商業的原理、商業的発想のメカニズムに関心を持つことから見事に切り離されてしまいます

商人が収益構造の追及を図っていく上でどのような事象に巡りあって行くか

といったイメージを巡らせる思考から切り離されてしまいます



収益構造が安定している団体の代表者はメッセージの発信を行えているか

人事異動時、日経新聞に記載される部長のポジションを一般化したとして

そのポジションからメッセージを発するにあたって、どのようなことを内容に含んではいけない禁忌事項として特に意識がなされているか

何でも言えばいいというものではないわけです

その中でも特に言えないこととはどのような事象についてとなっているか

よその団体の事情について、自己の団体の事情について

団体職員としてメッセージを受け取る側が、自己やよその団体について、なんらかのイメージを持ってしまうような表現は行わないものです

自己の団体について外部の者に説明を行うときは、団体として統一してきている紹介文の使用がなされるわけです

団体職員それぞれが自己の団体について直感的に紹介を行ってしまうと、メッセージを受け取る側は紹介を行った担当の職員次第で受け取るイメージが異なってきてしまいます

団体の事情やイメージといったものは企業情報です

価値のある情報です

紹介を受けた団体の事情やイメージによって団体の価値そのものが評価されてしまいます

評価に値するかどうかに始まり、高い評価、低い評価というものが判断されていくわけです



男性社会を思い知ってきた世代というのがあると思います

女性はどのように保護されてきたか

社会のしくみによる保護です

団体職員の配偶者

という形に収束するように方向付けが与えられてきたといっても過言ではありません

給与所得者の妻

第三号被保険者

第三号被保険者層をさらに細分化していくと

団体の評価というものにつながります

もっとも確実に第三号被保険者としての受益の確保が見込める団体が高い評価を得ます

専業主婦ではない形でペイする

とはどのようなことを言うのでしょうか

女性が、男性型社会で、専業主婦並に収支をとる

女性は、男性型社会では、専業主婦並の収支をとることはなかなかできないものだ

となります


団体は、職員とともに職員の妻そして子を含め家族をパッケージとして構成員として考えているとなるわけです

この定型は税の体系によりとても強固なものとなっているわけです


女性としての収支を考えるとき、専業主婦一般の収支を比較することなしにはなかなか評価を行うことができないものです

税の体系は、女性が事業一本の人生を送るものだとの想定を行っているものではないのです



団体職員は自己やよその団体を自己流にアレンジして紹介することはできないものだ

自己やよその団体にイメージづけを行ってしまうと、所属している団体そのものが意図的に評価を与えているとなってしまうためです

メディアは特殊な例です
事実報告を行っただけでも対象団体に対してのイメージが浸透していきます
報道社はよその団体に対する評を表明しています
これはきわめて特殊な例です
論評を行う団体というのは特異な例です

ほぼすべての団体は自論の表明を行うことはできるものではないというのが真です

言論団体でない団体に籍がある状態で行った発言は籍をおいている団体が行なった発言とされてしまいます


ライセンスを持つといったことや団体に籍を置くといったことだけで簡単に言葉を失ってしまうのです

取得したライセンスに規定されている、籍を置いている団体で規定されている表現を行わなければならない

となってしまうわけです

こういった制限を意識している人の行う表現とは対称なものとなりやすいのが専業主婦にみられるような表現となります

まったくいい気なもんだというような心象を得てしまいやすいものとなります
余計な刺激を与えてしまいやすくなるわけです

表現を制限されている人の前で自由闊達な表現を行う
これほど刺激的なことはありません

逆に文筆屋などの表現を行う職人がメッセージの受け手側の反応を得られない
となると適性の問題となってきます

創作を行っている者は感を動かせてこそ存在意義があります

創作物に付き合うというのは刺激を受けるということです

刺激を与える職人と専業主婦

どちらも刺激を与えてしまいがちな点では共通です

自分の感動を表現し伝達します

こう表現しないと自分は感動できないというままに表現を行っているわけです

誰かの目を気にしているうちは感動を伝えられないものです

このようなジャンルに触れると刺激を受けてしまう

かどうかぐらいはわかるようになってくるものです

刺激をたしなむ必要にせまられていない限りにおいては関わりあいになる必要はないものです


通常の団体は言論団体ではないので不用意に言論団体のような感覚で表現を行ってしまうと思わぬトラブルに巻き込まれてしまう恐れがあります

籍を置いている団体全体の意見とされてしまわないためには匿名での議論の場の確保は必要なものだといえます

インターネット空間は建設的な議論を補完する場だともいえます

ディベートのレベルに達している場とそうでない場が発生してきます

場を見て有意義かどうかの判断が行なわれます


現実空間は建設的な議論を行なう場です

・・・

ハニーにはわたがしの家をプレゼントだよ

2008-08-02 08:59:55 | Diaries
おはよう

こんげつも みなさまのお茶の間に きましたっ! よっ
さえぷー(偽名)は来てません お母さんと同じ歳でどうのこうのってゆってました

タイトルかいぞうをおこないました
気に入ってもらえるでしょうか




買う人がいるのだから作る
という立場をとる企業
に会見の場を設けて
直接問い詰めてみましょう

地雷を売ってませんか?私たちのグループでは近々地雷の埋設を予定しているので製造しているところを知りませんか?というグループがいたのだから作ったのだ
という姿勢の企業
に会見の場を設けて
直接問い詰めてみてはいかがでしょう

作れば売れるから作る
ですんでしまってはいけないのが現代社会です

地雷を製造した団体にはおとがめなしですか?
製造元がある限り地雷除去にかかるコストの発生は消滅しません

広島への原爆投下直後に爆心地一帯ではどのような状態変化がもたらされたのかを視覚的にイメージできる人は残っているでしょうか?

高度約600メートル上空で爆発

風速440メートル/秒以上の爆風が全方位に向けて伝わる

爆発点に発生した熱エネルギーは地表に3000~4000度の熱を伝えた

放射線が地表に降り注ぐ

これらが一瞬の間に起こる映像を視覚的にとらえることができますか

その後もきのこ雲から放射能の雨が降り注いでくる


これを説明するのにどれぐらいの時間がかかると思いますか?

人類史上最悪の人体実験
には違いがありません

非戦闘員の大量虐殺
が現実に起こるのが戦争です

玉砕を覚悟した人物は非武装員であっても戦闘員となってしまいます

戦闘を支持した者は戦闘員です

戦闘を支持するしか選択肢のなかった非武装員は自由のないかわいそうな戦闘員です

戦闘を支持することしかできないようにしようとする空気を作りだしている団体を地球上に発生させてはいけなくなっています


今日は刑法のなかでも死刑について

この受刑者は死刑にされて当然だ

とは誰が思っているのでしょう

司法とは誰か

司法に人格を見出していくとどのような人物像が描かれるのか

司法が死刑を必要だと考えているのだとすれば

この人格(人物)は受刑者に対しあなたはすでに死んでいると決定する裁量をもっているということになります

司法から人格の側面だけを抽出して人物像化をはかると、その国の市民を象徴するかような国民像が浮かび上がってこなければならないと考えられます

最終的判断はその国を象徴しているかのような国民像を持つものらによってなされた

とならなければならないのです

でなければ国民の誰でもない国家権力というシステムが最終的判断を下した

となってしまいます

民主的な見識を持つ市民の意思が国家権力システムに反映されていなければ

国家権力には市民の姿が存在しないものとなってしまいます

最終的な判断を下しているのは市民の姿なき国家権力となってしまいます

実務上は法律科目群を修養した市民によって判断がなされてくることになります

今重要なことは、法律科目群を専門的に修養してきていない人たちの判断能力を洗練されたものにしていくことです

この国の司法像を改めて定義していく必要があるわけです

この国の市民像を改めて定義していくことになるわけです

象徴的な市民像を見えるものに変えていく必要があるわけです

あの受刑者は殺されて当然だというようなことを会見上で表意できる市民がほとんどなのかどうかということを見えるようにしていかなければならないわけです

感情的には殺されて当然だと考える自由は完全に保障されているのです

最終的には国家権力が受刑者に死を与えることを望んでいる市民が大半であるのかどうかということが見えてこなければならないわけです

少なくとも現時点において、死刑制度容認者が大半を占めている社会なのかどうかということが判明していなければならないわけです

あらたな判断材料となる各国の事情を伝え、あらためて死刑制度についての総合的な立場を選択させていく作業を行うのは、教育分野の担当になります

大戦後からの数十年間に、思考放棄の立場をとるようになった国民があまりにも多すぎる

といえなくもないかもしれません


市民が国家権力の洗練を続けてきている民主的な法治国家の姿がよその目に映るようになっていなければなりません

国家強権が市民の管理を続けてきている帝国主義思想社会が実際に営まれていた頃から63年たちました

明治政府はどちらかといえば国家機能を有効化するために、名門を確立するために払った犠牲があまりにも多かったと考えられます


マスゲームを行うグループが大陸に存在しなくなってもこの地域では継続されていくことが予想されます

因果を求めていくと戦後の思考放棄と戦時の国家強権管理に行き着きます

出征していく人たちを応援していたわけです

士気は高揚させる必要があるものです

戦闘を支援していたわけですから皆戦闘員です

丸刈りは社会の公序良俗に影響を与えたものが自分に恥を与え罰を受けることで社会に許しを請うみそぎとしての側面をもっています

この島は日本とはちょっと違う

琉球とも違う

管理に甘んじることにあまりにも慣れすぎている

意思を持っていない人を染めるのはあっというまです

意思を会見上(公開上)で表明しないわりにはひがむことがよくあるものです

世代の近い者のねたみやそねみ、恨み節を耳にするといい気分がしないものです


各市町村の教育委員会は市民不在の典型でしょうか?

マスゲームや応援団や丸刈りは無形文化遺産の性質を持つものです

続けるのであれば文化庁で予算を組むべきものです

予算を認められないものだと判断されるのであればその程度のものです


でなくて島の市町村や教育委員会には国家強権の名残があるのです

島嶼という隔離された状況でしか発生し得ない体制思考の伝承というものがあるのです

ほうっておけばいつまでもやっているのは何も考えてないからだということにもなります


共謀罪等についてでした


サイパンについては一応の決着をつけなければなりません

助けたい人が助ける

愛されてない人は愛されない

神に誓って立証内容に不正はない?

国籍の再選定

整合性が重要です

列島内で凶悪犯罪を犯したものの扱い

身柄引渡しの手続きに問題点はないか

日本人の手によって身柄の拘束を行っていないというところに問題がある

国際機関を通しての通知が事前になされていたか

国内で容認の判断を行った機関は存在するか


拉致問題にしてもほかの国の誰かが解決してくれるものだと思いこんでいるふしがある

その手には乗らない

自分達の力で解決する気はあるのか

どういう手続きや段階をふんでいきたいというように具体的にプランをたてることはできないのか

自前の派遣団を滞在させ説得活動を行う気はないのか


派遣団の滞在を認めさせ

納得のゆくまで説得活動を行わせる

能力を持っているでしょう


合同で捜索活動を行う

見つかるまで捜せる環境を整える

正直昔のことは知らない

当然です


当時の人は後先考えて行動しているというものでもないものです

安全なエリアを確保し拡大していく


団体の強権さを讃えさせる

選択肢を与えないことによって統制をとる


戦時中の本国を懐柔していく現代版の技量を発揮しなければならないわけです

被害者グループは体制に対してどのような評価をおこなっているでしょう

体制の概要も知り尽くしているはずです

体制を知った上でどのような段階をふんでいきたいと考えているのでしょう

内政の継続に注文がでてきます

内政を許せないといっているのです

手順を間違えると被害者団体は制圧団体になってしまいます


過去の帝国主義諸国が残した負の遺産です

被害者団体以上に被併合諸国は根に持ってきているわけです

民族としての誇りをずたずたにされてしまったわけです


被害者グループは何が何でも国際平和交流に貢献していくことが望まれます

平和的解決のプランをコーディネイトしていき人間としての完成度をお互いに高めてゆく必要があるのです



死刑にちなんで

凶器などを所持している者が錯乱に陥っている場合はもうすでに死んでいるものだと法律で規定する?

死刑廃止とひきかえに有効になってくると考えられるのが即時射殺です

発砲するなどの意思を示した時点で生存権を剥奪することは可能か

こういうことをみんなで決めればよいのです

プロ(正規軍)はより厳しくなければなりません

なぜなら兵器が手元にあるからです

プロの錯乱は死に匹敵します

精神力が乱れた時死を迎えます

迷ったら終わりです


本国の刑法犯罪として拉致はどのように規定されているか
国内団体による誘拐事件にはどのような処理がなされるか
誘拐事件を起こした国外団体にはどのような処理がなされるか
国際共通の刑法は整備されているか
誘拐した個人や団体に協力した団体は共犯とされているか
共犯団体には国際共通の刑法上どのような処罰が与えられるか

国際共通のルールが通用しない状況にはどのような処理がなされるか


1発の大量破壊兵器を受けるぐらでは状況の把握が行えない人たちが指揮をとっていたのです

当時の開戦を望む思考をもつような人物が象徴的な国民像の主流となっている限り外部から民主化へ向けての働きかけが行われます

全体主義を実現するためには全体のために犠牲となる市民の存在が必要不可欠です

全体主義実現のために犠牲になっている市民は生きている兵器となってしまいます

国民を兵器同然に扱う体制はいつまでも続くものではありません

玉砕を真似するようになった人々に私たちは間違っていたと伝えなければなりません

どうやったら人々に自爆テロを受け入れさせることができるのだろうといったことが今でもよそで研究されてきているのです

こうやったら玉砕してくれるのねということを知りたがっているのです

実戦で原爆を投下させるという恥をかかせてしまったという事実があるのです


兵器の製造元は公開されていなければなりません

公開しないで生産を続けている製造元がある限り

永遠に模倣が繰り返されます

兵器がどこの団体に搬送されたという情報は誰もが知ってなければなりません

大口団体と小口団体

大口団体からの流出

小口団体の兵器備蓄

小口団体間での戦闘

小口団体はなぜ戦闘をやめないか

平和維持活動に携わっている誰もが知ってなければならないことです

備蓄がある限り

調達ルートがある限り

小競り合いを続けることができるのです

反戦メッセージが届くルートを具体的に確保しなければ

いつまでたっても戦闘を行っていない人にしかメッセージは届きません


今年も兵器扱いされてしまった人々への御冥福をお祈りいたします