おはようございます
みなさんには前回の記事で私がいわんとしていることが理解できましたか?
一言でまとめるとつっこみどころが満載ということです
もう1つ付け加えると「感動した」ということです
いちいち1私企業の宣伝をここで行なうつもりなどまったくないのについ1企業を褒めてしまったということです
複合テロの要素が炸裂したような衝撃をえてしまったということです
たかだか新聞広告とてあなどれないということです
先日の広告によってもたらされた各方面への影響度を測定するだけの価値があるのかもしれないということです
広告によって誰が何を得たのか主体別に考察する価値があります
広告を行なうことを決定したのは大日本除虫菊株式会社ですね
この企業は創業者の流れを汲む血縁者が代表取締役である未上場企業であるから家族支配型企業ですね
証券市場で資本調達を行なっていない会社であるのに知名度は抜群ですね
このようなタイプの私企業の存在は例外中の例外であるから現代の新興企業は同型の企業を目指そうとしてもうまくいかない社会環境にあるといえます
うっかり企業解説をしてしましましたね
広告にまつわる主体をあげてみましょう
広告掲載までの一連の活動をプロジェクトとしてよいでしょう
プロジェクトにかかわった主な主体ということです
大日本除虫株式会社、(株)読売新聞グループ本社、藤原紀香となります
これらの主体の間に直接・間接的に制作協力を行なった多様な主体があります
今回の広告が他の広告と決定的に異なる点は
私 を全面的に突出させていることです
大多数の者が無意識のうちに選択し言動によって表現している 公 的な要素を極端に抑えているという点です
日本では 私 的な要素を前面に押し出したおおやけでの言動をとることが事実上はばかられるという文化をもっているということです
はっきりいってこれからの時代は 公 私 ともに質が求められる時代であるといえます
良質な公と私というものを自分の中で消化し吸収することができた者だけが評価を受ける時代であるといえます
質のよい公と質の悪い公が存在しているわけです
同様に質のよい私と質の悪い私が存在しているわけです
公私の質とバランス感覚が人材の価値の一部として評価されていくであろうと考えられます
公だけを主張していたり私だけを主張していたりする者は視聴者を失うであろうと考えられます
私がない個人は存在しないわけであります
公での意思表示を行なっている者は発言のすみずみまで発言者の私的な要素の影響度を量られているわけです
発言者の私利私欲をおおやけの場での発言にどれほどにじませているのかということを探るのが好きな国民性を有しているのです
本音と建前というものの解説にかわりそうですね
日本では公然と本音を言うことがはばかられる風土があるのです
ですから先日の記事の中に本音を書くことができなかったのです
話がそれましたね
広告は公共の場での発言であるから 私 的な要素を目の当たりにする機会がほとんどないわけです
それが先日の広告の中には 私 的な要素が満載であったので衝撃を受けているのです
1個人の婚姻の事実が述べられています
1個人の婚姻に対する1個人の祝辞であるかのように述べられています
かろうじて1企業の1商品の案内がなされています
婚姻というのは極めて私的な法律関係です
1個人の婚姻がテーマであることにびっくりです
おめでとうございます
会社の代表としての祝辞ではなく会社を所有している1個人としての祝辞であるかのような誤解が発生しやすいような内容となっています
会社の社風にもよりますが会社は一応 公 であるので 私 的な要素を強くにじませている代表者の存在は不快の発生要因であると考えられ代表者は会社を私物化しているというように怒りぷんぷんである社員の存在が予想されます
今回の広告は私が私へむけての祝辞を公共機関を通して大胆にも表現してしまったのではないかとみる者が続出してもおかしくはありません
私と私の個人間信頼関係の達成のために自社の名前や自社の商品を利用してしまっているように見えます
今回の広告で認知されたことは
藤原紀香さん婚姻
大日本除虫菊株式会社代表取締役の圧倒的存在感
広告内の画像の雰囲気に萌え
カトリスって結局なんなの
この広告はおもしろすぎる
今後のKINCHOの広告に期待
読売新聞18面広告欄の知名度UP
という3つの主体にはかり知れない絶大な効果をもたらしたのです
一般市民にここまで解説させるほどの大当たりだったわけです
人々は会心の一撃をくらったというわけです
読売新聞18面広告欄という固有名詞が誕生するのではないかと思われるほど新聞社にとってはよいことでした
他者も先を争って18面広告欄で笑いをとることに奔走するのではないかと思われます
先日私が受けた感動の表現はこれほどでよろしいでしょうか
夕べは藤原紀香さんの披露宴でしたね
人は誰でも他人の婚姻を祝福できないような状況におちいることがあるのではないかと思われます
婚姻してほしくない異性に限って手の届かない存在であり他者とともに幸せをつかんでゆくかのように感じられますね
婚姻は最大の私的な行事事です
婚姻は制度でしかないわけだけども制度の拘束力は他に例をみることができないほど強力であるわけです
婚姻制度を無視した私的な言動は処罰の対象と明確に定められています
きまりがあるときまりに縛られて心や体の病気が発生する人がいるわけです
きまりがあると最初からきまりを守らない人がいるわけです
制度ほど恐ろしいものはなくて最初から制度を守る気がない人というのは制度を忠実に守って制度に守られている人から財産を略奪することを信条としているわけです
最初から制度を守る気がない人というのは制度によって守られていないものだから1から10まで自分だけの力で自分を守らなければならないのです
最初から制度を守る気がない人とは取引を行なわないと制度を守っている人は決め込んでいるわけだから制度を守る気がない人は取引の機会を制度を守っている人によりことごとく奪われているわけです
取引の機会を減らされた制度を守る気がない人は制度を守らないことが存在意義であるので制度を守らないですむのであれば生き延びるために人を殺してしまうことも平気でおこなうかのような行動をとります
現代は戦争がないので人殺しはできませんね
戦争のかわりに経済競争が促進されたわけですから産業界で武力によらない殺し合いをはじめてしまうのです
人を殺すということを定義すると他者を一方的に使役するという基本的人権が事実上機能していない状況に追いこんで酷使するといった植民地的支配を受けさせれることや相手の好意を利用し誘惑することにより重度の債務を担わせることや人を不自然な死においやってしまうことや薬物などの取引を継続することにより人を精神的や肉体的に廃人にしてしまうとすることができます
制度を守る気がない取引機会を奪われた人がとる行動ほど想像を絶するものはないのです
それらの人物は他者を生きたしかばねにすることはあっても他者をいたわるようなことはあまり行ないません
独特の理論により愛着をよせる対象物を見出すことはあるでしょうということです
制度を守っている人が制度を守る気がない人との取引を拒み続けたとしても制度を守る気がない人は制度に守られている人を無差別に危害を与え続けるということを忘れないでください
制度を守る気がない者同士の取引にはすぐに限界が訪れるのです
市場規模が狭いわけだから制度を守っている制度に守られている人の財産を略奪し続けないと生き延びられないということです
こういう人は生命力が強いわけだから制度に依存している者の扱いなどはお手の物ということです
制度を守る気がない者のお話は今日はここまでです
婚姻したいと思う人に限ってすでに婚姻していたり相手から婚姻の対象外とされていたりすることがよくあるということでしたね
婚姻したいと思う発想は制度があるからですね
制度に沿った思考で考えた結果婚姻したいなとかこの人と婚姻したいなとか思う気持ちが発生するわけですね
婚姻という制度がなかったらみなさんはどのような行動をとると思いますか
人間はみな似たような行動をとるから誰もが同じような人といつまでも近くで生活したいと思うかもしれませんね
誰もが思う同じような人とは近くで生活していくと快適であろうと考えられる人ですね
長い間快適を与えてくれる人がそばにいれば安心ですね
みんなが快適になりたいわけだから不快なことをする人が誰もいなくなってしまいますね
不快なこととは日常生活や社会生活の継続に直結している大事なことだったりするわけです
不快なことを継続しないと日常生活や社会生活の継続はありえないということです
みんなが不快なことを他者におしつけて快適を得ようとするようになるわけだから刑法がなかったら日常茶飯時に殺し合いが発生するわけです
不快なことをおしつけることができた者だけが快適な状況を得ることができるのです
不快なことをおしつけても拒否するものが現れたら殺してしまうのです
法律がないと快適でありたいと思う者は思い通りにならない者が発生すると平気で殺してしまいます
いっしょに生活することで快適を与えてくれそうな相手をめぐって殺し合いが頻発してしまう世界になるのです
快適を与えてくれそうな誰もがそばでいたいと思うような人ほど長生きできないということには理由があるです
快適さをめぐって人は快適さを与えてくれる人の獲得に奔走します
その結果獲得を目指す人の間で過当競争が発生し競争に敗れたものは(支配を受けている価値観の世界から)去っていきます
競争に敗れたものは報復として快適をもたらしてくれそうな人を破壊してしまいます
快適をもたらしてくれそうな人を獲得した者は早すぎる別れを体験しなければならなくなります
快適をもたらしてくれそうな人を獲得した者には中身のない快適さの中に取り残されることになります
場合によっては快適をもたらしてくれそうな人が望んでいるものは快適さであって快適さをもたらしてくれる人ではないこともあるので充実した生活を送ってしまう者もいると考えられます
快適さをめぐる下等で過当な争いの回避のためにはシステムを構築するしかないのです
争いを激減させた上で分配をも実現することが要請されているのです
万人に快適さの追求を促がすということは過当競争の発生要因にしかなりえません
快適さに求められているのは節度です
所得倍増計画時代に背負った負の遺産とは節度ある質の高い快適さを追求するという理念の不在であったとします
節度ある良質な快適さの追求でしか最大多数の最大幸福へむけて舵をきることはできません
漠然とした所得倍増思想というのは無益な争いごとを発生させる副作用があると考えられます
漠然とした欲の追求には仁義のない過当競争が生まれるものだと考えます
本音と建前の使い分けが難しいという理由のひとつにはおおやけで利の追求意欲を示すことがはばかられる風土があるからです
快適さを追求しない限りテクノロジーに進歩はありませんし財の開発も促進されません
利を追求することでしか前進できないのが集団社会であるといえます
利を放棄したら即衣食住の放棄につながってしまいます
最低限の生活という大義名分がありますが最低限の生活を維持するためには他国の人への分配を制限しなければ実現できないのです
真の良質とはなんなのであるか常に考える頭脳をもっているのが人類なのです
真の良質を追求することが社会的正義であるわけです
あらためて欲しいものをすべて列挙しそれを入手するためにはどれほどの人に制限を加えなければならないのかまで一般の人はなかなか考えないからこれまでの代表者が制度を構築してきたわけです
欲しいものがあることはよいことです
それを手にいれるために人まで殺してはいけませんよ
欲しいものが自然に手にはいらないようであればあきらめなければなりませんよ
というように人の行動のありかたを示す役割を制度に与えてきたわけです
今すぐにでもすべての人が良質というものを追求しなければなりませんがなかなか手に負えるものではありませんね
気づいた人どうしであまりわるくならないようにしていく努力をしなければならないということです
ルパン三世のふじこちゃんには手が負えないということです
われわれにはふーじこちゃーんということしかできないのかもしれません
ふーじこちゃーんと呼んだらいちいち律儀にもかえしてくるからたまらないと感じていたらよくないですか
人を見て法を説けという言葉があります
ぬかにくぎという言葉もあります
ふじこちゃんに真珠が似あうからよくないのです
ふじこちゃんらは快適さの追求をおこなっていますね
人をむやみに殺しませんね
それでも殺傷されて当然のような人物の描き方も頻繁にみられますね
価値をめぐる人間模様というのはおぞましいものであるのです
価値をめぐる競争からは殺傷行為が発生するわけです
戦後は武力の行使が認められていないため制度的に廃人にしたり精神的に廃人にすることで従わない人物を殺傷してきたのです
いじめは殺傷行為そのものです
集団における他者との関係性を断絶させることが目指されているわけです
資本主義社会においては基本的人権をふみにじられたかのような立場へ追い込んだり使役させたりすることをいいます
資本主義社会的快適さの実現にむけて追及者は圧倒的多数の人物を事実上不快の中へおとしいれることにより快適な絶対数が少ない立場を維持します
たかだか1企業の広告のためにこれほどの文字数を要してしまいました
ただたんにつぼにはまっただけです
広告には一発逆転の可能性が秘められています
知らんでもよいことを人に知らしめるには広告ほど効果があるものはないということです
広告を見たばかりに知らんでもよい会社のことまで知るはめになってしまうのです
人に知られるということの価値がどれほど絶大であるかということです
商品力はともかく知られてなんぼの世界であるといえます
こういうことは私を追求したことがない方々にはなかなか理解できるものではないと思われます
公と私の両方の追求が必要なのです
公の発想比率が高い状態ではおもしろい広告などうてるわけがないのです
私を追求している人の行動しか笑い話にできることはないのです
私の発想比率が低い人ほどクリエイトに向かない人物はないと考えられます
公の発想はこうであるからおおやけでの宣伝時にどのような思考や概念を持ち込めば笑いがとれるかといった発想がないと笑いなどとれるものではないということです
人々の思考パターンが固定化されているから笑いがとれるわけです
思考パターンが多様化している世代からも笑いがとれるということは並大抵のことではありませんよということです
公私のバランスがとれた良質な快適感の追求が発想を豊かにしてくれますね
私にかたよった私利私欲追求行動をとる人を観察するだけでもとてもおもしろいことです
考えられないような行動をとる人の存在とはそのこと自体がもうすでにドラマでありますね
このブログ上でなくても女性について語ることはとても大変なことです
守られている女性に対して守られていないと感じる女性が害を与え始めるから論を進めることが難しいのです
好みのタイプの女性の話などを男女両性が閲覧しているなかで記すことはとてもできないのです
好みを書いたって喜ぶ人はあまりいないでしょう
だからといって男性を考察し属性ごとに分類し記述するようなむごいこともできないのです
風俗通いをしている男性を1人に絞って徹底したレポートを公開したら女性の方は読んでくれますか?
そんなことしたら男性の閲覧者が増えてしまいますね
出会い系サイト利用者の男性を1人し絞って活動記録を詳細に記述したら女性も読んでくれそうですね
男女ともに出会い系サイトの利用体験を告白したらけっこうな読者がつくと思われますよ
おおやけの場でなかむつまじく派遣健康労務の人とコメントのやりとりしたら私はヒーローなのではないでしょうか?
鹿児島県の人がおおやけの場で派遣健康労務の人とweb上で親しくしたらなにか問題になるようなことはあるのでしょうか?
立場のある者がおおやけの場で想定しえない者との交流記録を示すことほど衝撃的なことはないと考えるのが基本です
なぜかというとおおやけの場ではたてまえでものをいうべきとされているからです
もしおおやけの立場にあるものが関与することが好ましくないとされる人物との交流情報を開示するようになったらどのようなことが起こりうると考えられますか?
カウンセラー界の業務が機能していないと一般の人になみがおしよせてきますね
責任の範囲を明確にすることほどあほらしいことはないですね
おおやけでは関与を開示することが好ましくない事象がありとあらゆるところに存在するということです
話題のまとまりがなくなってきたからこのへんでおわかれです
今月もどうもありがとうございました
来月もよろしくお願いします
みなさんからのお便りご要望お待ちしております
ほっといてもおもしろいと思われるのでしたらぜひほっといてください
りぶ みー あろーん です
あいる びー ばっく
もうくんな
またきてね