野生生物を観察していると 本能 動物の勘で瞬時に行動に移せない種は あっという間に食べられてしまったりして消滅してしまいます。
しかし
ヒトは違います。
野性環境で生きている動物とまったく同じ弱肉強食に適した本能的行動、発生した欲を率直に要求する強要的発言をみせると、ヒトとしてはみてもらえなくなります。
すなわち、対等な交渉の相手、意思疎通の相手、とはみなされなくなります。
ずいぶん長く食事をしていない飢えた猛獣が こっちを見ている 何かをよこせと言ってくることは 目に見えて明らかです。例外なく乱暴であろう というようにも見えるでしょう。
平等に資源を分ける知恵 平等に仕事を分ける知恵 公平に収穫物を分ける知恵 長年の経験から、どういう順番で役割を割り当てていくか という 積み重ねの結果 現在の制度に落ち着いています。
平等に仕事・役割を分担することを目的とした順序を付ける、順番を決めるための制度を 受け入れることができなかった人間の 将来性 について
誰もが望みたがる人気のある役割、お役目というのは、誰にでもできるというようにはなっていません。
誰に任せたらいいかが、考え抜かれて、平等・公平にお役目を分担するための評価基準に基づいて、最も適しているだろうと考えられる人から担当してもらっています。
クラス分けの評価制度にエントリーしてこなかった人には、絶対に与えられることのない役割、ポジション、地位というものがあります。
規定に基づいた基準のある評価制度による審査を受けていない人に限って、行政の長的な権能を行使している姿を見せつけたがる、という習性をもっていることがあります。
やたら 人の神経を逆なでする発言をする人だな と感じることがあります。
かまってほしくて、挑発的、人の気をひこうとする 表現ばかり 乱発 している ということはわかります。
神経を逆なでされたと 感じた方にとっては やはり、 精神衛生上の害となります。
こう言えば 注目を集める という 集大成みたいな 権力中枢にいる曲学阿世の徒 は
最高権力者の 本能を代弁する使者として 機能させられています。
カジノやってみない と 公務員に 賭け事を楽しんでみてほしいと 誘いだしている時が もっとも生き生きとしていたようにみえます。それが本来の姿 いつもの自分 なのだろうと思います。
桜田門外の変 と 紀尾井坂の変 が 一遍にきても まだ足りないというような 危ない橋を渡ったのかというのは 本人にしかわかりようのないことではありますが、見える人にはそうも見えるわけであります。
居心地がいいのは、官僚とマスコミへの統制、締めつけを1巡りも2巡も終えた後であるがゆえであり、都合の悪い発言を封じ込める、自由な発言の押さえ込みで、かろうじてまわしているという現状もあります。