新笠通信 奄美電信版

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奄美市教育委員会

2009-09-28 08:27:20 | Diaries
ロケット花火より引火したとする主張を通報者である自供者よりうけています

あと5分消火が遅れれば隣の老夫婦世帯の家屋に延焼していたといわれています

すぐ近くには、在宅介護を受けているお年寄りの家屋も存在しますし、火事になってもすぐには逃げたくても逃げられないという人の気持ちがわかるようになりましょう

ちょっとした不注意で、未成年者も簡単に殺人者の仲間入りができてしまいます

成人者がやぶにむかってロケット花火をうちこむと、どういいわけしたって、誰も放火としてしかみてくれません

人の命が失われてしまうようなことの原因となることをする成人した大人は凶悪犯罪者とよばれるようになります

人が傷ついたり死んでしまったりすると、保護者では責任をとることができません。

死んでしまった人間を生き返えさせることはできません


出火場所すぐそばに捨てられていたロケット花火の包装フィルム


花火の使用後に発生したゴミを海岸に放置している時点で、まともな人とは感性が違うと思われる。

後始末をしませんということを、強調してどうする?



もう2度とこういう場所へ放火をしませんと約束しましょう


火災の前日9月26日は

2009-09-27 15:52:16 | Diaries
お昼2時ごろから5時ごろにかけてまとまった量の降水を鹿児島県の奄美市北部地区では観測しており、原野は乾燥しているとはいえない状態ですので、そうかんたんに樹木が燃え広がるというようなことは考えにくいものです

湿っていても燃え広がるということになるには、ちょっとした条件が重なっていないと難しいと思いませんか

火の元の管理をできない人が火を扱うと罪になると思いませんか

未成年でかつ14歳以上の少年少女が屋外で火を扱うとどうなるか
未成年でかつ14歳未満の少年少女が屋外で火を扱うとどうなるか

火の元の管理を怠ったことで失火をおこした成人者に対しては、当然に責任の追及が行われます

原野には国・地方自治体なり個人なりとまちがいなく管理者がいるわけです
管理者はなんで燃えたんだと問われても、火の元があったから燃えたんだろうとしかいえるものではありません

誰かが燃やさないと燃えないものです

今日は節田校区それぞれの集落から、子どもからお年寄りにいたるまで、それはもう大勢の人々が土浜集落に相撲大会のため訪れています

イベントのある時は、ふだん火の気のないところにも人の姿がみられるようです


平成21年9月27日発生の不審火について(奄美市)

2009-09-27 15:23:37 | Diaries
赤いラインで囲った周囲の原野が消失しています

ちょうど時を同じくして、土浜集落公民館で節田校区地区の相撲大会が黄緑色のラインで囲った場所で行われています

午後3時前に消防車数台が到着しました


この記事は、節田駐在所、節田小学校・赤木名中学校・大島北高校職員など地域に関係する職業の皆様への速報を兼ねています



本日鹿児島県奄美市笠利町節田地区では

2009-09-27 15:12:26 | Diaries
校区相撲大会が行われています

節田校区には、節田集落、平集落、和野集落、土浜集落の4集落があります

土浜集落の公民館前土俵では現在も相撲大会が催されています

そのさなかに不審火事件はおこりました

土浜集落共同墓地近くの原野斜面を延焼する火事が発生

幸いすぐ近くの民家への延焼はありませんでした


2009-09-26 18:45:59

2009-09-26 18:45:59 | Diaries
アメリカ本国での有色人種に対する差別が根強く残っているのと同様、それ以上に、日本本国では同じではない人種に対してのいっしょにしないでといった感情には目に余るものがある

アメリカで黒人の国の代表、大統領が誕生するようなことがあったとしても、日本で違う人種の人間が国の代表となるようなことは考えられない。

誰もが国の代表は日本民族から選出して当然ということは疑う余地のないことだとしているためだ

国の根幹をなす要職から日本民族以外が排斥されているということが結果的に達成されていればよいといった思想が無意識のうちに備えられてきているといってもいいすぎでない

奄美群島には郷土出身でない人種が地元の代表として活動することは奄美のためにならないという根強い信仰がある

日本という国には信じられないほど優秀な人材が存在するということを信用しようとしない

国会議員の先生がたはこのような指導がどれだけおろかなことであるかをまず認識しよう

このようなというのは、安易に地元民族でない人種を、理不尽に排斥しようと有権者に刷り込もうとする神経のことだ

小泉自動販売機

2009-09-24 08:21:20 | Diaries
小泉ベンディングマシーン

ベンディングマシンというのは自動販売機のことです

このボタンを押せば希望している缶ジュースが出てくるというあれです

このボタンを押せばどの商品が出てくるかわかっているというのが自動販売機です

マニュアルどおりというか

100%失言になりえないおりこうさんな回答を発するということに忠実すぎるというか

よほどのちのち大ナタぶるいのしゃべりを予定しているまたは一刀両断の采配を繰り出す時期をみはからっているというようにみえなくもないということです

小泉と記述すればそれだけで数字のとれる話題となるからあまり表に出したくはないのですが

いつか自動販売機がしゃべった~とびっくりするような時が訪れるのかなということをふと思い浮かべてみたりもするものです

おもしろくない、つまらない。若い人はそうとう窮屈しそうなパーティーなのかなという印象を受けます

若い人がのびのびと夢を語っていないんだもの



選挙に勝とうが負けようが代表だったらまず応援してくれた、協力してくれたという事実に対して、言葉をかけるものです。声をかけるものです。

他党の支持者に無理をいって協力してもらっているということになるのなら、それこそ、まず、本来の支持者ではない、特別に協力をしてくれた党員でない応援者に一言感謝の意を伝えるものです

協力をした党員でない有権者に感謝の言葉が伝えられると、次に応援を頼まれたときも考えてみようかなと思うようになることもあります

新代表にバトンが渡された直後、世に広まった第一声が別れ話のきりだしであったから、地方の人は驚くのは当然です

なによりも就任直後に直前までの選挙で協力していた特別に応援してくれていた層に対しなぜひとことのあいさつをできないのかが不思議でならないわけです

別れ話をにおわせるならなおさら直前までの応援に対し感謝の気持ちがあったということを伝えた上で、再出発にあたってチームが本当に実現したいとしていることを見つめなおすには単独のチームで基本的な考え方を組みなおしていく必要があるというように説明できなかったのでしょうか

再スタートをきるにあたってつじつまのあわない発言がでてくるかもしれないが、それまでに受けた応援には十分に感謝している。考え方がかわっていっても期待を感じさせるパーティーと思うなら是非応援を続けてください。とあいさつするものだろう。

新しい代表はできが悪いのではないかととても不安な印象を受ける人が世の中にはいるものではないでしょうか

パーティーの再生のためには応援してくれた国民の気持ちが無駄になるところがあったとしても仕方がない。という印象が伝わってくるわけです

パーティーを犠牲にしてでも国民にとって欠かせない環境を整えていくという熱意がまったく伝わってこない内容だとして、そのような決意など毛頭存在していない党として受け取めることにもなることもあるわけです。

国民に対し仕えていないとするならば誰に対して仕えているのだろうといったことを見直してみることは有意義なことかもしれません

常識を知らないのではないか、礼を知らないのではないか、と疑問に思うことはおかしなことではありません

村には村だけで通用する常識というものがどのような集団でもみられてくるものです


今回選挙違反があった関係団体の対応の遅さにはびっくりしています
経営判断がすこぶる遅いわけです
謝罪広告などださなくてもあとあと事件のことをむしかえしてくる人物などいないと考えているのでしょうか

診療報酬の水増し請求といった不正ぐらいは朝飯前というか、日常茶飯時的に不正な書類を作成していますといっているようなものです

あの団体に体が不自由になってくるお年寄りの世話をさせることには疑問がつきまとってくるというようになります

安心して、お年寄りを任せらる団体とはいえないという評価が定着していくようになります

意思を投じる、投票するという行為が極めて困難となってくる、脳の機能に衰えが進行してきているお年寄り、意思決定行為がおぼつかなくなりつつあるお年寄りの投票用紙が容易に手にはいる環境を団体は確保しているわけです

意思決定をして投票するという行動すら満足にできなくなっているお年寄りの投票用紙を集めて、代理人が勝手に投票するという行為は、本来有効票となりえなかった票を水増しして加算するということになります。

代理人が勝手に投票するというような行為は会計でいうところの経費の過大計上、不必要な診療でありなおかつ実際には行ってさえもいなかった診療をやったということにして報酬を請求する詐欺行為と同じような感覚のものともいえます

代理人が勝手に投票するぐらいで、その代理人が施設の職員であるというのだから、業務に関係する公文書に記述してきている内容についても不正であったり、事実とは異なる記載が日常的に行われていると推測できるとしてもなんら不自然だとはいえなくなるわけです

いまだに団体として、事の重大さをとらえていないというような印象を受けるわけです

詐欺行為の存在が発覚したらまともな団体だったら存続に影響します

奄美群島で育った団体の責任者には常識の面においてひどく欠落しているなにかがあるという傾向をこの機会にみられるのではないかと思っています

大型トラックのタイヤが脱輪して歩行者を死傷させたりすれば車両の製造メーカーは迅速に対応する、謝罪を行うものです

団体の職員が世間に対して迷惑をかけたら、即座にリーダーが出てきて謝罪を行うわけです

金貸しの職員が客の金を着服していたら、団体の総責任者が謝罪会見を開くわけです

そういった常識がまったく今回の選挙違反で問題となっている医療団体の経営陣には欠けているようです

代表が謝らないということは、誰も責任をとるつもりはないということを公言しているようなものです

団体の内部的な統制では問題が表面に現れてきているわけだから、外部環境があんたがたの常識はおかしいと指導してやらなきゃならなくなるわけです

他人の投票用紙に持ち主の意思とは無関係に書き込みをして代理投票を行うことはおかしなことです。と声に出していってみましょう

おかしなことだとまわりの人が代議士をはじめ関係者に気づいてもらえるよう一生懸命努力していることを無駄にはしないように

日本刀をふりかざした法務大臣

2009-09-23 11:10:10 | Diaries
死刑が行われなくなっても、人を殺したり重傷を負わせたした直後に凶器をもって暴れている人物によってこれ以上犠牲者が出ないように、急所を狙って動きをとめるということは、廃止されません。

凶器を持って暴れるのをやめないという状態は、その動物がすでに死んでいる状態であると、現場の担当者それぞれがみなす

人間としての人格は喪失、すでに消失していると、現場の当事者が判断することを許す

地方への権限委譲というような話とごっちゃにはできませんが、この数秒、数十秒後にでも確実に犠牲者を出すというのがわかりきっている凶暴化している人物に対し、現場の担当者レベルで、自由な行動ができなくなる処理を行うことを許すかどうかを決めておかなければなりません

凶器を持って襲いかかってきていることに気づいているのに、なにも抵抗しないで犠牲になるというようなことは、これこそしてはいけないことです

安全を実現するために、逃げられなければ、相手の動きを止める行動に移していかなければなりません

暴れている人は、手加減なしに力任せで、傷つけようとしてくるわけだから、一撃を受けたら、被害者側は死んでしまうほどのダメージを受けます

殺そうとして襲いかかってくる相手の動きを止めるには、受ける側は襲ってくる相手以上に自信のある挙動で対していかなければ、動きを止められてしまいます

相手を見れば、鍛え方がおよそわかるもので、力負けするかどうか見当がつくものです

鍛えてきている人物が凶暴化しているのであれば、力負けする分をカバーするものとして、太刀や飛び道具など武器の使用で、凶暴化している人物の動きをとめます


死刑がなくなっても、暴走している狂人をやむなく緊急停止させるという現場での判断は、なくなることがないものであるといえます

殺傷が続くことが考えられるという事態に直面している現場で、急所を狙って狙撃などを行うかどうするかという判断はなくなりません


死刑賛成者の中から抽選で選ばれた人に、日本刀を手渡して、受刑者の首めがけて振り下ろすという方式にかえたらこの国がこのほうが治まりがつくということを示せるのかもしれません

実際は絞首などであっても大臣がサインする行為は太刀を一振りする行為となんらかわりがありません

日本刀をペンに換えて間接的に勢いよく振り下ろしているだけのことです


明治政府に由来を見ることもできる刑法の精神をなすもの、侍の美意識の中でも野蛮な部類のものとよその国で評価されたとすればどうするでしょう

この国はお偉いさんの行く手をさえぎることをするような外国人にいきなり斬りかかったという前科があります

その頃からしてみてもなにも変わっていない精神文化というのは残っているといえます

法治国家では、侍の精神は野蛮だ、という口実をまずつくります

法より上下関係、主従関係、外国人が上の者に対して無礼をはたらいた。従者としてはこの命を犠牲としようとも外国人に後悔を覚えさせてやろう

これは封建社会でみられる精神性として説明されるものです

この国で温存してきているものは、封建社会になじむ精神性であるといえます

ソフトな封建社会体制を維持してきているつもりの人もいるわけです


終身刑として薬漬けにされて生かされるのはこたえると考えられます

生きている間ずっと死にたいという気持ちが湧き上がるようにさせられたまま生かされるという罰を受けるのはとても苦しいことであるといえます


終身刑の最終形は自殺の手助けというような形になってしまうこともあるのかもしれません


死にたくなるように社会がよってたかって追い詰める

テレビ局なんかはやろうと思えばすぐにできるでしょう


終身刑にプラスαとして死にたくなる感情が強くでてくる効果を与えるかどうか

という判断を要求されてきます


更生という考え方にはどのような方向性が与えられるものとして運用されているか


こういうときにはこういう感情になっていないと都合が悪いというようなものです


関係のない人物を殺害したことについて殺害時もその後も何の感情も発生していない

本人は正直にそうこたえ続けているだけなのかもしれませんが

そのような答えを続ける人物に社会は集団社会であれば当然のこととしてなにかよい方向性を与えたという結果を要求されます


世間一般に集団社会は、殺人者はきちがいである、という烙印を与えたことをまず知らせなければなりません

狂っているから処理をしなければならないわけだけど、更生は見込めないということも悲しい知らせも伝えなければならなくなったとします

この殺人者には要求される感情が発生することが見込めない、集団社会としてはいろいろ手を尽くしてみてはいるが、よい方向へ移るきざしがみられない

どう処分したらよいものだろうか


ここで殺人者に与えられる自由、選択肢が自殺以外に残っていないと感じるようにはたらきかけるか、あるいは実際に自殺を実現できる状況をつくりあげるか

という究極の裁量が集団社会に問いかけられていくことになります


薬物乱用者をテレビ局が追いかけた。集団社会として追いかけているわけです。この人物、どちらも自殺はしない。ということを放送局は会社として断定した上で追跡しているわけです。犯罪者として追いかけるぐらいではこたえないというシナリオの元で、自殺などありえないという前提で追いかけるわけです

テレビ局が執拗に報道したことぐらいで死ぬことはないという見切りと、自殺があったところで放送局とは違った属性をもつ社会集団から咎められる事もないないという、二重の見切りが存在しているわけです。

他人の生きるという自由を奪った殺人者に集団社会は生きるという自由を失うことと同じだけの不自由を確実に与えなければなりません

他人の自由を奪ったらこれだけの罰を受けなければならないという量的に確定されている刑が必要となってきます


死刑を与えないということであっても、社会は責任を果たした、集団社会は機能しているという証明を続けていかなければなりません。

集団社会は、犯罪者に確実に罰を与えたということとが確実に実現されてなければならないことです。


犠牲者が奪われた自由に相当するだけ、殺人者の自由を集団社会が奪うということを実現していくわけです



法の精神のつきあわせが重要となってきているわけです、明治憲法、明治刑法には精神が宿っているわけです。

明治期の法の精神を具体的にしたうえで
昭和刑法の精神を具体的にして
現代刑法に好ましいと考えられる法の精神を具体的にしていくわけです

最高裁は死刑はあるものとして判決してきています

最高裁は死刑はあるべきものだとかあってはならないものだとかという議論はできないようにできています

あってはならないと考えていても、代議士にならないとなかなか議論はできないというものかもしれません


六法といわれているもっとも基本的な法が国会であまり議論されてきていないとすればそれは問題です

憲法や民法・刑法に手をつけようとしない傾向があるとすれば、原因をさぐる必要があります

憲法や民法だけでなく、恒久的に絶対化できるルールというのはできないからトラブルというものはなくならないわけです

宗教の経典のように原書の絶対化を決め込むというのはおかしなものです

昭和憲法は負けた国の都合、勝った国の都合、負けた国ではこういう文面にしかならないという消去法的な主権国家としての選択肢がないという上で作成されたきれいごとともいえるわけです

太平洋戦争に負けていなかったらいまごろありえなかった文面のオンパレードだということを認めなければなりません

負けた国の作成する文言として、当時としてはベターだったというものです

勝っていたら、今頃ありえなかった文言がびっしりです


勝っていたら、明治憲法が今でもベースでした

勝った国には都合があるわけだから、今の憲法の形に修正されているわけです

負けたから平和をうたいなさいと指導を受けているわけです

平和という方向性を与えないと、いつまでも、欲しがりません勝つまではの国なのです

終戦より昔に、国会で、平和憲法を制定できなかったから戦い続けることができたわけです


かつての帝国主義諸国が一堂に会した場で中国に対する侵略行為に対して過ちを認めるという形にしないと

この国は過ちを認めなくても許される国、この国は過ちを認め続けていないと制裁を受ける国としてみなされるというようになっていきます

弱い国、叩ける国からどんどん叩かれていきます


感情を全面にもってくるうちは、ディスカッションが成立しない、対等に会話のキャッチボールが行われることを望んでいないということになります

ディスカッション中に感情的に訴えるというのは、要求をどうしても通すという意思があるときに発生するもので、意見交換の阻害要因になります

テクニック的に感情を織り交ぜてきているものについては、感情を除去したものに残る要求、願望といったものの抽出作業を行わなければならなくなります。


明治憲法の精神のままでは、いずれ同じことの繰り返しになってしまう。

国民は国のために犠牲にすることができると考える人物が現れる

暴力が議論を制圧したから万歳突撃の命令を出すことができたわけです



負けた国が勝った国の防衛力に依存し続けているというのは正常でないはなしです

勝った国が軍事力をひきあげたという状態がまったく正常であるという状態です

軍事同盟があろうがなかろうが、自前では交戦能力に疑問のある状態が続いているということが事実です

自立しようとしないから、ひきあげようがないというのはわかりますよね

軍事の部分だけ依存している格好になっているわけです


日本の政府が隣国に平和憲法、平和政策を採用しなさいといっても、相手にされません。笑われるだけです。

強制的に採用させるには併合するしかないという発想は明治憲法の精神が通用している体制下でみられてきました


アメリカが軍事拠点を後方移動させないということが前提で、今の今まで真剣な検討がなされてきていないことがあるといえます

完全に軍事力を日本から撤退させた状態を前提に、防衛体系が運用されているということが通常状態であるとなかなか気づきません


暴力組織を備えているが民主的な手法によって管理が実現できているということを示さなければならないのであって、法によって形式的に無能力化していることぐらいは、どこの国だって同じようなことです。法によって規制しているからこそ、よその国が攻めてきた時にはそれ(法)どころではないという道理が通されてしまうものだといえます。

侵略が起こった場合には防衛活動を始めたと一方的に宣言を受けてしまうものです。それこそあれよあれよのまです。

異常事態がおきたら、相手が攻撃をやめないということが続いたら、相手の動きを制限しないと、容赦なく沈められる、撃ち落されるわけです

相手が本気だと気づくのにとんでもなく時間がかかりそうだと見られてもいるわけです

秒単位で勝負が決まる戦いを続けているということを忘れてはいけないわけです。

何もおきていない平和なときの今一秒一秒こそが過酷な戦いでもあるわけです。

戦っているから今何もおきていないわけです。

武力に頼るというのは戦いを放棄したことの宣言みたいなものです

戦いをやめたから大挙して上陸を重ねたわけです

武力行使にふみきるというのはあきらめです

統計的にみていけば被害状況の数値など簡単に試算できるものです

兵器を操縦して軍人がこちらへ襲いかかってきたら動きをとれないように攻撃しないと、民間人に被害がでます

越境してきて民間人を殺害した工作員(軍人)はそれ以上被害がでないように身動きできなくなるようにする必要があります

武装しているわけだから、急所を攻撃して動けなくしないと死者の数が拡大する恐れがあります

凶器をもって暴れていれば命はないものだと考えることができます

凶器を操作して自身の体を傷つけているとみなされるようになります

その凶器を自身に向けて操作したらこうなりますと集団社会が諭すことになるわけです


生け捕りを義務化すると、終身刑以外の罰は認めないというような姿勢を示すことになります


四季の歌

2009-09-20 20:42:19 | Diaries
春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友達

夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親

秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人

冬を愛する人は 心広き人
根雪を溶かす大地のような ぼくの母親



作詞 荒木とよひさ 1972年

孵らない卵もあたためてる

2009-09-18 01:35:32 | Diaries
にわとりの卵は無精卵のものがほとんどです

おんどりは卵を産みません

めんどりは卵を産みます

めんどりは周期的に卵を産みます

交尾をしていても、していなくても、きまった間隔で定期的に卵を産みます

おんどりといっしょに飼育していなくても、めんどりはきまった周期で卵を産みます

めんどりだけ飼っていても、一定の時間ごとに卵を産むのです

交尾をせずに産んだ卵は、無精卵で、ひなはかえりません

交尾をして産んだ卵は、有精卵で、卵のなかみが死んでしまわない温度が保たれると、ひなが産まれます

卵が有精卵か無精卵かどうかを見分けることはできません

めんどりだけを飼っていたら無精卵しか産まないということはわかります

おんどりといっしょに飼っていても産んだ卵が有精卵かどうかというのはわかりません

めんどりは、産んだ卵が有精卵かどうかということがわかるのでしょうか?

身に覚えがないけど卵がかえるように温めるということはするのでしょうか

卵が孵化するようにおんどりも温めるという行動をとるのでしょうか

にわとりの温度は41度くらいです

にわとりが卵を抱くと38度ぐらいに温められます

卵の細胞が分裂をはじめるのに必要なものは熱エネルギーだということがわかります

さめたところからはなにもはじまらないということがわかります

生き物が生き物として誕生するには生きている物の暖かさが欠かせないということがわかります

きめられた時間温めようとする人はより多くの卵を孵すことができます

体温をもっているのに温めようとしなかった人はひとつの卵でさえ孵すことは難しくなります

たまごを温めるより大事なことがあると感じるようになった人は

生きているうちに生き物が生命をもちはじめるために体温を与える機会を失ってしまうことにもなります

人の温かさは子どもに伝わると思いますか

この子がどこかで細胞の分裂がとまっているとすれば、

温めていた人の体温と途中ではなればなれになってしまったからなのかもしれません



あなたは生命を誕生させることのできる人です

定額給付金と公明党

2009-09-16 08:33:14 | Diaries
おはようございます

先月の衆議院議員選挙で、今年春先の定額給付金が得票に結びついたというような直接の因果関係などはみられませんでした。

受け取るほうも、もらえるものはもらっておくが、立案した政党に因縁つけられるいわれわない、という意思がはっきりしてきたようです。

一度給付をはじめると、現金給付を受けることがしごくあたりまえというような感覚が備わっていきます。

 鹿児島県の奄美群島地域などでこれまで問題になってきていることは、子ども手当てとして、保護者に現金給付を行うと、施策として期待された使途以外の目的のために消費されてしまう ということです
 現金を給付したことに対し期待された効果を実現することができなかった。という現象がみられてきています。

現金を給付する施策にあからさまに集票目的があるというのであれば、集票を実現することが当初よりの目的であったとすることができますが、

そんなばかな話はおいといて、子どもの人数に応じて給付を行った現金は立案者が期待しているようにはなかなか使われにくいという現状は、ここ奄美で実際にみることができます。

補助金や給付金というのは麻薬みたいなもので、一度経験するとなかなか依存から抜け出せなくなってしまいます。

計画的に家計をやりくりできる人の絶対数が少なくなっているのであれば、厚生行政として、手取り足取り面倒をみていくことになります。
がそれは教育行政の失敗であったことにほかなりません。

制度設計というのはなににもまして影響が大きいものです
徒労感、空虚感を浸透させないためにも緻密な制度設計を行っていくものです

誤りに気づいたときには即座に廃止、改正を行っていくことは当然なことです

誤りを認めるということについて設計者側の姿勢というものが問われていくことになります

国民の記憶にはこの人が偉そうにしている姿しか残らないように写し撮ろうとします

偉そうにできる状況におかれていないのに勘違いを続けている姿を映し出そうとするものです



前回のブログテーマの流れからいくと
この人が保護を受けたがっているからあんたの給料から毎年200万ばっかしわけてやってくれ

と審査を行っている現場の担当者に問いかけていく必要があります



口利き、あっせん屋の存在なども説明できるようにしておかなければなりません

おどされて、許可を出し続けてきているということがあったかもしれません


市役所に多重債務者専用の窓口が設置されているということは、金貸しの活動が活発であったというなごりのようなものです

返済さえしてもらえればよいわけだから、借りた人に、いろいろなアイデアを提供するのは、このような金融屋ともいえるわけです


このような事情をより詳しく知っておかなければならないのは法テラスに赴任してくる弁護士であろう

行政側がどのような情報共有の形を考えているのか知っておく必要があります

瀬戸内町と大和村と旧名瀬市の保護世帯

2009-09-14 08:40:42 | Diaries
に必要なものは良縁である

いい仕事を紹介するというのは人生のパッケージを提案するのとほとんどかわりがありません

奄美市という自治体は求職者をハローワークに振る以外にどのような働きができるでしょう

ハローワークがなくてというわけでなく、存在していて国内でも最上位の部類にはいる保護率を保ち続けているわけだから、

わざわざ特別な企画を労働局内で立ち上げるか、自治体内で立ち上げるかとなるわけです。

数値的に改善が見込めないようであれば、効果はなかったということで、特別に立ち上げた働きが見られないチームを存続させておくことは、無駄の容認ということになってしまいます。

企画を推し進めた人にはそれ相応の責任が問われます

責任、因果関係が見えてこないように企画を推し進めていくと、誰も責任をとらないようだから、不十分な処理でも差し支えないというような場の空気が形成されていきます

責任者の顔が見えているから、不十分な処理は行えないという常識の確認をときどき行っていく必要があります

本島内によい話がないのをわかっているならば、何十年も昔で本島外によい話をとりつけにいく循環というものができあがってくるものでしょう

本島外の作業所に月あたり何人紹介したというような話は、そのこと自体が働いた実績となります

島にしがみつく根性を見せろという意見には賛同者があふれやすい傾向にあります

みんながそうしてくれると 基本 なにもしなくてよくなるような感じになります

自分の力で食いつなげと投げているだけだったりするからです


保護世帯に基本的にいい話をもっていこうなどと考える人はまずいません

保護世帯だと知れるとよい話しからはどんどん遠ざかっていくというのが自然な流れだと考えられます

なんで保護世帯なんかと関わりあいにならなければならないというように、普通の納税者は考えます

誰にも相手にされないから、営利企業でない団体の職員が相手にしていくことになります


保護率とは 1000人あたりの保護を受けている人の数

図は 平成21年度奄美群島福祉の概要 より

平成19年度の保護率 全国平均が12.1‰ほどだから、
ゆうに60‰を超えている奄美本島の自治体の中にはよその自治体より1000人当たり50人ほどよけいに生活保護支給許可を与えていることになる

沖縄平均は16.6‰

毎月の生活保護支給日に市営住宅家賃と国民健康保険税の天引きを市町村が行う

2005年
生活保護割り当てからの市税徴収を期待している市町村が国庫負担率の引き下げの動きに猛烈に抵抗

国への月例報告を放棄するなどと主張

ようはストライキやるといっているわけだ

というようにも受け取れる


市営住宅の入居審査の際には生活保護世帯化する可能性を予測しておく必要があります

この団地の入居者はのちのち生活保護世帯化しているというような情報が蓄えられていきます

保護世帯化するような転入者をみすみす入居させるようなことがあってはいけないというのはひとつの考え方です

奄美本島のいくつかの自治体の中には人なみになかなか相手にしてもらえない人がまだまだ多くいるわけだからそのことが課題としてとりあげられることになります

よその地区の人以上に見向きもされないというのはなかなか大変な状況であるといえます

具体的な数字をあげて比べていってもらうとなおさら相手にされなくなるものではありますが、転入を考えている人たちにとっては事前に知っておくほうがよい情報であるといえます

所得税を多めに払っているような人たちはどこで住民登録を行うものかしっかりと考えるものです

自治体の魅力を評価した上で住所登録を行います

自治体の魅力を失わせているもの、やたらと目に付くものに気づいてみましょう

この町では住民税・健康保険税を払いたくないというのが正直なところとなっている原因について、なにか思い浮かぶようなことがあるという人はけっこういるでしょうか