平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第18回は村上滉典(体育4・今治西)と西浦謙太(体育4・八尾)です。
是非ご覧ください!
こんにちは
4年の村上滉典です。
日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援とご声援、誠にありがとうございます。
振り返ってみると、紆余曲折ありましたが、多くの方々の支えやご指導のおかげで人間的にも技術的にも成長させて頂いた4年間でした。
この4年間は、試行錯誤の繰り返しで大学1.2年生は失敗ばかりでした。
ここで間違っていたことは、自分自身の考えだけで技術練習をしていたこと。
それは、私の大切にしている「正しい努力をする」というところからかけ離れていました。
やはり大切なことは、野球の専門家や素人、体育系の教授など様々な人からアドバイスを頂き、それを選定して取り組むこと。また、自身の競技者としての強みを数値化・分析し、それを伸ばすことでした。
大学2年の時、1つ上の先輩の濱内さんと話していたことが鮮明に覚えています。「学生野球は時間が限られている、その中で結果を出さないと上にはいけない。どうやって努力するのか。目の前の1分、1秒を何に使うか」当時の私には、本当に刺さりました。
そこから後悔のない選択をするために、目の前の時間を野球に捧げてきました。
野球に打ち込むことができたのも両親の支えあってのことだと思います。
大学野球に限らずこれまでの野球人生でも様々な助言を貰い続けてきましたが、それは野球に真摯に向き合うことにつながり、野球に集中できる環境を常に与えてくれていました。このように野球に打ち込める環境がなければ今の私はないと思います。本当に感謝しています。
大学の4年間も野球第一として支え続けてくれました。
この恩はラストシーズンの結果や行動で示したいと思います。
ここで、私の4年間の経験を得て後輩に伝えたいことがあります。
それは、目標とするところまで、段階を追って根気強く取り組んでほしいということです。ピッチャーであれば、完成形に目をとられて1を10にするのではなくて、1を2に、2を3にする努力を重ねてください。そうすれば、きっと確かなる技術力が身につき、安定した投球ができるはずです。
私は確かな技術力は精神力もカバーできると思っています。
それを信じて、後輩たちには自分自身で信じられる技術力をつけて欲しいと思います。
最後に私自身の野球人生について振り返りたいと思います。私は、本当に「運」が良いです。
これまでの人生の中でも、恵まれた環境、指導者をはじめとする尊敬できる人との出会い、信頼できる仲間が常に周りにいたことで、野球というスポーツを続けてこられましたし、人生を変えることができたと思います。
また、兄の存在も非常に大きく、何をしてもそつなくこなし、野球に対して一生懸命ひたむきにプレーする姿は、私の野球人生のお手本でした。そんな常に追いつきたい・追い越したい存在が身近にいたからこそ、私は野球に対して人生をかける想いで本気で取り組むことができたと思います。
これまでは結果を出すことに執着があり、野球を好きという感情でできていませんでしたが、今となってはその感情にも変化が現れました。
結果よりも大切なものがある。
皆と目標・足並みを揃えて野球をすることでそれまでの過程に意味があることを実感しました。
大学野球に限らず、これまでの野球人生はそれほど濃密でかけがえのない時間だったと思います。そのため、私はこれまで全ての関わった人、出会い、環境に感謝し、残り少ない大学野球も尽力します。
「常に喜べ、絶えず祈れ、全てのことに感謝せよ」
野球をする上でこの言葉を大切にしてきました。
プレーで周りの応援してくださる全ての方に感動を、そして選手をあきらめてスタッフになってくれた人、サポートしてくれる院生の方々、支えてくれる人全ての人のために戦います。
体育専門学群4年 村上滉典
愛媛県立今治西高校
こんにちは。
筑波大学硬式野球部4年、主将の西浦謙太です。
「野球が好き」
自分が小学校1年生から大学4年の秋まで野球をしてきて、自分が野球に対して持った感想です。
父が高校野球で監督をしていたこともあり、生活の多くが野球を占めていて、野球チームに入るまでは、土日はよくお父さんの高校の練習試合について行ったり、夏休みも練習試合だけでなく、練習にもよくついて行ったりしていました。普通の子供ならうろうろしたり、砂遊びをしたりするのが普通だと思いますが、自分は椅子にじっと座り練習を見ていたそうです。練習試合でも、バックネット裏でずっと集中して試合を見ていたそうです。それに尽きることなく、帰りの車でもずっと野球の話をしていたそうです。まさに野球少年といったところでしょうか。
そんな幼少期を過ごし、小学校では北出戸モンスターズに入ってのびのびとやらせてもらいました。
ここで小野監督から教えてもらったことは自分の野球観を形成するうえで欠かせなかった方であり、この出会いがなければここまで野球をやれていなかったと思います。小野監督本当にありがとうございました。
そして高校まで野球を続け、大学進学する際に筑波大学を受験することに決めました。
その時勉強は本当に嫌いでしたが、野球のためにならと思うとそこまできつくはなかったです。そのくらい野球が好きで、野球のためなら何でもできると思っていました。
そして、大学に入ってからもその気持ちは変わりませんでした。
なんなら、野球に対する気持ちは強まってきたかもしれないです。「フォーー、あかん、野球おもろすぎる」っといったところでしょうか。(引用 筑波大学硬式野球部 ラストシーズンに懸ける想い 生島光貴)
このあたりで西尾が「野球うまくいってるからそう思うんやろ、俺の気持ちなんか理解できやんやん。」と4階の廊下で下を向きながらぶつぶつ言ってそうですが、うまくいくことばかりではなかったです。
スタメンで出ても2打席交代。オープン戦は打つけどリーグ戦で全く打たない。リーグ戦初のスタメンマスク、健志台球場で北爪とバッテリーを組んで桜美林大学にボコボコにされたこと。負けていたら、人生が変わっていた入れ替え戦。大学野球って難しいなと思うことは多くありました。
でも、野球嫌いとか、やめようかなって思うことは1度もなかったです。
ここでふと思ったのは、なぜここまで野球が好きなのか。
それは自分が身を置いた環境や、同級生にとても恵まれていたからです。
高校では筑波大学硬式野球部OBである長田監督やまじめな同級生に恵まれ好きな野球をのびのびやらせてもらえました。大学では自分をさらに野球好きにさせた濱内太陽さんにも出会うことができ、この人のおかげで野球がうまくなったと思います。
その中でも特に恵まれているなと感じたのは、筑波大学硬式野球部では学生スタッフがいることです。
学生スタッフとは、2年生の秋に選手としてリーグ戦に出る可能性を絶って、チームが強くなるために練習のサポートやチーム運営に携わる人たちのことです。
学生スタッフが表舞台に立つことはあまりないですが、筑波大学硬式野球部は学生スタッフがいてこその集団です。リーグ戦で試合ができるのは、手配してくれるマネージャーがいたからこそ。
リーグ戦の1本のヒットには、何千球と投げてくれたバッティングピッチャーの存在や、フォームを客観的に見られるように映像をとってくれるSSD、ウエイトの知識をくれるトレーナーなどの頑張りがあるからこそ。
1つのアウトにもピッチャーコーチのアドバイスや、投手トレーナーのおかげで怪我をせず投げられているからこそ。
学生スタッフがいるからここまで野球がうまくなれたし、この学生スタッフの頑張りを無駄にしたくないという思いから、日々野球に取り組めています。
本当にいつもありがとう。
また、院生コーチの牧野さんにはとても感謝しています。キャプテンとして力不足で目の届かないところや、自分たちが目の前のことで精一杯になっているときも、客観的にアドバイスをくれ、私生活等の言うのも面倒なことも根気強く言ってくれているおかげで、野球に集中することができています。
牧野さん本当にありがとうございます。下級生はアンチが多いですが4年生になればこの気持ちがわかると思います。
いよいよ秋リーグが始まります。
今まで野球を好きにさせてくれた人達に恩返しをするためにこの秋リーグ優勝したいです。
リーグ優勝をして、野球を大好きになりたいです。
リーグ優勝は2006年にしたのが最後で、17年間も優勝から遠ざかっています。選手、学生スタッフ、院生コーチ、東條さんの全員が一体となって、この秋リーグチャレンジしたいと思います。応援よろしくお願いします。
体育専門学群4年 西浦謙太
大阪府立八尾高校