筑波大学硬式野球部のブログ

筑波大学硬式野球部公式HP http://club.taiiku.tsukuba.ac.jp/baseball/

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山田英温(体育1・広島中等教育)

2024年12月10日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




最終日の2人目の担当は、山田英温(体育1・広島中等教育)です。









平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援、ありがとうございます。


1年投手の山田英温です。大変拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。






私がちゃんと野球を始めたのは広島中等教育学校に入ってからです。



それまで野球は公園でテニスボールを使ってやることしかしてこなかったのにもかかわらず、中等の野球に革命を起こす!と、とても意気込んでいたのを覚えています。





野球のやの字くらいしか分からなかった私は、有名な人がやっている事は大体合っているだろうという考えのもと、自分から野球について調べたりして努力していました。



そんな中、イチローの振り子打法に感銘をうけた当時中学1年生の私は、軸足1本で立ち、前足を後ろに振り、その反動を使って投げるという、振り子投法なるものを生み出しました。



実戦初登板は渾身の振り子投法で挑みました。



結果はどうだったか、全く覚えていません。



しかし、ストライクは入らないわ、入って打たれてもゴロがアウトにならないわで、見かねた相手が全員バントをしてアウトになってくれるという大忖度試合になったことは覚えています。



小さい頃から野球をしてきた皆さんには想像もつかないことでしょう。これが弱小のリアルです。







そして高校に入ります。




私は1年生の頃から背番号1をつけさせてもらいました。




高2の時には公式戦で広島県準優勝のチームにいいピッチングをしたことで、ネットニュースに載ったこともありました。




しかし結局2勝が限界で、高3最後の大会も1勝も出来ずにおわりました。最後の夏大の開幕1週間前、私はチームを巻き込む大喧嘩をしてしまいました。




きっかけは些細なことでしたが、そのせいでチームがまとまりきらなかったと思うと今でも悔しいです。








今現在、私は大好きな同期、先輩と日本一目指して頑張っています。






私の事をキリンと言って可愛がってくれる先輩や、ほぼ同棲している同期達と一緒にやる野球が毎日楽しくて仕方ありません。



日本一になる最後の1球、私が投げることを、ここに誓います。










体育専門学群1年 山田英温
広島中等教育学校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山田幹太(体育1・彦根東)

2024年12月10日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本ブログ最終日である本日、1人目の担当は、山田幹太(体育1・彦根東)です。












こんにちは。
筑波大学硬式野球部1年の山田幹太です。

日頃から筑波大学硬式野球部への多大なご支援、ご声援の程ありがとうございます。





ブログ執筆の依頼を受けて以降、2年生の先輩方が書いたブログをたくさん読んでから書き始めています。拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると幸いです。





今回は自己紹介と今後の目標というテーマで話をしようと思います。



出身は滋賀県の彦根市というところです。滋賀県と言えば琵琶湖と言われますが、実は滋賀県の面積の6分の1しかありません。



けどそれ以外に何も無いので地元について聞かれた時には琵琶湖と言います。彦根には国宝彦根城があり、城下町となっています。小中高と市内の学校に通ったため、電車通は経験がないです。







高校は兄と父の影響もあり彦根東高校に進学しました。



1年の時は内野手をしていたのですが、1年秋の大怪我をきっかけに投手(兼捕手)に転向し、今でも投手を続けています。



高校では勉強と野球漬けの毎日を送っていました。
野球ではこれといった成績も残せず、夏も早く負けたため、つまずくことなく筑波大学に入学出来ました。














ここで少し高校の話をさせてください。



彦根東高校は県内屈指の進学校であり、伝統校です。彦根城のお堀の中に校舎があり、入学は一般のみでみんな受験を経て入学します。



彦根城の中のため観光客への打球の危険を踏まえてグラウンドでは打撃練習ができません。そのため、試合ができるというだけで土のグラウンドである筑波大に入った当初は、いい環境だと思っていました。



彦根東高校も覚えて頂けると嬉しいです。







入学後は新人練や6月練、オープン戦期、秋リーグとあっという間の半年ちょっとを過ごしました。



新人練の後、すぐにAチームに呼んでいただき、リーグ戦にもベンチ入りすることができました。吸収の多い充実した期間となりましたが、大学野球のレベルの高さを実感した苦しい期間でもありました。



また同期の30人には多々刺激を受けました。空きコマに自主練する人、ジムに行く人、勉強する人。



いい仲間に恵まれた気がします。
おかげで高い意識で野球に取り組めています。






そんな一年目のシーズンを終えた今、シーズンオフの期間で大きく成長するためにも来年の個人としての目標を宣言したいと思います。



来シーズンの目標はリーグ戦に登板すること、先発として勝利を挙げること、です。



一年の秋季リーグでは使い所がわからず、登板することができなかったので来季こそは成し遂げたいです。                 














体育専門学群1年 山田幹太
滋賀県立彦根東高等学校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山﨑美智(工シス1・大宮開成)

2024年12月09日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は、山﨑美智(工シス1・大宮開成)です。













マネージャーを務めております、山﨑美智です。

出身は埼玉県ですが、出生地はつくば市、親戚がつくば市に住んでいる関係で幼い頃からよく遊びに行っていたため、つくばのことを勝手に第二の故郷だと思っています。





12年ほど前、つくば駅前のトナリエにあった冬限定の仮設メリーゴーランドが大好きすぎたあまり、この季節になると毎年あのメリーゴーランドが恋しくなります。




小学校低学年の頃に洞峰公園脇のペデストリアンデッキを自律走行するロボットを見た瞬間、好奇心が掻き立てられたことが筑波大を志した最初のきっかけだった気がします。


私は土木工学を学びたくて工学システム学類に進学したのですが、このロボットはどうやら工シスの研究室が実験走行させていたものだったそうです。

大学入学後に知りました。










前置きはここまでにして本題に入ります。

元々大学野球の試合を観戦することが好きだったため、試合運営に携わってみたいという思いが大半。

あとはほんの少し、狭く限られたコミュニティで育った私は、偏った世界しかしらず、それを常識だと思い込んでいるのではないかと高校生の頃から考えるようになりました。



そのような状態を変えたくて、全く異なることをしてみようと思い、入部に至りました。






先輩方に連盟マネージャーとして活動することになると言われたとき、イメージが鮮明には湧きませんでしたが、実際に活動することで憧れ続けたことができるとわかり、見るもの・やること全てに感動しました。


ですが、その感動よりもはるかに多くの大きな責任をすぐに感じ、身の引き締まる思いになりました。


広い視野を持ち、淡々と仕事をこなしていく先輩や同級生を見て自身の至らなさを痛感し、悔しかったです。


他大学のマネージャーから学ぶべきところが多く、吸収し、部での振る舞いに生かそうと努めています。

極度の人見知りでコミュニケーションが不得手ということもあり、当初は浮き足立っている感覚がありましたが、今は慣れました。










私の筑波大学硬式野球部における4年間の目標は、筑波大学硬式野球部、及び、首都大学野球を大きくするとともに自身を成長させることです。


先輩方が培ってきた知識や経験を学び、受け継ぎながらも革新する、そんなことができるようになりたいと思っております。






至らないところも多々ありますが、何卒よろしくお願いいたします。












理工学群工学システム学類 山﨑美智
大宮開成高等学校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~宮崎莉央(体育1・柏崎)

2024年12月09日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




残すところ2日となったこのブログ企画!
本日の1人目の担当は、宮崎莉央(体育1・柏崎)です。









筑波大学体育専門学群1年の宮崎莉央です。





私は新潟県の柏崎市で生まれ育ちました。
海と山に囲まれた自然豊かな街です。





自然豊かといえば聞こえがいいですが、とんでもないド田舎です。





最寄りのコンビニは徒歩40分、地域唯一のスーパー矢口商店はレジがなくおばあちゃんがそろばんで会計していました。




不便なこともたくさんありましたが大好きな街です。






自分は兄の影響で小学校から野球を始めました。小学校の時は野球に全く興味がなくただ練習に行っていただけのような気がします。




チームも市内最弱で正直野球を楽しいと感じたことは少なかったです。





中学校も市内最弱で正直野球を楽しいと感じたことは少なかったです。



野球やめろやとツッコみを入れたくなりますが、自分もなぜ続けられたのかよく分かりません。







私が本気で野球に取り組み始めたのは高校からです。




地元の(自称)進学校である柏崎高校に進み、野球もそこそこ強かったので文武両道で頑張ろうととても意気込んでいました。




入学してすぐの春季大会でベスト16に進出し、それまで大会で勝ち上がったことの無い私は勝つってこんなに楽しいんだとワクワクが止まりませんでした。




しかし幸先が良かったのはそこまでで、1年の夏大は初戦敗退、その後試合には出られるようになりましたが、自分の代になるまでは公式戦で一勝することも出来ませんでした。




坊主だったこともあり、学校では非常に肩身が狭かったです。なんやかんやあり三年になってからはそこそこ勝ち上がることができましたが、自分の中では全く満足できませんでした。




このままでは終われないということで野球が強くて勉強もできる筑波大学を目指すことにしました。




苦しい受験を経てやってきた筑波大学。私にとって今の環境は最高です。



同級生に甲子園出場経験のある選手が何人もいたり、先輩には150kmを投げる人がいたりと今までの人生ではない出会いがたくさんありました。



リーグ戦ではプロや社会人に進むような選手のプレーを見る機会が多かったです。



練習でも、本やテレビでしか見たことのなかった川村先生が当たり前のように目の前にいて指導をして下さり、受験を頑張って良かったと心の底から感じています。




今の自分はまだまだ実力不足ですが、この最高の環境の中でもっともっと成長して、リーグ戦で登板します!最後までお読みいただきありがとうございました。








体育専門学群1年 宮崎莉央
新潟県立柏崎高校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~御田村樹(体育1・大垣北)

2024年12月08日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の担当は、御田村樹(体育1・大垣北)です。











筑波大学硬式野球部ブログをお読みのみなさんこんばんは。
筑波大学体育専門学群1年の御田村樹です。



日頃より弊部へのご支援とご声援ありがとうございます。



今回のブログでは自分の野球人生を振り返るとともに今後への意気込みを書きたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。







私は岐阜県の大垣市で生まれ、そこから30分ほど離れた揖斐郡池田町という地で育ちました。



そして私の野球人生はよくある友達に誘われたからという理由で幕を開けました。小学生の時は温知クラブ(おんちクラブ)という漢字ではよく見えるものの音にするとダサいチームで野球をしていました。



そこでは打ってはクリーンナップ、投げてはエースとチームの柱であり、地元ではそこそこ有名な選手でした。



今思えばこの時期が1番輝いていたかもしれません。









その勢いのまま中学では西濃ボーイズという硬式野球チームに入りました。
自信満々で入ったチームでしたが、野球の精鋭たちが集まるチームのレベルの高さと練習のキツさに圧倒される毎日でした。



これが野球人生初の挫折でした。



投手をやっていたにも関わらず、肩を怪我していた時期にはコーチからブルペンキャッチャーをやるように言われ、スラパンを持っていなかった私はパンツを2枚重ね、その間にファウルカップを入れてブルペンキャッチャーをしたこともありました。



そんな怒涛の3年間を乗り越えて、高校では大垣北高校という地元の進学校に入学します。
そこは公立校とは思えないくらい施設が整っており、ウエイトや野球の練習に打ち込み、投手としてもみるみるレベルアップしていきました。




しかし高校最後の夏は思うような結果を出せませんでした。
それでも自分の可能性を信じ、大学野球をやるという決断をしました。



そうして入学した筑波の野球部。
入部して半年、勉強になることも多い反面、失敗して反省する毎日です。




課題を見つけては解決しようとし、その過程の中でまた課題が見つかるということの繰り返しです。



先が見えない状態で模索する日々ですが、正しい積み重ねはいずれ自分の大きな自信や力につながると信じてコツコツ頑張ろうと思います。



信頼できる同級生と頼りになる先輩たちから多くのことを吸収しリーグで通用する立派な投手になることが今後の目標です。



かつての輝きを取り戻し、素晴らしい仲間とできる限られた時間を大切に取り組もうと思います。



今後とも応援よろしくお願いします。 










体育専門学群1年 御田村樹
岐阜県立大垣北高等学校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~松川大地(体育1・秋田)

2024年12月08日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




このブログ企画も残すところ3日となりました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!







本日の担当は、松川大地(体育1・秋田)です。筑波大学硬式野球部のブログをお読みのみなさん
こんにちは。
体育専門学群1年の松川大地です。




日頃から弊部への熱い応援ありがとうございます。拙い文章ではありますが、ぜひお読みください。






みんなはかたーい文章を書くのか、それともカジュアルにいくのか、目安とされている1000字まで書くのか気になりますが、自分なりにやってみたいと思います。







まず軽く自己紹介します。生まれは埼玉、この人生で6回引越しをし、沖縄、東京、秋田で育ちました。そして現在はここ筑波にいます。



居住年数の内訳は埼玉1年、沖縄6年、東京6年、秋田7年、そして筑波がもうそろそろ1年になるところです。



秋田も6年だったらなんだか数字のきりがいいなと感じた人はいないでしょうか、 実は、一浪しているのでもし現役で受かっていたら秋田は6年だったはずです。



惜しかったんです、 浪人を隠してる訳ではなく、むしろ自分から言ってるのですが意外と先輩方に知られておらず、「ぽくない」と言われることも多いです。




二浪のマックスがいるからかもしれませんね。まあ、1、2年は誤差です。しかし、その1年にかかるお金は誤差には収まらないのでこれから大学受験をする方は気をつけてください。




受験生がんばれ!両親ありがとう!












野球部に入ったのは小学校1年生の冬くらいだったと思いますが、野球を始めたのはいつだったか覚えてません。
どうして始めたかも覚えてません。





今思い返すと野球をやるのは自分の中で元々決まっていたような感じがします。不思議な感じです。






早くから野球を始め、引越しが重なったことも相まって、人よりかなり多くの人に支えられここまで来たと感じています。しかもその恩人は日本各地にいます。





一人一人感謝を伝えて回るのはなかなか難しいでしょう。活躍することで喜んでもらえれば恩返しになるのではないかと考えています。








しかしこの1年、本当に悔しい経験をいくつもしました。あと3年きっと少しでも気を抜けば一瞬で終わってしまうだろうと感じています。




個人の目標、チームの目標に向けて、1日1日勝負をしていこうと思います。




がんばります!













写真は鼻を骨折したときのものと山田幹太とのツーショです。







体育専門学群1年 松川大地
秋田高校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~本間暁登(体育1・北海道栄)

2024年12月07日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は私、本間暁登(体育1・北海道栄)です。




日頃より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援とご声援をいただき、誠にありがとうございます。1年生ながら、野手コーチを務めさせていただいております。本間暁登です。



とんでもない文章を書き上げましたので、最後まで読んでいただけると幸いです。




北海道の登別市に生まれ、中学までの15年間を登別市で過ごした私は、野球をやっていた父の影響で、登別野球少年団で野球を始めました。



ちなみに、コロポックルの森という幼稚園の出身です。「君たちは天才だ、無限の可能性を秘めている」的な教育をされて育ちました。そのおかげで私は、今でも逆立ち歩きができます。サキ先生がとっても好きでした。話を戻します。



中学は軟式のクラブチームに入りました。入った直後に、気づいたら東日本大会で優勝してました。私は背番号12番をつけて、11番をつけていた同期の阿部くんと、終始ベンチで楽しくおしゃべりしてました。



ですが、大宮監督のもとで野球ができたあの3年間は、私の野球人生にとって1番の財産であったと確信しており、3年間で得た学びは今も私の礎になっています。




それからは、2年生で全道優勝、3年生では全道準優勝、道南選抜の主将として全道優勝を達成しました。



優勝チームの主将という肩書きもあり、大した野球スキルのない自分でしたが、有難いことに幾つかの野球の強い私立校から、お誘いをいただきました。



学業での進学も考えましたが、「甲子園には1人じゃいけないけど、勉強は1人でもできる」と思い、北海道栄高校への進学を決意しました。




高校での3年間はもう半端なかったです。一年生から色々な背番号をつけさせていただきましたが、結局どれも2桁。しかも最後の夏は、選手ではなくスタッフとして活動しました。




何が足りなかったのかは今でもわかりません。
決勝で北海高校に大敗を喫し、高校野球生活に幕を閉じました。
あっけない夏でした。




でもあそこでもし勝って甲子園に行っていたら、時間が足りなくて、筑波大学には合格できてなかったのかな。と考えると、これもまた1つの縁なのかなってなんか不思議な気持ちになったりもします。やっぱり人生って、そーゆー事なんだと思います。




そしていま、たくさんの方々のサポートのおかげで合格できた筑波大学で、野手コーチとして活動させてもらっています。




尊敬する大先輩である森口尚哉さんに報告した時は、嬉しすぎてタメ語を使ってしまいましたが、「未来の筑波を頼むぞ」と強い一言をいただきました。あの一言が今も自分の原動力になっています。









『言葉は最初の行動』



最近はこの言葉が気に入ってます。
「そんなん口だけやーん」と言われる事もあるかもしれません。
でも私は確信しています。



思い切って言葉にする勇気もない人間に、
何かを成し遂げることは不可能です。



日常会話でも「やっぱ人生って〜だと思うわ。」とすぐに「人生」という言葉に全てを帰着させ、一見深いようで恐ろしく浅はかな発言をしてしまうイタい私ですが、私には最高に賢くて、でも面白くて、なまらかっこよくて、野球が大好きで、大失恋すらも笑い話に変えてくれる30人の最強の仲間がいます。




ここで宣言します。




『3年後、絶対にヘッドコーチとしてチームをリーグ優勝・日本一に導きます。』










体育専門学群1年 本間暁登
北海道栄高校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~堀貴翔(生物資源1・海城)

2024年12月07日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の1人目の担当は、堀貴翔(生物資源1・海城)です。








生命環境学群生物資源学類所属の堀貴翔です。


我々1年生が入部した当初は学年唯一の他学部員(体育専門学群以外の学群に所属する部員)として活動しておりました。




しかし、5月ごろに他学のマネージャーが入部し、そして最近はもう1人選手として他学群の学生が所属するそうで、とても嬉しく思っています。





今回のブログではこれから筑波大学硬式野球部の一員として活動していくにあたっての意気込みを述べていきたいと思います。






これからの活動において「最後まで諦めないこと」を目標にしていきたいと思います。


この思いは高校野球の時にしてしまった失敗から生まれた思いです。


ここからはその時のことを書いていきたいと思います。重い話になりますが、ぜひ読んでいただきたいです。








自分は高校2年の冬休みに左足首の内側靱帯と外側靱帯を同時に怪我してしまい、1ヶ月ほど松葉杖生活を送りました。




そして6月ごろに復帰したのですが、その時にはセカンドの席は埋まっており、自分はその席を奪わなければいけませんでした。




しかし、自分が怪我している間に結果を残すセカンドの姿を見る中で、復帰する前からレギュラーになることを諦めてしまい、その思いは復帰した後も変わることはありませんでした。




そして、最後の夏大会までの期間を当たり障りなく過ごしました。高校野球が終わった当初は「自分が主力であるわけでもなく、何の面白みもない野球が終わってせいせいしたな」とまで思っていましたが、引退から少し時間が空いた後、とてつもない後悔に襲われました。




もう少し頑張っていればレギュラーになれたかもしれないという後悔、高校野球を全力でやり切ることのできなかった後悔。今思い出すだけでもやりきれない気持ちになります。







今思えば、この時に全力でやり切れなかった後悔があったからこそ、大学野球では完全燃焼してやるという思いを持つことができたと思います。




この思いは大学野球をするにあたっての原動力であり、このまま大学野球が終わるまで持ち続けなくてはいけないものであると感じています。




自分は今現在、肩を負傷してしまい復帰を目指している途中です。もちろん気持ちが落ち込んでしまった時期はありますが、まだ完全に気持ちが切れてしまったわけではありません。



絶対に完治させて、2年生でリーグに絡めるように頑張っていこうと思っています。応援よろしくお願いします。












生命環境学群生物資源学類1年 堀貴翔
海城高等学校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~星勇輝(体育1・仙台第二)

2024年12月06日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は、星勇輝(体育1・仙台第二)です。












こんにちは。筑波大学体育専門学群一年の星勇輝です。

平素より弊部への応援、誠にありがとうございます。

文章力がなく冗長な文章になっていますが、読んでいただけると嬉しいです。







私は、宮城県の仙台市で生まれ育ちました。仙台は人が多すぎず少なすぎないという点で、住みよい街だと思います。
でも観光地はありません。








野球は中学から始めました。

常に部員不足で、公式戦では一回しか勝てませんでした。当時は肩が強かった(足も速かった)のでピッチャーをやったりしましたが、制球難のために早々にクビになり、キャッチャーとなりました。

中学一年の時に見に行った仙台二高一高定期戦に憧れたのと、文武両道を実現したいと思い、仙台二高に進学しました。







二高の野球部は、「フィジカルや技術が劣っている中でも、工夫や思考力を駆使して強豪私学に勝つ」ことを目標に掲げていました。

ただ投げるだけ打つだけの野球をしてきた自分にとって二高での野球は刺激的で、今の自分の根幹となっています。


チームメイトにも恵まれ、23年ぶりに秋県ベスト8を達成するなど、充実した高校野球生活を送れました。ですが、目標だった強豪私学を倒すことはできませんでした。










大学進学に関して、当初は周りの同級生と同様、地元の国立大を目指そうと考えていました。

しかし高校三年の時、高校の先輩の酒井捷さん(東京大学3年)が東大で2年生ながらレギュラーとなり、早稲田大の投手から本塁打を放ったり、ベストナインに選出されるなど大活躍を見せました。

一緒にプレーしていた方が神宮の大舞台で、甲子園経験者を相手に躍動している姿を見て、自分もこうなりたいと思いました。

そこで、国立大でありながら強豪大学と渡り合い、ハイレベルな環境がある筑波ならば上達できると思い、筑波大学を目指しました。








入学から、リーグ戦はおろか上のチームに上がることすら出来ていない自分ですが、無力な自分を諦めずに応援し続けてくれる方々や、指導してくれた方々に報いるためにも、自分の課題から逃げずに取り組んでいきたいと思っています。





大学に入ってから老けていることを指摘されることが増えたので、今後はより若々しさを意識して、目標に向かって突き進んでいこうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。








体育専門学群1年 星勇輝
仙台第二高校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~濵野晃太郎(体育1・石橋)

2024年12月06日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の1人目の担当は、濵野晃太郎(体育1・石橋)です。











皆さんこんにちは。
体育専門学群1年の濵野晃太郎です。






初めてブログを書くにあたり、今までの振り返りや、今後の目標について書かせて頂いたので、温かい目でご覧いただければ幸いです。






私は、2006年1月10日に栃木県上三川町で生を授かりました。

物心ついた時には野球をしていました。
小学2年の時に、小学校のクラブチームに入部してから、約11年間野球を続けてこれたのはいつも支えてくれた両親を始め、家族みんなのおかげです。本当に感謝しています。





また、この11年間辛いことも沢山ありましたが、高校3年の春に21世紀枠で憧れの甲子園にも出場することができ最高の体験をすることができました。





また私は、小、中、高とチームメイトに恵まれました。

優しい先輩に頼りになる同級生、とても元気な後輩に、たくさん助けられました。ありがとうございます。










前置きがやや長くなってしまいましたが、本題に入ろうと思います。



私が筑波大学を目指したきっかけは、父親からの勧めでした。


高校の恩師の福田先生は、「文武不岐」ということをよくおっしゃり、部活だけでなく勉学にも力を注げとよく指導してくださいました。



同校の先輩で成績も常に学年トップクラスだった亀井湧希さんとは違い私は、常に学年で最下位で対照的な存在でした。その影響もあり、湧希さんと同じ筑波に行くと言った時には、9割以上の人に無理だと言われ、バカにされました。


それが悔しく部活を引退したあとは、めちゃくちゃ勉強しました。

しかし、共テ直前の最後の模試までずっとE判定でした。それでも諦めず本番では奇跡のC判定をとることができました。





そこからは楽しい2次対策が始まりました。毎日身体を動かしたり、キャッチボールをしたりと、とても充実していました。

そして、筑波の合格を勝ち取ることができました。改めて、国谷先生を始め、一緒に励ましあい頑張った、藤巻くん、近藤くん、林くん、手伝ってくれた横松くん、大金くん、(石川くん?)そして石高のみんなにほんとに感謝してます。











念願の筑波大学硬式野球部に入部してからは苦悩の連続でした。
家事を全て1人でこなすことの大変さや、大学野球のレベルの高さを痛感しました。



また練習内容を自分で考え、全体練習を動かすことの難しさも実感しました。
日々自分の力不足を実感し、心が折れそうになることも何度かありました。
そんな時にいつも言い聞かせる言葉があります。



「たった一度の成功で得た自信はたった一度の失敗で不安に変わる」という言葉です。




これは湧希さんの受験体験記や、ブログに書いてある言葉で、何度もこの言葉に救われました。


目の前の結果に一喜一憂するのではなく、長い目で見て、失敗と向き合うことで、自分の理想像に少しずつ近づけると私は思います。






まだまだリーグ戦の戦力になるには程遠いですが、ひとつひとつの課題に向き合い努力し続けたいと思います。


いつもアドバイスや、指導をしてくださる頼もしい先輩方や、同級生のみんなと切磋琢磨しながら日々精進していきたいと思います。



最後まで読んで頂きありがとうございました。





体育専門学群1年 濵野晃太郎
石橋高校
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする