平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。
広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!
最終日の2人目の担当は、山田英温(体育1・広島中等教育)です。
平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援、ありがとうございます。
広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!
最終日の2人目の担当は、山田英温(体育1・広島中等教育)です。
平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援、ありがとうございます。
1年投手の山田英温です。大変拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私がちゃんと野球を始めたのは広島中等教育学校に入ってからです。
それまで野球は公園でテニスボールを使ってやることしかしてこなかったのにもかかわらず、中等の野球に革命を起こす!と、とても意気込んでいたのを覚えています。
野球のやの字くらいしか分からなかった私は、有名な人がやっている事は大体合っているだろうという考えのもと、自分から野球について調べたりして努力していました。
そんな中、イチローの振り子打法に感銘をうけた当時中学1年生の私は、軸足1本で立ち、前足を後ろに振り、その反動を使って投げるという、振り子投法なるものを生み出しました。
実戦初登板は渾身の振り子投法で挑みました。
結果はどうだったか、全く覚えていません。
しかし、ストライクは入らないわ、入って打たれてもゴロがアウトにならないわで、見かねた相手が全員バントをしてアウトになってくれるという大忖度試合になったことは覚えています。
小さい頃から野球をしてきた皆さんには想像もつかないことでしょう。これが弱小のリアルです。
そして高校に入ります。
私は1年生の頃から背番号1をつけさせてもらいました。
高2の時には公式戦で広島県準優勝のチームにいいピッチングをしたことで、ネットニュースに載ったこともありました。
しかし結局2勝が限界で、高3最後の大会も1勝も出来ずにおわりました。最後の夏大の開幕1週間前、私はチームを巻き込む大喧嘩をしてしまいました。
きっかけは些細なことでしたが、そのせいでチームがまとまりきらなかったと思うと今でも悔しいです。
今現在、私は大好きな同期、先輩と日本一目指して頑張っています。
私の事をキリンと言って可愛がってくれる先輩や、ほぼ同棲している同期達と一緒にやる野球が毎日楽しくて仕方ありません。
日本一になる最後の1球、私が投げることを、ここに誓います。
体育専門学群1年 山田英温
広島中等教育学校