筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い㉑(体育4・永戸涼世/八千代松陰)

2024年09月01日 20時00分01秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
最後を飾る第21回は永戸涼世(体育4・八千代松陰)です!


是非ご覧ください!




皆さんこんにちは
筑波大学硬式野球部主将の永戸涼世です。
 



 
普段からリーグ戦会場や父母会といった現場のみならず、SNSを活用した広報を通じても多くのご支援ご声援を頂いていること、身をもって感じております。
 

いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
「俺から言わせると4年生がだめなんだ」と言われているのを他人事のように見ていた2年生。また4年生が言われるのかと思っていたら「3年生のリーダーシップが足りない」と1学年飛ばして怒られ始めた3年生。
 
そして遂に自分の番が回ってきてしまったという感じです。

月日の流れは早いものですね。
 
 
 
皆様の期待に応えることが出来るよう心を込めて書きますので、しばしの間お付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。
 
 
 
 
ラストシーズンに懸ける想いを綴るにあたって軽く大学生活を振り返る時間をください。
 
 
 
大学入学から3年生に至るまでは、1年生からリーグ戦に出場させていただいたり、入れ替え戦の緊張感ある試合に出場させていただいたり、ベストナインを受賞させていただいたりと同期の中でもかなり濃い経験をさせていただいたと思っております。首脳陣の方々ありがとうございました。
 
 
他にも本当に色々なことを経験しました。

その度にたくさんのことを学び、転んで少々立てなかったとしても意地で立ち上がり、前に進んできました。
 
 
 
 
野球以外の部分でもたくさんの経験をし、少しずつ子供から大人に近づいて行きました。
 
 
短気は損気であるとか、人生は幅と奥行きであるとか、これもまた一興と言えば何とかなるとか、まあ諸々です。
 
 
 
 
 
話を本線に戻します。

このブログを書くにあたって、多くの人の目に留まるし、ラストバッターだし、どうせ書くならば自分にしか書くことが出来ない文章を書きたいと思いました。
 

こう考えるのは、自分が承認欲求の高い人間であることが関係していると考えています。(大海さん、成沢さんこれで満足していただけたでしょうか)
 
 
 
我々の学年の中で自分しか経験していないことといえば、
先ほども書いたように、入れ替え戦のグラウンドに立っていたことや、富士急に向かうつくばエクスプレス内で吐き気を催して途中下車をしたことなどがあげられますが、
 
 
「大学野球で主将を経験した」ということが一番大きなものでしょうか。
 
 
ということで、今回のブログは “キャプテン“ というテーマの下で話を進めていきたいと思います。
 
 
 
 
 
先ほど振り返った通り、野球はある程度順調に進んできていました。
 
 
しかしキャプテンに就任してからの感想は
 
「苦しかった」
 
これにつきます。
 
 
 
 
 
これまで僕は中学校、高校、大学と少年野球以外はキャプテンを務めてきました。
 
 
中学校時代もなかなかに苦労した記憶がありますが、それはキャプテンとしてではなく人間関係やとんでもない練習量に対してであったため、チームを組織していくということに関して悩んだ時間が圧倒的に多いのは筑波大学においてキャプテンを務めた期間です。
 
 
 
なかなか方向性が揃わず今も揃っているか怪しい同期や、野球の実力は確かなものがあるのにまとまりに欠ける後輩たち。
 
 
特に同期に対しては、ことあるごとに厳しい言葉をかけてきました。
 
 
 
新チーム発足時に行った規則を確認しなおすミーティングでは、当然幹部が運営しやすいように協力してくれるものだと思っていました。
 
しかしそんな姿勢は皆無で、自分たちが率先してルールの抜け穴を探すような始末でした。
 
高校時代の同級生であればこんなことはなかったのにと何度も考えました。
(卒業後も試合を見に来てくれるナイスガイばかりでいいチームでした。これからもよろしく)
 
 
 
そんな状態だったので春季キャンプはひどい有様でした。
・掃除をしていないことを球場の管理人さんに怒られ、残っていた監督にやらせてしまう。
・昼食のカレーの盛り付けに失敗し、最後の方に足りなくなる。 
 
 
 
しまいには、op戦に大敗して「お前らの優しさがチームを壊すんだ」と大目玉を食らいました。
 
あの時は心が折れた音が大きめに聞こえました。
 
 
そういった出来事が重なっていったため、常に危機感は持っていました。

そのたびにミーティングを繰り返すものの、本当にこれであっているのかという考えが頭を埋め尽くすばかりで、解決しているのかわからず暗闇の中を手探りで進んでいるような状態でした。
 
 
 
そうこうしているうちに最後の春季リーグが開幕してしまいました。
 
 
初戦を勝利で飾ったものの、その後はご存じの通り1カ月間勝ちがない状態が続きました。
 
何をやっても上手くいかず、チームの成績が低迷していくのと同様に自分の調子も下降していくばかりでした。
 
あの期間は野球を“楽しい”や“面白い”という感情はなく、“勝たなければならない” “負けてはならない”という極めて義務的な感情が自分を支配していました。

好きでやっているはずの野球が、いつの間にかきつく、辛いものへと変わっていました。
 
 
 
 
それでも、チームに対しても自分に対しても諦める事だけは絶対にしないと決めていたので、もがき続けました。

リーグ戦に帯同していた4年生投手陣に本音をぶつけたこともあります。
 
 
すぐに行動に移してくれて少しずつ状況が変化していくのを感じていました。
 
 
 
 
大きな変化が表れたのは東海大学戦あたりからでした。

投手陣が粘り、打者陣も援護する「繋ぐ、絆ぐ、つなぐ」といったスローガンを体現するような野球でシーズン初の勝ち点を獲得することが出来ました。
 
 
 
 
結果4位でリーグ戦を終え、優勝という目標には遠く及ばない結果になったのにも関わらず、心のどこかで入れ替え戦を回避したことにホッとしてしまっている自分がいました。
 
その心の矛盾も相まって、今までの中で一番苦しいリーグ期間となったことは間違いありません。
 
自分が正しいと思って仲間と共に創ってきたチームがこんなにも脆く弱いものであったことを受け入れるのには少々時間が必要でした。
 
 
正直、何点取れば勝てるのかと考えてしまったことも事実です。ごめんなさい。
 
 
 
 
 
何となくこなせている気がしていた “キャプテン” という役職がこんなにも自分のことを苦しめるものだとは思ってもいませんでした。
 
 
夏休みに入り秋リーグが目と鼻の先にある今もなお悩み続けています。

きっと学生野球が終わるその時まで悩みは尽きないのだと思います。
 
 
 
しかし、悩みながらも挑戦し続けたいと思うことが出来る、そんな環境があること自体が幸せなのだと思います。
 
 
 
そうとなれば、神宮球場で引退するその日まで悩み続けてやろうと思います。
バッチコーイって感じです。
 
 
 
 
そして、これまでの経験から一つ確信したことがあります。
 
それは
 
「秘めたる闘志は意味をなさない」
 
ということです。
 
 
 
かなり物議をかもしそうな発言ではありますが、人生の夏休みと揶揄される大学生活の全てをささげた野球を通して感じたことなので、言いたい人には勝手に言わせておきます。
 
 
仮に、どれだけ野球選手として大成したいと思い続けていたとしても、何も行動を起こさなければその思いはほぼ存在しないのも同然です。

だってその思いをもとに行動をとることが出来ないほどの小さなものなのですから。
 
 
 
 
 
下級生のころの僕です。
なんなら3年生の春リーグくらいまでの僕です。
 
 
でも当事者って何か外部からの刺激がないと気づかないんですよね。
 
 
僕にとっては、監督から集合中に名指しで「何がしたいかわからない」とご指導いただいたことであったり、本気でその競技で飯を食っていこうとしている人たちと関わっていたりしていたことが刺激となって気づくことが出来ました。
 
 
あの時期が僕のターニングポイントでした。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
 
 
 
 
このチームにも同じことが言えると思います。
 
これまで多くの同期の熱い想いがこもったブログが投稿されてきました。

その多くには

「リーグ優勝がしたい」「笑って終わりたい」

そう書いてありました。
 
 
これを秘めたる闘志にしてはいけないということです。

その熱い想いを形にして行動に移さなければ、その想いは意味をなさないということです。
 
 
まあ要約すると、
「行動に移そうぜ」ってことです。
 
 
 
ここからは4年生全員がいろんな場所で戦力になると思います。

それぞれが持った熱い想い、必ず形にしよう。

これまでさんざん怒られてきましたが、終わりよければ全てよし。

最後が良ければこれまでの過程は全て正しかったと言うことが出来ます。


証明しよう俺らの4年間を。
 
 









後輩たち。
4年生が不甲斐ないせいで最近の試合後ミーティングでは松永や宮澤、ましてや古賀までもがリーダーシップを求められてしまっています。情けないです。
頼りないと思いますがあと少し力貸して下さい。
 
 
 
 
ここまで大層なことを書いてきましたが、自分一人でここまで来たわけではありません。
様々な方々の支えがあってここまでなんとかやってくることが出来ました。
 

ここまでも文字数が大変多くなっているため、全員に言及することはできませんが本当に感謝しています。
 
 
中でも東條さんにはとても感謝しています。
 
東條さんなしで今の自分はないと言い切れるくらい、野球人として学ぶことばかりでした。
技術はもちろんですが思考の整理や積み重ねることの重要性を教わりました。

炎上ではなく、イクメン指導者としてバズることを願っております。
 
 
 
 
 
そして最大の感謝は家族に対してです。

同僚にサーフィンをしてきたと間違われるほど肌が黒くなるまで試合を見に来てくれる父。

僕が実家を出たせいで今もなお幼稚園で担任を持ち続けてくれている母。

社会人なのに弟の公式戦に全通することを目標に掲げている兄。
 
リーグ戦のときも勝ったら残ってくれているし、負けたら見つからないように帰っている僕のことを一番に考えてくれているような人たちです。
 
 
2人が自分のことよりも優先して、応援し支え続けてくれたから今の僕があります。

春リーグ期間は3人とも柄にもなく励ますようなLINEを送ってくれました。

苦しくてどうしようもない時に踏ん張れたのは3人がいたからです。

気持ちよく学生野球を終えて、一休でビール片手にもつ煮を囲んで4人で笑いましょう。
 
 
 
筑波大学に入学し硬式野球部に入るという決断をしたことで、素晴らしい指導者や先輩、同期、後輩に出会うことが出来ました。この環境が何気ない毎日を宝物にしてくれました。
 
もしあの頃の決断をやり直すことが出来たとしても、この環境を選ぶと胸を張って言えます。
 
 
最後は僕が兄貴と慕っていた先輩がやっていた予祝で締めたいと思います。
 

「リーグ優勝・日本一おめでとう!」
 
 




永戸涼世 (体育専門学群4年/八千代松陰高校出身)
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ラストシーズンに懸ける想い⑳(体育4・隼瀬一樹/伊香)

2024年09月01日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第20回は隼瀬一樹(体育4・伊香)です!


是非ご覧ください!




こんにちは。


筑波大学硬式野球部で投手リーダーを務めています、隼瀬一樹です。








この隼瀬一樹のブログは、高校が伊香ということもあり、読みづらいかもしれません。

自分の思いをできるだけ書いているので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



去年、飯塚の誕生日を祝ってからもう一年が経ったと思うと、1年って本当に短いなと感じると同時に、4年間もあっという間だったなと感じています。


この4年間は、入学当初に描いていたものとは違うものとなってしまいました。


入学当初、自分は筑波大のエースになってリーグ優勝し、ベストナインを取り、大学日本代表になりたいとか思っていました。

しかし、人生はそんなにうまくいくものではなく、これらのことは今のところ何も叶っていません。


たぶん、この目標を立てたことで満足してしまい、ろくに努力もせず「どうにかなるだろう」と思って過ごしていたのだと思います。

すごく後悔しています。

もっと努力して日々を頑張っていたら、もっと良い選手になれていたのではないかと思うことが多々あります。


皆さんはこんな後悔をしないように、毎日努力してください。


努力は嘘をつかないと思います。


自分の後悔の話はこのくらいにして、投手リーダーとして、投手のみんなに伝えておきたいことがあります。


まず、こんな馬鹿で頼りない、結果で引っ張っていくこともできない投手リーダーで本当に申し訳なかったです。

そして、至らない点も多かったかもしれないけれど、何だかんだ最後までついてきてくれてありがとう!


最後は全員で、野手が取った点を死ぬ気で守り抜きましょう!


そのためには、後輩投手たちの力が絶対に必要です!4年生が頼りない分、負担をかけてしまうかもしれないけど、負けはすべて4年生の責任だから、気にせず思い切り投げてください!


投手として意地見せて気持ち込めてチームの勝利のためにやれるようにやっていきましょう!








ここからは感謝を伝えたいと思います!

まず、同級生の投手へ

活樹
投手リーダーをやってくれてありがとう!  
活樹にはたくさん苦労をかけたけど、投手リーダーは活樹でよかった!最後まで2人で引っ張っていこう!

あさひ
投手が良くなるために、一生懸命愚痴も言わず取り組んでくれてありがとう!  
みんな、濱田がいてくれたからやりやすかったと思うよ!最後まで頼むよ!

重久
サムライウィークの時しんどかったと思うけど、決してあれは俺らにとってマイナスではなかったよ!リーグ戦、怪我なしでいけるように頼むよ。

菅野さん
後輩のためにウエイトつきっきりで教えたり、チームのためにいろんなことをしてくれてありがとう!これからもB.Cのフィジカルアップ、頼むよ!

かんゆう
SSDの仕事、いつも遅くまでありがとう。これからが一番大変だと思うけど、今までやってくれたことを活かして勝利します!あとスプリット落ちるようにお願いします。

坂田
大学を通してとても苦労したと思うけど、坂田のためにも絶対に勝つから応援頼むよ!あと、Cチームを最後まで頼むよ!

一井
春リーグは一井のおかげで助かった!この秋も負担をかけるかもしれんけど、4年3人で引っ張っていくぞ!

長曽我部
「仲が悪い」といろんな人に言われるけど、そんなことないと俺は思ってます。中継ぎの柱として、最近良くない中継ぎ陣を支えてくれ!

久米
とりあえず引退までに洞峰公園まで走ってください。

浩太郎
いつもなよなよしてるこうちゃん。チームのためにサポートに回ってくれてありがとう、あと遠藤のサポートもお願いします!


優勝してみんなで投手会やりましょう!


波戸さんへ
僕は波戸さんと飲みに行き、野球のことや野球以外のことを話した時間が何より楽しかったです。
波戸さんの最後に優勝をプレゼントします!


家族へ
15年間、不自由なく野球をやらせてくれてありがとうございます!この4年間、家族に助けられたことばかりでした。
毎日のようにLINEを送ってきてくれて、返事を忘れてる時も多々あったけど、それに助けられて「練習を頑張ろう」と思えたことばかりでした。
本当にありがとう!最後まで諦めず頑張るので、応援とサポートをお願いします!


同期へ
自分はこの学年で良かったと思っています。「仲が悪い」と言われることもあったり、ミーティングが上手くいかない時もあったり、とにかくいろいろありすぎて訳がわからない学年でした。

でも、そこがまた良かったです!

それから、誰とは言いませんが、「この学年では優勝できないだろ」って言ってる人がいます。黙っておけよって感じですよね。優勝してやりましょう。

そして、久米が主催する学年会で美味しいお酒を飲み、飯塚の音頭で桐の葉を歌いましょう!


筑波大学野球部全員へ
4年生は去年と比べたら劣る部分が全体的に多くあったかもしれないけど、みんなのラストシーズンに懸ける思いを読んでもらったらわかる通り、優勝したいという気持ちはみんな一緒です!


そのために力を貸してください!


全員でリーグ優勝やっちゃいましょう!スタンドもグラウンドも一丸となって、繋いで、絆いで、つないで、優勝しましょう!


最高な秋季リーグにしよう!







体育専門学群4年 隼瀬一樹 伊香高校
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ラストシーズンに懸ける想い⑲(体育4・佐藤活樹/仙台第二、体育4・柏木爽吾/徳島北)

2024年08月31日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第19回は佐藤活樹(体育4・仙台第二)と柏木爽吾(体育4・徳島北)です!


是非ご覧ください!


こんばんは。

現在、投手ヘッドコーチを務めています佐藤活樹です。
 



せっかくの機会なので、普段秘めている考えを記したいのですが、本音を語るのが非常に苦手なので、先代の投手ヘッドに倣い、ほろ酔い状態で執筆させていただきます。
 

今回のブログのテーマはズバリ「みんなの75点より誰かの120点」。

ドン・キホーテの偏愛めしをリスペクトし、刺さる人に刺さればいいや、というテンションで書かせていただきます。

興味のある人だけ読んでください。
 
ラストシーズンに懸ける想い
「やっと終わる」と「もう終わってしまうのか」が混ざった複雑な気持ちです。
 
実は最近まで、早く引退したいと思っていました。

辛かったんです、投手ヘッドという役職が。
 
より良い投手陣にしようと奮闘しても、だれもついてこない。

仲が良かった選手との関係が「選手とスタッフ」に変わってしまい、本心で会話できない。

自分だけが一人で、もがいて苦しむような、そんな感覚でした。
 
特に苦しかったのが、侍ウィークと名付けた冬季練習。

実績のない投手陣の現状を何とか変えようと、大幅な練習量の増加を図りました。

しかし、日に日に溜まる選手からの不満や、この練習が選手にとって最適なのか、という疑念からどんどん精神が追い込まれていきました。(走ってないくせに)

結果、居酒屋で大号泣。(波戸さん、神さん、一井ごめんなさい)
 
このほかにもヘッドをやっていれば、選手からの不満や、チームを勝たせなければという重圧など、きつい要素はたくさんあるわけで、早く引退したいと思うようになっていました。
 
でも最近は、「部活終わるの寂しいな」と、ふと思ったりします。

それは、隼瀬が中心となって、チームをまとめてくれているからです。

自分の成績を追い求めながら、チーム全体のことも気にしなければならないのは、本当に難しいことだと思います。

それでも、先頭で投手全体をまとめてくれている隼瀬の存在に日々救われています。

そして、その隼瀬をサポートする四年生や後輩投手達。
今までは、自分が一人でチームを無理矢理動かそうとしてきました。

しかし、今では隼瀬を中心に投手陣が自立して動いてくれていると感じています。

もっと早く頼っておけばよかったという後悔と、こんなに頼もしい仲間たちがいるという喜びを感じます。
 
良いチームですね。
 
実は先日、隼瀬と一緒に監督室に呼ばれ、川村先生からお𠮟りを頂いたとき、隼瀬がこんなことを言っていました。

「自分はこのメンバーで勝ちたいです」

同感です。ラストシーズン、みんなで勝ちましょう。
 



そして、この場を借りてお世話になった方々にお礼を述べたいと思います。
 
このブログを読んでくれている野球部外の皆さん
野球ばかりに熱中して、たくさんのご迷惑、ご心配をおかけしました。

みんなに会うのをとても楽しみにしています。

あと少しの野球人生、最後まで走り抜けますので、最後まで応援よろしくお願いします。
 
後輩投手陣
「ミーティングで発言するようになったな」とか、「PFやり込んで上手くなったな」とかみんなが日々成長していく様子を見るのが、本当に幸せです。ありがとう。

リーグでは、大事な場面での登板が増えると思うけど、大丈夫、みんなはめちゃくちゃ良い投手です。

自信を持って腕振ってください。
 
四年生
後輩から、あまり仲良くないんじゃね?的な目で見られてますが、自分はこの雰囲気も嫌いじゃないです。

むしろ気に入ってます。

四年生一人一人が、各々の仕事を全うして、チームを勝たせましょう。
 
一井、長曽我部
四年生がリーグで活躍してるだけで、毎試合泣きそうになっています。

「最後は四年生」、底力見せましょう。
 
永戸、柏木
近い立場にいる自分にもわからない苦悩や不安が、二人にはあると思います。

そんな中でも、チームを引っ張ってくれて本当にありがとう。

秋は二人を本気で勝たせたい。そう思っています。
 
Pスタッフ・サポート陣
専門分野を突き詰め、チームになくてはならない存在になったり、自分に足りない部分を器用に補ってくれたりしてくれる四年生、能動的に動いてくれる三年生、めちゃくちゃ助かってるし、それぞれの場所で一生懸命になれている姿はとてもかっこいいなと思います。
最後まで、選手のために一生懸命になろう。

何より、普段の会話が毎日の楽しみです。これからもよろしくね。
 
波戸さん
振り返れば、波戸さんはいつも自分の味方でいてくれました。

精神的に追い込まれていた自分の話を聞いて励ましてくれたこと、春リーグ後に「もう一度熱を持て」と伝えてくれたこと、他にもあらゆる場面で波戸さんに支えられてきました。

本当にかっこいい男に出会えたと思っています。これからも仲良くしてください。
 
家族
ゆいの母校である一高ではなく二高に行って、地元の東北大ではなく筑波に行って、教師ではなく民間企業に就職。

いつも「そっち?」と言いたくなるような選択でみんなを驚かせてきたと思います。

何の相談もなしに選手をやめると伝えた時は、とても悲しませてしまったな、と反省しています。

選手としての活躍を楽しみにしているみんなに、スタッフ転身を伝えるのが申し訳なくて、何度も電話中に躊躇して伝えられませんでした。

だからこそ、この選択が正解だったと思えるよう、日々頑張っています。

このように、自分が好きなように選択できているのは、いつでも帰る場所があると思わせてくれる三人のおかげです。

お父さん、お母さん、いつもありがとう。

ゆい、これからも一緒に親孝行しよう。
 
 
先輩たちが敗退し、自分たちの代が始まるとき、「大変な代で投手ヘッドになったな」的なことを色んな人に言われました。

正直自分も、同じようなことを思っていました。

一つ上の代に比べて、実績も実力もない投手陣、どうやって率いるべきなのか、悩みました。

でも、1人1人が一生懸命で、学年関係なくチームのために動いてくれる選手ばかり、悩む必要のない、素敵な投手陣でした。

この代で投手ヘッドができてよかったです。

あとは勝つだけ。優勝しましょう。
 



体育専門学群 佐藤活樹 宮城県仙台第二高等学校





平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただきありがとうございます。

今年度野手ヘッドコーチを務めさせていただいております、4年柏木爽吾です。




たくさんの4年生の笑いあり、涙ありの秀逸な文章と比べると拙い文章ではありますが、自分の想いを精一杯綴りますので是非ご覧ください
 
あと数ヶ月で14年間の野球生活が終わると思うと非常に寂しく感じると同時に、野球のない生活というものが全く想像できず不安になっています。

それほどまでに僕の人生において野球は大きな存在でした。

野球を通して様々な出会いや経験をすることができ、人としてかなり成長したと思います。

まず、自分の野球人生に関わってくれた方々へ感謝したいです。
 
野球というスポーツに出会わせてくれて、続けさせてくれた家族には本当に感謝しています。

2年の時のサマーリーグで新潟まで来てくれた試合でなんとか野球をしているところを見せることができてよかったです。

選手を辞めてスタッフとなってからも変わらず応援をしてくれたおかげで頑張り切ることができました。ありがとう。
 
そしてここまで指導してくださった指導者の方々、下手くそでとんでもない問題児だった自分に根気強く教えてくださりありがとうございました。

特に、藍住シニアの指導者の方々のおかげで、野球が大好きになりました。

宮崎さんに相談せずにキャッチャーを辞めてしまったことだけが、唯一の後悔です。

でも、キャッチャーを辞めてからも一番好きなポジションはキャッチャーです。

こう思えるのも宮崎さんの指導があったからだと思います。本当にお世話になりました。
 
ここまでは大学とはあまり関係のない話でしたが、ここからは大学野球への想いに関して書いていきたいと思います。
 
私のラストシーズンにかける想いとしては、なんとしてでもリーグ優勝をするという想いだけです。

そう強く思えるようになったのも、部員全員がチームの勝利のために一生懸命になっている姿を見てきたからです。

全体練習が終わってからも何時間も自主練をしている選手。
選手の活躍のために何千、何万とバッピやノックをする学生コーチ。
選手の成長のためにトレーニングやコンディショニングの勉強と実践をしている学生トレーナー。
とんでもなく細かいデータを出してくれるSSD。
チームの円滑な運営のために各方面と連携をとってくれるマネージャー。
練習のサポートや様々なアドバイスをくださる院生スタッフの方々。

細かく語ると説明しきれないような努力を部員全員がチームのためにしてくれていることがヘッドコーチをしていると本当に強く感じることができました。

これだけ全員がチームの勝利のために活動しているチームは他にないと思うし、絶対にこのチームなら優勝できると信じています。

150人全員、チームつくばとして絶対にリーグ優勝しましょう。
 





最後に、個人的な想いを筑波大学で出会った方々に伝えたいです。
 
卒業された先輩方へ

先輩方が創り上げた今の野球部が大好きです。選手時代に指導していただいた方もスタッフになってからお世話になった方も本当に感謝しています。

特に前ヘッドの森口さんには本当にお世話になりました。森口さんのチームに対する想いや考え方に触れることができたことが大きな財産です。ありがとうございました。
 
後輩へ

この1年間は後輩にかなり負担をかけた1年だったと思います。
それでも四年生についてきてくれて、力になってくれてありがとう。

リーグ優勝をするためには、後輩みんなの力が必要です。4年生も必死になってリーグ優勝に突き進むので、後少し力を貸してください。
 
指導者の皆様へ

4年間ご指導・ご鞭撻のほどありがとうございました。特に牧野さんには根気強く指導していただき、本当に感謝しています。

まだまだ練習や運営のことで相談させていただくと思いますので、よろしくお願いします。
 
同期へ

まず、ヘッドとして力不足であった自分に厳しく接してくれる中で、支えてくれて本当にありがとう。みんなが同期でよかったです。

最後までリーダーシップがないと言われ続けてきたけど、リーグ優勝ができるかどうかは4年生にかかっています。

みんながラストブログに書いてきた想いをガンガン出していけば必ず結果はついてきます。

俺らが努力した4年間を信じて全てを出し切りましょう。
 

筑波大学に来てよかった、このメンバーと野球ができて良かったと心から想います。


根性論にはなりますが、最後は気持ち。想いの強さが結果を左右するはずです。

絶対優勝しよう。
 





体育専門学群4年 柏木爽吾
徳島県立徳島北高校

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ラストシーズンに懸ける想い⑱(体育4・吉沢礼士/長野、芸術4・和田尚輝/市川)

2024年08月30日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第18回は吉沢礼士(体育4・長野)と和田尚輝(芸術4・市川)です!
 
 
是非ご覧ください!


お疲れ様です。

学生コーチの吉沢礼士です。



普段あまり自分のことを話さないのでこの場を借りて今までの野球人生を振り返りつつお世話になった方々への感謝の気持ちを述べたいと思います。

思いのほか長くなってしまいました。最後まで読んでいただけると幸いです。


小学1年の冬、兄の背を追い長野南リトルに入りました。

入部当初から全国大会を目指していました。

中1で悲願の全国出場を果たし、目標だった全国での1勝を達成した時はとても嬉しかったです。

また中3でシニアの全国を決めた瞬間もとても興奮したことを覚えています。

中村真也に完封された瞬間は思い出したくないです。


小中では野球の上手い仲間に恵まれましたが
それ以上に一生の友を得ることができました。
これからも仲良くしてください。


高校でも兄の背中を追いかけ県立長野高校に入学。

同期や先輩、後輩にも恵まれ楽しい日々を送ることができました。

特に同期は良いやつばかりで楽しかったです。次の年末こそ飲みに行こう。


休校明けからお世話になった武田先生、小池先生。

もう少し早く出会えていればと何回思ったかわかりません。

あの2ヶ月、本気で野球できたからこそ今の自分がいると思います。

最後の大会を一緒に戦えたことを誇りに思います。


「進学校でも甲子園に行ける」
その言葉を信じて入学しましたが、時間も熱意も何もかも足りていませんでした。

コールド負けで高校野球を終えたものの、野球人生はまだ終われないと思い大学野球を志しました。

そしてまたもや兄の背中を追いかけて筑波を志望。

共通テストで並べ替えの問題を勘で当てたり、二次試験のバスケで最後のシュートが偶然入ったりなどミラクルに次ぐミラクルで合格しました。


入部後、新人練では朝練前に今野と塩田とハウスで打ったことやとにかく声を出したボール回しなどが思い出です。トレで蟻川が吐いていたのも懐かしいです。

CB前の飯塚の一言も面白かったです。

そんなこんなで始まった大学野球生活も先述の通りこれまた兄の背中を追いかける形となりました。

兄はリーグ戦に時々ですが出ていました。

そんな姿に憧れ、自分もリーグ戦に出ることが目標でした。


現実は甘くなかったです。

選手時代を振り返ると今でも苦しかったなと思います。

新人練終盤になると周囲とのレベルの差を少しずつ目の当たりにし、腰痛も重なり少しずつペースダウン。

そして寮生と合流して最初の練習で完全にびびってしまいました。

その日のウエイトの前に傳谷さんと寺原さんに辞めたいと伝えました。

少し考えるように言われ次の日の練習と日立第一高校とのOP戦を欠席しました。

みんなには腰の治療のためと伝えました。

あの時のことは4年間で一番後悔しています。

唯一の同期だけでの試合に出られず、自分だけ置いていかれるような気持ちになりました。

しかし、あの時相談に乗っていただき止めてくれた傳谷さん寺原さんには本当に感謝しています。

傳谷さんをはじめ、選手時代にお世話になったスタッフの方々には感謝とともに申し訳ない気持ちが大きいです。

今こうして学生コーチをしているとプライドの塊のような自分がいかに扱いにくい選手だったかを痛感しています。

Bの紅白戦に呼んでいただいたり天王台で4番を打たせてもらったりなど期待していただけたことが嬉しく、しかしそれに応えられなかったことがとても悔しかったです。

しかし、そんな自分にもたくさんアドバイスをいただき粘り強く向き合っていただきました。本当にありがとうございました。

寺原さんにもたくさんお世話になりました。

オフの朝7時から鳥籠で投げてもらうという、今振り返るととんでもないことをお願いしていました。怪我でたくさんお世話になった他、木村さんともつないでいただき二年間選手としてできたのは寺原さんのおかげです。(就活でもお世話になりました)

ここでトレーナーの木村さんへの感謝も述べたいと思います。

木村さんは自分が1、2年のころ筑波大大学院に所属しており不定期で顔を出しては技術指導やトレーニング指導をしてくださりました。

ハウスで自主練をしていたところたまたま遭遇し、そこから指導していただくようになりましました。

技術向上はもちろん指導を通して色々な先輩方と繋がれたことも嬉しかったです。(最近ご結婚されたそうでおめでとうございます)

たくさんの人の支えがあり、一度はやめようと思った道も2年秋まで突き進むことができました。

そして、筑波でも一世を風靡したあの方とP理論との出会いもあり2年秋の天王台でベストナインをいただき、少しは恩返しできたのではないかと思います。

個人的にはあの天王台で全試合フルイニング出場できたことが何より嬉しかったです。
榊原さんに感謝です。


スタッフミーティングで自分は選手を辞め学生コーチになることを決断しました。

あの時期の感情は複雑すぎて表現することは難しいですが心が動く瞬間がたくさんありました。

当時自分は選手を希望していましたが、様々ありスタッフにならざるを得ない流れになっていました。

ある日の夜中、急に電話がかかって春日四丁目の公園に呼び出されました。

行ってみると現四年マネージャーの3人がいました。
飲み帰りでハイテンションの彼らでしたが、急に真面目になり「礼士が選手やりたいなら応援する」と言ってくれました。

自然と涙が溢れてきました。


その後あらためて考え、そんな仲間のために学生コーチになろうと決めました。


こうして始まった学生コーチとしての日々。

偉大な先輩コーチ陣であった森口さん、榊原さん、古市さんには幾度となくご迷惑とご心配をおかけしました。

それでも自分にCチームを任せていただけたことが素直に嬉しかったです。

そして、この一年は優秀な3年コーチ陣に支えられました。頼もしい限りです。

来年のチームにも期待しています。

他のスタッフとも協力して良いチームを作って欲しいです。

まずはこの秋、もうちょっとの間力を貸してください。

困った時は四年生を頼ってください。ボロボロになるまで働きます。


そして同期の野手コーチ3人
Bヘッドに指名してくれたのに十分な働きができなくてごめん。

他にもたくさん迷惑かけたけど、一番頼りになりました。

常にチームの問題と向き合い続ける仕事できついことばかりだったけど、それぞれが役割を地道に積み上げて少しずつ形になっていると思います。

あとちょっと、選手のために頑張ろう。


あとは後輩のみんなに(いつもBを見ているけどA、Cの選手にも)

まずは感謝を述べさせてください。

いつもありがとう。本当によくやっています。

苦しい中でもよく練習し、プレッシャーの中でよく戦っています。

偉そうなことは言えないけど勇気を持っていろんな人を頼ってください。

特にBCチームの選手。
上手くなりたかったら上手い人と練習してください。

何をすれば良いか分からなかったら学生コーチや川村先生に聞いてください。

苦しいことはみんなそうだし当たり前なのでそこから自分がどう行動するかが大事だと思います。

選手時代の教訓から結局偉そうなことを言いました。みんなの今後の活躍を期待しています。

特に財布の紐が硬いこの僕が奮発した後輩には頑張ってもらいたいです。

ね、岡城くん。

あと同郷の佐野匠。いつも言っていますが僕の分までリーグに出て活躍してください。


最後に同期へ
スタッフミーティングをはじめ苦しいことばかりだったけど
その分、優勝したらとんでもないストーリーになると思います。

だからこそ最後まで苦しんで、苦しんで、最後の最後に神宮で笑って泣こう。

塩、航大、星一郎、飯塚
今が一番大変だと思います。

しかし、みんながグランドとスタンドを「繋ぐ」最後のピースなると思うし、なれると信じています。

残されたチャンスを全力で掴んでください。バッピ、ノックやらせてください。

中西、いつもありがとう。


最後の最後に家族へ
お父さん、お母さん
野球を続けさせてくれてありがとう。

何倍にも恩を返せるような立派な社会人になりたいと思います。

その前に僕のラストシーズンを見届けてください。

兄ちゃん、憧れていたわけではないけど背中を追う人生は悪くなかったです。

次は自分の人生を歩もうと思います。結婚おめでとう。



明日7時から堀江にハウスで投げるのでこの辺にしておきます。


体育専門学群4年 吉沢礼士
県立長野高等学校





こんにちは。

筑波大学硬式野球部4年和田尚輝です。


日頃より筑波大学硬式野球部への温かいご支援・ご声援のほど誠にありがとうございます。


文章を書くのが下手で、現在ヒーヒー言いながら卒論を書いている僕ですが、今回は頑張って書きます。皆さんも頑張ってください。

たとえ最後まで読めなくても、このブログが睡眠の質向上に少しでも貢献できれば本望です。


自分の過去を振り返ってみると、大学初めての試合出場直前に鼻を骨折してみたり、何かするたびに肩を外してみたりと苦い思い出ばかり浮かんできました。

少し落ち込んだので、自分のことについては書きません。

周りの人への感謝をここでは書いていこうと思います。


まず、1番に感謝を伝えたいのは両親です。

1人暮らしを始めて改めて親の凄さに気づきました。

毎日すごい量のご飯を食べさせてくれたり、家に出た虫を退治してくれたりして、当たり前だと思っていたことがとても大変なことなんだと感じました。

仕事をしながら子供3人の面倒を見ていた両親を心から尊敬しています。

本当にありがとうございました。これからもお世話になります。


次に面白みのない僕によく接してくれた先輩方へ。

入部してはじめの頃、いじめられるんじゃないかとビクビクしていた僕に、芸専というだけで面白がって沢山の方々が声をかけてくださいました。

とてもホッとして、良いチームだなと感じたのを覚えています。

寺原さんは何度も怪我をした僕にトレーニングの代替案を考えてくださったり、相談相手になってくださったりと、とてもお世話になりました。

卒業されてからもトレーナーとしてのアドバイスをしていただき、感謝してもしきれません。

僕が学生トレーナーになったのも寺原さんによくしてもらい、寺原さんのようになりたいと思ったからです。本当にありがとうございました。

傳谷さんは新人練の頃から何度も自主練につきあってくださり、嫌な顔ひとつせず何時間もノックを打ち続けてくださいました。

現在自分がノックを打つ立場になって、傳谷さんの凄さと優しさを改めて強く感じています。

僕が選手を引退する決断をした時に1番最初に伝えたのも傳谷さんです。

それくらい信頼していたし、お兄ちゃんのように思っていました。

研究室で傳谷さんのラストノックに行けなかったことだけが心残りです。すみませんでした。

もし傳谷さんのノックをまた受けられる機会があれば絶対に行きます。

トレーナーのもう1人の師匠山﨑さんからは、トレーナーとしての知識のほとんどを学ばせていただきました。

今学生トレーナーとしてなんとかやっていけているのは山﨑さんのおかげです。

山﨑さんといったお寿司の味は一生忘れません。本当にありがとうございました。


ここまで書いて卒論の何倍ものペースでスラスラ書けていることに、自分でも驚いています。

ただ、本当は全員にこのくらい書いていきたいところですが、このペースで書いていくと卒論よりもダラダラと長くなってしまいそうなので、少し抑えめで行きます。

捕球から送球の足運びを教えてくださった松木さん。

暗闇で同級生と勘違いしてタメ口で話したにも関わらず、その後もずっと優しく話しかけてくださった中嶋さん。

守備についてのあらゆることを教えてくださった佐野さんと田辺さん。

環境整美局の初代局長として、いまや大所帯となった環境整美局の礎を築いた川原さん。

怪我人のトレーニングについて色々教えてくださった夏目さん。

自分のくり抜いたバットでリーグでヒットを打った時に、ありがとうといってくれた石毛さん。

これでも全く書き足りませんが、たくさんの先輩方から色々と学ばせていただいて今の僕があります。本当にありがとうございました。

次は後輩たちへ。

学生トレーナーとして足りない部分がたくさんあったと思うし、自分でも何をいってるかわからないようなことも多々あったけどついて来てくれてありがとうございます。

グランド外でもボードゲームやスマブラや麻雀など、僕の趣味に付き合ってくれた人が沢山いてとても感謝しています。 

最近寮生の間でスマブラがプチ流行りしていると堀江君から聞きました。卒論、卒制が落ち着いたら僕もまぜてくれたら嬉しいです。

新人練を一緒に乗り越えた今の2年生は特によく交流してくれてありがたいと思っています。

最近2年生の数名からは変な人と言われることが増えて来た気がしますが、僕は変な人ではありません。

これまでは頼りにならなかったと思うけど、残りの期間で頼りになる先輩になって唸らせてやろうと思います。

あと、うまくいけば大学院生、何もうまくいかなければ大学5年生としてこれからもつくばにいると思います。仲良くしてください。


最後に同級生達へ。

コロナの濃厚接触者になったり、怪我しまくったり、なぜか春C秋Cまで忙しい謎カリキュラムだったりで、練習に参加できないことが多くあり、たくさん迷惑をかけました。

僕が行けない日に代わりに練習に行ってくれた学生トレーナーのみんな、特に水口には沢山迷惑かけました。

僕が芸専でなければ、もっと水口は楽できたでしょうに。

それでも芸術の方も応援してくれる水口は聖人すぎます。ありがとう。

みんなとっても優しくて、芸専であることに理解を持って接してくれたこと本当に感謝しています。

これだけ人数が多くて、これだけつながりの強い組織に属するのは、僕にとってもう人生最後になると思います。

だから残りの期間、このメンバーに出会えた感謝を胸に、精一杯チームのために動いて恩返しをしていきます。

そして、この素晴らしいチームで最後は優勝して、笑顔で大学野球を終わる。

これが僕のラストシーズンへの想いです。


芸術専門学群4年 和田尚輝
市川高校


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ラストシーズンに懸ける想い⑰(体育4・山田航大/東邦、体育4・山辺丈瑠/船橋東)

2024年08月29日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第17回は山田航大(体育4・東邦)と山辺丈瑠(体育4・船橋東)です!
 
 
是非ご覧ください!


こんにちは。


筑波大学4年外野手(元内野手)山田航大です。
 




ラストブログの投稿の順番的に飽きてもう読まない人が出てきている頃でしょう。

正直、投稿のトップバッターやフィニッシュを務める主将とヘッドよりもハードルが下がっていて気が楽です。
 
中学まで成績優秀だった文章力で想いを綴ろうと思います。
 
野球しかしてこなかった人生、17年間共にしてきた野球ともラストシーズンでお別れとなり、寂しい気持ちでいっぱいです。
 
これまでいろいろなチームで野球をやってきた思い出を振り返っても野球をやってきてよかったと思います。

そう思えたのも、全て環境、特に人に恵まれていたからです。
 
指導者、同期、先輩後輩のみなさんお世話になりました。ありがとうございました。

こんなにも多くの人との関係を持たせてくれる野球は最高でした。
 

そして、家族

こんな末っ子わがままな自分をここまで育ててくれてありがとう。

兄は、高校大学受験時期でも練習を手伝ってくれたり、両親は、小学中学では片道30~45分かかるクラブチームに送り迎え、高校大学と県外で野球をする決断に一度も嫌な顔を自分に見せることなく送り出してくれました。(思い出はまだまだありますが、文章が長くなってしますのでまた直接言えたら言います。多分言えませんが、、、)

野球を続けていくほど、自分の中で家族への感謝の気持ちが大きくなっています。

心配性な母、弟好きな兄、父、たくさん迷惑と心配をかけてごめんなさい。

家族のおかげでここまで野球を続けてこられて幸せでした。ありがとう。
 

17年という長い野球人生を振り返るといい思い出、悪い思い出がたくさんあり、「よくここまで続けた」と自分で褒めてやりたいです。
 
兄の影響で5歳の頃から野球を始め、なぜ野球を始めたのか、続けているのか、細かなきっかけは記憶にありません。

気づいたときにはボールとバットを持っていて少年野球チームで練習をしていました。
 
小学中学時代、うまくいくことが大半で選抜や代表にも選ばれたりしていたことから正直にプロ野球選手になれると思っていました。
 
そんな中、高校入学してすぐにプロ野球は無理だと感じさせられました。

プロになる人の打球はすぐにボールが遠くに消えていき、時には150m弾のバックスクリーン越えのホームランを見せつけられます。

世界が違います。
 

高いレベルで野球がしたいという理由で愛知県の東邦高校を選び入学しましたが、初日の練習から技術、体力、精神のなにもかもが予想をはるかに超え、高校を間違えたと思いました。

食らいつく毎日でしたが、1年生の8月に左肩脱臼の手術を行い、秋の大会はただ応援するだけで、甲子園が決まった試合(成沢さんのどん詰まりサヨナラ打)の勝利は喜びと悔しさが入り混じっていました。
 
そこから、リハビリ生活では、甲子園のベンチ入りを目標にしていたことから片手でバッティング練習に入ったり、沖縄の修学旅行も行かず(インフルエンザ)先輩と居残り無理にでも練習をした覚えがあります。
 
その努力が実ったのか、運が良かったのかわかりませんが、甲子園優勝という貴重な経験をさせていただきました。

人生最大の出来事すぎて今でも嘘のようです。
 
当時のことは緊張で9割は覚えていませんが、「甲子園優勝すごいね」と褒められるたび、スカして「たまたま」と言うようにしています。

実は、すごく気分がいいのでもっともっと言ってください。
 




そして、大学時代、
 
どんなにつらくても純粋に野球が好きだった気持ちが、推薦のプレッシャーや期待、思うような結果が出ないことに押しつぶされ、病んだ時期、野球を嫌いになった時期、自分を嫌いになった時期、そんなマイナスな時間が多く流れ、この4年間は個人的にはすごく長く感じました。
 
その中でも、可愛がっていただいた先輩方といるときは心の支えになったし、当たり前のように一緒に生活してきた同期がいたことでここまでやってこれたと思います。

特に、4年の6、7月にB、Cチームでの活動で慕ってくれる後輩たちができたことは自分の中ですごく大きいものになってます。ありがとう。
 

先輩も同期もラストブログに大学時代が一番苦しかったと書いている人が多いと思います。

人それぞれの苦しさがある中でそういう思いをしてきた人が多いからこそ筑波大野球部の強さに繋がっているのではないでしょうか。


自分は、大学で経験したつらさ、苦しさは今となっては貴重な経験だったと胸を張って言えます。
 

いろいろな経験、出会いに触れることができる野球に出会えてよかったです。
 

最後のシーズン、「優勝」で終えましょう。
 
 




体育専門学群4年 山田航大
東邦高等学校





「プライドを捨て、恥をさらすこと」

平素からお世話になっております、筑波大学硬式野球部4年、総局長の山辺丈瑠です。






いつも弊部に温かいご支援をしていただきありがとうございます。

今私はCチームのサポートとして活動しながらこのラストシーズを迎えようとしています。

書こう書こうと思ってもペンが進まず、書いては消したりとそんなことばかりを繰り返していたら、いつしか前日になっていました。森本ごめん🙏


ちなみに本日は、山田と山辺の2本立てでお送りしております。

センバツを優勝した経験を持つ航大の素晴らしいブログを読んで満足している方、まだ余力がありましたこの先をお読みください。

先に言っておきますが、少しばかり私の文章は長いです。


ちなみにこの先一生使わない情報を一つ。

航大とは学年で唯一木村さんという同じ美容師さんに髪を切ってもらってます。(結構最近知りました笑)木村さんには4年間で沢山お世話になり、かっちょいい髪型にしてもらえたり、航大、先輩との仲を深めてもらえました。

普段話す内容と言えばしょうもないことが9割ですが、私にとって居心地の良い場所にもなってます。引退後はパーマとカラーお願いしますね、楽しみにしてます🤲



余談はさておき、15年間続けてきた野球生活があと2か月で終わろうとしています。

喜びも苦しみも全て野球が教えてくれました。


まず一番初めに両親にお礼を言わせてください。

「本当にありがとうございました」

ご存知の通りシャイな性格なので、ありがとうの言葉を直接言えるには時間がかかるかもしれませんが、その点はごめんなさい。

小学生の頃、家の前の花園で毎朝Tバッティングに付き合ってくれた母親。

どんな場所でも車で、笑顔で球場への送り迎えをしてくれた父親。

母親の手料理は、1人暮らしをすると世界一美味しいとわかり、免許をとって初めて父親の運転の安心さに気が付きました。

どんな日でも私のために時間を使ってくれて本当にありがとうございました。

そして姉、家のお金を多く使ってごめんなさい。

お金食い虫はようやく卒業できそうなので、来年からは15年間分一生懸命恩返しをします。

落ち着いたら約10年ぶりの家族旅行もしましょう。


さて私の野球人生ですが、かの有名な最強磯辺シャークスから幕を開けます。

たまたま見学に行ったのがシャークスで本当によかったです。

小学生ではマクドナルド杯に出場。

神宮球場で鼻血を出しながら打席に立ちヒットを打った良い思い出もあります。

中学時代も、2016年度千葉で知らない者はいないであろう磯辺中野球部に所属。

毎練習後みんなと砂浜で走ったこと、砂浜が嫌でバスを何本も遅らせて遠征から帰宅したこと、千葉では一度も負けなかったこと、なんといっても春と夏全国大会に出てベスト8に進出できたことは将来パパになっても話します。

それもこれも全て小池監督という私に野球を教えてくれた恩師のおかげであり、今続けられているのも小中の環境のおかげです。

また花園グランドに遊びに行きます!


高校時代は、船橋東高校で野球に全力を注ぎます。

片道15キロの道のりを自転車で1時間通い、朝自主練も行い、毎日5合のお米も食べました。

勉強は散々ですが、野球はとても打ち込んだと心の底から言えます。

でも当時の自分は、あまり周りが見えてないことも多くありみんなに迷惑をかけたことが沢山あります。(例えば冷蔵庫事件や油谷さん激怒事件など)

ごめんなさい。

それでも康太や智哉、海洋といった素敵な仲間に会えたこと、大坪君という一生なんでも話せるダチに会えたこと、今思えばみんなに助けられてばかりでした。

でも大勢のマリンスタジアムで校歌を歌えたあの瞬間、絶対に忘れません。

船橋東高校を選んでよかったなと思います。みんな早く会おうぜ!


小中共に全国大会出場、高校では4番で副キャプテン。

このちょっとした自信とプライドが私の大学生活では壁になります。

わかってはいたものの、あまりのレベルの高さに圧倒される日々。

プライドの高い私は、下手糞なプレーは見せたくないという思いから、人前で練習することは段々と減っていきます。

南原コーチの言葉を借りるなら「逃げた」わけです。

キャッチボールでは思い通りに投げられないから端っこに行き、気が付けば「イップス」と呼ばれる症状になってました。

一度はまるとやめられないのと同じで、一度投げられなくなるとほとんど投げられません(今では5mもまっすぐいかないくらいです)。

それでも公園やグランドで自主練に付き合ってくれた中西には感謝しかなく、できれば恩返しがしたいです。

たまたま陸上選手のような走り方をしていることから、走りだけは少し通用しましたが、寿命は短く…。


正直に言って大学野球は「楽しくありませんでした」。

私は、執筆している途中、飯塚のラストブログを読んで胸を打たれます。

皆さんは読みましたか?

「ぶれない大切さ」

私はいつしかぶれるようになっていました。

他人の成績を気にし、周りの目を気にし、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。

それもあってか現在地が掴めない中1人露頭に迷い、気がつけば知らない国で1人ポツン状態。

選手を続けていくには精神的に限界になり、私は3年の1月で選手を辞めることになります。

その後も、同期には無駄な心配をかけ、大聖には怒られたりと、散々な行動をとってしまいました。
申し訳ありませんでした。

ただどんな時も笑顔の和田や同じ境遇の坂田、塩などみんなのおかげで少しずつだけ立ち直れました。

また叱ってくれた大聖には心から感謝してます。

ちなみに大聖と行きたい場所ありますのでぜひ笑

色々と相談に乗ってくれたおうすけや中ちゃんにも感謝したいです。

選手を辞めた大学野球。
そんな私のやりがいともなっていたのが、広報活動であり、総局長と言う役職にもついている訳でもあります。

「サヨナラー」と言ってしまい大恥を食らったこともあるライブ配信の実況では、4年間で約50試合担当し、様々な方と知り合うことにつながりました。

さらに招待試合を含めたホームゲームなどでは、今津さんと600人を超えるファンをスタジアムに呼ぶことができ、大学野球の可能性を感じるそんな機会になりました。

大学野球は、高校野球などと比べると、人気がありません。

ただ高校野球よりも遥かに高いレベルで、無数の可能性を持っている。

後輩たちには沢山の野球以外のアクションも起こしてほしいです。

実況の師匠、掛布とかいてかけのさん、そして今津さんお世話になりました。

ちなみに夢も叶えましたよ!!






長々と書いてきました。ごめんなさい。

話すのが好きで、余計な話をしてしまうのは、僕の悪い癖です。


下級生に伝えたいことがあります。

特にCチームのみんなに伝えたいです。

それは「プライドを捨て、恥をさらすこと」です。

就活でも、おそらく恋愛でも、なんでもそうですが、人は自分の弱みを他人に見せた時にぐっと距離が縮まります。

でも恥ずかしいから見せたくありません。
私もそうです。

でも恥をかかないと上手くなりません。

失敗は成功のもとだというけれど、ほんとにそうです。

沢山失敗して怒られて、それで学ぶんです。そうやって這い上がってきた同期を生で見てきました。

私はそれに気が付くのが遅すぎました。

怒られることがどれだけありがたいことなのか、人前で恥をさらすのがどれだけ素敵なことか、それに気が付けたらもっと良い選手に、良い人になれる、そんな気がします。

4年間のほぼ全てをCチームで過ごすことになってしまった私。

まだまだ実現すらできてませんが、それに少しでも気が付くことができたことが、この野球部にきてよかったなと思う一因だということは間違いありません。


ラストシーズンは、目をつぶればあっという間に終わっている気がします。

林や岩山という生意気な後輩、Cチームで苦楽を共にしてきた、有賀、遠嶋、タイラー、石川、加藤大みたいな安心できる後輩にもう会えないと思うとやや寂しいです。

大好きな広報の心配はありません、啓太などできる後輩に任せます。

4年生はもちろん、全部員が楽しかったと思えるような秋になればいいなと感じています。

最後になりますが、野球を通して出会った全ての人に感謝をしたいです。ほんとうにありがとうございました。

今後とも筑波大学硬式野球部の応援とご支援よろしくお願いします。





体育専門学群 4年 
千葉県立船橋東高校 山辺丈瑠
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ラストシーズンに懸ける想い⑯(生物資源4・南原二良/県立浦和)

2024年08月28日 20時00分01秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第16回は南原二良(生物資源4・県立浦和)です!
 
 
是非ご覧ください!



皆さんこんにちは。

南原二良です。





普段はB、Cチームで野手コーチをしており、ライブ配信の実況をやったり応援で前に立ったりもしています。

リーグに出ていない割には顔が広いかなと思います。間違えました。顔がでかいだけでした。

本題に入る前に突然ですが、この「南原二良」という名前が来年からは祖父母と養子縁組を組むにあたり「石井二良」となります。

複雑な事情とかではないので「みなみはら」、「いしい」、「じろう」と好きな呼び方で呼んでください。

ラストブログはふざけようかなと思いましたが、古賀君の「そういうのは冷めます」という言葉を思い出したので、まじめに書きます。

僕は小さなころからほとんど変わっていません。野球以外は適当で野球だけ頑張っています。

小2の冬に兄の影響で野球を始めました。

小学生の頃はすべての試合がコールド負けでしたが楽しかった記憶しかありません。

中学では監督さんにいっぱいの愛を注いでいただき、野球と生きるのがうまくなりました。

高校では投げすぎで肩を壊したり、ラグビーで足首を怪我したり、数学進路室で野球談議をしたり、十数年ぶりに県大会に出場したりと忘れられない思い出がたくさんでいっぱいです。

高校までの野球を通して多くの友人に出会いました。

海馬並みに遊戯王カードを持つ安野君(実力はインセクター羽蛾)、「下ネタの父」清野君、シンガーソングライターのたけし君などなど紹介しきれません。

高校まで野球が楽しかったのは友達のおかげです。

大学まで野球をやりたいと思えました。
ありがとう。

大学時代の思い出は2年の春先から書きます。

やるしかないんだよ。

言わずと知れた松尾君の名言です。

僕と松尾は2年の春先、Cチームで活動していました。

その頃のCチームの2年は完全に腐っていました。

やる気はなく、飲み会を楽しみにし、みんなでもうやめようとさえ話していました。

その中で唯一頑張っていたのは松尾です。

チームの誰よりも練習をし、オフ明けのトライアウトで結果を残し、Aチームへ昇格していきました。

腐っていた僕には必死になって結果を残す松尾がかっこよく見えました。

必死になれることが羨ましかったです。

腐っていた自分を恥じました。

それからはそれなりに練習をしたと思います。

それまで肩が痛くて守備をしていませんでしたが、打席をもらうため守るようになりました。

バットはチームの誰よりも振ったと思います。

「やるしかないんだよ」だけで頑張りました。

そのおかげもあり、オープン戦、天王台、新人戦と結果を残せました。

松尾、本当にありがとう。


うまくいき始めた矢先にやってきたのがスタッフミーティングです。選手を続けるか、スタッフになるかを選ばなければなりませんでした。

選ぶと言っても誰かが選手を続けるということは他の誰かがスタッフになるということを意味し、単純なものではありません。

悩んだ挙句、スタッフを選びました。

後悔していた時期もありましたが、スタッフをやって良かったと思うことが大きく2つありました。

1つ目は、結果を気にせず野球と向き合えたことです。

同期や後輩の練習に付き合うことで沢山の気づきを得られました。

他人をうまくさせるのは難しく根気がいりますが、その分学びも多く、自分の野球観や技術も向上しました。(選手で今悩んでいる人は参考にしてください。)


2つ目はチームへの愛が生まれたことです。

正直に言うと、2年までは筑波に所属している感覚がなく、チームへの愛などまったくありませんでした。

しかし、4年でBCチームのヘッドコーチをやるようになり、責任感が生まれ、その責任感が筑波への愛へと変わっていきました。

本当にスタッフをやって良かったと思います。

この2つとも「やるしかないんだよ」と思ってからの出来事です

どうせスタッフになったんなら一人でも多くうまくする、代わりがいないなら俺がやる自分に言い聞かせ始めてからうまくいくようになりました。

結局選手時代もスタッフ時代も腹を決めてから何事もうまくいくようになりました。

理論派と思われがちですが、精神論派です。

恥ずかしく感じる人もいるかもしれませんが、パフォーマンスでも自分をだましてでも本気になってみてください。

この秋も全員が腹を決めて本気になれば優勝できると思っています。

ついてきてください。


「やるしかないんだよ」






同期へ

ほかのみんなと同様、この代でなければ最後までやり切れなかったと思います。

楽しい4年間でした。

特にいつも飯塚の家でパーティーをしたメンバーには助けられました。

これから卒業までいっぱい遊びつくしましょう。

友達がやるからやるみたいなメンバーが多く、一見弱そうですが、誰かが頑張りだしたらみんな頑張ります。

これまでリーダーシップがないとかいっぱい言われてきましたが、逆手にとって最強の代になって見せましょう。

妥協せず、走り切りましょう。

最後は笑って飯塚の家で桐の葉を歌いましょう。
 

菅原へ

浦和高校の後輩であることはまだ認めていません。

もっと練習をしなさい。

素質はあるので努力でどうにかしなさい。

女の子に国家権力をちらつかせる前にやることがあるはずです。

あと、教師になって浦高を甲子園に連れて行ってください。

甲子園で浦和高校校歌や第一応援歌「八重雲起こる」を歌えることを楽しみにしておきます。

ラグビーやろうぜ!!浦高魂。
 
 
家族に正面で感謝を伝えるのは恥ずかしいのでここで長めに書きます。

まずは兄。

結婚と就職おめでとう。

去年より生活が楽しそうでなによりです。

浦高や筑波に合格できたのは間違いなく兄のおかげです。

ありがとう。


次に姉。

3人の中で一番自由で生きるのがうまいです。

僕がオーバーヒートせずに生きてこられたのは姉のおかげです。

ありがとう。


次に、母方の祖父母。

幼稚園、小学校と祖父母の家から通っていました。いろいろ迷惑をかけていた記憶があります。

忘れてはいけないのは浪人時代です。半分家出していた僕の面倒を見てくれました。

二人のおかげで筑波大学に合格できたと言っても過言ではありません。本当にありがとうございました。

そんな二人の苗字をもらえることは大変光栄です。

これまで以上に精一杯生きていきたいと思います。

これからも健康に楽しく長生きしてください。

最後に両親、兄弟3人の中で一番手のかかる子供でした。

言うことは聞かず、目を離したら交通事故に遭い、当然かのように浪人する、二人が心配するようなことしかしていません。

謝ります。ごめんなさい。

また、二人が野球をやっている僕を心から応援し、楽しみにしていてくれたことは感じていました。

選手をやめる際に何も相談しなかったことを後悔しています。

選手をやめたことを伝えた時の声は忘れられません。人生一番の心残りです。

スタッフになった後も最後まで応援してくれありがとう。野球部を辞めずに最後までやり切れました。

これからも多くの迷惑をかけるとは思いますが、よろしくお願いします。

仕送りが増えると幸いです。


(榊原さん、本編で紹介できず申し訳ありません。これまでしていただいたたくさんの御恩は字数の関係上書ききれません。今度つくばにお越しになる際はご連絡ください。焼肉とマックとスタバを予約しておきます。ありがとうございました。)






生命環境学群生物資源学類 南原二良 埼玉県立浦和高等学校

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ラストシーズンに懸ける想い⑮(体育4・水口耕平/宮崎大宮)

2024年08月28日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第15回は水口耕平(体育4・宮崎大宮)です!
 
 
是非ご覧ください!

長いようであっという間だった大学野球4年間が終わろうとしており、まだどこか実感のないまま書き始めたのですが、大学時代を振り返っていきたいと思います。


私は2年の浪人を経て筑波大学に入学しました。

大学4年間は「2浪」という単語がどこに行ってもついてきたような気がします。

入学当時、まだ2浪ということが硬式野球部内に広まりきっていなかった時に3年生だった洲崎さんが同級生ということも知らずに年下の後輩だと思い接してきて「お前なんかかわいいな」って言われた時は気まずさで2浪って言い出しづらかったのを思い出します。

最初は2浪ということがトラブルの元になったり、周りに気を遣わせてしまうのではないか、友達はできないんじゃないかなどの不安がありました。

しかし仲間に恵まれて今では全く2浪ということを忘れるくらい気兼ねなくコミュニケーションを取ることができています。

いつもありがとう。

大学生活を振り返り特に財産と言える2つの経験があります。

一つ目がリーグ戦の出場です。

2年生の時の春リーグではAチームがコロナのクラスターで試合に出場できない時期があり、Bチームが代わりに出場をしました。

私はBチームに所属しておりベンチ入りの連絡が来た時、代打で出られればいいやくらいの感覚でおり、次の日ホワイトボードを見たら4番DHに自分の名前があり、全く心の準備をしていなかったので冷や汗と吐き気が止まらなくなったを覚えています。

試合は負けてしまいましたが、その当時のリーグ戦でMVPだった岩本からもヒットを打ち4打数2安打で打率5割の結果を残すことができました。

その後試合に出る機会はなかったのかって?

実は東海大戦の最終打席にライト前を打って、打球が良すぎたせいかライドゴロになりかけて、慌てて走ったところ全治3ヶ月の肉離れをしてしまい2度とリーグに絡むことはできませんでした笑。

リーグ戦を実際に経験してとても魅力的な場所だと肌で感じることができ、リーグを目指すことの価値を改めて感じることができたし、もう一度あの場所で野球をしたいと思うことができたいい経験でした。

球歴.comのリーグ戦打率5割というページはなんかおもしろいので少しお気に入りです。


二つ目はスタッフミーティングです。

私は最初選手を希望していました。

しかし話し合いを続ける中で、自分がよりチームのために戦力になれる場所はトレーナーではないのかということを考え選手を辞める決断をしました。

スタッフミーティング期間中は全然記憶がないくらいきつい期間でした。

ジムでトレーニングしてた時に絶対俺は選手しかやらない、選手じゃなければ辞めると豪語していた南原がスタッフミーティングで涙ながらに野手コーチになると言ったときは、本当にこころにグッとくるものがあったし自分はあの言葉があったから今のチームがあるんじゃないかと思うくらい大きなものであったと思っています。

ありがとう。

こんなに人とぶつかることもこの先ないだろと思うくらい辛かったし、もう2度とやりたくないスタッフミーティングがあったからこそチームのために頑張ろうという気持ち、この学年のためならやってやるという気持ちが芽生えたと思います。

またトレーナーとして活動するということをきっかけに将来プロのトレーナーになりたいという夢を抱いたので自分の人生には大きな財産となったと思います。

大学4年間は本当に濃いものでありました。

大学野球の思い出なんて語ろうと思えば、死ぬほどたくさんあります。

夜中1人で置きティーをしていたら外国人の2人組のお姉さんがお酒を片手に野球場のベンチに腰掛けてジロジロ見てきて、自分が打つたびに成功したらフゥーみたいな声をあげられて、失敗したらブーイングされたみたいな変な体験から、高校生にトスを投げたら目にボールを当てられて大怪我したり、楽しいものから辛いものまで本当に沢山の経験をさせていただきました。

どの経験も自分にとっては大切な財産です。

長かった大学野球もあと少しで終わってしまいます。正直少し寂しいです。


最後にお世話になった人たちにお礼を申し上げたいと思います。

まず初めに卒業された先輩方、不甲斐ない自分でしたが厳しくも温かいご指導をどうもありがとうございました。

特に自分が選手を続けるために結果を求めて焦っていた時期にたくさんバッピを投げていただいた古市さんやまひろさん、結果が出ないのに少しでもチャンスを与えようとしてくださった傳谷さんや洲崎さん、トレーニングの相談をたくさん聞いてくださった寺原さんには感謝をしています。

またトレーナーになってから面倒を見てくださったおのちゃん、篤樹さん、山﨑さんにもたくさんお世話になりました。

ありがとうございました。


次に後輩、かなり年上の自分だけど、気軽に話しかけてくれてありがとう。

カラオケ行きましょって誘ってくれる岡城や松永、いつも下世話な話で盛り上がってる田代、飲み行きましょって誘ってくれるけど一回も行けてない遠嶋(絶対に今度行こう)他にも沢山の気のいい、かわいい後輩たちに恵まれて本当に幸せです。

いつもありがとう。


次に同期の4年生、遅刻をしてしまったり粗相をしてしまったりなど、迷惑をかけることが多かったと思います。

大変申し訳ありません。

仲間だからと容赦はせずにいうときは厳しく言い合えるそんな筑波大の同期が大好きです。

自分がメンタルが落ち込みそうな時も相談に乗ってくれたり、隠し事はせずになんでも話せる信頼できる仲間に巡り会えて本当に良かったと思います。

いつもありがとう。


次に指導者の皆様、いつも私たちのご指導ご鞭撻の程ありがとうございます。

未熟者の私でしたが、皆様のおかげで4年間成長することができたと思っています。

本当にありがとうございました。


最後に両親、2浪までして大学に入れてくれて、野球を続けさせてくれて本当にありがとう。

大学でプレーしている姿をできれば見せてあげたかったというのが、私の唯一の心残りです。

大学で親元を離れてから改めて気付かされたのは自分は1人で成長してきたような気がしてたけど、そうではなかったのだということを強く感じされられました。

私は土壇場でやらかしたりすることが多かったり、運が悪いと思うことが自分では多いですが、人に恵まれているという点に関しては運がいいと思っています。

大学でも沢山の人に支えられて4年間続けることができました。

それも全て周りの人に助けてもらえる人間になるために、人としての道を示し続けてくれた両親の教えがあったからだと思っています。

本当にありがとうございました。

これからは大人として自立し、夢を叶え恩返しができるように頑張りたいと思います。

とりあえずあと2ヶ月と少し最後まで応援とご支援をいただけると幸いです。


大学野球を振り返ると総じて楽しかったというのが正直な感想です。

あとは最後のリーグ戦優勝で終えることが自分のやり残したことのような気がしています。

最後にこっからラストスパート!

いくらでもジャグ作るし、ノック打つのでどんどん誘ってください!

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!


水口耕平 体育専門学群 宮崎大宮高等学校

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ラストシーズンに懸ける想い⑭(体育4・松尾悠生/西南学院)

2024年08月27日 20時01分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第13回は松尾悠生(体育4・西南学院)です。
 
 
是非ご覧ください!


こんにちは。妥協という言葉が大嫌いな松尾悠生です。
※この文章も妥協してません。先に言っておきます、ちょい長いです。





自分らしく、一生懸命、書きました。ぜひご覧ください。


高3の夏、この日に合格を勝ち取るんだと意気込んで参加した高校生練習会。

アップでヘッドバックをしてみたり一人だけ声を出して試合の動きでキャッチボールをしてみたり川村先生へ猛アピールをしましたが、その努力も空しく現役では筑波大学不合格となってしまいました。


ステップアンドステップ(NIZI U)の歌詞を聞いて風呂の中で泣いていたくらいに追い込まれていた浪人生活を乗り越えやっとの思いで筑波大学に入学します。




新人練。
初日、傳谷さんに「今日キャプテンをやりたいやつはいるか」と聞かれ自分がコンマ何秒手を挙げるか迷ったその一瞬の隙に「はい!」と手を挙げた笹原に感服し師匠と言っていたこと、自分の野球ノートを小田切と大聖に勝手に見られ小馬鹿にされたこと、平砂風呂でみんなと語り合ったことも今思うと懐かしい思い出です。


大学1年のころは基本CかBチームにいました。

早くリーグメンバーに選ばれたいと思い、毎日多目でノックを受けていました。

「松尾はグラウンドに住んでるのか」と誰かに聞かれたこともあります。

特に天王台後に2時間以上ノックを打っていただいた洲崎さん野条さん尾上さん、大変だったと思いますがありがとうございました。

僕の原点はこの多目的ノックだと思っています。

ちょうどアパートを探していた頃、C野手の練習後に監督に呼ばれ「松尾、寮はどうだ」と言われた時は僕の名前を覚えててくれたんだとそっちがうれしかった記憶があります。

まぁ、ここから怒涛の寮生活が始まるんですけどね、、、。寮に入って良かった。




大学2年生では、両肩を怪我し右肩を附属病院、左肩をいちはら病院で肩ごとに病院を変えて診てもらっていたことも良い思い出です。

415も経験しました。

僕的にはその晩隼瀬に風呂場でポール(洗剤)に水をぶっかけられて、なんでこいつにいちいち切れてしまったんだという後悔から脱衣所で男泣きしたことの方が印象的です。今では仲良いです。


なんといっても運命のトライアウトは僕の野球人生を変えてくれました。

やってきたことがつながった瞬間でした。

ちなみに通算トライアウト打率は5割を超えてます。

初リーグではベンチの仕事をやらな過ぎて真也が注意してくれました。ありがとう。

あの頃は、視野が狭くなってしまっていました。今でもたまにそうなることがあるので教えてくれると助かります。


大学3年生では、たくさん試合に出させていただきました。

秋の城西戦のタイブレークでルーティーン(屈伸)が長すぎてそれが終わるころにはボールがミットに納まっていたことは反省です。

寮生活も慣れてきて友達も増えました。

塩の部屋に集まって意味もないことを久米とか蟻川とかと喋り明かしたあの時間は宝物です。(結局、とがりメタモンが人類で最強なんだっけ?)



大学4年生では、最上級生となり可愛い後輩が増えました。

試合前、僕が精神統一している最中に茶々を入れてくるS横投げ投手。

たぶん僕を同期だと勘違いしているK俊足外野手。

ことあるごとに反省会をしましょうとツオ飯に誘ってくれるいつもの二人。

僕の面白い話を最近笑ってくれるようになったM皆のお手本内野手。

トレーナーメニューで変な気持ちにさせてくれるO超人外野手。

頼りになるYネオス。

あげだすときりがありませんが、みんな可愛い後輩です。

縦割り班長として縦のつながりを作れるようなイベントをもっと開催したかったですが、見る感じ1から4年生の距離感も近くつなぐ飯の効果があったのかなと思っています。

縦割り班長いるいらない論争も巻き起こっていますが結論いりますので来年も誰かが引き継いでくれることを願っています。




ここまで楽しかった思い出などを書きましたが、ひとつ一番辛かった2春の話をします。

僕は、1度本気で野球部を辞めようと考えたことがあります。

これまで野球をやってきてそう思ったのはこれが最初で最後です。


理由はモチベーションがゼロになったことで、それまでの過程は話す必要はないと思うので割愛しますが、親にも辞めると言っていました。

そんな中で辞めずに野球部に残った理由は、2つあります。

1つは当時C野手でともに活動していた大聖と筑波山温泉に行って愚痴を聞いてもらったこと、2つ目はその年の春リーグ、コロナで出られなかったA野手の代わりに出場したB野手の同期の活躍です。

一つ目に関しては、自分の性格上気持ちを溜め込みがちだったのですが溜めていた思いをすべて大聖に打ち明けました。

これがその当時の自分にとってどれだけ気持ちが楽になったか。帰りの車内で聞いた「これだけで十分なのに(BASI)」という曲も当時の自分に刺さりまくってずっと聞いていました。

本当にきつくなったときは聞いてみてください。

大聖には感謝をしています。「松尾まだ寮でいじめられてるの」と聞いてきますが何度も言うけど一度もいじめられてないよ。


二つ目に関しては、これまで一緒のカテゴリーで練習していた同期があの憧れのリーグ戦に出場したことです。

東海大相手に接戦を繰り広げている中継を見て僕の心の奥底に眠っていた悔しい、うらやましい、頑張れという思いがこみ上げてきました。

特に小田切や竜波の努力を直接見ていたからこそ、それに刺激を受けてもう一度僕もリーグ目指して頑張ろうと思うことができました。

二人には様々な「刺激」を与えられました。


この時期は、本当につらかったですがこの経験がその後の運命のトライアウトにもつながりました。また、同期の存在の大切さも感じることができました。



ラストシーズンに向けて

僕のやるべきことは、自分の与えられた役割を死ぬ気でやり抜くということです。

今年は、主力で出場する4年生が少なく後輩に対して多くの負担をかけてしまいます。

4年生がカバーできる範囲が本当に狭いです。

僕の役割なんてその中でも小さなものだと自分でも理解しています。

ベンチワークや声出し、練習中の盛り上げなど誰でもやれることは精一杯やります。それも僕の大切な役割の一つなので。

ベンチでの時間が多いとは思いますが最後まで声を出して後ろからにはなるけど後輩の背中を支えられるよう役割を最後までやり抜きます。



同期に向けて

航大も言ってたけど最後は絶対気持ち。

勝ちたいという気持ちがおのずと自分のやるべきことに導いてくれるから、それを前面に出す。

やるという強い気持ち。モチベーションとか関係ない。

やるかやらないか。みんなでやろう。








最後に感謝を伝えたい人が結構いるので伝えさせてください

監督
下手くそな僕を使い続けてくださりありがとうございました。打席に向かう前に「松尾に任せた」と言ってくださるので僕もそれに応えたいという気持ちでプレーしています。必ずやり切ってみせます。


牧野さん
牧野さんがいなければチームは崩壊していたんじゃないかと思うほど牧野さんには大きく支えていただきました。牧野さんのチームのための行動は4年生になって気づかされる部分も大きかったです。ありがとうございます。腰痛には気をつけてノックを打ってください。


東條さん
東條さんのおかげで野球がとても楽しくなりした。東條さんの存在が野球をもっとうまくなりたいと思える原動力になりました。ありがとうございました。


中原先生
筑波大学を目指すきっかけを与えていただきありがとうございました。また積もる話は帰省した時に話します。いいネタは入ってます。




先輩方
僕の野球人生に対して真剣に向き合っていただき、スタッフの方々にはたくさん自主練にも付き合っていただき、野球以外の話も聞いていただいた方もいます。
西浦さん、生島さんには特に仲良くしてくださって、一緒に野球できて本当に楽しかったです。
みなさん本当にありがとうございました。




永戸
永戸の結果へのこだわりは尊敬してる。誰よりも練習にこだわりチームの結果にこだわり、そういった態度に絶対に勝たなければと引き寄せられてます。自分の結果も残さなければならないというプレッシャーもあったと思うけど一番きつい立場を全うしてくれてありがとう。また映画にでも行きましょう。






スタッフの方々
柏木はじめスタッフの皆さん日頃から選手を支えてくれてありがとうございます。僕のバント練習や守備練習にも嫌な顔一つせず付き合ってくれてありがとう。良い練習ができて自分の技術が向上しているのも手伝ってくれるスタッフのおかげです。4年生になって裏の動きが見え始めてどれだけスタッフが裏で動いてくれているのかを知りました。時間を割いてくれてありがとう。

SSDには僕のような選手に対してもリーグの対策をしてくれてありがとうございます。リーグの対策をしたことがある人は分かると思いますが、結果を出すうえでSSDの情報は欠かせません。僕なんか1つの打席のために何度もSSDに助けを求めました。頼りにしています。


修ママ、パパ、呼子ばあちゃん、じいちゃん
遠くからいつも応援をしてくれてありがとう。お小遣いはいつも野球用品にあててます。あまりリーグの中継に映ることはないけど輝く姿を少しでも見せられるよう頑張るから見といてね!




家族
1度の人生、松尾家に生まれて良かったと松尾悠生になれて良かったと心の底から思えています。


父に対して
2年のシーズン後、選手を辞めるか迷った時は筑波まで来てくれて話を聞いてくれてありがとう。二人で話した時間がなければ違った選択もあったかもしれません。態度にはあまり出さないけど自分に向き合ってくれる姿で愛を感じてます。ありがとう。


母に対して
たまに電話して些細な話でも後から長文のラインでアドバイスしてくれてありがとう。「了解」としか返してないけど全部ちゃんと読んで受け止めてます。底なしのポジティブさも元気をもらってます。あと、ちょっと天然なのもなかなかおもろいです。浪人中、神社に通って色んな神様に挨拶してくれてたこととかたまにいじるけど感謝してます。ありがとう。


けいすけ
大好きです。金に困ったら頼りなさい。


みさき
国立を受けなさい。




もう思い残すことはありません。後悔のないようにやり切ります。


野球最高!


最後もやるしかないんだよ







体育専門学群 松尾悠生
西南学院高等学校

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ラストシーズンに懸ける想い⑬(体育4・藤代稜之/長田)

2024年08月27日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第13回は藤代稜之(体育4・長田)です。
 
 
是非ご覧ください!



こんにちは。4年の藤代稜之です。






日頃より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援とご声援をいただき、誠にありがとうございます。

これから始まる秋季リーグ戦、そして今後の野球部へのご支援とご声援のほどよろしくお願いいたします。


あと数ヶ月で16年間続けてきた野球に終止符を打つということで、今までの振り返りとこれから始まるラストシーズンへの自分なりの思いを綴らせていただきます。

私の次が松尾ということもあり、部の皆はそちらの方が気になるかもしれませんが、紆余曲折の私の野球人生とラストシーズンへかける全ての思いをここにぶつけますので、少し長くなりますが、読んでください。


小学校1年生の冬に私の野球人生が始まりました。

当時、高身長高重量だった私に友人が「お前、野球やったらキャッチャーしか出来ひんな!」と誘いなのか蔑んだだけなのかわからない言葉で野球というものを知ったことがきっかけでした(これを言ってきた人とは今でも仲良しです)。

自慢ではありませんが、小学校通算打率は脅威の7割を超え、あの西武ライオンズ栗山巧選手に褒められたスイングで、所属していたチームを創部初の全市3位へと導き、地元ではそこそこ有名な選手になりました。

コーチ陣からジュニア選抜受けてみろと言われ、外で野球をするのはどうかなどの誘いを受けますが、これだけ成績を残した私の心中は「お金かかるしな〜なんで野球ってこんなにお金かかるんやろ。お金出してくれたらいくねんけどな〜」なんか大人ぶってる痛いやつですね。

一見親からしたら、なんてできた息子と思うかもしれませんが、なんやかんや好きで始めた野球なのに、そこで本気で野球で高みを目指したい!と思って行動していたら今どうなっていたんだろうと今でも考えます。

そして、中学校の軟式野球部に入部します。ここが私の野球人生の転機です。

私が最も尊敬している先生に出逢います。そして、13歳の未熟なガキに本気でプロを目指す気概を持たせてくれました。

中学の同期がこれを読んでいるかは分かりませんが、私藤代稜之は、3年間本気でプロを目指していたんです。

おそらく誰も知らないと思います。

全く無名の中学校の軟式野球部のやつがプロ野球選手を目指しているなんて、恥ずかしくて言えませんでした。

じゃあ野球で進路を選べよ、勉強なんかしてないでもっと野球しろよって思いますよね。


はい、ちょっと後悔しています。

あの時、「俺は野球で飯を食っていく!俺には野球しかないんや!」と言っていたらどうなっていたんだろうと今でも考えます。

当時の私は、野球と勉強とを何度も何度も天秤にかけましたが、絶対にどちらかに傾くことはなく、釣り合っている状態でした。

結局、野球も勉強も頑張りたいという思いから、野球での進学は諦め、県内トップクラス学力を誇る長田高校に進学することになります。
 

正直にいうと、高校はあまり面白くなかったです。

というか一瞬すぎて何も覚えていません。

周りは入学した瞬間から勉強に人生を捧げ、四六時中参考書と向き合っているような人で心を折られ、定期テストで東大や京大の問題ばかりを出してくる数学の先生に心をおられ、時間と労力をかけて培った学力であった私の頭では全く歯が立ちませんでした。

勉強も本気で頑張りたいと思って入学を試みましたが、頑張るよりも耐える方が近かったです。


さて、野球ですが、不完全燃焼で終わりました。

全く勝てない代であったのは、自分が空回りしてしまったからではないかと思っています。






ここまで、自分が思ったように個人成績を残すことができ、下級生からレギュラーとして出場することが多く、順風満帆な野球人生を送っていました。大学進学先を決める際は、野球をしたいという想いから選択し、当時の高校の監督と部長がOBであったことから、筑波大学を目指しました。

しかし、最後の試合で3打席連続三振、コールド負けという最悪の終わり方をした反動で全く勉強に手がつかず、気づいた時には周りとの差が広がり、1年目はあっけなく不合格。

教師志望でもあったので、後期受験で教育大学を受け、合格をしたのですが、筑波に行きたいという想いが消えていませんでした。

親は浪人を反対しており、ここまでたくさんの支えをしてもらったので、教育大学の方へ進学すると気持ちが傾いているところに一言

「迷っているのであればもう1度受けるべき。筑波は本当にいいところだぞ」

高校の監督でした。

親に頭を下げ、もう1度筑波大学を受験し、2年目にして合格。憧れの筑波大学へ進学することになります。
 
話が長すぎますね。ごめんなさい。

でも、話をまとめて伝えたりするのが少し苦手なので許してください。もう少しお付き合いを、、、
 

大学4年間を振り返ると、来てよかった、これに尽きます。

全国津々浦々から野球がしたいと集まり、リーグ優勝・日本一を目指す。環境や時間が限られている中、自分たちで工夫して練習する。

そして結果を残す。

筑波の人にしかできないことだなとつくづく思っていました。と同時に自分の野球の実力の限界を痛感しました。

リーグ戦に出場はできたものの、大した結果も残すことができず、、。

キャッチャーで入部しましたが、今では最もホームベースから遠い外野手で奮闘中。

思い描いたものとは全く異なります。

高校まで培ってきた野球のプライドというものを全て捨てて今まで戦ってきました。

進学校からやってきた人たちが少しでも活躍するための方向性を示せたらなと思い、後輩などには声をかけてきたつもりです。

また、人の想いの重さを感じました。

自分は人の想いを軽んじていました。

スタッフになってくれた人、自分に期待をしてくれた人に対して謝りたいと共に、自分のこれからをみてください。皆のためにも絶対に勝ちます。


 
つらつらと私の野球人生を綴ってきましたが、たらればがほんとに多い人生でした。

あの時、もっと高みを目指して野球をすればよかった小学生。

本気でプロを目指し、進路等も全て野球を中心にすれば今はどうなっていたかと少し後悔している中学生。

引退が決まった瞬間から勉強に切り替えていたら現役で受かったかもしれなかった高校生。

しかし、その時その時に思ったことが正解だと思って選択をしてきたので、今の自分がいることをすごく幸せに思います。

後悔していないと言ったら嘘になりますが、過去に自信を持ってこれからも過ごそうと思っています。

生きていて後悔しないなんて無理です。

しかし、過ぎ去った過去を否定しなくていいのではないでしょうか。

自分が良いと思ってやってきたことに自信を持っていいのではないでしょうか。

これが私の野球人生を通して伝えたかったことです。内容ぐちゃぐちゃですみません。
 

こんなにも紆余曲折な野球人生を折れる事なく最後までやり抜くことができたのは、紛れもなく両親、後輩、同期のおかげです。
 

両親へ。

普段から感謝を伝えているつもりではありますが、この場でも伝えさせてください。

野球しかないと言ったり、勉強も頑張りたいと言ったり、浪人反対を押し切ったり、欲しいものがたくさんあったり、、、自由な息子でごめんなさい。

何不自由なく過ごさせてくれて本当にありがとう。

家に帰れば、母の大好きなご飯が食べれて、あまりしゃべらないけど父とお酒を飲めて、毎度の帰省が最高でした。

少し遠い地ではありますが、画面越しでもいいので、自分の最後の野球姿を見てください。今まで本当にありがとう。
 

同期へ。

ラストシーズンに向けて、自分が人生で1番大切にしている言葉を送ります。

「綺麗な花になるよりも、その花を咲かせる土になれ」

試合に出ている人が少なく、ラストシーズンは裏側で支える人が多いと思います。

最後の最後までチームが勝てるように支えよう。

自分たちの代で必死にチームのために戦ってくれるメンバーを花にしよう。

4年間苦楽を共にしてきた自分たちなら栄養満点の土になれると思います。


そして何よりも、リーグ優勝して、涼世、爽吾を胴上げしよう。


皆で笑って神宮で引退しよう。


後輩へ。

君たちが大好きです。

鬱陶しいほど関わろうとしてたと思います。

これも君たちに力を貸して欲しいから。活躍して欲しいから。不甲斐ない4年生でごめん。

でも、4年生は本当にリーグ優勝したいと思っています。優勝のために力を貸してください。一緒にリーグ優勝の景色を見よう。

堀江。絶対にプロ行けよ。太一。これからもよろしく。2人にはたくさん貢ぎました。


本当に長くなって申し訳ございません。ここまで読んでくださってありがとうございました。

自分はリーグ優勝のために全てを賭けて戦います。その姿を見せます。皆で掴み取ろう、リーグ優勝。

よし、練習練習っと。






藤代稜之 体育専門学群 兵庫県立長田高校


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ラストシーズンに懸ける想い⑫(物理4・濱田朝晃/山形東、地球4・廣瀬健大/小山台)

2024年08月26日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第12回は濱田朝晃(物理4・山形東)と廣瀬健大(地球4・小山台)です。
 
 
是非ご覧ください!




こんにちは。

4年投手コーチの濱田朝晃です。






平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
 

「丸くなるな、星になれ。」


今年の正月に箱根駅伝か何かを見ていて、うわ〜、なんかかっこいい〜。と思っていたら、練習始めの波戸コーチの挨拶でこの言葉が出てきて、うわ〜〜〜!ってなりました。

僕は結構この言葉が好きです。個性を出せ、他の誰でもない自分になれ、というようなメッセージが感じられて、背中を押してくれる気がします。


川村監督がつい最近のミーティングで、
「筑波の野球部にはストーリーがある。」
とおっしゃっていましたが、実は夜空に輝いている一つひとつの星たちにもそれぞれのストーリーがあります。

星は、生まれたときの大きさや質量、周りの環境によって、その後の生き方、死に方に大きな違いが生まれます。

生まれたときの質量が小さく、その後も小さいまま最期を迎える星、一度は大きくなるものの、最期は収縮してしまう星、どんどん成長し、最期は華々しく爆発を起こす星など、星たちにも様々なストーリーがあります。


野球部に当てはめてみると、4年間ずっと苦しい思いをしながらも、努力を続けてきた人、スタッフになると決意をし、裏方として最期を迎える人、リーグで活躍し華々しく最期を迎える人など、部員一人ひとりにそれぞれのストーリーがあると思います。

最期は華々しく活躍して終わるのが、一番気持ちがいいのかもしれませんが、全員がそうはならないということはスポーツの定めです。

ただ、星は例外なく燃え尽きて最期を迎えます。

僕を含め、全員であがいて、もがいて、燃え尽きて最期を迎えたいです。

ただ、野球部としては、最期は華々しく大きな爆発を起こしたいです。
 

急に星の話をして「何ゆってんだこいつ」と思っている方もいると思いますが、僕は現在、物理学類の宇宙観測研究室に所属しているので、星の話をしたくなってしまいました、すみません。

野球部では珍しい物理学類に所属していますが、筑波大学に進学しようと考えた理由は、JAXAが近くにあって宇宙の勉強ができそう!という単純なもので、高校1年生の頃から筑波大学を志望していました。

そして、大学でも野球を続けようと考えたのは、やはりコロナによって高校3年時の夏の大会が曖昧に終わり、不完全燃焼感が残ったからだと思います。

僕はこれまで、県大会に出られれば嬉しい、県大会で勝てれば嬉しいと言うようなレベルで野球をしたことしかなかったので、大学野球という高いレベルで野球をやってみたいと思い、野球部に入部し今に至ります。

そんなこんなで大学野球が始まりますが、僕の大学野球史上一番調子が良かったのは新人練の頃の1,2回目のブルペンでした。

今でもこの頃の球をもう一度投げたいと思っています。

その後、新人練の調子が良かったことで、初めての6月練でAチームに呼んでもらえました。

しかし、すぐに高校時代の腰痛と股関節痛が再発し、それ以降思うように投げられなくなり、B,Cチームに降格し、それ以降Aチームに関係することも、サマーやオータムのメンバーにも選ばれることができませんでした。


なんだかんだで腰の痛みと同居しながら投げ続け、2年の天王台を迎えました。






天王台中、スタッフになるか選手を続けるかをずっと悩んでいた記憶があります。

この天王台でラスト登板だった活樹が140 km/hを記録したことは鮮明に覚えているのに、その頃僕がどんなピッチングをしていたのかを何も覚えていません。

1個上の投手コーチのあべともさんからどんどん背中が小さくなっていた、と言われるくらい自信をなくし、負のオーラを出していたのだと思います。

そんな中でも、リーグ戦でベンチに入れなくても必死に仲間を応援する先輩方の姿を見て感動し、筑波大学野球部に愛着を感じていました。

何よりもこの野球部が好きだなあと思い、天王台終わりのタイミングで一足先にスタッフになりました。


誰にも相談せずにスタッフになることを決めたので、一井から「ちょっとくらい相談してくれればよかったのに。」と言われ、少し後悔がありますが、とても良い友達を持ったなあと感謝しています。


3年から4年に上がる冬練では、なかなか投手陣が結果を出せないことを受け、これまでの練習とはなにか変えないといけないという考えに至り、本当に鬼のように、見たことないくらい朝から走らせ、夕方も走らせ、ボールをほとんど触らない練習をしました。

僕からも人の心がないような声をかけられ、本当にきつい、つらい、苦しい練習だったと思います。

選手のみんなはよく耐えたと思うし、本当に尊敬しています。

僕は今でも、選手を続けていたらどうなっていただろうと、頭をよぎることはありますが、あんな練習絶対に耐えられなかったし、きつい中でも努力を続けることはできなかったなと思い、この物思いは瞬殺されます。

そのくらい選手のみんなは、努力を続けてきたと思うし、特に4年生はずっと苦しみ続けてきたと思うので、それを信じ、自信を持ってプレーしてください。


自分がスタッフになったのだと最も実感したのは、昨年の関甲信です。

僕が投手コーチとしてベンチに入り、送り出した投手がマウンドで苦しんでいる中、自分がマウンドに行ってこのピンチを切り抜けてやりたいという思いに襲われました。

自分は応援することしかできないのか、という無力感を強く記憶しています。

それ以降、「やるのは選手」ということを心に留めて練習や試合に取り組んできたつもりです。

マウンドで苦しくなっても、その状況を変えられるのは自分一人しかいません。

応援の声はあっても、直接手を加える事ができる人はいません。

そのピンチを切り抜けるために、これまでの苦しい練習に取り組んできたはずです。


ぜひ、自分を信じてすべてをぶつけてきてください。


選手から、「スタッフに回ってくれた人のためにも頑張ろう。」と言ってくれるのをよく聞きますが、それはスタッフのエゴだと思っています。

スタッフになった人は、筑波大野球部に貢献したくて、自分がやりたくてやっているのだと思います。

なので、そこまで背負わずに、自分がやりたいように、のびのびプレーしてほしいです。


ただ、これまで苦しい練習をともにしてきた、侍ウィークで一緒に走り込んだ、出たくてもリーグ戦に出られない選手たちの代表として戦っているということを忘れずに戦ってほしいです。

これまで支え合ってきた、切磋琢磨してきた仲間の思いをダイヤモンドで爆発させてきてください。
 

長くなってしまいましたが、僕が言いたいのは、
自信を持ってのびのびやってほしい。
 

最後に4年投手陣へ

隼瀬、このチームになってから多くの負担をかけてしまいました。ごめん。だからこそ、リーグではのびのびやってほしい。魂の奪三振ショーをみせてくれ。

長曽我部、どんな状況でも抑えてくれると信じてる。かっこいいガッツポーズが出ることを期待しています。

一井、チームをピッチングで引っ張ってください、背中で見せろ。まじで頼むぞ。

久米、浩太郎、最後まで熱くいこーぜ。一緒にいっぱい投げまくろーぜ。

活樹、重久、かんゆー、涼太、坂田、いつも刺激をもらっています。今ももっとやらなければと思っています。みんなのおかげで、スタッフになってからもとても楽しかったです。ありがとう。
 
最期はみんなで星になろう、そして、燃え尽きよう。
 
P.S. 家族へ、書く場面がなくこうなってしまいました。13年続いた野球生活も一旦区切りを迎えます。いつも応援してくれてありがとう。良いところを見せられなくてごめん。みんなは社会に出るけれども、僕はあと2年(+α?)はお世話になります。これからもよろしく!
 





理工学群物理学類4年 濱田朝晃
山形県立山形東高等学校





こんにちは。
4年マネージャーの廣瀬健大です。






長いようであっという間な大学野球。

その間、選手とは違った立場も経験したことで色々な人に出会い、様々な経験をすることができました。

4年間の中でも特に思い出深いものを振り返りながら、ラストブログとしたいと思います。


そもそも僕は、大学で野球を続けるつもりはありませんでした。

合格通知書が家に届いて、大学では何をしようか考えた時に、高校最後は満足に野球が出来なかったことが一番の心残りだと思い、もう少しだけ野球をやってみようという気持ちから入部を決めました。


入部当初、小山台出身と言うと先輩方から少し驚かれたことを覚えています。

当時、2個上の先輩に体専で筑波に入学していた人が2人(東東京決勝に行った時のエースと4番)いましたが、野球部をすぐに辞めていました。

どうやらそのせいで小山台からは入部ができないみたいな噂があったようです。

川村先生と面談した時も「小山台の子はすぐ辞めていっちゃうんだよなぁ」なんて事を言っていました。

確かに、直近で入部した4人のうち3人が辞めてますね(笑)。


去年北海道に旅立った、後輩のI君は元気にしているのでしょうか。

僕の4年間での頑張りが、次に来る小山台生にとって少しでもプラスになればいいなと思います。


結局、2年の秋までは選手として活動していましたがあまりいい思い出はありません。

入部当初から怪我続きで、試合に出た覚えはほとんどありません。

何人かのブログで既に挙げられている415事件は僕も被害者のうちの1人です。

平砂4号棟で苦楽を共にした2人は2年秋に部を去っていきました。1人は気付いたらSNSでバズってました。

楽しそうで良かったです。


そんな選手生活を過ごしたことで、スタッフになる事はすんなり受け入れられました。

というか元々、大学のマネージャーに憧れていたので、スタッフミーティングという文化は僕にとっては都合が良いものでした。

こんな事言うとまた怒られるかもしれません。

廣瀬とスタッフミーティングは混ぜるなキケンなので。


坂田と塩にはこの場を借りて再び謝罪しておきたいと思います。

ブログ〆切の朝で眠いから、何言ってるか分からなかったらごめんなさい。

そして2年の冬からマネージャー人生が始まります。

ここからの2年間は一転、マジで楽しかったです。

昨日の大聖も書いていたように、僕らの代3人は今までの代とは毛色が違いました。

怒られて凹むとかはありません。

基本的に3人ともナメてます。

でも意外と仕事はできます。


後輩使いは荒いけど、胸に熱いものを秘めている主務。僕が自由に色んなとこに行けたのも、チームには彼が着いていたからです。

絶対に定時出勤(遅刻含む)・定時退社する会計担当。彼のおかげでマネージャーは少しホワイトな環境になりました。

殺伐とした空気だった去年のマネ室に笑いをもたらしてくれたのは、いつもこの2人でした。
2年間ありがとう。






個人的な活動内容としては、連盟委員としての仕事がほとんどです。

リーグ戦の時は朝から晩まで会場に閉じ込められていますが、楽しいので大して苦じゃありません。

宿泊があるので、夜はよく飲みに行きます。

かんゆうと新しい店を開拓するのが大半ですが、稀にゲストが来ます。

立場上、誰かは言わないでおきますが。

この秋でもう最後になるので、ゲストを呼ぶ回は増やしたいと思ってます。

対戦おねしゃす。


連マネでの思い出でいうと、直属の先輩である轡水さんを挙げない訳にはいきません。

おもろい人です。

リーグ戦のときは金曜と日曜の夜に、あの水色で小さな轡水車に乗って、会場とつくばを行き来しました。

何度、首都高で死にかけたことでしょうか。

おかげで助手席力はかなり上がったし、今なら苦手だったジェットコースターも平然と乗れる気がします。

あと、たくさん飯を奢ってもらいました。

秋は平塚の時に来てくれるみたいなので会えるのが楽しみです。


そんなこんなで4年になり、仕事量と責任が増しました。

最初の大仕事はスプリングリーグの統括。

第1回大会という事で、エグいくらいやる事がありましたが、何をしたか話し出したらとんでもない文量になるのでやめときます。

でも、この経験は人生を大きく変えるものになったし、サマー・オータムも含めて、多くの人と関わる事ができました。


あとは全日本関係。

全日本選手権と大学日本代表合宿に行きました。

トップレベルの選手たちを間近で観ることが出来たし、選手権では東京ドーム、さらには神宮で決勝戦の公式記録を書けたことは良い思い出です。

知り合いでも出場していない限り野球はあまり観ないのですが、おかげで知ってる人が増えたので観るようになりました。

他にも部外に出て仕事をすることが多かったので、チームに帯同することはあまりなく、何をしているのか分からない人、なんて思ってる部員もいたかもしれません。

学年ミーティングや全体集合なんかは、僕がどっか行ってる時に開催される事が多いです。ここまで参加できないと逆に恋しいまであります。

チーム愛がないマネージャー陣、なんて言われてるとか言われてないとか噂を耳にしますが、この場を借りて否定させていただきます。

言葉に出すのが照れくさいだけです。

たぶん大聖も。

今野は、、、知りません。


このチームが勝てることを信じているので、他大学のマネージャーと秋リーグの順位の話になった時は、脊髄反射で「うちが優勝するよ」と答えています。

もう後には引けなくなりました。
選手のみんな、必ず勝ってください。


14年間の集大成。
優勝で締めたいし、神宮まで行きたい。


本当は本部から見守ることしか出来ないけれど、この秋だけは、仕事を山下に全部押し付けてできるだけスタンドに向かいます。


何としても勝ってほしい。


最後に両親へ

大学でも野球を続けると言った時は猛反対されました。なんとか納得してもらって、4年間続けてきて、本当に良かったと思っています。

グラウンドに立つ姿は見せられないけど、最後のシーズン見届けて欲しいです。

今までありがとう。

あと2年学生する事になるけど、これからもよろしく。






生命環境学群地球学類4年 廣瀬健大
東京都立小山台高等学校
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