今回のブログ企画では、野球部の未来を担う1年生たちに、「先輩、私の話聞いてもらってもいいですか」というテーマ
で、意気込みや目標、野望を語ってもらいました!
本日の担当は中村啓太(体育1・佐野日大)です!
こんにちは。体育専門学群所属の中村啓太です。
冬休み前に執筆の依頼が来ており年内には終わらせようと思っていましたが、結局、箱根駅伝での青山学院の圧倒的な走りを見ながらゆっくりと書いております。拙い文章ですがぜひお読みください。
私の出身は富山県です。
ホタルイカや氷見寒ぶり、ます寿司などの食はもちろん、黒部ダムや20mの雪の壁で有名な雪の大谷などの自然も富山県の魅力です。(ちなみに僕はどちらも行ったことがありません。) 富山県出身の有名人には八村塁選手や細田守、お笑いコンビ「クマムシ」の「あったかいんだからぁ〜」のほうじゃない人などがいます。誇りです。
富山自慢はこれくらいにして、そろそろ本題に戻ろうと思います。
といってもパッと思い浮かばなかったので、私のこれまでの人生について少し話そうと思います。
私は小学校入学と同時に地元の少年野球チームに入りました。しかし入学以前から近くに住む祖父母とよく野球をしていました。
どんなに暑くても。日が沈んで暗くても。どんなに祖父母が畑仕事でヘトヘトになっていても、「じいちゃん野球しよー」と祖父母の家に行っていたそうです。
なんとか小学校を卒業し、中学校では硬式のクラブチームに入りました。
学校生活では「お医者さん」という夢を叶えるべく、富山高校(富山御三家の一つ)に合格するために、毎朝6時に起きて勉強していました。
そして高校は栃木県の佐野日本大学高等学校へ入学しました。
「え??なんで栃木??」と思った方も多いでしょう。当時の周囲の反応もそんな感じでした。
高校3年間は一冊の本が書けるくらい充実していました。
同じ志を持った仲間と、「甲子園」という大きな目標に向かって切磋琢磨した日々は一生の財産になると確信しています。
三年間の集大成を発揮しようと臨んだ最後の夏の大会は、体調不良により試合に出ることができず、あっさりと高校野球の幕が下りました。めちゃくちゃ悔しかったです。
そこから受験勉強が本格的に始まりました。この受験期に関して話し出すとどれだけ時間があっても終わらないので、暇すぎて時間が有り余っているという人は自分のところまで来てください。
そして、manabaでの課題の提出くらいギリギリで筑波大学体育専門学群に合格し、今に至ります。
大学生活は高校と比べて自由度が高く、個人に委ねられている部分が多く、高校とのギャップになかなか慣れることができませんでした。しかし個性豊かすぎる野球部の同級生や、頼りになりすぎる先輩方のおかげでなんとか大学生活に慣れ、楽しく過ごすことができています。
特に青桐寮4階の住人の皆さん。いつも楽しく生活できているのは皆さんのおかげです。いつでも鍵開けて部屋で待っているので遊びに来てください。
今回のブログ執筆にあたり、今までの人生を振り返ってみて気がついたことがあります。
それは周りの人に恵まれているということです。
こんなにも周りの人に恵まれている人はなかなかいない気がします。感謝です。
これからも応援してくれる周りの人たちに感謝をしながら、僕の活躍で喜んでもらえるように頑張ろうと思います。周りの人にはいつも助けてもらってばかりなので、助けが必要になった時は自分にも頼ってください。車の免許はありませんが出来ることはします。
予め言っておきますが、周りの方々にはまだまだご迷惑おかけすると思います。
その際はきつくお叱りいただけると幸いです。
初めてのブログで思わず書きすぎてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
体育専門学群1年 中村啓太
佐野日本大学高等学校