今日は母の日。起源は古代ギリシャの時代に遡り、現代の母の日ができたきっかけは20世紀の初めにアメリカのアンナ・ジャービスという少女が亡き母に追悼の意味で白いカーネーションを祭壇に飾ったのが始まりだと言われています。日にちは違えど世界各国の行事のようで、戦後の日本では業界関係の宣伝もありカーネーションと共にプレゼントを贈る習慣が広く伝わったそうです。
私の母は大正7年午年生まれの今年で96歳、結婚して父の仕事の関係で戦争時は満州のハルピンという町に住んでいたとか。引き上げ後は福岡市内に自宅を構え5人の子宝(しかし2人は赤ん坊の頃、姉は44歳の若さで他界)にも恵まれ貧しくも温かな家庭を築いてくれました。そして今は老いて有料介護老人ホームエリーゼにお世話になっています。体重は20kg台、食事やホームの行事以外はほとんどベッドに中で横たわっていますが、まだまだ元気で時には冗談言ったり鼻歌唄ったりと皆さんに愛されるお茶目なおばあちゃんです。ただ、アルツハイマーで会話に支障はありませんが物忘れが激しいようで、でも仕方ありませんよね。
粗食の時代を過ごした分身体は丈夫みたいで百歳は軽く越しそうな生命力、その内に老老介護にならないかと心配しています。だって介護する側も実年になり高齢な母までもないけど身近な物忘れも多くなり?我ながら呆れ果てています。
母の日のプレゼントを持って行ったってなんて反応はないのですが、良かったのにと言いながらも嬉しそうな笑顔になってくれます。そんな母が愛おしくてついつい手や顔や頭を触ってスキンシップ、健康を確認するのが日常となりましたよ。
私の母は大正7年午年生まれの今年で96歳、結婚して父の仕事の関係で戦争時は満州のハルピンという町に住んでいたとか。引き上げ後は福岡市内に自宅を構え5人の子宝(しかし2人は赤ん坊の頃、姉は44歳の若さで他界)にも恵まれ貧しくも温かな家庭を築いてくれました。そして今は老いて有料介護老人ホームエリーゼにお世話になっています。体重は20kg台、食事やホームの行事以外はほとんどベッドに中で横たわっていますが、まだまだ元気で時には冗談言ったり鼻歌唄ったりと皆さんに愛されるお茶目なおばあちゃんです。ただ、アルツハイマーで会話に支障はありませんが物忘れが激しいようで、でも仕方ありませんよね。
粗食の時代を過ごした分身体は丈夫みたいで百歳は軽く越しそうな生命力、その内に老老介護にならないかと心配しています。だって介護する側も実年になり高齢な母までもないけど身近な物忘れも多くなり?我ながら呆れ果てています。
母の日のプレゼントを持って行ったってなんて反応はないのですが、良かったのにと言いながらも嬉しそうな笑顔になってくれます。そんな母が愛おしくてついつい手や顔や頭を触ってスキンシップ、健康を確認するのが日常となりましたよ。